森山誉恵「いつか親になるために」

高校中退、バイト生活……その日暮らしの果てに待ち受ける「悲惨な袋小路」

「教育格差」の実態をえぐる

2016年05月23日(月) 森山 誉恵
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文/森山誉恵(NPO法人3keys代表理事)

【前編「先進国で最悪水準『子どもの貧困』~ひとりの男の子と統計データが示す厳しい現実」はこちら(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48680)

自分なりの生きる術によって、さらに孤立

彼は夜遅くまで公園やコンビニ前などで遊ぶ習慣がありました。

学校へは行くけれど授業についていけないので寝たり、友達と話たりして終わる。部活動のサッカーをして帰るけれど、それでも授業で寝ていたことや、年齢的にエネルギーが有り余っているせいもあって、放課後は夜まで遊んですごしていました。

家庭にいた頃は、誰もいない家には帰りたくないし、塾や習い事に行くお金もない家庭なので、自然と夜まで友達と遊ぶけれど、楽しいのは最初だけ。だんだんやることがなくなり、次第にたばこやお酒に手を出し、夜の時間にいる年上の人たちとつるむようになっていました。

先生や友達は、夜の公園などにいる年上の人たちのことは危ないし、つるまないほうが良いと言っていたようです。しかし、彼にとっては年上の人たちは自分よりも社会を知っていて、学校の先生とは違い、きれいごとだけでなく、自分の感じている現実と近い現実を語ってくれるからリアリティがあって勉強になる。

だんだん、社会も知らずに勉強だけをしているクラスの友達とも話が合わなくなって、学校でもいわゆる「不良」と呼ばれる部類になっていきました。友達や先生に怖がられ、ますます学校に居場所をなくし、勉強がわからなくても、「怖がられている自分に教えてくれる人がいるはずもない」と思い込み、勉強もすっかりあきらめていました。

これは私の想像ですが、「怖がられていること」で注目を浴びるというのは複雑な気分だったのではないかと思います。自分のもとから人が離れていく寂しさを抱えながらも、やっと何かで一番になれたという嬉しさや、それ以外の自分らしさが見つからず、「怖がられていること」に自分らしさを見出すようになっているようにも見えたからです。それが思春期の彼にとって、自分を保つことでもあったのだと思います。

学校の中で似た境遇にいる他クラスの友達と仲良くなり、放課後に一緒に公園でつるみ、恵まれたクラスの友達の守られた状況を鼻で笑いながらも、うらやましそうに話すときもありました。

「みんなは親が守ってくれるけど、俺のことはカネ(税金という意味で言っていました)しか守ってくれない」

そうこぼすこともありました。

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