安楽死を選択できるべきではないでしょうか?:海外のお医者さんの反応

(名無しの医療従事者1)

安楽死をどう思いますか?人口統計学の発展の結果なのか、安楽死に関する見出しが増えています。医学が発展した結果、人は長く生きるようになった。自然な死と呼ぶには言えないほどに。多くの人が、例えば曾お祖父さんの長く患った後の最後の時を看取ると言うようなことがあると思います。ただ、あまりにも長い延命の結果、それが尊厳ある死からかけ離れてしまっていたりはしないでしょうか?尊厳ある生、そして死を選択することが出来ていないのではないでしょうか?もっと、安楽死を現代医学にとりいれるべきではないでしょうか?そして、安楽死に個人の選択の余地を残すべきかと思うのです。

(名無しのロンドン研修医2)

良い視点ですね。私は人口の増加と安楽死とを関連づけて考えたことはありませんでした。自発的な安楽死を考える時、どの程度の介入を彼らが欲しているか考える人はほとんどいないでしょう。

人が亡くなるときの尊厳を改善することが必要で、これは安楽死に関してどのような意見があるのであれ、なくすべきではない。

(名無しのオーストラリア医療従事者3)

北オーストラリアに熱心な安楽死の推奨者がいますよ。私は、安楽死は必要だとは思いません。USA では反対されるでしょう。危険な橋ですよ。こう思うのは私だけではないと思います。

(名無しのロンドン研修医2)

そうでしょうか?

(名無しのオーストラリア医療従事者3)

非常に危険ですよ。尊厳ある死ではなく、ただ高齢者を「役立たず。」とすることになるかもしれない。

(名無しのロンドン研修医2)

今日の新聞をみましたか?ご主人がもう助からない病気である健康な女性の自殺をほう助したとして容疑者が検挙されたそうです。

(名無しのオーストラリア医療従事者3)

なんて悲しい話だ!医者は何をやっていたんだ?オーストラリアのある女性の話しだが、やはり自殺を手つだってもらおうとしていた。死の病と診断されていたのだが、間違いだということがわかった。それでもちろん自殺の計画はなくなった。

わたしが考える尊厳のある死に必要なのものは理解ある医師と良好な緩和ケアサービスです。沈痛ケアの専門家からの適切なアドバイス、親身になってくれるかかりつけの医師、地域の看護サービス、カウンセラー、牧師やホスピスサービス。

こういったものがきちんと提供されないから、安楽死などどいう考えになってしまうのです。

(名無しのロンドン研修医2)

では、あなたは安楽死に反対ということですか?

(名無しのオーストラリア医療従事者3)

ええ、反対です。自殺を手伝ってもらいたいと言うのは、助けてほしいという叫びなのです。私たちが人びとに満足なケアをしてあげられていないということなのです。

私の飼い犬(スコティッシュディアハウンドでマーリンという名でしたは、深刻な心臓の欠陥がありました。やれることは最大限やった後、私たちは彼を安楽死させました。犬には緩和ケアサービスもホスピスも精神科医もいませんから。やってあげられることと言えば、せめて家で死なせてあげることだけでした。

私の父も深刻な心臓の欠陥がありました。長年、病気と闘っていました。かれは開業医で、長年家で治療した後、看護師だった母に看取られて病院で安らかに亡くなりました。安楽死は選びませんでした。自殺など、父は決して頼まなかった。生きることを望んでいたのです。安楽死させることがなくて良かったと思っています。父の死は、悲しかったけれど、安らかでした。83歳でした。

(名無しの医療従事者4)

私も安楽死には反対です。もし、患者に死に値するような原因があり、それをきちんと考え尽くして死を決心していたとしても、私たち医師に死をほう助する権利はないのです。もし、その人が苦しんでいて、私たちがそれ以上何もしてあげられることがなかったとしても、です。私たち医師は、生と共にあるのです。死と共にあってはならない。健康で幸せに生きていければそれが一番ですが、人生とはそうであるとは限らない。いつ、だれが安楽死を望むのかは大きな問題です。いつ、自分の順番がくるかはわからない。私の意見ですが、私たち医療従事者は注意深く確固たる信念をもって科学と現代医学の倫理を保たなければならないのです。決して間違った方向へ行ってしまわないように。

 

 

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