【毎日新聞】 ソウル発!! 人&風(サラム&パラム) 日中韓副教材への疑問

第18回 日中韓副教材への疑問 その1

 7月上旬、日本に一時帰国した際、東京都内の書店を何軒か回った。中韓の「反日」行動に日本国内が揺さぶられた事情を反映してか、店頭には「歴史」「反日」のコーナーが目立った。東京駅前の丸善では、このコーナーが5メートルほどの大きなスペースを占めていた。いささかセンセーショナルなタイトルの本が多いのが気になった。

三省堂書店のべストセラー・ランキング(7月4日〜10日現在)によると、朝鮮半島や日韓、歴史がらみの本としては、NHK出版「宮廷女官チャングムの誓い」、村上龍「半島を出でよ」(以上、一般書)、高橋哲哉「靖国問題」、林博史「BC級戦犯」、佐藤卓己「8月15日の神話」(以上、新書)あたりが売れ筋であるという。

 店頭でひどく目立っていた「新しい歴史教科書をつくる会」関連の本は、アンチ本を含め、ベストセラー上位に食い込むほどの勢いはないらしい。
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 一方、ソウルの書店=写真1=の店頭は意外と静かである。教保文庫光化門店によく出かけるのだが、「解放60周年」を前にしても、ここでは歴史コーナーがことさら活況を見せているわけではない。中韓の高句麗史論争で盛り上がった昨年夏ごろには「高句麗コーナー」もあったが、いま、そんなものはない。

 今年の夏、ソウルで売れている歴史本は、学習用の副教材「未来をひらく歴史−−韓中日がともにつくった東アジア3カ国の近現代史」(韓国版タイトル)=写真2=である。教保文庫では7月第1週現在、「歴史」部門での売れ行き第2位だ。

日中韓の歴史研究者らが参加した「日中韓3国共通歴史教材委員会」(日本側の呼称)が編集し、5月下旬に日本語版は高文研、韓国語版はハンギョレ新聞出版部、中国語版は社会科学文献出版社から出版された。
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 6月上旬、ソウル市内で開かれた日韓交流史研究者の勉強会に参加した。「未来をひらく歴史」に対する賛辞を聞いたのは、夕食を兼ねた懇談会でのことだった。隣席に座った30歳代後半の研究者(男性)が「読まれましたか? 東アジア3カ国であのような本が作れる時代になったんですね」と、感激した面持ちで語った。

 僕はまだ読んでいなかった。しかし、韓国紙で読んだ範囲では共感できる内容でもなさそうだったので「共同研究といっても、2年間ほどの作業で出来た本でしょ。拙速過ぎやしませんか」と疑問を呈しておいた。

 当時、韓国紙には次のような記事が載っていた。盧武鉉大統領は本が出版される以前から関心を寄せ、出版社側から見本を取り寄せ、熟読した。盧大統領は出版記念会に祝賀メッセージを贈った。さらに教育人的資源部(文科省に相当)は6月中旬、この本を全国各地の中学、高校の校長に寄贈した。さらに教員たちにも自費で購読するよう勧めているという。

 つまり韓国政府総がかりで販売キャンペーンに協力しているわけだ。このエピソードは韓国語版の版元が、いまや「親政府系」とも呼ばれるハンギョレ新聞であることにポイントがある。経営的な危機にある同社への実質的な経営支援になるからだ。
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 さてその後、しばらくして教保文庫の日本語書籍コーナーに行くと、日本・中国・韓国=共同編集「未来をひらく歴史−−東アジア3国の近現代史」(日本語版)=写真3=が届いていた。さっそく買ってきた。

 223ページ、1600円。「あとがき」などによると、この副教材開発・編集のための第1回国際会議は、2002年8月にソウルで開催され、その後、日本で4回、中国で4回、韓国で3回の会議が開かれた。その間、「各国は担当した原稿を書き上げ、これを国際会議で検討し、意見や注文を出し合って、それに基づいて原稿を修正し、さらに持ち寄って検討するという作業を何度も重ねて」きたのだという。

 そして「対等・平等の原則を前提に、お互いの立場を尊重しながら、ねばり強い議論を通じて意見を調整し、同じ内容の本を3国の言葉で同時に発刊することにこぎつけました」と記述してある。

 後で問題点を指摘するが、ここでは「同じ内容の本」と執筆者側が書いていることを覚えておいてほしい。
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 おおまかな目次を紹介する。序章「開港以前の三国」、第1章「開港と近代化」、第2章「日本帝国主義の膨張と中韓両国の抵抗」、第3章「侵略戦争と民衆の被害」、第4章「第二次大戦後の東アジア」、終章「21世紀の東アジアの平和のための課題」である。

 タイトルからも明らかな通り、この歴史副教材は東アジア近代史の基軸を「日本の侵略」VS「中韓の抵抗」と規定し、これを「民衆の被害」に焦点を合わせて記述している。そこに特徴があるといえる。

 ページをぱらぱらめくっていくうち、第4章第2節1「東アジアの冷戦と朝鮮戦争」の項目(188ページ)=写真4=に異様な記述があるのに気づいた。

 「北朝鮮の人民軍が半島南部の解放をめざして南下をはじめたのです」

 朝鮮戦争は「半島南部の解放」のための戦争であった、と書いているのだ。旧態依然たる共産党史観というべきか、B・カミングス教授らに影響を受けた“修正主義史観”というべきか。

 他の歴史教科書や概説書と比べても、北朝鮮や中国ではいざ知らず、日本や韓国の常識ではバランスを逸した歴史記述であることはいうまでもない。もし、この共通副教材が「国定」「検定」教科書であったら、この部分には必ず「修正意見」がつくに違いない。

 巻末の「本書を作った各国委員会委員・協力執筆者」の日本側名簿を見ると、中心メンバーは大日方純夫・早稲田大学教授、笠原十九司・都留文科大学教授、俵義文・子どもと教科書全国ネット21事務局長、といった人々である。「半島南部の解放」戦争という朝鮮戦争観は、この教材作りに参画した日本側執筆者のホンネなんだろうな、と思わざるを得ない。
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 参考までに紹介すると、日韓の教科書では朝鮮戦争について、次のように記述してある=写真5。

 ▼国定韓国中学校国史教科書(第6次教育課程)「北韓共産主義者たちは南侵の準備を急ぎながらも、表面は南韓に対して平和攻勢をくり広げ、彼らの南侵の意図を隠そうとした。そうして1950年6月25日、ついに北韓共産軍は38度線の全地域にわたって南侵を決行した」(日本語訳「明石書店」刊・376ページ)

 ▼扶桑社・新しい歴史教科書(2001年版)「1950年6月、北朝鮮軍は突然、南北の武力統一を目指し、韓国へ侵攻した」(298ページ)

 それぞれ立場の違う本だが、いずれも、朝鮮戦争を「北朝鮮による武力南侵」と記述している点は同じだ。(7月20日)

 2005年7月22日
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/archive/news/2005/20050722org00m030088000c.html


第19回 日中韓副教材への疑問(その2)

 日本に一時帰国中、たまたま駐日韓国大使館の幹部と懇談する機会があった。その際、「未来をひらく歴史」日本語版には「朝鮮戦争=『半島南部の解放』戦争」という記述があることを指摘しておいた。さすがに驚いた様子だったが、この大使館幹部がその後、どのような措置を取ったのか、大いに気になる=写真1。

 ソウルに帰ってからも、この記述部分が気がかりだった。そこで教保文庫(書店)に出かけて、韓国語版を買ってきた。両者を読み比べてみようと思ったのである。すると、問題の箇所の記述(歴史認識)がまるで違うことに、容易に気がついた。そこには、こう書いてあった。

 「北韓の人民軍が武力統一を目標に南侵したのである」(韓国語版214ページ)

 これでは日本語版とは正反対の歴史認識だ。いくら左傾化した韓国だといっても、まさか学校用の副教材に、朝鮮戦争を「半島南部の解放」戦争と書くわけにはいかないのだろう。それにしても、日本語版では「解放」戦争と書き、韓国語版では「武力南侵」と書く。カメレオンのように姿を変える日中韓共同編集本の奇々怪々さには、僕はあきれるしかなかった。

 そもそも「未来を開く歴史」は、扶桑社版「新しい歴史教科書」への対抗策として刊行された。ところが、市販された本をよく読んでみると、東アジア現代史の一大争点(朝鮮戦争)についての記述は、扶桑社版と「未来を開く歴史」韓国版が、実は同じ歴史認識に立っていたのである。

 韓国側が言う「歪曲した歴史認識」に閉じ込められているのは、日本の”良心的な研究者”が記述した「未来を開く歴史」日本語版だったことになる。この皮肉な事実を関係者はどう弁明するのだろうか?
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 「未来をひらく歴史」の全ページについて、日韓本を比較対照する時間的余裕がない。このため、朝鮮戦争とその影響に関する日韓双方の記述(各2ページ分)だけを読み比べてみた。おもな違いは以下の通りである。

 項目=日本語版「東アジアの分断と国交正常化」▽韓国語版「東アジアの冷戦と国交正常化」

 朝鮮戦争による死者=日本語版「死者の正確な数は不明ですが、死者・行方不明者は少なくとも200万人を超えています。(中略)また数百万人の人たちが、戦争によって家族が離れ離れに暮らすことになってしまいました」▽韓国語版には上記の記述はない。

 朝鮮戦争による離散家族=韓国語版「戦争で家族と離散した人は約1000万人で、当時の韓半島の人口の約3分の1に達する」▽日本語版には記述がない=写真2。

 2ページ分でこれだけ異なるのでは、日韓本はとても「同じ内容の本」とはいえないだろう。さらに、この副読本では朝鮮戦争における韓国、北朝鮮、中国の被害に関する言及はあるが、米兵の犠牲者についての記述がない。これでは東アジア3国中心主義の反米史観との批判も免れないだろう。

 さらに日韓両方の本には、警察予備隊の観閲式の模様を撮影した同一写真が掲載されているが、撮影月日の記述が食い違っている。日本語版では「警察予備隊の観閲式(1952年8月)」、韓国語版では「警察予備隊・1950年8月の発足式場面」となっている。

 資料によると、警察予備隊は1950年8月14日に発足した。1952年7月31日に廃止(保安隊発足による完全廃止は1952年10月15日)されているから、韓国語版の記述が正しいのではないか。

 そうだとしたら、日本語版はかなりの拙作ということになる。日韓の「未来をつくる歴史」を全ページ、さらに中国語版も含めて点検すれば、食い違いや間違い、脱落、ミスが数限りなく見つかりそうな気がする。
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 日本語版の巻末(222ページ)に掲載されている「各項目執筆分担」によると、朝鮮戦争の項目は日本側で執筆したことになっている=写真3。

 この項目も含めて、各項目とも「3国の委員会で分担執筆した原稿を、幾度も会議を重ね、またメールを使い相互に意見をやりとりしてできあがったもの」なのだという。

 そこで問題なのは、この副教材が「同じ内容の本を3国の言葉で同時発刊」(日本語版あとがき)されたことをうたい文句にしているにもかかわらず、日韓本やメディアの報道を見る限り、重要な相違点があることに執筆当事者たちがどこにも言及していないことだ。

 だから、日韓の相違点を隠蔽(いんぺい)しているかのような印象すら与える。日韓双方の執筆陣には日韓バイリンガルのメンバーが含まれているのだから、ゲラ段階でのチェックも可能だったはずである。日韓どちらかが記述内容を勝手に改ざんしたのであろうか? それとも双方合意の上のトリックプレーなのか?
(7月20日)
2005年7月26日
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/archive/news/2005/20050726org00m030037000c.html


第20回 日中韓副教材への疑問(その3)

 韓国のインターネット新聞「オーマイニュース」(5月26日)は、韓国側執筆者の金聖甫・延世大学史学科教授にインタビューし、日中韓の執筆者の間で多くの論点で見解が異なる部分があったと報道している。しかし、金教授も朝鮮戦争に関する日韓間の相違した記述について言及していない=写真1。
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 以下、この記事を翻訳した日本のインターネット新聞JANJANを引用すると、3カ国間では「日本軍は人肉の餃子を食べたか」「日本人の加害者と被害者の経験をどのように調整すべきか」「日中戦争の勃発の責任はどちらにあるか」「台湾問題をどう扱うか」などといったことが議論になったのだという。

 金教授の説明は、いささか噴飯ものだ。例えば1937年の盧溝橋事件。金教授の説明によると、「この事件に関して『日本軍がはじめた』という中国側の意見と、『どちらからはじまったかは明らかになっていない』という日本側の意見が対立したが、日本軍が事件を起こしたという方向で整理された」という。歴史学の論争点になっている事実についての解釈が、このようにいとも簡単に「整理」されたのでは、たまったものではない。

 ちなみに、日中間の論点になったという奇異な問題意識「日本軍は人肉の餃子を食べたか」の内実は、金教授の説明によると、以下のようなものであった。

 「日本の侵略戦争を反省すべきであるということには3カ国がともに合意したが、記述方式と認識には隔たりが大きかった。『日本軍は中国の女性の足を切断し餃子を作って食べた』などの被害事実を赤裸々に描写する中国側の立場を、日本側は受け入れがたかった」

 「日本側は誇張したような被害者数および強姦などに対する詳細な描写の代わりに、客観的に検証された資料を基にした被害事実の記述を主張した」
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 しかし、客観的記述を求める日本側執筆陣の要望は、中国側に体よく断られたらしい=写真2。

 日本語版の記述を見ると「第3章侵略戦争と民衆の被害・6節日本の侵略戦争の失敗(1)中国の抗日戦争」(執筆分担は中国側)では、中国側の損害についての記述が以下のようになっているからだ。

 「中国政府の発表によれば、抗日戦争における中国の軍人と民間人の死傷者は総計約3500万人、財産の損害は約6000億ドルにのぼります」(161ページ)

 この「死傷者3500万人」という数字の根拠は、本や雑誌、インターネット上の記事でも何度か指摘されてきた通り、きわめて薄弱である。例えば、櫻井よしこさんは月刊誌「文藝春秋」(2005年8月号)の討論記事で次のように発言している。

 「中国は東京裁判の当初、日中戦争で犠牲になった中国人の数は320万人であるとしていました。それがいつの間にか570万人に増えました。さらに国民党政府から中華人民共和国政府になると数字がとたんに増えて、2160万人というとんでもない数字になりました。最初の数字に比べると、7倍近くです」

 「この2000万人強という数字がずいぶん長く、中国の公式の数字とされていました。ところが1995年、江沢民総書記の時代になって突如3500万人という数字を言い出してきました」

 「3500万人」という数字は、中国の現行教科書に載っているらしい。日中韓副教材には中国の国定史観による数字がそのまま掲載されていることになる。

 このような姿勢が果たして、「東アジアの平和の共同体をつくるためには、その前提として歴史認識の共有が不可欠です」(日本語版あとがき)という立場に寄与することになるのか。僕には大いに疑問である=写真3。
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 同副教材では、南京虐殺に関しても記述がある。「1946年の中国政府の南京軍事法廷の調査によれば、日本軍によって集団虐殺され遺体焼却、証拠を隠滅されたものは19万人余り、個別に虐殺され、遺体を南京の慈善団体が埋葬したものは15万人余りでした」(127ページ)などと、中国側の主張がそのまま掲載されている。

 いやしくも「共同編集」を標榜するのなら、この部分の記述分担者が中国側だったから、というような弁明ですむような問題ではないだろう。

 さらに同副教材には、チベット問題、天安門事件、中越戦争、文化大革命、大躍進政策に関しても記述がない。これでは「東アジア近現代史と呼べるのか?」という疑問の声が、購読者の中から起きるのは当然だ。(7月20日)
2005年7月29日
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/archive/news/2005/20050729org00m030090000c.html


第21回 日中韓副教材への疑問(その4)

 東アジアの歴史対話自体については、僕は肯定的に評価している。「東アジアで共通の歴史認識ができるわけがない」「国家間の歴史対話は無意味だ」などというシニカルな態度を、僕は取らない=写真1。

 相互の歴史対話を通じてお互いの歴史認識の違いを明確にし、そのうえでいかにして「共生」(それは「共苦」である場合も少なくない)を考えるのが、知恵の出しどころだと思っている。

 「事実に基づき、礼儀を尽くして、是々非々で論語すれば、日韓『歴史問題』は必ず解決できる。それが私の信念だ」

 西岡力・東京基督教大学教授は新刊の著書「日韓『歴史問題』の真実」(PHP・刊)のまえがきで、このように書いている。僕もまったく同感である。
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 では、鳴り物入りで出版された「未来をひらく歴史」3カ国版が、どうして前述(18〜20回参照)のようなお粗末な記述になってしまったのか?

 その理由を推測するには、ほかならぬ日本側執筆の中心メンバーのひとりである大日方純夫・早稲田大学教授が、ハンギョレ新聞(5月15日)の共同インタビューで答えた内容が参考になるだろう。

 「日本ではかなり前から東アジアの歴史教育について研究と討論を重ねている研究グループがあります。特に研究者・教師集団の中で、多様なグループが日韓間の経験や研究を交流しています。この中で一部は、これまでの成果を整理する作業を進めています」

 「したがって、そのような(専門的な)試みの観点から見れば、今回の共同教材の出版については、いろいろ未熟な点や問題点を指摘できるでしょう。拙速だという批判もあるかもしれません」

 「しかし、2005年春に、どのようにしても(共同教材を)出版するということ、このために全力を尽くすこと、これが私たちの合意事項でした。ここには3カ国の歴史教育をめぐるきわめて高い実践的な課題があります(後略)」

 ここで大日方教授が認めているのは、とにかく「2005年春に出版することが実践的な課題だった」ということである。分かりやすくいえば、2005年の歴史教育界で焦点になっていた「新しい歴史教科書・改訂版」の検定・採択に対抗することが先決だったということだ。だから「拙速」との批判もいとわず、3カ国共同の「産物」として、出版を急いだということなのである。
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 「歴史記述」に「政治的運動」を介入させるなら、その歴史記述の質が、無残なまでに低下するのは明らかだ。歴史研究者としては自殺行為に近い。だから、まともな歴史研究者の中では「未来をつくる歴史」に対する評価は、きわめて低い=写真2。

 日本でも知られている韓国人教授は、怒気をあらわにしながら、僕に「この副教材は、歴史記述の水準を20年ほど後退させた」と語った。

 「この副読本では日本のアジア侵略と中国の戦いを中心軸に書かれている。韓国の近代は埋没している。韓国史の書き方にしても、山辺健太郎(1980年代に「日本統治下の朝鮮」「日本の韓国併合」を出版した歴史学者)のレベルに、引き戻してしまった」というのだ。
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 日韓の歴史共同研究としては、このほど、第1次研究の論文が公開された「日韓歴史共同研究委員会」の報告書に、質の高い論文がそろっている=写真3。

 これは日韓政府間の合意に基づき、2002年5月に活動を開始したものだ。日韓間で見解の異なる論点については、双方から論文を提出し、相互に批評を加える形がとられた。第2次研究では、日韓相互の教科書も共同研究の対象にすることになった。結構なことだと思う。
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 日韓の相互理解に役立つ歴史教材作りを目指して、1990年代からシンポジウムを重ねているソウル市立大学と東京学芸大学を中心とする研究団体の取り組みもある。

 その成果は、すでに「日本と韓国の歴史教科書を読む視点」(2000年6月、梨の木舎)や「日本と韓国の歴史共通教材をつくる視点」(2003年11月、同)として公開されている。前者では、韓国人学者が自国の教科書を批判的に検討したことで注目を集めた。

 後者の本では、共通教材の試案としての歴史記述が公開されている。拙稿で論点にしてきた朝鮮戦争については、以下のように書かれている。

 「1950年6月25日、ソ連の軍事指導を受けた北朝鮮軍は北緯38度線を急進撃し、戦端が開かれた」(323ページ)

 北朝鮮の南進の背景にはソ連の軍事指導があったと、当時の国際情勢まで書き込んでいるのが特徴だ。数々の疑問に満ちた「未来をひらく歴史」の記述は、この水準よりも、さらに劣っているというしかない。(7月20日)
2005年8月2日
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/archive/news/2005/20050802org00m030027000c.html

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