検索してみると、「かわいそうなぞう」の真相を取り上げたブログがいくつか見つかる。その中の一つであるこちらのブログ(記事1、記事2)は、この虐殺が空襲による猛獣脱走の危険を避けるためにやむなく行われたことではなく、「『戦争の怖さも知らないでいる国民に自覚させる』という精神論のためになされた」ことを指摘し、きちんと批判している。
そこまではいいのだが、続きを見ていくと、どういうわけか日教組が一番悪いことになってしまうのだ。
■責任転嫁の論理
どうしてそうなるのか? その理屈はこうなっている。
1.これは軍の命令じゃない
この話は、戦争の悲惨さを伝えるものとして、語り継がれています。
それはそうなのですが、その際に、ほとんどの場合、この戦時猛獣処分は、『軍の命令』で行われたという話になっています。
ところが、どの資料を探しても、『軍の命令』などみつからないのだそうです。
2.命令したのは東京都長官だった大達茂雄だ
では、誰がこの命令を出したのでしょうか?
後年、古河忠道園長はこういう趣旨の発言をされていました。この方は、福田園長代理とともに、東京都庁赴いて、井上清公園課長から東京都長官からの命令を聞いた人ですね。
「都長官になる前に沼南市(シンガポール)市長をしていた大達茂雄(おおだちしげお)さんは、内地に帰って、勝ち戦と思い戦争の怖さも知らないでいる国民に自覚させるために、動物園の猛獣を処分することによって警告を発したのでしょう。ゾウなどを田舎に疎開させる意見もあったのですが、動物を処分することが目的であったため、大達さんは頑としてそれを許さなかったのです」
3.槙枝元文(元日教組委員長)は、「タカ派文相」として批判する大達茂雄の経歴から「東京都長官」を隠している
昭南(シンガポール)特別市市長を務め、東京に戻されて早々、
上野動物園の猛獣殺処分を命じた内務官僚の初代東京都長官大達茂雄(おおだちしげお)氏は、
戦中に内務大臣になって、戦後、公職追放。サンフランシスコの講和条約で日本が主権を取り戻した後に公職追放が解けて、文部大臣になったのです。
ところが!
4.それは無実の日本軍に責任を押し付けるためだ
そりゃあそうでしょう!
日教組は、日本軍の残虐非道さを『かわいそうなぞう』の話を利用して、でっちあげ、子供たちを反軍思想で洗脳するための大キャンペーンを張っていましたから。
旧日本軍ではなく、大達茂雄氏が内務官僚の初代東京都長官時代に『かわいそうなぞう』の殺処分を命じたことになると、子供に反軍洗脳をしている日教組的にとても困るのです。
旧日本軍及び自衛隊を否定する日教組的には、あくまで悪者は日本軍じゃなければならないから。
常識的に、大達氏の経歴で昭南(シンガポール)特別市市長を書くのなら、普通は初代東京都長官の方を書きますよね。
大達茂雄氏にとっても、自分が内務官僚の初代東京都長官時代に『かわいそうなぞう』の殺処分を命じたことを日教組が隠ぺいして、軍に罪をなすりつけてくれて、大喜びだったはずです。
(略)
酷いものです。まことにもって、卑怯千万です。
■無理がありすぎる謎理論
この理屈のどこがおかしいかというと、まず、日教組が猛獣虐殺の責任を日本軍に押し付けたとしている点だ。
「かわいそうなぞう」(1982年文庫版)にはこう書かれている[1]。
そのころ、日本は、アメリカとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、東京の町には、朝もばんも、ばくだんが、雨のようにおとされました。そのはくだんが、もしもどうぶつえんにおちたら、どうなることでしょう。おりがこわされて、おそろしいどうぶつたちが、町へあばれでたら、たいへんなことになります。それで、ぐんたいのめいれいで、らいおんも、とらも、ひょうも、くまもだいじゃも、どくやくをのませて、ころしたのです。
軍が命令して動物たちを殺させたと「かわいそうなぞう」自体が書いているのだから、この点を問題にするなら責められるべきは作者の土家由岐雄であって、日教組ではないはずである。
次に、槙枝氏の著作中に書かれている大達茂雄の経歴に「東京都長官」が含まれていないことを隠蔽工作だとする、あまりにも無理な飛躍。
そもそも、命令したのは日本軍だという話が広く信じられているなら大達が東京都長官だったことを隠す必要自体ないわけだが、日教組憎しのバイアスのせいで、何でも「陰謀」「工作」に見えてしまうのだろう。ついでに言うと、大達の経歴として東京都長官より昭南特別市長を重視するのは別におかしくない。それが不自然に見えてしまうのは、大達の市長時代に日本軍がシンガポールで何をやったか知らないからだろう。
そして、猛獣虐殺が東京都長官の命令なら日本軍は無実だという短絡。
大達は官選の東京都長官であり、当然ながら任命者である大日本帝国政府(そこには軍部=陸海軍省も含まれる)の意向に沿って都政を行った。選挙で当選した都知事が政府の意向を無視して勝手な命令を出した、というような話ではないのである。猛獣虐殺は、敗退しつつある日本軍の現状には口をつぐんだまま後方にいる国民に危機感を持たせるための手段として有効だったからこそ政府によって認められ、大々的に報道(宣伝)もされたのだ。大達は、頭の固い軍部では到底思いつかない妙案を立案・実施したと自慢に思っていたのではないだろうか。
■日本軍を美化したいという強固な願望
どうしてそんなに日教組が憎いのか。その背景には、日教組が批判する軍国主義の担い手だった旧日本軍を免責し、美化したいという強い願望があるらしい。だから、こういうトンチンカンなことも書いてしまう。
それで、今回は、旧日本軍の名誉回復のためにも、名古屋の東山動物園で、日本軍がゾウを助けた話をご紹介します。
『どうぶつ博士 中川志郎の ほのぼの【どうぶつ苑】』中川志郎著:同文書院P164より
※ ※ ※
(略)
戦争末期の極端な物不足のなかでは、人間のための食料はもちろん、ゾウのような大食漢のえさを調達するのはなおさら至難のことでした。
空襲の際にゾウが逃げ出したら大変だから殺してしまえ!という国の命令に反対して守り抜こうとした動物園の人々も、このえさ不足にはまったく困っていたのです。
このとき、突然、軍専用の飼料がゾウ舎の通路に運びこまれ、なんの説明もないままに放置されました。
動物園の人々は、ひそかこれを失敬し、ゾウのために使ったのです。
あとでわかったことですが、この不思議な処置は、当時、名古屋にあった東海軍管区司令部の獣医部大尉、三井高孟(たかおさ)さん(1980年死去)が、ゾウたちのために、秘かに部下に命じてしたことだったのです。
北王さん自身、この事実を知ったのは、ずっとあとになってからだということです。
※ ※ ※(以上引用終わり)
きっと、東海軍管区司令部の獣医部大尉、三井高孟さんは、ゾウの食料確保で困り果てている動物園の職員の方々の窮状を見るに忍びず、
「軍馬用の飼料の置き場所がないなあ!困った困った。おおそういえば、ゾウ舎の通路なら空いているではないか!そうだ、そこに置くのがよかろう」という大芝居をうって、部下に飼料を運ばせたのですね。
命じられて飼料を運んだ兵隊さんも、上官の三井高孟さんの真意を知っていたはずです。なんせ、ゾウの食べる飼料の量ははんぱじゃありませんから、置いていくはしから消え失せる飼料がゾウのえさに使われていることが分からないはずがありません。
この軍人は、個人としての情や倫理観から、あえて危険を犯して軍馬用の糧秣の盗難を黙認した。軍がゾウの餌を提供したわけではない。軍とは関係ない(むしろ軍の意志に反する)個人の行為を「日本の軍隊」の善良さの現れと見てしまうのは、そもそも個人と組織の区別がついていないからだ。
実際には、大日本帝国政府とその軍隊は、「敵」はもちろん自国民に対してさえ非情だった。「かわいそうなぞう」の背景となる空襲への対応からもそれがよく分かる。
戦争児童文学は真実をつたえてきたか[2]:
軍や政府の当局者は、猛獣が市民に危害を加えるのを心配するほど人道的だったろうか。彼らが本当に人道的だったら、庭先の小さな防空壕や、火叩きとバケツによる消火作業などまったく無力であることを、国民に告げるべきだった。B-29のような爆撃機の空襲には、軍事的にほとんどなすすべのないことを、正直に言うべきだった。そうすれば、国民はもう少し自分で身を守り、何十万人もの人が空襲で殺されることはなかっただろう。あと半年早く降伏していれば東京大空襲はなかったし、せめて半月だけ早く降伏していれば、広島も長崎も原子爆弾を投下されることはなかったのだ。敗北以外のなにものもないことを知りつつ、あそこまで戦争を続行し、死ななくてもいい人々を多数殺した連中が、猛獣による危害を本当に心配するほど人道的などということはありえなかった。
(略)
猛獣虐殺の指示者は人道的どころか、戦争推進者に連なる人々であり、戦争を始めた人々そのものだとも言ってよかった。だから、虐殺に至る過程を明きらかにし、その責任を追求してはじめて、本当に戦争に抗議し、戦争責任を追求することになったのである。
「かわいそうなぞう」が最初に発表された時点では、虐殺の細かい方法などは公表されていなかった。しかし、虐殺と空襲の時間的関係ははっきりしていたのだから、それを手がかりに虐殺の持つ真の意味を考えていくことはできたはずだ。しかし「かわいそうなぞう」はそういうものにはならず、猛獣たちの虐殺と戦争とを漠然と結びつけたにとどまり、「神話」を流布してしまうという結果をもたらした。「かわいそうなぞう」は、決してすぐれた戦争児童文学ではないのである。
ぞうもかわいそうだったし、その他の殺された猛獣たちもかわいそうだった。しかし本当にかわいそうだったのは、空しく殺された多数の人間なのである。
東京新聞[3]:
空襲に避難禁じる異常
第二次世界大戦末期の空襲下では、市民は防空法により、避難が禁じられていた。「逃げるな、火を消せ」と市民に強いた当時の政府は、何を守ろうとしたのか。(略)
戦時中のこと。大阪市内の防空訓練で、住民に火を消さず、逃げるように訴えた市役所の課長が逮捕された。先月27日放送のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」の一幕だ。住民に消火を義務づけた防空法に反する指示を出したことが、逮捕の理由だった。
防空法は実在した。1937年に施行され、灯火管制などの義務を課した。41年11月に都市からの退去禁止と、空襲時の応急消火義務が追加された。
条文上は「必要に応じて退去を禁止できる」としてある。しかし、運用基準の「内務大臣通牒」では「退去を行わせない」と禁止を強制していた。
なぜ都市住民の退去を禁じたのか。『検証 防空法』を最近出版した早稲田大の水島朝穂教授(憲法学)は「空襲前の退去を認めると、国家への忠誠心や戦争協力の意思が破綻する。人員や物資を戦争に総動員する体制も維持できなくなるためだ」と指摘する。体制の護持や戦争遂行が、人命よりも優先されたのだ。
違反者には六月以下の懲役か、五百円以下の罰金が科せられた。「教員の初任給五十五円の約九ヶ月分」(水島教授)だから、抑止効果は大きい。政府発行の家庭向け文書にも、都市を離れれば「非国民と言われても仕方ない」と書かれ、住民は「隣組」を通じて相互監視を強制された。
当局は「爆弾は大したことがない」と宣伝し、45年3月10日未明の東京大空襲後でも、大本営発表は死者や焼失家屋数に触れなかった。
(略)
当時の新聞は「手袋をはめれば、焼夷弾を手づかみで処理できる」などと伝えた。国会も防空法の成立・改正を許した。
同じくアメリカ相手に戦争した北ベトナムとはこんなに違う。防空法で避難を禁じなければ忠誠心が失われると危惧した政府・軍部は、自国民の命を大事にしなかっただけでなく、実は信用もしていなかったのだろう。
これ何度でもいうぞー
— Đằng Văn Hiếu (@Tonbi_ko) 2016年3月1日
ベトナム戦争のハノイ大爆撃は、政府が「みんな逃げろ隠れろ」と命令して8万トンの爆撃で死者1700人余。
太平洋戦争の東京大空襲は、政府が「みんな逃げるな火を消せ」と命令して1700トンの爆撃で死者10万人。 https://t.co/WvJl3d8WOB
真の責任者に目を向けず、無関係な日教組を叩くような倒錯にうつつを抜かしていたら、いずれ日本人はまた大量殺戮されることになる。
[1] 土家由岐雄 『かわいそうなぞう』 金の星社(フォア文庫)1982年 P.8
[2] 長谷川潮 『戦争児童文学は真実をつたえてきたか』 梨の木舎 2000年 P.26-28
[3] 東京新聞 2014年3月3日 「こちら特報部」 戦時下の「防空法」
戦争児童文学は真実をつたえてきたか―長谷川潮・評論集 (教科書に書かれなかった戦争)
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