
中国風の屋根付き橋のようですが、中はお寺を彷彿させる作りになっているそうです。
なんでも、1500年代終わり頃、そこに住んでいた日本人の手によって建設されたと伝えられている橋だそう。1500年代終わりと言えば、徳川幕府が開かれる直前の頃です。
世は戦国時代ですから、各大名の技術開発競争もあったと想像できます。そんな頃のベトナムの日本人街でしょうか。
橋が建設された40年後に、その橋を作った日本人は日本に呼び戻されたと伝えられているそうです。確かに鎖国の時期と一致しますが…
その日本人の名前は未だ分かっていないようです。

現在歴史的には「鎖国」と言う見方は正確ではないという考え方が主流。キリスト教排除、幕府による全貿易権の確保の過程での外国人街の建設などはあったのは確かですが…幕府が海外の日本人街からわざわざ呼び戻すほどの人物とすれば、名前は残っていそうな物です。
いろいろと、面白そうなエピソードができそうな言い伝えではあります。一体どんな日本人だったのか。侍だったのか、商人だったのか。

そもそものこのベトナムと日本との外交関係は、日本史の教科書でおなじみの「朱印船」と言うものが始まりのようです。朝鮮半島出兵で有名な、海外に大いに興味を示した豊富秀吉が導入した制度で、朱印状を持つ貿易船は、日本での貿易はもちろん、東南アジアやポルトガルなどでの貿易も許可される効力の高いモノでした。
記録が少ないので明確には分かっていないそうなのですが、ホイアンの日本人街もその頃から出来はじめたものと考えられます。
江戸時代になると、徳川家康がこの外交政策に力を入れ、朱印状の制度も整備されていきます。朱印状は主に商人と、九州の大名を中心に発行されたそうです。(
朱印船 - Wikipedia)
もしかしたら、京都の豪商か九州系大名のどこかの有能な人物で、京都、あるいは九州のどこかに記録が残っているかも知れませんよね。コレを作ったのが誰なのか、推理する旅なんかをするのも楽しそうです。
歴史ロマンですよねぇ…