小学生の頃はタカラの着せ替え人形ジェニーちゃんでよく遊んだ。この雑誌は、ジェニーの服のコーディネートや、作り方などが掲載されている。
まだ自分自身に化粧を施したり、オシャレが出来ない子供の頃の憧れを、お人形に投影していた小学校1~4年生頃。ジェニーはもう一人の私であり、ジェニーを着飾ることが自分の喜びそのものになったのだった。(紙質が良いらしく、殆ど劣化していない。中身も充分娘が楽しめそうなので、これは捨てずに取っておくことにした)
やがて、憧れの対象は人形から異性、しかも2次元の相手へと移行する。
幽白である。
小学5、6年生の時、専ら私の脳内は飛影蔵馬で占められていた。毎日学校から帰ると、友達と幽白カードダスをした。
アニメージュの、お気に入りの、今風の言い方をすれば『絵師さん』のイラストを切り抜いて名札の裏に入れるのがクラスで大流行した。
ここからの流れでBLにハマる子もちらほら現れた。
その後、中学生になり、アニメが好きというのがなんだか恥ずかしく思える年頃になり。かといって、SMAPやKinKi Kidsにキャーキャー言う同級生とはちょっと違う自分でいたい、そんなめんどくさい性格の私の興味は映画に移った。
その後、うまくいかない勉強のストレスと父親からの度重なる罵倒やなんかの精神的圧力で、どんどんこじらせて、どんどんややこしい性格になっていった私は
何故かSPA!を買うようになる。
服装は、壮苑などを参考に、個性的な方向に走った。この雑誌は型紙もついているので、ハンドメイドをやりはじめたのもこの頃。
その後、父親の期待を裏切りFラン大学に入学。
その頃はもう、せいせいしていた。女子校から男子の多い学部をわざわざ選んで進学したのだ。もう勉強なんか絶対やらへん。遊んで、遊んで、遊びつくして、将来の旦那を見つける、という目標を立てた。就職も出来なくて良いから、とにかく男捕まえる、そう決意し、まあ結果的に初志貫徹したから良かったけど、良くない生活だった。そうした考えは、買う雑誌にも顕著に現れる。所謂赤文字系デビューをしたのは大学入学と同時であった。初めて買ったRayは、香里奈とか長谷川京子が全盛だった。これはJJだけど。
こうして見たら特集とか酷かったなあ。この頃の女子大生は、キャンパス内でブランドカバンをひけらかすのが普通だった。
そして、あの頃の女子大生がバカが多かった(もちろんかしこい女子大生だって大勢いましたよ。私の観測範囲内での話です)理由は、こういう赤文字系雑誌の責任が大きいと思ってる。とにかく特集が、やれ彼氏とセックスしろ、何十万もするブランド物のカバン買え、読モの職業は謎の『家事手伝い』。
先人たちが残したバブルの空気(実際は小学校1年ぐらいで弾けてるが)を、私達は少しでも追いかけたかったのだろうか。
その赤文字雑誌の世界に少々疲れ、やっぱりこっちだなあ、と買っていたのはnon・no。あ、これよく見たら妹の時代のやつが混ざってるな。あれ、アニメディアのウテナもか。まあいいや。ちなみに妹は10個下、不遇ながらも堅実なゆとり世代。
その他、地味に月刊エレクトーンも買ったり買わなかったりしていて。無駄に3才からヤマハ音楽教室に通っていた。20年間ヤマハに月謝を支払い続け、人生で何の役に立ったかといえば“ピアノを習っていた旦那と音楽の話をするときに盛り上がる”ということぐらいなのだが、まあそれはそれで良かった。
あと赤文字系もたまに買ったりしつつ
OLになって、With、MORE、新たに創刊されたアネキャンなどを買うようになる。その頃買った雑誌は、全て最後は風呂の半身浴の際読んでボロボロにしたので既に廃棄済みである。
以上ごく普通の、81年生まれ女の人生をザックリ振り返ってみた。あれ雑誌の表紙載せるのって大丈夫なのかな。発売済みで、非営利やったらオッケーなのかなとか思ってるんやけどなんか怖くなってきた。けいさつのひとに怒られたら消す。