自分はライトノベルをあまり読まないので、かなりライトノベルに対する偏見が入っているかもしれない。もしそうだとしたらボロクソに叩いてください。
個人的に「シンデレラ」「わらしべ長者」「笠地蔵」などの童話を、
「ラノベ主人公型童話」と呼んでいる。
特徴をまとめるとこうだ。
- 主人公はただの優しい性格。他には特徴はない。ただ優しいだけで、優しさで世界を変えるような行基やマザーテレサレベルの超人ではない。
- 棚からぼた餅な展開で、本人はあまり努力せずにラッキーな展開になり成功する。
童話って言うのは、その話がウケないかぎり伝わっていかないよね。
つまり「ラノベ主人公型童話」にはその話がウケる理由がある。
んで、それを読み解く鍵は「ロマン」だ。
読者と主人公
なぜ主人公はただの優しい性格なのだろうか。
それは、読者≒主人公だからだ。
推理小説で例えるならワトソン役だ。
読者≒主人公な以上、主人公は読者が共感できる「善良な一市民」でなければならないし、
ホームズのように読者の理解を超えるような超人になってはいけない。
だから、これらの童話やライトノベルは主人公がただの優しい性格なのだ。
ぼた餅とロマン
この話が読者≒主人公となっていることは説明した。
つまり、「ラノベ主人公型童話」は「読者が運良く"何か"を手に入れる」そのことにロマンを抱かせる話なんだ。
この"何か"はストーリによって異なる。
例えば「シンデレラ」では王女様という肩書き、
「わらしべ長者」では屋敷という財産だ。
でね"何か"っていうのはその時代のロマンと一致していたんじゃないかな。
例えば「シンデレラ」だと恋愛という市場が自由化されていく時代の中で、
おそまつな肩書きしかない女性が王女様になり得る可能性ができ、そこに多くの人がロマンを抱いた。
(未だにシンデレラストーリなんて言葉を使うってことは、今の時代にも肩書きにロマンを抱く人が多いのかもしれない)
また、「わらしべ長者」だと価値と価値の交換という商業が盛んになっていく時代の中で、
なんの財も持たない人間が長者となる可能性ができ、そこに多くの人がロマンを抱いた。
時代のロマンによって「ラノベ主人公型童話」は広まっていったんじゃないかな。
ライトノベルと現代
今までの話をまとめよう。
「ラノベ主人公型童話」は読者≒主人公という形をとることで、
運良く成功する自分にロマンを抱く話だ。
そしてロマンの内容は、その時代の社会を表している。
さて、話をライトノベルに移そう。
ライトノベルがウケている現代では、読者は何にロマンを抱いているんだろう。
「訳の分からない部活で強制労働させられたい」だの「世界を救いたい」だの思っている変人はそんなに多くはないと思う。
また「ハーレムを築きたい」なんて思っている人はいつの時代にもいるので、それも違う。
でね、個人的にはライトノベルの読者が抱くロマンっていうのは「刺激的な人間関係」じゃあないのかな。
「訳の分からない部活」にしろ「異世界」にしろ読者を「刺激的な人間関係」に引き込むための舞台装置なんだ。
(シンデレラで例えるならば魔女の魔法だ)
平成ってそれ以前に比べて人間関係がものすっごく自由化した時代のように感じる。
昭和の初期なんて自分の育った村以外の人間は知らない、なんて人も多かったんじゃあないのかな。
それがいまや人員の移動が当たり前になり、インターネットを使えば手が届かないような人間とのコミュニケーションが可能になった。
そういう時代の中で、「刺激的な人間関係」にロマンを抱く人が増えてもなにもおかしなことじゃあないよね。