2016年05月21日 (土)
稲葉さんから新著『不平等との闘い』をいただきました。ありがとうございます。
稲葉さんや私の出身母体でもある社会政策・労働問題研究という領域には、長らくちゃんとした教科書がありませんでした。というか、今もありません。それは、社会政策がとにかくありとあらゆることを扱うから、なかなか一つのディシプリンで描くのが難しかったというのが実態です。ただ、1990年代まではマルクス経済学を基本的な教養としていました。マルクスを媒介とすると、思想を通じて、社会・政治にも手を伸ばせるので、非常に便利だったということがあります。
経済学の中ではマルクス経済学が完全に凋落して、かつては近代経済学と呼ばれていた新古典派経済学が主流になりました。主流になったのはよいのですが、なかなか社会政策領域ではこれはというものが出てこなかったんです。近年、駒村さんたちのグループが有斐閣アルマから『社会政策』を出して、ようやくここまで来たかという感じの一冊が登場しました。ですが、分量的な制約がある中、出来るだけ具体的な話を多領域において行い、さらに経済学の基本的な共用部分を教える、というのは。。。最初から欲張りすぎでした。私から見ると、よく出してくれたという本なのですが、でも売れないよなという感じで、やっぱりあんまり売れていないようです。
社会政策領域の基本的な教養としてマルクスがあったという話がありますが、もう一つ、社会政策のなかでも労働領域に限って言えば、労使関係研究を通じて、いわゆる制度学派と呼ばれる領域がありました。制度学派自体をどう捉えるかということ自体が大問題ですが、何冊かよい入門書があります(新古典派をバックに持つ新制度学派とは一応別、というか、それも取り込んでいるもっと広いイメージです)。しかし、今度はそれと労使関係が繋がっているかというと、あまり繋がっていない。せいぜい、昔のダンロップくらいです。まあ、そもそも労使関係がやられてないですからね。さらに、社会政策全体に制度学派的な見解はほとんど継承されていないと思います。もちろん、個人や狭いサークルで勉強している人たちはいるとは思います。
稲葉さんの『不平等との闘い』は、経済学における制度学派的な意味での社会政策の新しい入門教科書です。少なくとも、今、社会政策で勧めるべき入門書をと問われれば、私は駒村さんたちの本と、この『不平等との闘い』をあげるでしょう。あとは、社会福祉系のよい教科書をあげられればよいのですが、ちょっと、にわかに、これだとは決めかねます。この前、岩田正美先生の『社会福祉学のトポス』という素晴らしい革命的な本が出ましたが、まあ、正直、我々もこれからちゃんと摂取していかなければならない、という感じでしょうね。私は幸いなことに、三回ほど、別の研究会で岩田先生と話する機会があったので、ああそうだよなという勘はつかめましたが、なかなか人に話せるような形には出来ません。この部分と接続できると、本当はいいんですよね。
話が先走り過ぎました。というか、本体についてまだ何も語ってない。この本は非常にクラシカルな経済学の入門書といってもよいでしょう。というか、経済学の理論的な本です。だから、経済学の重要な学説を選択して、その当時の学者が直面していた問題(理論の前提になっている状況認識)を整理しているので、結果的には、歴史的な話も出てきていますが、基本は理論の話です(歴史推しなのはその方が売れるからでしょう)。今まではたとえば『社会学入門』は面白い本ですが、変化球でした。しかし、今回の本は経済学思想の王道と言ってよいと思います。それから、私はちくま新書の『「資本」論」はあまり買っていなかったのですが、『不平等との闘い』はあのときの人的資本の議論がより洗練されています。その意味で、続編と言ってもよいでしょう。こちらの方が格段によいです。
ある意味、ピケティという最終着地点があるから、書けた本だなと感じました。それがなければ、こういう形で着地はしなかったのではないかという気さえします。稲葉さん自身、リフレ派として旗をふってきたわけですが、それだけじゃなくて、ちゃんと経済成長論につきあってきて、さらに、スタートであった「労働」の考察を、中西先生や森先生の議論を踏まえて(そこから発展して法学の議論にも入っていきながら)、しかし、経済学の枠で位置づける、というなんとも律儀な作業をやっていると言えます。オーソドックスというか、本当に正面突破したなという印象です。その証拠に、稲葉さんの本なのに、全然脱線しない。すごく禁欲的に必要最小限の示唆だけ書いています。
不平等というか格差のときに問題になる「貧困」ですが、はっきり言って、貧困状態になる道は千差万別なんです。それは、社会福祉の領域では「生活」という概念で重要になったりするんですが、結局、相談事例を丁寧により分けて、ある程度の理念型を積み重ねていくしかない。その一つのお手本は『事例で見る生活困窮者』でしょう。ここら辺と接合するならば、人的資本論をテコにして出てきたソーシャル・キャピタル論で少しく接近していくしかないでしょうね。そうすると、ケアとかの領域に近いので、文化資本とか、そういうことも入ってきます。入ってきますが、やる必要があるかと言えば、どちらでもいいんじゃない?というのが私の感想です。
稲葉さんの議論の面白い点は、労働と資本という重要な二つを、まさに人的資本を媒介にしながら、人的資本と物的資本という形で資本に統一して捉え返していくところでしょう。だから、労働価値論的なものはそれ資本でも同じこと出来るからとばっさり否定されたりしています。まあ、そういう理論的なことはよいのですが、私も歴史的な視点から、資本・労働の具体的なイメージ、資本家像・労働者像もいまや刷新されないといけないとは考えていて、その点からも、稲葉さんの着眼自体は重要だと思うのです。
ただ、稲葉さんも以前から日本では金融教育が必要だとおっしゃっていたので、当然、よくご存じだと思うのですが、投資の大衆化の話は株式で止まっちゃ全然、ダメで、少なくとも80年代以降の金融革命が重要だと思います。もちろん、稲葉さんは旧来の熟練(技能じゃないよ、熟練だよ)を重視するところからは一歩進んで「情報技術」って書いてあるんだけど、その書き方は微妙で、ここのところをもうちょっと丁寧に書かないと、世には小学校からプログラミング教育を!などというトンチンカンなことを実現させようとする人たちがいるわけですから。
もう一つは、技能と密接な人的資本ということと必ずしも結びつけなくてもいいんだけれども、経済活動を長期で捉えるようになったことは重要だと思います。これは一般には長期雇用と結びつけられるんだけれども、必ずしも長期雇用だけとは限らない。明治以降、軍事費捻出するためだったんだと何かと評判の悪い、貯金推進の運動もそうです。インフレのところで触れていますが、あとはローンですね。これは19−20の世紀転換期の金融面での技術革新ですよ。それから、退職金と年金。この二つ目の論点は当然に金融教育の話とも繋がりますし、社会保障、とりわけ社会保険とダイレクトに関係するんですよね。
次はここからもうちょっと具体的に、政策提言というか、そういう形で絞って、また逆に、そこから具体的な問題として広げて考えてみたいです。
稲葉さんや私の出身母体でもある社会政策・労働問題研究という領域には、長らくちゃんとした教科書がありませんでした。というか、今もありません。それは、社会政策がとにかくありとあらゆることを扱うから、なかなか一つのディシプリンで描くのが難しかったというのが実態です。ただ、1990年代まではマルクス経済学を基本的な教養としていました。マルクスを媒介とすると、思想を通じて、社会・政治にも手を伸ばせるので、非常に便利だったということがあります。
経済学の中ではマルクス経済学が完全に凋落して、かつては近代経済学と呼ばれていた新古典派経済学が主流になりました。主流になったのはよいのですが、なかなか社会政策領域ではこれはというものが出てこなかったんです。近年、駒村さんたちのグループが有斐閣アルマから『社会政策』を出して、ようやくここまで来たかという感じの一冊が登場しました。ですが、分量的な制約がある中、出来るだけ具体的な話を多領域において行い、さらに経済学の基本的な共用部分を教える、というのは。。。最初から欲張りすぎでした。私から見ると、よく出してくれたという本なのですが、でも売れないよなという感じで、やっぱりあんまり売れていないようです。
社会政策領域の基本的な教養としてマルクスがあったという話がありますが、もう一つ、社会政策のなかでも労働領域に限って言えば、労使関係研究を通じて、いわゆる制度学派と呼ばれる領域がありました。制度学派自体をどう捉えるかということ自体が大問題ですが、何冊かよい入門書があります(新古典派をバックに持つ新制度学派とは一応別、というか、それも取り込んでいるもっと広いイメージです)。しかし、今度はそれと労使関係が繋がっているかというと、あまり繋がっていない。せいぜい、昔のダンロップくらいです。まあ、そもそも労使関係がやられてないですからね。さらに、社会政策全体に制度学派的な見解はほとんど継承されていないと思います。もちろん、個人や狭いサークルで勉強している人たちはいるとは思います。
稲葉さんの『不平等との闘い』は、経済学における制度学派的な意味での社会政策の新しい入門教科書です。少なくとも、今、社会政策で勧めるべき入門書をと問われれば、私は駒村さんたちの本と、この『不平等との闘い』をあげるでしょう。あとは、社会福祉系のよい教科書をあげられればよいのですが、ちょっと、にわかに、これだとは決めかねます。この前、岩田正美先生の『社会福祉学のトポス』という素晴らしい革命的な本が出ましたが、まあ、正直、我々もこれからちゃんと摂取していかなければならない、という感じでしょうね。私は幸いなことに、三回ほど、別の研究会で岩田先生と話する機会があったので、ああそうだよなという勘はつかめましたが、なかなか人に話せるような形には出来ません。この部分と接続できると、本当はいいんですよね。
話が先走り過ぎました。というか、本体についてまだ何も語ってない。この本は非常にクラシカルな経済学の入門書といってもよいでしょう。というか、経済学の理論的な本です。だから、経済学の重要な学説を選択して、その当時の学者が直面していた問題(理論の前提になっている状況認識)を整理しているので、結果的には、歴史的な話も出てきていますが、基本は理論の話です(歴史推しなのはその方が売れるからでしょう)。今まではたとえば『社会学入門』は面白い本ですが、変化球でした。しかし、今回の本は経済学思想の王道と言ってよいと思います。それから、私はちくま新書の『「資本」論」はあまり買っていなかったのですが、『不平等との闘い』はあのときの人的資本の議論がより洗練されています。その意味で、続編と言ってもよいでしょう。こちらの方が格段によいです。
ある意味、ピケティという最終着地点があるから、書けた本だなと感じました。それがなければ、こういう形で着地はしなかったのではないかという気さえします。稲葉さん自身、リフレ派として旗をふってきたわけですが、それだけじゃなくて、ちゃんと経済成長論につきあってきて、さらに、スタートであった「労働」の考察を、中西先生や森先生の議論を踏まえて(そこから発展して法学の議論にも入っていきながら)、しかし、経済学の枠で位置づける、というなんとも律儀な作業をやっていると言えます。オーソドックスというか、本当に正面突破したなという印象です。その証拠に、稲葉さんの本なのに、全然脱線しない。すごく禁欲的に必要最小限の示唆だけ書いています。
不平等というか格差のときに問題になる「貧困」ですが、はっきり言って、貧困状態になる道は千差万別なんです。それは、社会福祉の領域では「生活」という概念で重要になったりするんですが、結局、相談事例を丁寧により分けて、ある程度の理念型を積み重ねていくしかない。その一つのお手本は『事例で見る生活困窮者』でしょう。ここら辺と接合するならば、人的資本論をテコにして出てきたソーシャル・キャピタル論で少しく接近していくしかないでしょうね。そうすると、ケアとかの領域に近いので、文化資本とか、そういうことも入ってきます。入ってきますが、やる必要があるかと言えば、どちらでもいいんじゃない?というのが私の感想です。
稲葉さんの議論の面白い点は、労働と資本という重要な二つを、まさに人的資本を媒介にしながら、人的資本と物的資本という形で資本に統一して捉え返していくところでしょう。だから、労働価値論的なものはそれ資本でも同じこと出来るからとばっさり否定されたりしています。まあ、そういう理論的なことはよいのですが、私も歴史的な視点から、資本・労働の具体的なイメージ、資本家像・労働者像もいまや刷新されないといけないとは考えていて、その点からも、稲葉さんの着眼自体は重要だと思うのです。
ただ、稲葉さんも以前から日本では金融教育が必要だとおっしゃっていたので、当然、よくご存じだと思うのですが、投資の大衆化の話は株式で止まっちゃ全然、ダメで、少なくとも80年代以降の金融革命が重要だと思います。もちろん、稲葉さんは旧来の熟練(技能じゃないよ、熟練だよ)を重視するところからは一歩進んで「情報技術」って書いてあるんだけど、その書き方は微妙で、ここのところをもうちょっと丁寧に書かないと、世には小学校からプログラミング教育を!などというトンチンカンなことを実現させようとする人たちがいるわけですから。
もう一つは、技能と密接な人的資本ということと必ずしも結びつけなくてもいいんだけれども、経済活動を長期で捉えるようになったことは重要だと思います。これは一般には長期雇用と結びつけられるんだけれども、必ずしも長期雇用だけとは限らない。明治以降、軍事費捻出するためだったんだと何かと評判の悪い、貯金推進の運動もそうです。インフレのところで触れていますが、あとはローンですね。これは19−20の世紀転換期の金融面での技術革新ですよ。それから、退職金と年金。この二つ目の論点は当然に金融教育の話とも繋がりますし、社会保障、とりわけ社会保険とダイレクトに関係するんですよね。
次はここからもうちょっと具体的に、政策提言というか、そういう形で絞って、また逆に、そこから具体的な問題として広げて考えてみたいです。
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