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「第9回伝統酒と伝統料理の出会い祭り」が19日、ソウル退渓路南山谷(トェゲロ・ナムサンゴル)の韓屋村(ハノクマウル)で開かれた。外国人観光客が各種の伝統酒を見ている。 |
◆朝鮮末に全盛期迎えた伝統酒
日本の「古事記」が醸造法を日本に伝えた百済人の仁番の記録を書いているほど国内伝統主義の歴史は深い。穀物を麹で発酵させた穀酒やコメだけで醸した清酒を主に飲んでいた先祖が、モンゴルから蒸留法が伝えられた高麗時代から焼酎も楽しんでいたと伝えられている。朝鮮時代は伝統酒が最も多様だった時期だ。家ごとに酒を直接醸造して飲む「家醸酒」文化が発達したおかげだ。地方や一族の銘酒もこの時に登場した。ソウルの春酒(チュンジュ)、平壌(ピョンヤン)の碧香酒(ピョクヤンジュ)、全羅北道金堤(チョンラブクド・キムジェ)の清明酒(チョンミョンジュ)、忠清南道(チュンチョンナム道)の素麹酒(ソゴクジュ)が特に有名だった。朝鮮時代後期には伝統酒の種類だけで600種余りに達した。
華やかだった国内の伝統酒文化は日帝時代に命脈が断絶した。1907年に朝鮮総督府が酒税令を出して国内の歴史上初めで酒が課税対象になった。酒の製造が免許制に変わり家庭で酒を醸造する行為も禁止された。家や地域ごとにあった代表的な醸造場を大挙統廃合したのもこの時だ。薬酒、どぶろく、焼酎のほかには製造できないようにした。朝鮮末に6つの家で1つの酒を醸造していた家醸酒文化が1930年に至っては完全に消えた。光復(解放)と6・25韓国戦争(朝鮮戦争)を体験した後、伝統主義の位置づけはさらに狭まった。1965年には政府が糧穀保護措置としてコメで酒を醸造することを全面禁止した。代わりに小麦粉マッコリや希釈式の焼酎が普及した。
◆伝統酒文化復活の動き
政府は1994年と2000年それぞれ薬酒とどぶろく供給区域を制限した制度を廃止した。例えば抱川(ポチョン)で製造した「抱川マッコリ」をその地域だけで流通するようにした制度をなくしたことだ。過当競争を防ぐために作った制度だったが、国内の伝統酒市場が縮小しながら実効性がなくなった。
今年初めに政府は16年ぶりに再び伝統酒文化活性化のため関連法令を緩和した。ビールに限定していた小規模酒類製造免許の対象にどぶろく・洋酒・清酒を追加した。これまでは醸造場のつけ込み・保存容器がどぶろく・薬酒は5キロリットル以上、清酒は12.2キロリットル以上の場合にだけ伝統酒を製造できた。今は1キロリットル以上5キロリットル未満の保存容器を保有すれば小規模酒類製造免許を受けることができる。小規模酒類製造免許を取得すれば飲食店で売ったり、ビンに入れて外部販売したりできる。
この日、韓屋村では国税庁職員の酒類免許取得に関するコンサルティングや創業説明会などが開かれた。ユン・スクチャ韓国伝統食研究所長は「今回の行事をきっかけに伝統酒文化が再び活性化することを期待する」と話した。