お知らせ
山口英先生お別れ会のご案内
謹啓 新緑の候 みなさま益々ご清祥のことと存じます。
さてインターネットの黎明期からその普及と人材育成に貢献し、その安全な利活用のため初代情報セキュリティ補佐官として、我が国の情報セキュリティ政策に多大な貢献をされた奈良先端科学技術大学院大学教授 山口英先生が平成28年5月9日に永眠されました。心から哀悼の意を表します。
密葬の儀は近親の方のみにて 過日滞りなく相済まされておりますが先生のお人柄を偲びお志の継承の場になりますよう山口英先生の「お別れの会」を下記の通り執り行うことといたしましたのでご案内申し上げます。
多くの皆様のご参集をお待ちしております。
勤白
平成28年5月
記 | |
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日時 | 平成28年6月15日(水曜日) 午後6時30分から |
会場 | ザ・キャピトルホテル東急「鳳凰の間」 〒100-0014 東京都千代田区永田町2-10-3 TEL:03-3503-0109 http://www.capitolhoteltokyu.com/ja/banquet/hooh/index.html |
会費 | 一口1万円(一口以上) 申込締切 平成28年6月13日(月曜日)17:00迄 ※銀行振込期限は6月14日(火) |
備考 | 御供花につきましては事務局までお問い合わせください。 当日は平服でご参席くださいますようお願いいたします。 |
※ 今回のお別れの会にご参加頂いた方々から集めさせて頂いたものは、会の費用を除き、今後山口英先生の遺志を引き継いだ活動への支援に使わせて頂ければと考えております。ご主旨をご理解頂ければ幸いです。
※ 関西地区でのお別れの会につきましては別途ご連絡いたします。
■ お申込み
受付は、5月23日(月)以降に開始する予定です。
■ お問い合わせ先
「山口 英先生お別れの会」事務局(株式会社イーサイド内)
E-mail: office0615@e-side.co.jp
Tel: 03-6435-8789
Fax: 03-6435-8790
■ 発起人
発起人代表:宮原秀夫
発起人副代表:村井純
■ 山口 英 先生 業績概要
1964 | 静岡生まれ。 |
1990 | 10月、大阪大学大学院基礎工学研究科情報工学専攻博士後期課程を中退し、大阪大学 情報処理教育センター・助手として着任。 |
1991 | 3月、大阪大学大学院基礎工学研究科情報工学専攻にて、博士(工学)を取得。 |
4月、奈良先端科学技術大学院大学 創設準備室にて同大学設立に携わる。 | |
1992 | 10月、奈良先端科学技術大学院大学情報科学センター・助教授。 |
1993 | 4月より、同大学情報科学研究科・助教授。 |
2000 | 4月より、同大学情報科学研究科・教授。 |
2002 | 4月より2004年3月まで、同大学 附属図書館長を併任。 |
2013 | 4月より2015年3月まで、同大学 総合情報基盤センター長 兼 附属図書館長を併任。 |
大規模分散処理環境構築、ネットワークセキュリティなどの研究を行なう。
また、WIDE プロジェクトのメンバーとして、 広域コンピュータネットワークの構築・研究に従事する。インターネットと、そのセキュリティを中心とした実証研究と人材育成に25年以上にわたって携わり、120件以上の学術論文を共著し、また160名以上の修了生を輩出した。
日本のインターネット黎明期におけるインターネットの普及に尽力し、またアジア太平洋諸国を結ぶ衛星ネットワーク Asian Internet Interconnection Initiatives (AI3) を構築し、アジア各国の大学との関係構築と人材交流を先導した。
インターネットの普及後、その安全な利活用のため、我が国のコンピュータ緊急対応センター JPCERT ならびにアジア太平洋の連携組織 APCERT の設立・運営に携わり、また内閣官房情報セキュリティセンター (NISC) 設立に関わり、初代の情報セキュリティ補佐官として我が国の情報セキュリティ政策立案に深く寄与するなど、その傑出した指導力を発揮した。近年はアフリカ諸国を歴訪し、アフリカ諸国におけるコンピュータ緊急対応センター設立を支援し、グローバルな視点からインターネットの安全水準の向上に努めていた。
学生時代から、UNIX システムを研究開発のプラットフォームとして使い、 UNIX Magazine に「UNIX Communication Notes」を連載していたことでひろく知られていた。技術研究から実用化までを俯瞰した、山口流の実証研究で数多くの弟子をあつめ、その飾らない人柄から、学生からは「すぐる先生」とファーストネームで呼ばれていた。
世界各地を飛び回る多忙なスケジュールの合間を縫って、休日にはハーフマラソンやフルマラソンに挑戦し完走するなど、活発な毎日を送っていたが、2013年頃から足の不調を訴え、2014年春には治療法のない難病である多系統委縮症と診断される。2年間にわたる闘病生活の末、2016年5月9日 午前11時38分、家族に見守られる中、永眠。