こんな作品を待ち焦がれていた。ここ数年の間ずっと。突如としてリリースされたレディオヘッド新作『ア・ムーン・シェイプト・プール』の話題にかき消されてしまったきらいはあるものの、アントニー・ハガティが「アノーニ」と改名して初のアルバム『ホープレスネス』を「2016年最初の大傑作」と呼ぶことに何の躊躇もいらない。
そもそも「アノーニって誰?」という読者、あるいは、彼女/かつては彼がどんなキャリアの作家なのかについて興味のある方は、以下の記事を参考にして欲しい。
カニエ新作もリアーナ新作も思わず霞む
2016年屈指の大傑作『ホープレスネス』を
上梓するアーティスト、アノーニって誰?
チャンス・ザ・ラッパー、PJハーヴェイ、ドレイク、イギー・ポップ、ビヨンセ、カニエ・ウェスト、リアーナ、ミステリー・ジェッツ――類い稀なる豊作の宝庫である2016年だが、この初夏を彩るすべての作品の中で、この2016年という時代をもっとも克明に描き出し、その困難さに向き合おうとする態度においても、その困難さに同じく向かい合う人々としっかりと繋がろうとする意志の強さにおいても、この『ホープレスネス』の右に出る作品は存在しない。
ただ、音楽的な豊かさにおいては、レディオヘッドの『ア・ムーン・シェイプト・プール』には敵わない。そんな視点もあるかもしれない。十二音技法やトータル・セリエズム、トーン・クラスターの系譜に連なる和声構成を取り込むことによる曖昧な調性。それがゆえのモノクロームのサウンドスケープの中、水墨画のような微細な色彩の変化を縦横無尽に描き出す和声の緻密さ。ブリティッシュ・フォークとミニマル・ミュージック、アンビエント音楽とビート・ミュージックの間を行き来するジャンル越境性。リズムの多彩さ、アンサンブルの構築美の徹底は言うまでもない。思わず「解き明かせぬ謎」とでも呼びたくなるような『ア・ムーン・シェイプト・プール』の音楽性の拡がり、つかみ所のなさにはとても及ばないかもしれない。
方や、この『ホープレスネス』が描き出すサウンドスケープはどこまでも極彩色。ハドソン・モホークとOPNのダニエル・ロパティンの二人のトラックメイカー/プロデューサーをコラボレーターに迎えた、虹色のスペクトルが拡がるあからさまなポップ作品だ。明快な調性を持ったオーケストラルな響きのデジタル・トラックが鳴らす勇壮な和音。コラボレーター二人の既存作からすれば、明らかにシンプルで、大味なリズム・メイキング。そして、性別とジャンルを越えたアノーニ本人の悲しみと喜びと怒りと祝福をないまぜにしたソウルフルな声。総じてシンプルかつダイレクト。どこか底知れない怒りと悲しみを滲ませながら、こんなにも聴き手の気持ちを高揚させるレコードはない。
もっともこれまで室内楽的な親密さの中で聴き手に語りかけてきたアントニー・ハガティの作品に慣れ親しんできた耳からすると、音の揺らぎやズレ、微細な変化を排したリニアなデジタル・プロダクションがどこか大味に感じられる部分もあるだろう。と同時に、アリーナやスタジアムのような場所でも映えるに違いない壮大なスケール感。だが、こうしたサウンドの方向性は「何かしら語るべきこと」を多くの人々に語りかけようとする必然から意識的に選び取られたに違いない。そう推察出来る。
だが、まずはこうしたすべての前情報を取っ払って、アルバムに耳を傾けることをお奨めしたい。この作品が「語っていること」について知るのはむしろ後でも構わない。まずは、聴き手をウキウキするような気分にさせる、この壮大なスケール感を持ったユーフォリックなダンス・レコードに耳を傾けることから始めて欲しい。優れた作品の常として、この『ホープレスネス』はいろんな角度から味わうことが出来るし、繰り返し聴くことで、様々な顔を見せるレコードだからだ。
何の先入観もなしに何度か聞き通した後、本稿から3回に分けて掲載されるアノーニとの対話に目を通した上で、改めて『ホープレスネス』という作品に耳を傾けてもらうこともまた面白い体験になるだろう。きっとまったく違う聴こえ方がするはずだ。では、50分に及んだアノーニとの対話を3つのテーマに分けて、お届けすることにしたい。
●今日はあなたを何と呼ぶべきでしょう? あなたの中で、アントニーとアノーニという名前はどのような理由によって、どのように区別されているのか、教えて下さい。
「実は、私生活ではもう何年も前からアノーニと名乗ってるの。だから、アノーニは私の個人名。それで今回、初めてこのプロジェクトでも使おうと決めた名前。私の人生の新しい時期の始まりだから。私はトランスジェンダーで、自分のスピリットにぴったりな名前にしたかったから。だから、ある意味、自分のスピリット・ネームだと思ってるの」
●これまでもあなたの作品には常に、聴き手を包み込むような親密さや優しさ、包容力がありました。
「そうね……確かにこれまで私は、どこか牧歌的で内省的な音楽をたくさん作ってきたと思う。とても内的な会話があって、魂の庭、精神の庭に関わるような音楽をね」
●ただ、この『ホープレスネス』という作品は、そうしたフィーリングを損ねたとしても、「どうしても語らねばならかったこと」があなたにあったことを感じさせます。まずは今作をそうした作品にさせた理由を教えて下さい。
「このアルバムは外的な世界、私たちが作り出した人間社会についてのレコードなの。自分は今のこの世界とどう関わり、どう受け止めているのか――これはそういうレコードなの」
●なるほど。
「私は、自然こそが魂の庭だと信じてる。そう、自分のインタヴューを読み返して気づいたんだけど、私はいつも自分がとても大切にしていることについて語ってたし、そうしたテーマを曲の起点にしてた――あなたの言う、とても親密で優しい曲の中でね。でも、今回、自分の音楽において、自分がどこまで外の世界に参加できるのか、私は限界までプッシュしてみたかったの。私たちが作り出した人間社会と、自然の精神性が壊されていることには大きな関係性があるから」
●より具体的に言うと?
「今回はコンテンポラリーな美意識を使った、誘惑的なポップ・レコードを作りたかったの。耳に心地よくて、聴きやすくて、聴いてて興奮するようなエレクトロニック・レコードを作りたかった。でも、その曲の中に埋め込まれてる歌詞の内容はとても強烈なの。誰もこれまで聴いたことがないような歌詞になってる。それは音楽という媒体に挑戦するためでもあるし、私自身に挑戦するためでもある。現実をよりパノラマ的に映し出すスペースを、自分はどれだけ作り出せるのか。この世界の現実に、自分はどれだけオープンになれるのか。大抵の場合、誰でもそれをシャットアウトしてしまうでしょう?」
●そうですね。
「聞きたくないことは聞かず、受け入れたくないことは受け入れずに閉じこもってしまう。自分ではどうしようもないことを締め出してしまうの。でも、結局のところ、もし前に進みたければ……人間が種として生き残り、自然が生き延びるための根本的な変化を起こすためには、どこかの時点で……私たちは集合的に、今起きている現実すべてに対してもっと意識的にならなければならない。でしょう? だから、ある意味、このアルバムは私にとって踏み台なの。自分の目を開こうとする試みね。今の私は、できるだけ大きく目を開いていたいから」
●では、ハーキュリーズ時代にはハウス・ミュージックが持つ「性の解放」というテーマとのシンクロニティからダンス・ミュージックが召喚された部分があったとすれば、今作がOPNやハドソン・モホークをプロデューサーに迎えた理由は、アルバム全体のテーマとどのように関係しているのでしょう? あなたは彼らに何を求め、期待しましたか?
「ハドソンのトラックって……彼はカニエ・ウェストと仕事をしたり、ウキウキするような、すごくアンセミックなトラックを作るでしょう? トラックにものすごい強度と、強いエモーションがある。私が望んでいるのは、この音楽を多くの人の耳に入れて、気持ちを内容に向かせることだった。そう、西洋には“トロイの馬”っていうフレーズがあるんだけど――ギリシャ神話にこういう話があるの。贈り物として献上された木馬を女王が受け取ると、夜中にその中から兵士たちが出てきて街を攻撃したっていう。だから、ある意味、このアルバムもトロイの木馬なのよ」
●なるほど。それはとてもわかりやすい例えですね。
「とても苛烈な歌詞と内容を持っていながら、どこまでもポップなレコードを作りたかったの。拒みきれないほどポップで、みんなが楽しんでそれを吸収した頃にはもう遅すぎる――気がつくと、とても苛烈な内容と向き合わざるをえない、そんなレコードをね」
●かつてあなたは「子どもと母親というのは神聖なものの象徴だ」と語ったことがあります。そして、今回のアルバムの1曲目のキャラクターに、オバマ政権が飛ばせたドローン戦闘機の爆撃によって死の間際にいるアフガニスタンの少女を選びました。
●つまり、この作品は「犯されるべきではない神聖なものが踏みにじられること」についての作品なのでしょうか?
「その通りね。でも、それに対して本当にいろんなアプローチをしているし、本当にいろんな問題を取り上げてるの。ただ、そうした問題はまるで共依存のような症候群、その症状みたいなものだから。お互いがお互いを強調することで、さらに悪化させている。その症候群がエコロジーを崩壊させてるのよ。あなたが言った、犯されるべきではないもの、母と子を。そう、エコロジーこそが母と子だと思う。それは神聖でフェミニンで、クリエイティヴィティでもある。自然はクリエイティヴィティであり、スピリチュアリティだから。だから、私にとって自分が果たさねばならない責務、コミットメントというのは“彼女”=自然に対しての責務だっていうこと」
●これまでもあなたは、何事にも利益や効率性を先行させようとする男性原理によって支配された企業や国家の振る舞いに恐怖と怒りを感じると同時に、作品の中で、それを生み出した男性的なアーキタイプがどんな起源を持っているのかを探ってきたように思います。現在、何かしらの解答らしきものはみつかりましたか?
「答えか(笑)。私にとっては、人間性における最大の未開資源は、フェミニティだと感じているの。私には女性性の優位こそが唯一リアルで、唯一明確な希望というか。ただこのアイデアは、多くの人にとってはほとんど不可能なファンタジーなのよね(苦笑)」
●そうかもしれません、現実的には。
「でも、私が思うのは、もし私たちが新たに前進する方法を見つけなければ、将来的に耐えなければならない変化はものすごいものになるはず。でしょう? それに比べれば、女性による支配なんて本当に小さな変化じゃない? そう、だからこそ、私には希望もあるの。世界中でより多くの女性が、より活発な形で参加しはじめている。『人類が生き延びるために必要なスキルを持っているのは自分たちだ』ということに気づき始めているの」
●まさにそうですね。
「でも、まず母親として始めないといけないの。私たちは息子たちを立て直さなければいけない。自分はどう世界に参加するのか、息子たちが期待していることを見直させないと。女性はこれまで男の子たちを小さな王子、小さな王として育ててきたけれど……大きくなって国や何かを治められるようにね。でも、もうそんな時代は終わったのよ。男の子たちに謙虚さを教え、自分の中の女性的な本能を見つけさせないといけないの。働いて、1000年前と同じような暮らし方をするんじゃなく、何かを生み出し、家族を作る本能をね」
●その父権的な社会というか、男性的なアーキタイプはどこで、どんな風に始まったと思いますか?
「わからない。でも、私にはちょっとした持論があるの。人って自分がもっとも恐れているものを隷属させる傾向があるでしょう? 覚えてるんだけど、私は21歳の時に舞踏(ブトー)のレッスンを受けたの。そして、先生に『自分の壊れてしまったところ、ブロークンネスを探りなさい』と言われた。『自分の弱さに耳を傾けなさい』とも。そう……(しばらく黙りこむ)。ある意味、私たちは人類として、まさに今、ブロークンネスを体験しつつあるんだと思う。人は壊れてしまったのよ」
アノーニのインタヴュー中編、後編は近日公開!
通訳:萩原麻理