なぜ、一度は愛し合った男女が別れてしまうのか 社会の中で“夫婦”であり続けることの難しさ
- タグ
このたび私たちは、「ウートピ図書館」を開館することにいたしました。 ここは、皆様の寄贈により運営をおこなう私設図書館です。ウートピの主な読者層は、人生の分岐点に立つアラサーの女性。読者の皆様がもっと自由に、もっと幸福に、人生を謳歌するための杖となるような本を収集すべく、ここに設立を宣言いたします。
失恋した時に支えてくれた本、仕事で失敗した時にスランプを乗り越えるヒントを与えてくれた本、そして今の自分の血となり肉となった本などなど。作家、ライター、アーティスト、起業家、ビジネスパーソン……さまざまな分野で活躍されている方々の「最愛の一冊」を、人生を模索するウートピ読者のためにエピソードと共に寄贈していただきます。
第一回は、エッセイストの紫原明子(しはら・あきこ)さんです。
『小説・捨てていく話』松谷みよ子(筑摩書房)
かつて相思相愛だったパートナーとの「愛の変質」に悩んでいる人
子どもの頃、母によく読み聞かされていた童話『ちいさいモモちゃん』に、実は続編があったと知ったのは、大人になってからだった。シリーズは全6作からなり、モモちゃんを主人公とする物語が前半の3作、4作目以降はモモちゃんの妹、アカネちゃんが主人公だ。一見何気ない子ども向けの童話だが、読み進めるうちに、物語はどんどんドキッとするような展開を見せる。ママの寝室にある日死神が現れたり、あるときからパパが「お客さん」になったり。シリーズ最後となる作品『アカネちゃんとなみだの海』では、なんとパパが死んでしまうのだ。
本シリーズで子ども向けに描かれているパパとママの不仲や離婚、そしてパパの死は、作者である松谷みよ子さんご自身の体験がもとになっていて、これらの真実を大人向けに綴られたエッセイが『小説・捨てていく話』である。
私がこの本に出会った頃
私がこの本と初めて出会ったのは、確か20代半ばのことだった。当時は、二人の幼い子どもと、仕事や、仕事以外のよくわからない何かで毎日帰りが遅い夫と、4人で暮らしていた。もともと住んでいた福岡から、夫の仕事の都合で東京に出てきて数年。家族を取り巻く環境が急激に変わりつつあった。華やかさは一気に増したものの、だからこそ、そこに生じる影もまた、かつてなく色濃くなっていた。日々漠然とした不安が膨らむ中、子どもに読み聞かせるつもりで買い揃えたモモちゃんシリーズの全貌を知って衝撃を受け、その流れで思いがけず出会った一冊だった。
「歩く木」と称される夫の存在
劇団の座長を務める作者の夫は、自宅の敷地内に稽古場を構えている。劇団には、夫に心酔し、夫を慕う女性たちが複数在籍しており、全員は当初、奇妙な共同生活を営んでいる。けれどもあるとき「あなたは劇団の何なのですか?」と、劇団の女性に詰め寄られたことを機に、作者はついに、夫との別れを決意する。「出ていく」と告げると、「いいよ」と二つ返事の夫。ところがいざ当日となって、離婚届を前にすると「これでは本当の離婚じゃないか」と夫は大粒の涙を流す。
モモちゃんシリーズで「歩く木」と表現されている夫は、おそらく非常に魅力的な人物だったのだろう。女性と次々に浮気をし、ときにそれを妻である作者の前で平然と認めもする。けれども同時に、作者に対し強い執着を絶やすことがない。
“殺しあう”夫婦の情景
「電気釜のうた」と題された章では、作者がかつて夫から送られたという次のような手紙が紹介されている。
“僕は人の前で君を殺す。君は人の見えないところで僕を殺す。どちらも罪深いことです”
当初、二人だけの閉ざされた関係性において育まれる男女の愛は純度が高い。けれども夫婦となり、家族となり、仕事を持ち、生活する上でやむをえず社会と関わっていく中で、そこにはどうしたって他者の視線が混じる。他者の視線が混じれば、もともとの純粋な感情に、自尊心や嫉妬心といった、余計なノイズが混じるようになる。社会との関わりが、夫婦の関係性を複雑にする。
『捨てていく話』がすくい上げた物語
この本と初めて出会ったときの私も、まさにそんな問題に直面していた。夫婦の形が変わってしまうことも怖かったけれど、同時にそういった困難によって自分が、醜悪な鬼のようになったり、目も当てられないほど惨めになったりしてしまうかもしれないことが怖かった。だから、ともすれば心が折れてしまいそうな状況を、……もしかしたらそのときは心が折れてしまっていたのかもしれないけれど、強く、暖かい眼差しで回想し、どこまでも優しく綴られたこの本に、大いに励まされたのだ。
夫婦の困難は、大なり小なり、多くの人が経験する。『捨てていく話』と名付けられた、作者のすくい上げた物語、きっと私と同じように、多くの人を勇気づけてくれる一冊だ。
(紫原明子)