コートをまとった男性がいる。その姿は後ろにある景色に溶け込んでいて、まるで“透明人間”が立っているかのようだ。
これは東京大学先端科学技術研究センターの稲見昌彦教授が研究する「光学迷彩」の技術が可能とした。人気SF作品『攻殻機動隊』の世界が現実のものとなっている。
イギリスのSF作家、アーサー・C・クラークは、自身のエッセイの中でこう綴った。
“Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.”
(高度に洗練されたテクノロジーは、魔法と区別がつかない)
エンジニアの立場から、人工現実感(VR)/拡張現実感(AR)といったテクノロジーによってSFの世界を現実にデザインする稲見教授。SFと科学が交差したその先にいったいどんな未来が待っているのか、話を伺った。
現実世界の情報を“減算”していく新たなAR
――光学迷彩による「透明人間」の映像を拝見しました。なぜこのような映像を撮影することが可能なのでしょうか?
稲見 ヒミツはコートに使われている「再帰性反射材」にあります。「入射した光を散らすことなく、まっすぐに戻す」という特徴を持っていて、交通標識などにも採用される身近な素材です。
コートには背景と同じ映像が投射されているのですが、再帰性反射材の特性により、投射された映像は撮影カメラ(観察者)の側にまっすぐに戻ってきています。なのでハーフミラー(マジックミラーはハーフミラーの一種)越しに男性を見れば、あたかも男性が背景に溶け込んでいるかのように見えるのです。
――光学迷彩は、「熱光学迷彩」として人気SF作品『攻殻機動隊』の作中にも登場します。研究はどのようなきっかけからスタートし、また、どのような理由からSFの世界にリンクしたのでしょうか?
稲見 もともと私が博士として入った舘暲(たち・すすむ)先生の研究室で必読書とされていたのが『攻殻機動隊』だったんです。そのため、作品の中に「熱光学迷彩」というものが登場することを、もともと知っていました。
一方で私は、研究室で新たな立体視ディスプレイの研究をしていて、その研究中に「再帰性反射材」に出合いました。そして研究の途中から、この素材が「熱光学迷彩」を現実のものにできるのではないか、そう思い至りました。
なので最初から『攻殻機動隊』の世界を実現させようと思っていたわけではなく、後からリンクしていったという感じなんです。
――光学迷彩は、社会のどのような分野で応用が可能だとお考えですか?
稲見 例えば自動車の内装を再帰性反射材にして外の景色を投影すれば、まるで透明な車を運転しているかのような体験を提供できます。実際にそんな研究を企業と進めています。ほかにも、トンネルの中が光学迷彩になっていれば、真っ暗なトンネルの中で運転者にきれいな景色を見せる、なんてことも可能ですよね。
――素敵な応用ですね。
稲見 私はこの技術を、現実世界の情報を“減算”することができる技術だととらえています。ARをはじめとする多くの情報技術は現実世界に情報を“足すこと”で成り立っていますが、情報が多くなりすぎれば、人はどこに注視すればよいかわからなくなります。
これとは反対に、その環境下で見える現実から人が邪魔だと感じるものを消してゆき、本来見たいと思うものを見せることができる。そんな価値を生み出せるのが、光学迷彩なんです。
技術が貢献できるのは「自動化」と「自在化」
――稲見先生は光学迷彩のほかにも、VR/ARの技術を用いたヒューマンインターフェースの研究をされています。先生が研究で目指す未来は、どんな姿をしているのでしょう?
稲見 インターフェースの研究もしていますが、私が一番やりたいことは、人とコンピューターをつなぐものを研究するということより、人間の能力を“拡張”することです。順序としてそれがまずあって、そのためにコンピューター技術やインターフェース技術が非常に重要な基盤になっているという考えです。
――なぜ今、人間に“拡張”が必要なのでしょうか?
稲見 技術が貢献できることは、2つに分けられると思うんです。1つは「自動化」。やりたくないことを代わりにやってくれる、という価値です。AI(Artificial Intelligence)の技術も発達しているので、今後も自動化の技術は勢いを増していくでしょう。
ただし、なんでも自動化すればいいかというと、そうではありません。例えば、観光旅行に行って楽しむという経験をロボットが代わりにしてくれても意味がないわけです。そう考えていくと、人が「これをやりたい!」と思うことは、機械やロボットに代替されることなく残っていくと思われます。
そこで、その“やりたいこと”をどんな状況にあっても自由にできるようにする——私は「自在化」と言っていますが——それを可能にするのが、人間の能力を“拡張”するテクノロジーなんです。
――AI技術の発達で「自動化」が可能になるのと同様に、人の能力を技術で拡張させることで「自在化」が可能になる、ということですね。
稲見 もう1つ、“拡張”の必要性を違った側面から言えば、人間がこれから何に価値を感じるのか、ということです。
障害者福祉や歯科などの研究に、補綴(ほてつ)工学という分野があります。「補綴」とは人工物で補い、機能を回復させること。欠けた部分を技術で補うのが補綴工学であり、マイナスをゼロにする、という考え方です。これはこれで、とても重要な研究です。
しかし他方で、人は足りないものが満たされればそれでよいのか、という疑問が残ります。例えば私は目が悪いので眼鏡をかけていますが、眼鏡は視力を補ってくれている。ですが、目が悪くなくても、ファッションとしてだて眼鏡をかける人もいます。おなかを満たすだけでなくおいしいものを食べたいし、寒さをしのぐだけでなくオシャレもしたい、それが人間です。
こうなると「マイナスをゼロにする」といった補綴工学的なものだけではなく、「ゼロからさらにプラスへ」という価値が求められ、私が拡張を目指す理由もそこにあります。
ARからAH(人間拡張)の世界へ
――人の価値は多様なので、「プラスにする」ことにはこれといった正解もない。各研究者がオリジナリティを出せるという点でも魅力的ですよね。では「人を拡張させるテクノロジー」には、例えばどんなものがあるんでしょう?
稲見 わかりやすくいえば、スマホなんかもそうですよ。なくても生きていけるけど、スマホがあるから我々は道に迷わないし、電車も時刻通りに乗れる。あとは、仮名漢字変換。漢字を知らなくても、きちんとした文書が作成できます。
このようなコンピューティングのパワーを我々が身にまとうことによって、出力結果を見れば、能力が拡張されたのと等価に見える。その点で、人の能力を拡張しているものは、すでに身近にあるんです。
――そうした“拡張”のテクノロジーにおいては、AI的な技術も関係してくるのでしょうか?
稲見 乗馬の世界で、騎手が馬をたくみに操り、騎手と馬が一つになった状態を「人馬一体」と言います。馬は馬として独立した存在ですが、人と馬が一体になることもある。それと同様に、人間と機械が融合した「人機一体」にはAIが欠かせません。AIも単なる“人工的な知能”として独立したものではなく、私たちが身にまとうような“透明なAI”の可能性もあると考えています。
――先生のご研究では、人の“感覚機能”を拡張させるものも多く見受けられます。
稲見 身体拡張でいえば、特に“触覚”ですよね。VRの研究でも触覚機能の拡張は大きなトピックになってきていて、国内外で「ハプティクス技術(*)」の研究が盛んです。私の仲間でもある慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の南澤孝太准教授らのグループでは、画面の映像に合わせてボールを打つとラケットに振動が伝わってくる「触感放送」や、触り心地を検索する「触感検索」なんかの研究をしています。
人は、夢と現実の区別をつけるときに頬をつねります。見えるもの、聞こえるものだけでは現実かどうかわからない、という比喩的な表現ですが、つまり、人は触れられることで初めてそこにいるとわかるんです。「触る」ということを逆に言えば、「環境に触られていることで自己の身体像を認識している」ということで、人と環境、双方向で関係を持つという点で、触覚の拡張は大きな可能性を秘めていると思います。
(*)触覚を通じて情報を伝達する技術・学問分野のこと
――先生も共同開発に参加されている「CRISTAL」は、部屋にある家電・照明機器の動作をテーブル(タッチパネル・ディスプレイ)で制御する、AR的なインターフェースですよね。あれも人間の“拡張”に当たるものですか?
稲見 私は最近、ARより“AH”(Augmented Human=人間拡張)という言葉を使っています。ARは環境下に情報を重ねることで人が理解するのを助けますが、ほとんどが一方向で、環境に働きかけることができませんでした。
CRISTALは、自分が環境に働きかける双方向のARができないか、ということから始まっています。自分が情報を得るだけではなく、得られた情報に基づいて環境に自分が働きかける。それは結果的に、自分が拡張されたのと等価、ということになります。
原体験はドラえもんのひみつ道具だった
――2015年の TEDxTokyoで稲見先生は「僕の夢の1つはマジシャンになることだった」とスピーチされていましたね。そもそもエンジニアになった動機には、どんな体験が影響しているのでしょう?
稲見 子どもの頃に一番好きだったのは、ドラえもんでした。サンタクロースは信じていなくても、ドラえもんはずっと信じていた(笑)。未来にタイムマシンが発明されていないのか、もしくは、過去に干渉してはいけないとされているのか、結果的にドラえもんは私のもとには現れなかったのですが、ならば「ドラえもんのひみつ道具みたいなものを、自分たちで作り上げることができればいいな」と、ある日から思うようになりました。
そうしてテクノロジーの世界に憧れを抱くようになった一方で、ドラえもんの世界のような効果を実現する手段として、はた目には不思議に見えるけど実はタネやシカケがある、そんな手品の世界に興味を持ちました。手品の入門書や初代・引田天功さん(マジシャン)の本を読みふけりましたよ。
それらの本には「ハーフミラーを使って体を透けさせる」ペッパーの幽霊と名付けられた手品もあって、直接的ではないにせよ、結果的にじわじわと今の光学迷彩にもつながってきているんです。
SFを信じることが、科学進歩の原動力になる
――稲見先生が今、エンジニアとして実現したいこととは、どんなことでしょうか?
稲見 サイエンス(=科学)において、研究者の務めは、自然界において知られていなかったことを発見・証明していくことです。新たな現象を「発見」し、さらにその背景となる理論を実験により「証明」する。そうして発見・証明が繰り返されることで、科学は発達します。
一方、私たちが携わるエンジニアリング(=工学・技術)が特殊なのは、サイエンスは自然界を相手にしているのに対し、エンジニアリングは人や文化がとても関わっていること。つまり、必要としている問題がその時・その場所によって異なります。日本各地に“地域性”をまとったご当地グルメがあるのと同様に、エンジニアリングにも“独自性”が必要で、私たちエンジニアにとって、その独自性とどう向き合うのかが1つのテーマになると思います。
――SF世界を舞台にした作品に、『ソードアート・オンライン』というものがあります。2016年3月に、作中で描かれるVRゲームの世界観を現在の最新技術で再現した「ソードアート・オンライン ザ・ビギニング Sponsored by IBM」というプロジェクトをIBMがスポンサーをして開催し、稲見先生にも体験していただきました。エンジニアにとって「SFの世界を現実のものに」という研究テーマは、どんな意味を持つのでしょうか?
稲見 SFやポップカルチャーには“独自性”を出す余地があります。加えて、フィクションがフィクションでなくなっていけば、フィクションの創作者の方々も、さらに「未来に向けてこうするべきだ」と新たな作品を提示してくるでしょう。研究者と創作者がお互いに影響を与えながら発想のループを回していくことは、日本の研究分野・コンテンツ分野に独自性を生み出すことにもつながります。
――先生が近々可能になると考える、次なるSF的技術は何ですか?
稲見 今は、心と体の新たなネットワークとして「分身の術」の技術をつくりたいと思っています。基本となるのは、テレイグジスタンス(遠隔臨場感)という技術。80年代からあるもので、指導教員の舘先生が研究されていました。
これを応用していけば、自分が同時に複数の場所に同時に存在しているかのような体験を提供できる。これもそんなにむちゃなことではない、という段階にまで来ています。
――未来を想像するのが楽しくなる研究ですね。本日は、ありがとうございました。
TEXT:安田博勇
いなみ まさひこ
稲見昌彦 東京大学 先端科学技術研究センター 教授
1999年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)東京大学助手,科学技術振興機構さきがけ研究者,MITコンピュータ科学・人工知能研究所客員科学者,電気通信大学教授,慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授,東京大学大学院情報理工学系研究科教授などを経て、2016年4月より現職。拡張現実感システム,触覚インタフェースなど,五感に関わる新規ユーザインタフェースを多数開発。日本バーチャルリアリティ学会理事,情報処理学会エンタテイメントコンピューティング研究会主査、コンピュータエンターテインメント協会理事,VRコンソーシアム理事等を歴任。超人スポーツを提唱。超人スポーツ協会共同代表。著書に『スーパーヒューマン誕生!』(NHK出版新書)がある。
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