皆様、ご存知のように先生が退陣された時は”ご勇退”と発表されました。
当時、大方の方面長幹部、県・区幹部も先生が30年後に話された真実は知らされていません。
本部職員であれば、幾分かの真実を知っていた可能性はありますが、最高幹部、
特に副会長、理事長・副理事長・青年部長・男子部長・女子部長、
その他、署名した人たち以外には・・とにかく、権威を持っていた少数です。
ですから、先生が功労者宅をお尋ねになられた区、県などでは方面、県、区幹部も大喜びでした。
地方幹部会では、それが発表されています。それを聞き、皆、大喜びしていたのが実情です。。
また、先生が、その後、選挙の時期のたびに外国へ指導行をされたのは・・
日本にいれば、先生は聖教に報道されない、しかし、外国へ行って識者や指導者と合えば
ニュースとして載せることができる。私が聖教に乗れば皆に勇気を与える事ができる・・
だから、私は行くんだと・・先生が海外に行かれると、毎日先生のニュースが載りますので随分勇気づけられたのでした。
また、外国から戦いが厳しい地域に区・県幹部はもとより本部長クラスにまで、
色紙や和歌を送っておられました。膨大な数です。もちろん、もらった幹部は大喜びで、
その後の戦いは弾けたような戦いになりました。かの混迷党の井上氏も激励を受けた一人です。
その後、先生が当時・聖教や本部から締め出され・・管理室で執筆をされたなど知ることができたのは、
30年後、先生のお話や執筆からです。
つまり、何が言いたいかと言いますと・・54年は全ては秘密に行われたのです。
北条会長や日達猊下が無くなり、山崎の悪行が次第に知らされるようになってから、
我々末端組織は事の概要が次第に理解できるようにもなりましたし、
突然の上の二人のお方の逝去は大きな衝撃を与えました。
今考えれば・・先生後復帰のあとも、先生はあくまで名誉会長のままであり、
あくまで”人生の師匠”であって広布の師匠と言う発表ではありません。
先生をそういう扱いのままにしていたのですね。
今、思えばそこに、学会をあくまで空き家氏が統治できる(自分の思うような)大きな落とし穴があったのかもしれません。
先生の指導、講演は面白い、含蓄が深い。
でも、それは、あくまで人生の師匠が語られているという雰囲気作りがなされていたと思いますし,
どこか、まだ先生との間に、説明のしようがない距離感があったように感じられていたと思います。
そこに、今、我々が見る組織を形成するような苗床があったんですね。
先生の語れるのはあくまで理想論であって・・という。
そして、今のように師弟不二(先生と私たち)を強調されるようになられたのは、
第二次宗門で先生の首がカットされてからだと思います。それまでの先生の語られる師弟不二は宗門を刺激しないように、
あくまで、牧口先生と戸田先生の師弟の関係、そして戸田先生と池田先生の師弟の関係です。
第二次宗門問題で先生が総講頭をカットされ、学界全体が破門されたあたりから、
先生は私たちに自分の弟子たちとハッキリ言われるようになりました。ここを見落としてはいけないと思います。
それまでとは、大きな違いがあるのです。
この先生を師匠とするという問題は実は長い・深い問題でもあったのです。
私たちはあくまで先生は師匠と思いたい。しかし、宗門は信心における師匠は坊主の猊下であり、
この師匠という、師弟不二という言葉に非常に敏感でした。
ですから、先生は私があなたたちの師匠であるとは公言されていません。
(側近の方達にはどうか?知る由はありません)
言論問題の頃、また、福島氏が男子部長の頃、帰命という事を言われ、
先生に帰命するんだと・・これが、宗門の大反発を起こしました。
こういう歴史的背景もあり、我々がジレッタイ・・と思うほど、先生は長い間、
実は私があななたちの師匠なんだよということは言われなかったのです。
そして、いつ頃かか、ハッキリしませんが、先生は人生の師匠である事だけではなく、
広宣流布の大師匠として悠然と指揮をとられ始められ。
そして、先生と私たちとの師弟不二の事を盛んに語られるようになりました。
しかし、既に、もう、この頃には学会本部や組織は軟弱化してました。
幹部登用には社会的地位、創価大学生優先、温厚な人で意見を言わない人、
折伏や部員をどれだけ育てたかよりも、それらが優先された言ったように思いますし、
少しでも、活動方針に無理があったり、無謀だというようなことを言えば・・幹部登用からはまず除外され始めました。
本題に戻ります。
どうですか現在を見て、ここに勇気ある教学部レポート、遠藤文書がなかったら?
また、インターネットがなければ、宿板もない、元職員様のプログもない、
師弟不二アーカイブもないわけで、我々が聞き知った真相は全くわかりませんよね。
ですから、教学部レポートを公表された教学部の方、遠藤元教学部長、宿板管理者様、
二十歳様グループ、静岡の同志の歌様、京都鬼新聞さまほか、
大勢の勇士・英雄の皆様あってこそ、我らも知る事ができたわけです。
これで、54年当時、末端が声をあげなかった状況がどういうものだったか分かると思います。
当時、今と同じように知る事ができる環境で会ったならば、
それは、激しい反発を執行部に対しやっていたように思います。
当時の方達の方が生命力も強いですし、少し、危ない方や激しい方も大勢いましたから。
本部突撃であった事は間違いないでしょう。それこそ、フラストレーションが溜まっていた青年部、
ソレーーー突撃ーっと・・確信します。100%間違いないでしょう。
私なんか真っ先に留置所行きであった事は間違いありません。
ですから、一つ鍋にして全ての幹部が悪いという事は間違いです。
あくまで、側近幹部たちと山崎、原島ほかの堕落していた彼らです。
当時は全く知る事が出来なかったのです。
また、組織の権威も強く上から、段々と言いくるめられるわけです。
今は、彼らが言う所のインターネットという”天魔”を我らは、これを諸天に変えて多くのメンバーに知らしめる事ができる。
この大きな違いがあります。さらに、もう一つ言えば、悪は今までの経験で彼らも巧妙になっています。
ですから、先生のメーッセージを書いたり、送ったり、今でも、先生に子供に命名を依頼するメンバーもいます。
みじかに先生を置くように、さも、先生は何でもご存知という設定をして、先生を利用しています。
ですから、多くのメンバーは・・まさかとしか思えないのです。
ここに、彼らに真実を伝える老齢の我らを含め、皆様の大きな、大きな使命があると思っています。
また、こんな事を書くと捜索が激しくなるだろうな・・南米の山奥だから・・大丈夫かな?
今月末からは、しばらく、アメリカへ・です・・
