もう、ずいぶん前のことですから・・全てを思い出せと言われましても難しいのですが・・
印象的なこと柄としては、あの当時、それは、それは、
ものすごい先生に対する誹謗記事が毎週、毎週、毎週、毎週・・延々と
次から、次から新しい誹謗記事が多くの週刊誌で書かれ、電車の中吊り広告、
週刊誌の新聞広告、凄まじい攻撃がそれも数年にわたってですから・・
今、あのようなことがまた始まれば、一体どのくらいのメンバーが生き残れるだろうと・・
時々、正直思います。今の学会が媒体に広告を出して、そのようなことが再び起きるのを防ごうと
するのは、その経験から学んだことが大きいだろうと思います。
宗門の坊主頭の連中の誹謗もひどかったようですが・・私自身は彼らからの誹謗
の声を直接聞いたことはありませんでした。
当時、私はプライベートな事情で活動の前線には、あまり参加できなかったのですが、
あるグループに属していました。そこでは宗門問題について盛んに話し合って・・
唱題するために池袋や他の区の正宗寺院にしょっちゅう行っておりました。
御講は時間がない為に行ってません。あの当時、3年間で随分題目をあげました。
過激と言われた、東京のある区のお寺にも近くでしたので、時折、唱題しに。
そのお寺の掃除は行き届いておらず、庭木には蜘蛛の巣がかかっており。
手入れが行き届いていなかったことが非常に印象的でした。
当時の組織内の雰囲気はどうであったか・・今の新人間革命では、書かれてはいませんが・・
暗かった、全体的に沈んでいたと思います。
昨日のトピックで驚かれた方もたくさんおられるでしょうが、当時週刊誌で書かれた内容から
比較すれば、可愛いものです。毎週、毎週、大々的に出るわけです。見る方は嫌になります。
正信会の暗躍、週刊誌の攻撃、宗門の攻撃、自民党の攻撃で随分退転者も出ました。
身の退転はなくとも、内(心)は落ちるというメンバーも多かった。
私も、正直何度か動揺したことがあります。嘘も百編言えば本当になる・・です。
週刊誌の内容は兎に角、次から、次といろんな内容な出てまいります。
組織内では、ほとんど話しません。話をしないということは動揺している証拠ですね。
感じとしては正直、もう、いい加減疲れきった・・といった方がいいかもしれません。
ですから、4月24日の先生退陣が発表された日、学会本部に駆けつけた人を誰一人見なかった。
私が駆けつけた時間帯以外で駆けつけた人もあるとは思いますが、多くはなかったと思います。
それほど、組織全体は停滞・沈んでいたのです。
日達猊下を最後に正本堂の御開扉時でお見かけしたときの印象は、それまでと違い、
優しい感じの印象は完全に消え、頬はこけ、顔つきが鋭い感じになられていました。
世の中の状況としては、当時、ポルノ・グラフで女性の裸の写真に対する検閲が
緩やかになって行った時でもあり、 日教組、動労などが徐々に弱体化して行った時期でもあります。
中曽根元首相、動労・日教組を潰すと言っているのが報道されましたが、もう一つ、
創価学会も入っているに違いないと、私たちは当時起きている深層部分を話し合っていました。
つまり、一億白痴化、政権に対抗する勢力を潰す計画の一環と見ていたんです。
続く・・ 