「一度きりの人生なんだから、自分で生き方を決めたい」
「自分の人生なんだから、他人に決められたくない」
というのは多くの方が抱いている思いでしょう。
しかし実情は、自分の人生を満足に送れていない方が多いのではないでしょうか。
自己啓発書の原典ともいえる「思考は現実化する」(ナポレオン・ヒル著 きこ書房)にも以下のように書かれています。
多くの人々が親戚や友人たちや世間の批判を恐れて、結局、自分の人生を送れなくしている。
数え切れないほど多くの人々が、年齢を問わず、他人への憚りということで自分の一生を台無しにしてしまっている。これも批判を恐れてのことである。
他人への憚りにより、一生を台無しにしてしまっているとは、耳が痛いですね。
また、以前に話題になった「ナースが聞いた『死ぬ前に語られる後悔』トップ5」という記事にも改めて目を通したところ、
「自分自身に忠実に生きれば良かった」
「自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
という後悔があがっていました。
特に、「他人に望まれるように」ではなく「自分らしく生きれば良かった」という後悔が最も多いそうです。
死ぬ前にいくら後悔しても後戻りはできません。他人に憚ることなく自分の人生を生きていくためにどうすればいいのでしょうか。
属性付与を退ける
自分らしく生きたい、とは思っても、周りの人はあなたに対して「あなたにはこうあってほしい」と言われたり、「あなたはこうあるべきだ」と命令されたりすることもありますね。
これをアドラー心理学では「属性付与」といいます。「こうあるべき」という属性を付与される、ということですね。
特に親は子供に対して「将来、こういう子になってほしい」という願いが強いですよね。「しっかりと勉強して、有名大学に入って、大企業に就職して、私たちを養ってほしい」というような願いです。
恋人なら「浮気は絶対しなくて、すぐにLINEも返してくれて、優しくて、1ヶ月に1度はサプライズもしてほしい」というような笑
しかし、これは本当に相手の幸せを願ってのことなのでしょうか。むしろ自分の都合のために相手を意のままに動かしたい、という思いがにじみ出ています。属性付与をする人は、悪く言えば、相手を支配したいのです。あなたを都合のよい操り人形にしたいのです。そんな属性付与を受け入れる必要はありません。
「アドラー心理学 実践入門」にも以下のように書かれています。
親をはじめとする他の人からの属性付与を受け入れる必要はありません。他の誰が何といおうと、自分はこうだ、といっていいと思うのです。
人の期待に合わせたり、期待を満たすために生きているわけではないからです。
岸見一郎(2014).「第2章 幸福に生きるための自分との向き合い方」『アドラー心理学 実践入門』 ベストセラーズ
属性付与に従ったからといって幸せな人生を歩める保証はありません。むしろ、従ったゆえに人生の最後に後悔することになった人がいかに多いかは先に見た通りです。後悔しないためには属性付与を退けることが必要なのですね。
承認欲求と名誉欲
けれど、「属性付与を退けよ」と言われても、簡単には退けないですよね。属性付与を退けて自由に生きようとすれば、たちまち嫌われたり、対人関係で摩擦が生じたりするでしょう。「どうしてそんな道に進もうとするの!」という親からの反対、「私のこと、大事じゃないの?!」という恋人からの苦情など。
これらの反対に私たちはなかなか、耐え得ることができません。
それは、私たちには他人から認めてもらいたい、嫌われたくないという承認欲求があるからです。人間の根源的な欲求をアドラー心理学では「所属感」であると教えます。「自分はここにいてもいいんだ」という所属感を得るには周りからの承認が必要、承認がなければ自分は無価値な存在になってしまう、と私たちは考えるのです。
仏教でも誰しもに人から認めてもらいたいという「名誉欲(めいよよく)」のあることを教えています。名誉欲は人間の代表的な五つの欲(五欲)の一つです。
財欲,色欲,食欲,名誉欲,睡眠欲を五欲という
「人から悪く言われたくない、嫌われたくない」という心が名誉欲です。殊更に自分の存在をアピールしたい「自己顕示欲」も、この名誉欲に入るでしょう。
属性付与を退け、周りから反対を受けることは、この名誉欲(承認欲求)との闘いを意味します。
この欲求はあまりに強く、親や恋人から嫌われたくないとの思いから、属性付与を甘んじて受け入れる人はとても多いのです。
自由に生きるために支払うべき代償
しかし、他人から嫌われずして自分のやりたいことを貫くことはできません。
私たちのことをよくは思わない人がいるということは、私たちが自由に生きているということ、自分の生き方を貫いているということ、また、自分の方針に従って生きているということの証拠です。
自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えていいのです。
岸見一郎(1999). 「第二章 アドラー心理学の育児と教育」 『アドラー心理学入門』 ベスト新書
自分に反対する人がいるということは、自分が自由に生きている証拠、後悔のない人生を歩めている証であり、喜ばしいことなのですね。
「他人に望まれるように」生きていては最後に最大の後悔を残すことになるのは、先のナースの証言で見た通りです。
承認欲求を否定すること、それが自由に生きるための代償なのですね。
「ぜんまい仕掛けの人形」と変わらない生き方
さらに承認欲求の問題点について「幸せになる勇気」に以下のようにあります。
承認には、終わりがないのです。他者からほめられ、承認されること。これによって、つかの間の「価値」を実感することはあるでしょう。
しかし、そこで得られる喜びなど、しょせん外部から与えられたものにすぎません。他者にねじを巻いてもらわなければ動けない、ぜんまい仕掛けの人形と変わらないのです。
岸見一郎・古賀史健(2016).「第三部 競争原理から協力原理へ」『幸せになる勇気』 ダイヤモンド社
承認には終わりがなく、他者から認められ続けなければなりません。
上記の「ぜんまい仕掛けの人形」とは過激な表現ですが、常に他者の顔色を伺い続け、自発的な行動を躊躇している人は、他者に都合よく支配されている「ぜんまい仕掛けの人形」と言われても反論できないでしょう。
「嫌われる勇気」を発揮できるほどの使命を
欲はどれだけ満たしても満たし切れることはなく、満たしたそばから渇いていきます。満たし切れない承認欲求、名誉欲にとらわれて、本当になすべきに費やす時間を浪費しては後悔してしまいます。
他人から嫌われる”勇気”を発揮できるほどの使命を見つけて、そこに時間を使っていきたいですね。
その、人間として生まれてきたことの使命が説かれているのが仏教ですので、仏教を続けて学ばれ、そこに教えられる使命を知っていただければ幸いです。

