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2016-05-17

「秒速5センチメートル」の小骨

散歩の道すがら、近所の公園に新しく桜の木が植えられていることに気づいた。何年かすると、公園の遊歩道がりっぱな桜並木になるのだろうか。密かな楽しみが増えた。

すっかり夏めいた季節になってしまったが、桜を眺めて思い出すアニメは決まって『秒速5センチメートル』(2007)だ。とくに電車の音をバックに花びらがはらはらと舞い落ちる様など、恰好の「秒速風景」。そういう時は心に住みついた作品になってしまったなあ、と感慨に浸ってみたりする(だれにでもあると信じたい)のだけど、考えてみると妙な話。現実の桜の花びらは秒速5センチで落ちてこないのに、『秒速5センチメートル』と思ってしまうのだ。ちょっとへんな現象である。

これが実は、喉の奥に引っ掛かった小骨だった。映画の公開当時は花びらが落ちるスピードなんて気にした事もなく、作中の貴樹よろしく「へえ、そうなんだ」と無邪気に頷いていた。しかし後にそうじゃない、もっと速いと知った時、「明里の言葉を疑いなく信じていた貴樹と同じだった」と悟った。秒速5センチメートルとは初恋の成就(=この先もずっと二人でいられる)を信じていられるかという意味を象徴する言葉だったのだ。

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表題作でもある第3話の中で、桜を見上げる貴樹は「秒速5センチメートルだ」とあの頃を懐かしんでいる。映画では表情で伝える形を取り、具体的な台詞は描かれていなかったが、ノベライズにはたしかに書いてあった。これにはすこし驚いた。明里への気持ちが消えてしまった貴樹は、とっくに桜の花びらの落ちるスピードの真実を知っているだろうと思っていた。けれど桜をみると明里の言葉を反芻するのだ。つまり、貴樹にとって「秒速5センチメートル」は思い出の言葉になっているのだろう。言葉というより、景色かもしれない。「桜花抄」の冒頭へ立ち返るわけだ。「ねえ、秒速5センチなんだって」から始まるあの風景へ。

そこまで察してようやく小骨がとれた気分になった。観客である自分たちは、桜の落ちる速度の真相を知っている、あるいはいつか知る。じゃあ、貴樹は、明里はどうなんだ。その本来気にしなくてもいい疑問がごくごくちいさな、しかし大事なことに思える小骨だったのだ。そんな風に考えていくと、この作品はメタフィクショナルな風景の映画になったのだな、と思った。新海誠監督の「美しい背景画」「映像美」は代名詞になっているが、目に見える視覚的な風景をのみ指してのものではない。思い出の、作中のキャラクターの記憶と一体化した情景もそこには含まれるのだ。フィクションにちがいないが、毎年桜の季節になると真っ先に連想する、そう、ノスタルジアへと至ってしまった。まさに花びらが秒速5センチで降っているように見えるくらいには。おそろしい映画である。

さて、新海誠監督に関連して今、引っ掛かっているのは2016年8月公開予定の劇場長編アニメーション君の名は。』のPVだ。すでにご覧になっただろうか。

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正直言って度肝を抜かれた。主要スタッフ(まさかの安藤雅司!)やビジュアルもそうだが、それ以上に「走る」映画になっていることに目をみはった。過去の作品群、たとえば『秒速5センチメートル』を見ても、「歩く」映画を作る人ではなかったか。兆しはあった。「コスモナウト」の花苗、『星を追うこども』のアスナ、彼女たちの持っていた身体性はいつか駆け出すかもしれないという予感を秘めていたし、SF×青春ものという掛け合わせに新海イズムの原点を見出せなくもない。それにしたって、このフィルムから充溢する活力は今までの作品にはなかったものだ。今にも走り出しそうな作家のバイタリティをひしひしと感じる。旧来のファンからすると戸惑いもある。しかし、一方では劇場に行かねば、という気にさせられるフックに満ちた魅力に惹きつけられているのもたしかだ。走り出した新海誠はどこへ向かうのか、見届けたいと思う。

とはいえ、まずはこれから始まる『言の葉の庭』の季節を存分に味わおう。桜から雨へ、新海誠季節感のある監督なのだ。ちなみに雨粒の落ちてくる速度は地表からの高さにもよるが、直径0.5ミリほどの小さいもので秒速2メートルくらいらしい。もう少し遅いとロマンがあったのに。もったいない。


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