ママが見えないと号泣!生後7ヶ月、「後追い」が始まった
「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」脳性マヒの康文さんが書いた希望の詩(2ページ目)
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育休中の教員であり、自閉っ子の親である私が、ある日手にとった本。「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」図書館の払い下げコーナーに置いてあったものです。昭和50年に、15歳という若さで亡くなった康文さん。40年以上の時を経てもなお、康文さんが私たちに語りかけてくるものとは何なのか。私にとってのそれは、「希望のメッセージ」であるのだというお話です。
再読したことで鮮明になった、康文さんからのメッセージ
ここ最近ずっと考えてきたことがひとつありました。自分について、深く知っていけばいくほどに、そしていろんな方にお逢いして、その魅力を感じるほどに思うことがあります。それは、「全ての人には、その人特有の輝きがあって、それは特別な人に限られたものではない」ということ。
どの人にも、私にも、あなたにもあるもの。丁寧に磨いていけば、ますます光り輝く宝石となるようなその原石。それは全ての人にあるものなのだと、私は確信しています。
そんな確信を持ちながらも、私が考えていたこと。
それは、その「全ての人」に、いわゆる重度の障害を抱えておられる方は含まれるのか、ということ。
重度の肢体不自由の方、重度の自閉症方、そういった、意思疎通も難しいというような方々。そのような方々に対しても、自分は「その人特有の輝きがあって」と言い切れるのか。
これは、今書いていても本当に恐ろしい思いです。この思いを持ちながらも、誰にも話すことはできませんでした。自分自身の中で、この問いが迫ってくるようになってから。その答えが、もし「含まれない」だったら、自分はどうすればいいのか。それが怖かったのです。
でも、きっとそんなことはないはずだっていうことも、どこかで思っていました。思いながらも、やはり突き詰めていって、答えを出すのが怖くもあり、ただただ自分で自分に、ぼんやりと問うている状態でした。
そんな私の問いに、ひとつの答えを示してたのが、康文さんだったのです。
康文さんの物語
康文さんは、重度の脳性麻痺で肢体不自由、言葉を口にして、何かを伝えることはできません。そんな彼が14歳のとき、いかにしてこの詩を作ることができたのでしょう。
康文さんの養護学校の先生、向野先生は、この詩の誕生の2年前に、前任の言語訓練担当の先生から担当を引継ぐことになりました。
どんなに重い障害の子とでも、心を通わせてきた向野先生も、「言語訓練」としてそれを専門に取り組むのは初めてで、戸惑うばかりだったそうです。
本の中でも、「一語でも、一音でも、子どもたちに言葉を発してもらいたいという一念でしたが、無力な私は、障害の前に立ち往生するだけでした。」と書かれています。
ところがそんな折、先生は海外旅行に行かれます。その先で、「ことば」が通じない人達との「ことば」を超えた、「こころ」の交流があり、先生の中に以下のようなひらめきがあったのです。
そんな気づきを得、非言語コミュニケーションでのやりとりをご経験されて、帰国された先生。その後、養護学校(今の特別支援学校)の子ども達と共に、ジェスチャー、文字盤を使って、口に箸をくわえてタイプを打つなど、ひとりひとりに合ったコミュニケーションのスタイルを探っていかれました。
康文さんは、3歳のころからお母さまと使っていたトイレのサインがありました。それを日常にも取り入れて、「目をぎゅっとつぶる→はい」「舌を出す→いいえ」 のやりとりが成立していました。
そこに加えて、先生は康文さんのからだの緊張やアセトーゼ(不随意運動)も言葉なのだと気づかれたのです。
康文さんを抱きしめて話をすることで、康文さんの体の反応を全身で感じる。そうすると、康文さんがからだを硬くしたり、柔らかくしたり、足を突っ張ったり、手を上げようとしたり、一語一語、反応するのが感じられたそうです。全部が全部、ことばなんだということが、抱きしめているとよくわかったと。
そんな風にして、言語訓練を重ねる中で、詩づくりに取り組むことになった先生と康文さん。ある時、養護学校の子ども達が作った詩に、ボランティアの学生がメロディーをつけて、チャリティーコンサートを開くという企画が持ち上がりました。
何事にも挑戦することに意欲的だった康文さん。この時も、先生の「挑戦してみる?」の問いかけに、「キャー」といって喜びの声をあげました。
詩の作成当時の様子を振り返り、向野先生はこのように語られています。
冬のさなかに全身に汗をためて、その命の丈を託したことばを選ぶ作業。思いの半分もことばにかえられず、いらだって泣いてしまった日もあったそうです。
この詩は、そんなふうにしてできた詩だったのです。
これは、悲劇の詩ではない。人々に広く伝えられた、康文さんの詩。
この詩には、「生んでくれてありがとう」と言えない、お母さんに、自分の誕生にたいして「ごめんなさい」と感じていた、康文さんの計り知れない悲しみが書かれているかもしれません。それは、康文さんだけでなく、今よりもっと福祉が行き届かなかった時代、多くの障害を持った方たちが抱えておられた、共通の思いかもしれません。
でも、それを伝えたい、詩にしたいと願った康文さんは、時に憤り、涙することもありながらも、本当に力強く、生き生きと「自分の思いを表出できる、伝えられる」という喜びに満ちていたに違いないと、私は思うのです。
そして、このようにして誕生した康文さんのこの詩。そのコンサートで、同じようにハンディのあるお子さんたちの、輝くばかりの詩と共に発表されました。舞台上にはお母様と康文さんも登壇し、輝くスポットライトの中に身を置きました。コンサートは大成功をおさめたのです。
康文さんや子ども達の力強い思いはそこだけに留まらず、その後、このコンサートはレコード化され、テレビでも取り上げられ、日本中に広まることとなりました。
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