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  4. 「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」脳性マヒの康文さんが書いた希望の詩

「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」脳性マヒの康文さんが書いた希望の詩

個性と自己肯定感 自己肯定感・自己効力感 子どもの成長・発達 子育て・育児 知的障害 発達障害・発達の遅れ 子育ての悩み

「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」脳性マヒの康文さんが書いた希望の詩のタイトル画像

育休中の教員であり、自閉っ子の親である私が、ある日手にとった本。「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」図書館の払い下げコーナーに置いてあったものです。昭和50年に、15歳という若さで亡くなった康文さん。40年以上の時を経てもなお、康文さんが私たちに語りかけてくるものとは何なのか。私にとってのそれは、「希望のメッセージ」であるのだというお話です。

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図書館の払い下げコーナーで出逢った、一冊の本。

今4歳の長男は、2歳になったばかりの頃、「自閉症スペクトラム」(自閉スペクトラム症)と診断を受けました。はじめは「障害についての本なんて、読まなくてもいい。長男自身の成長を見守っていけばいいんだ」と思っていた私。

ところがその後、いろいろな思いを経て、「とにかく障害についての本、記事、講演会には片っ端から参加!」という、よくそこまで変われますね、という突っ走った段階へ突入することとなりました。

そんな時期に、図書館の払い下げコーナーで手に取った1冊が「お母さん、ぼくが生まれて ごめんなさい」という本でした。

この画像は復刻版のものです。

私がその時、手に取った本は今は絶版になってしまっています。なぜ復刻版の画像でご紹介したかというと、その時いただいてきたオリジナル版の本を、実は処分してしまったのです。

持ち帰ってすぐに、一気に読み終えたこの本。私が当時この本の印象として、鮮明に自分の中に残ったものは、康文さんやご家族の苦難、障害があるゆえに感じてこられた悲しみ、辛さと、世間や社会へのどうしようもない憤りでした。

そのため、本棚にこの本を置いておくのがしんどくなり、処分してしまったのです。

自分の意識が変われば、同じ本でも受け取るものが違うという事実。

そんな風にして一度は手放したのですが、今私の手元には、復刻版の「お母さん、ぼくが生まれて ごめんなさい」があります。

私は「あめのちはれ お兄ちゃんは自閉症」というブログをやっています。そこで、別の絵本を紹介する記事を書いていた時に、ふとこの本のことが思い出され、それがきっかけで再読することを決めました。

そのときに驚いたことは、まだ再読もしていないのに、すでにその本への印象が、自分の中で以前とずいぶんと変わっていたことです。なんでも自分を責めていたころから、ありのままの自分を受け止めようと意識が変化してきた私。そんな自分の中での変化が関係しているのかな、と思いました。

自分が変わったことで、私の意識の奥底に眠っていた、康文さんからのメッセージが目覚めたように感じました。

「ごめんなさいね おかあさん」

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん

ぼくが生まれて ごめんなさい 
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
 
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
 
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも 
「かたわの子だね」とふりかえる 
つめたい視線に 泣くことも

ぼくさえ 生まれなかったら

※以下、お母様の返詩。

わたしの息子よ ゆるしてね

わたしの息子よ ゆるしてね
 
このかあさんを ゆるしておくれ
 
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
 
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき 
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
 
“重くはない”と聞いている
あなたの心が せつなくて

わたしの息子よ ありがとう

ありがとう 息子よ

あなたのすがたを 見守って
お母さんは 生きていく

悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている

脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり

※以下、それを受けての、康文さんの詩。

ありがとう おかあさん

ありがとう おかあさん

おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです

脳性マヒを 生きていく

やさしさこそが、大切で
悲しさこそが 美しい

そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん

おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

この詩は、この本の主人公、昭和35年に生まれ、昭和50年まで15歳の生涯を力強く生き抜いた、山田康文さんが書かれた詩です。この詩をブログでご紹介するにあたって、私はこんな感想を添えました。

「これは決して、悲しいお話、悲劇に涙する話ではなくて。障害を悲観したものでもなくてね。今より福祉サービスもほとんど何もないみたいな時代でも、重度の脳性麻痺をわずらった一人の少年が、自分の思いを力強く発信したという、希望の物語だと、彼の思いは時を越えて、今の時代を生きる、私たちに語りかけているのだと私は思っているのです。」

この私の感想に、読者の方から「パッと読むと悲劇なんですが、それを発信と捉える感性にビックリしたので…」という感想をいただきました。全く同感です。

自分が自分の感想に一番驚きました。それで、もう一度この本をじっくりと読み返し、自分が康文さんから受け取ったメッセージをしっかり見つめなおすことにしたのです。

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あめのちはれ

はじめまして。あめのちはれと申します。

我が家は4人家族。

長男ハル、4歳。自閉症スペクトラム。

次男ヒロ、2歳。今のところ定型発達。
(あ...

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