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特集

2016年5月16日(月)

「サイクス・ピコ協定」締結から100年

 
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映画『アラビアのロレンス』。
第1次世界大戦のさなか、イギリス軍の工作員・ロレンスが、オスマントルコからの独立を目指していたアラブ人義勇兵を支援する物語です。
劇中、イギリスが結んだある密約が問題となります。

“サイクス・ピコ条約を知らんのか?”

「サイクス・ピコ協定」です。
イギリスやフランスなどが、中東の分割を秘密裏に決めていたのです。
大国の利害を優先したサイクス・ピコ協定。
今も中東で続く混乱の原因とも言われます。

田中
「今からちょうど100年前の今日、5月16日に締結された『サイクス・ピコ協定』。
今日の特集は、この協定を手がかりに、混沌とする今の中東情勢を読み解きます。」

児林
「『サイクス・ピコ協定』とは、第1次世界大戦のさなかに、イギリスとフランスなどが、中東の分割を決めた密約です。
両国の外交官、イギリスのサイクス氏と、フランスのピコ氏の名前から、こう呼ばれています。



当時、この地域を支配していたオスマントルコ帝国が崩壊する中で、両国は、自国の利権を確保することを目的とした、新たな秩序を作ろうとしました。





こちらが当時の分割案です。
地図にある『A』がフランス、そして『B』はイギリスのもとで支配するとしました。




そしてこちらの赤い線が、現在のシリアとイラクの国境です。
当時引かれた黒い線が、今のシリアとイラクの国境の原型になったことがわかります。」

サイクス・ピコ協定 なぜ今?

田中
「ここからは、中東情勢に詳しい、東京大学准教授・池内恵(いけうち・さとし)さんにお話を伺います。




池内さんは最近、サイクス・ピコ協定について1冊の本にまとめ、来週出版されます。
本も書かれているということで、今、改めて100年前のこの協定に注目する意義というのはどこにあるんでしょうか?」




東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「サイクス・ピコ協定そのものを見たり、その前後の中東の動きを見ると、中東問題というものはどうしてこんなに難しいのか、なぜ難しいのかというのが、かなり明らかになるんですね。
それで、同じ問題を今も引きずっていますから、そういう意味でサイクス・ピコ協定を見直してみることに意味があると思いますね。」

田中
「そうしますと、今のいろいろ混とんとしている中東情勢、ここに原因があったと?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「原因というよりは、当時と今と、おそらく、かなり同じ問題に直面していると。

サイクス・ピコ協定そのものは、当時の超大国・イギリスとフランス、英仏が中心になったと。
当時の帝国だったロシアとか、あるいはイタリアなども一緒になって、中東をどう分割しようかというのを考えたわけですね。
ただ、それは大国の思惑で考えたもので、結局は、そのままでは実現しなかったんですね。
ですから、それが原因を作ったというわけではないんですが、しかし外側から欧米諸国が植民地主義によって中東に介入してつくりかえようとする、その問題を今も引きずっていますから、中東では。
そういう意味で、このサイクス・ピコ協定というのは欧米の植民地主義が中東に与えた影響ということで、非常に象徴的なんですね。」

田中
「悪名高き協定となっていましたよね。」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「そうですね。
日本の学校教育、世界史の教科書などで教えられて覚えていらっしゃる方もいると思いますし、世界的にも非常に有名で、外交文書としては、おそらく最も有名なもの、また最も悪名高いものだと言えると思います。」

田中
「今につながる問題だというのを、地図で具体的に説明していただけますか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「なぜ悪名が高いかといいますと、とりあえず線を引いて、ここはイギリス、ここはフランスが仕切るよというふうにして…。

実際にはこの辺りにロシアとか、そういった勢力圏があったんですが…。





この線が、現地の民族とか宗教・宗派に合致していないというところが、ずっと批判されてきたんですね。




批判が最も大きいもの、例えばこの(白い)エリアというのは、トルコ人でもなく、シリア・イラクのアラブ人でもなく、クルド人の人たちが住んでるんですね。
この国境でいいますと、トルコとシリアとイラク、あとイランがありますが、クルド人というのはそういった国のどこにも住んでいるんですが、『国』を持っていない。
国境線が、例えばクルド人が住んでいるところに引かれてしまう、そういう原因をサイクス・ピコ協定は作ったというのが、いちばん大きな批判ですね。」

田中
「そのことによって、クルド人にはどういうことが起きているんでしょうか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「クルド人が国を持てない、国を持とうとする民族運動をやる。
そうすると、各国の政権と対立すると。
民族紛争が起こるんですね。」

田中
「では、改めて国境を引き直したほうがいいんでしょうか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「ところが、そううまくはいかないんですね。

例えば、実際にはクルド人だけではなくて、例えばアルメニア人も、同じようなエリアに実は住んでいたり…。





あるいは、この辺りにギリシャ人なども住んでいたんですよね。
そうしますと、この1920年の条約(セーブル条約)ではもうサイクス・ピコ協定は否定して、もっといろんな民族や宗教・宗派集団の人たちが国をほしがった。
それを認めた条約が実際に作られたんです。
ただ、これはこれでものすごく細分化されてしまって、しかもそれぞれの領土の中にクルド人がいたり、クルド人の領土の中にアルメニア人がいたり、その逆も同じで、実際にはこんなふうに線を引けないんですね。
民族や宗教・宗派に合わせた国境線を引くということ自体がそもそもできないと。」

田中
「その後、どうなったんでしょう?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「1920年の、トルコのアナトリアというエリアをいろんな民族で分割する案(セーブル条約)を、新たに独立しようとしているトルコ共和国が否定して、結局、独立戦争をやって、今の国境線にほぼ近いところまで全部押し戻した。(ローザンヌ条約)
それでその後、トルコ人の国民国家をつくっていったと。
それからこの下のエリアでは、シリアとかイラクの人たちがアラブの国民国家をつくっていったんですね。
そうしますと、クルド人やアルメニア人やギリシャ人は、それぞれが例えば『住民交換』なんていう方法まで使って、ギリシャ人はギリシャに行ってしまったり、アルメニア人は世界中に散ってしまうとか、そういう形で無理やり解決したんですね。」

田中
「ここに『超大国』『地域大国』『現地の民族・宗派』とありますが?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「サイクス・ピコ協定というのは、この『超大国』が主導して、中東をこんなふうにしたらいいんじゃないかといった、そういう協定なんです。

それに対して、『セーブル条約』の方になってしまうと、今度は『現地の民族・宗派』が、それぞれ自分たちがこの辺りに国をつくるから、『超大国』や『地域大国』は認めてくださいよと主張する。」

田中
「両方ともうまくいかなかったわけですね。」


東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「そこで結局、1923年のローザンヌ条約になりますと、『地域大国』としてのトルコが台頭して、自分たちが、自分たちの国だと思っている領域を、とにかく軍事力をもって制圧して、そのあと国際社会もそれを認めた。
ギリシャ人やアルメニア人などは外へ出ていったり、クルド人などは民族の主張を抑圧されるということになってしまった。
結果的に、それでトルコという国ができたんですね。」

児林
「そういったサイクス・ピコ協定の否定を前面に掲げて勢力を拡大したのが、過激派組織IS=イスラミックステートです。」


“密約”から100年 中東はどこへ

“イラク、シリアの国境にいる。”





一昨年(2014年)6月、ISの樹立が宣言された時期に公開されたビデオです。

タイトルは、「サイクス・ピコ協定の終えん」。





国境地帯の警察署を爆破したとする映像など、ISがシリアとイラクの国境をないものとして支配を広げていることを印象づけるものです。





“ここはサイクス・ピコ協定の国境だが、我々は決して認めない。
私たちに国籍はない。
イスラム教徒の国は1つだ。”




“100年の不満” ISが利用

田中
「ISはこれまでの国境を無視して、ご覧のようなイスラム国家を樹立すると宣言していますね。
こうしたサイクス・ピコ協定の『全否定』をよりどころとしているんですが、そこを池内さんはどのようにご覧になっていますか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「これは、例えば歴代のアラブ諸国の政権というのは、ずっとサイクス・ピコ協定が悪かったんだと主張してきて、教育でも教えてきたんですね。
そういう意味では、ISが突然言い出したことでもないですし、また現地の各国の人たちも、実は意外にそのことを、支持はしないかもしれませんが、共感したりするんですね。
この地図は、イスラム世界が最大の版図を持っていたときの誇りを全部取り戻すというような主張をしているんですが、ただ、実際にISがやったのは、イラクやシリア、その近代につくられた国境線を壊してみせるということなんです。
サイクス・ピコ協定を批判するアラブ諸国の政権は、実際にはサイクス・ピコ協定の枠の中で国を与えられて、それを既得権益のようにしてきたんです。
だから実際には自分たちで国境線を引き直そうとしなかったんですが、それを、ほんの小規模ですがイラクとシリアのところでISがやってみせた。
これは、言っていたことが初めて実現したということで、それなりに衝撃を与えたんですね。」

国境線 限界に?

児林
「となりますと、サイクス・ピコ協定によって引かれた国境線、これによる矛盾が出てきたというか、何かそういうことも指摘できるんでしょうか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「もともと中東を民族ごとに国をつくる、国境線を引くというのは非常に難しいんです。
そういう意味で矛盾はあるんですね。
その矛盾を覆い隠していたのは何かというと、例えばかつてのフセイン政権とか、今のシリアのアサド政権のような、かなり抑圧的な独裁政権なんですね。
ところが、その政権が揺らいでしまった。
アメリカのイラク戦争によって倒されたフセイン政権だとか、あるいは『アラブの春』以後、民衆の反体制運動をきっかけに揺らいだアサド政権、それらの強権的な政権が抑えていることで、宗教とか宗派の問題が覆い隠されていたものが今、出てきてしまった。」

シリア 解決の道は

田中
「その最も顕著な、今起きている例というのがシリアかと思うんですが、国境線を維持したまま問題解決をする道、国際社会が今それを探って和平協議をしているわけですが、これはどうご覧になりますか?」

東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「今のシリアの内戦の現状を見ますと、おおまかに見ただけでも、いろんな色で塗り分けられた諸勢力が自分たちの支配領域をおさえてしまっていると。
例えばクルド人が中心になって、クルド人の自治区をつくるとかですね、あるいはアサド政権に近い人たちがおさえているエリアとか、あるいはイスラム主義的な勢力がおさえているエリアなどに分かれてしまっているんですね。

これは100年近く前の、例えばセーブル条約などを先ほどお見せしましたけれども、当時は民族・宗派に合わせてここまで細分化されましたが、今のシリアも同じように細分化されてしまう。
しかしそれだと、とても国として今後成り立たないと思うんですね。
そうしますと、どうやら現地の民族・宗派に合わせて切り取ればいいわけでもないらしい。

じゃあ、地域大国が新たに出てきて、ある程度まとまった地域単位をおさえてくれるかというと、今、例えばサウジアラビアやトルコやイランなどのこの周辺諸国、地域大国がいるんですが、それぞれが争っていて、むしろこのいろんな勢力を支援している。
ですからむしろ地域大国は今、力は強くなっているんだけども、現地のいろいろな民族・宗派の対立を永続化する方向にいっている。
そうなると超大国はなんとか合意してくれないかと。
例えば今年(2016年)の2月22日に発表されたアメリカとロシアの合意なんかでは、ここでなんとか超大国が、アメリカやロシアがそれぞれ影響力があるイランやサウジアラビアなどを使ったり、あるいは直接現地の勢力に連合者を見つけて影響力を行使したりして、そして米ロでは合意して、なんとかまとめようとはしているんです。
しかし、超大国の力もそんなに決定的ではないと。
この3層構造で、それぞれが中で分裂している。
それぞれの層の間でまた対立がある。
これをぴたっとどこかで、全員が合意するかたちで終わらせないといけない。
それがシリア内戦を終わらせる難しさなんですね。」

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