田中
「ここからは、中東情勢に詳しい、東京大学准教授・池内恵(いけうち・さとし)さんにお話を伺います。
池内さんは最近、サイクス・ピコ協定について1冊の本にまとめ、来週出版されます。
本も書かれているということで、今、改めて100年前のこの協定に注目する意義というのはどこにあるんでしょうか?」
東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「サイクス・ピコ協定そのものを見たり、その前後の中東の動きを見ると、中東問題というものはどうしてこんなに難しいのか、なぜ難しいのかというのが、かなり明らかになるんですね。
それで、同じ問題を今も引きずっていますから、そういう意味でサイクス・ピコ協定を見直してみることに意味があると思いますね。」
田中
「そうしますと、今のいろいろ混とんとしている中東情勢、ここに原因があったと?」
東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「原因というよりは、当時と今と、おそらく、かなり同じ問題に直面していると。
サイクス・ピコ協定そのものは、当時の超大国・イギリスとフランス、英仏が中心になったと。
当時の帝国だったロシアとか、あるいはイタリアなども一緒になって、中東をどう分割しようかというのを考えたわけですね。
ただ、それは大国の思惑で考えたもので、結局は、そのままでは実現しなかったんですね。
ですから、それが原因を作ったというわけではないんですが、しかし外側から欧米諸国が植民地主義によって中東に介入してつくりかえようとする、その問題を今も引きずっていますから、中東では。
そういう意味で、このサイクス・ピコ協定というのは欧米の植民地主義が中東に与えた影響ということで、非常に象徴的なんですね。」
田中
「悪名高き協定となっていましたよね。」
東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「そうですね。
日本の学校教育、世界史の教科書などで教えられて覚えていらっしゃる方もいると思いますし、世界的にも非常に有名で、外交文書としては、おそらく最も有名なもの、また最も悪名高いものだと言えると思います。」
田中
「今につながる問題だというのを、地図で具体的に説明していただけますか?」
東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「なぜ悪名が高いかといいますと、とりあえず線を引いて、ここはイギリス、ここはフランスが仕切るよというふうにして…。
実際にはこの辺りにロシアとか、そういった勢力圏があったんですが…。
この線が、現地の民族とか宗教・宗派に合致していないというところが、ずっと批判されてきたんですね。
批判が最も大きいもの、例えばこの(白い)エリアというのは、トルコ人でもなく、シリア・イラクのアラブ人でもなく、クルド人の人たちが住んでるんですね。
この国境でいいますと、トルコとシリアとイラク、あとイランがありますが、クルド人というのはそういった国のどこにも住んでいるんですが、『国』を持っていない。
国境線が、例えばクルド人が住んでいるところに引かれてしまう、そういう原因をサイクス・ピコ協定は作ったというのが、いちばん大きな批判ですね。」
田中
「そのことによって、クルド人にはどういうことが起きているんでしょうか?」
東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「クルド人が国を持てない、国を持とうとする民族運動をやる。
そうすると、各国の政権と対立すると。
民族紛争が起こるんですね。」
田中
「では、改めて国境を引き直したほうがいいんでしょうか?」
東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「ところが、そううまくはいかないんですね。
例えば、実際にはクルド人だけではなくて、例えばアルメニア人も、同じようなエリアに実は住んでいたり…。
あるいは、この辺りにギリシャ人なども住んでいたんですよね。
そうしますと、この1920年の条約(セーブル条約)ではもうサイクス・ピコ協定は否定して、もっといろんな民族や宗教・宗派集団の人たちが国をほしがった。
それを認めた条約が実際に作られたんです。
ただ、これはこれでものすごく細分化されてしまって、しかもそれぞれの領土の中にクルド人がいたり、クルド人の領土の中にアルメニア人がいたり、その逆も同じで、実際にはこんなふうに線を引けないんですね。
民族や宗教・宗派に合わせた国境線を引くということ自体がそもそもできないと。」
田中
「その後、どうなったんでしょう?」
東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「1920年の、トルコのアナトリアというエリアをいろんな民族で分割する案(セーブル条約)を、新たに独立しようとしているトルコ共和国が否定して、結局、独立戦争をやって、今の国境線にほぼ近いところまで全部押し戻した。(ローザンヌ条約)
それでその後、トルコ人の国民国家をつくっていったと。
それからこの下のエリアでは、シリアとかイラクの人たちがアラブの国民国家をつくっていったんですね。
そうしますと、クルド人やアルメニア人やギリシャ人は、それぞれが例えば『住民交換』なんていう方法まで使って、ギリシャ人はギリシャに行ってしまったり、アルメニア人は世界中に散ってしまうとか、そういう形で無理やり解決したんですね。」
田中
「ここに『超大国』『地域大国』『現地の民族・宗派』とありますが?」
東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「サイクス・ピコ協定というのは、この『超大国』が主導して、中東をこんなふうにしたらいいんじゃないかといった、そういう協定なんです。
それに対して、『セーブル条約』の方になってしまうと、今度は『現地の民族・宗派』が、それぞれ自分たちがこの辺りに国をつくるから、『超大国』や『地域大国』は認めてくださいよと主張する。」
田中
「両方ともうまくいかなかったわけですね。」
東京大学先端科学技術研究センター 准教授 池内恵さん
「そこで結局、1923年のローザンヌ条約になりますと、『地域大国』としてのトルコが台頭して、自分たちが、自分たちの国だと思っている領域を、とにかく軍事力をもって制圧して、そのあと国際社会もそれを認めた。
ギリシャ人やアルメニア人などは外へ出ていったり、クルド人などは民族の主張を抑圧されるということになってしまった。
結果的に、それでトルコという国ができたんですね。」
児林
「そういったサイクス・ピコ協定の否定を前面に掲げて勢力を拡大したのが、過激派組織IS=イスラミックステートです。」