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写真撮って、日記書いてます。

熊本地震に被災して思った7つのこと

日記 日記-写真

熊本地震被災して、1ヶ月がたちました。なんだかあっという間で、自分の中でもうまい具合に整理できていません。起きたことなんかはこの日記でもつらつら書いていますが、正直ああやって日記を書いていないと落ち着かないというか、いたたまれないというか、そういう感じになってしまいそうでした。

熊本地震被災直後の私の部屋

さすがに、出てくる前はもう少し片付けてはいるけど、それでもまだまだ本とダンボールの山だったりします。

んで、あれこれ思ったことを羅列していこうと思います。複数日にわけて少しずつ書いてたから、語尾が一致してないけどまあご容赦。

目次

 

1.寝袋あってよかった

以前購入していた寝袋がまさかこんなところで役に立つとは思わなかったです。4月とはいえ熊本の夜は冷えます。日中は逆に暑くなるんだけど。
特に夜の体育館はだだっ広いうえに空調が無いので寒くて、毛布なりなんなりが必要でした。

キャプテンスタッグ 寝袋 シュラフ フォルノ封筒型シュラフ800 ダークネイビー [最低使用温度12度] M-3473

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 蓑虫じゃないけど、これで寝てました。幾分か暖かかったです。

食糧類の確保は初日、2日目が大変でしたが、カロリーメイトと乾パン類でしのぎました。幸いにも水は出たので困ることはなかったです。食糧類はほんとにどうしようもなくて、配給もパン半分とか、小さいおにぎりひとつとかでした。やはり自分で用意しておくべきだったと反省。

 あったかいご飯が食えないのはほんとにつらいね。体験してわかったつらさでした。

2.「困ったことはないか」がつらい

地震から一晩明けたくらいから親や兄弟、Facebookの知人なんかが「何か困ってないか?」って矢継ぎ早に聞いてくるようになった。これは正直参ってしまった。

心配して聞いてくれるのはわかるけど、どう答えたらいいのかわからないのがほんとのところだった。

「ガスが出ない」「水道が断水した」「電気停電中」「食糧がない」「部屋の中がぐちゃぐちゃで片付かない」なんて返したところで相手は何ができるのか。ただでさえ混乱している状況で、食糧を持ってきてくれるのか、余震が続くのに部屋の片付けを手伝ってくれるのか、避難所に情報も入ってきてないのに、というか自分自身がまだ状況を完全に把握してないのに…。

そんなことを逡巡して、結局の所「特に何も困ってないです」としか答えようがない。でもこれだと相手は納得してくれないからどんどん「困ったことはないか、飯はちゃんと食えてるのか」とか聞いてくるわけで。

スマホのバッテリーも減るし、こちらはイライラしてくるし、で、あまりいいことはなかったです。

3.情報が入ってこない

避難所にラジオがないので、何がどうなってるかわからない状態になりました。ラジオは防災クラブ(避難所を管理している人たち)のところにあったかな、ていう程度。2日目か3日目にラジオを持ち込んだ人が出てきたのでどうにか何がどうなってるのかを把握することはできました。

私は昼は自宅に帰れたので、ネットを繋いでradikoローカル局をずっと聞いてましたが、それでもはっきりした情報が伝わってくるのは少なかったように思います。

4.「がんばれ!」がつらくなる

ローカルのラジオでは何をやってたかというと、各地の被害状況や被災した人たちの様子を伝えるのが主で、そこそこ役立つような情報を流してたんだけど、radikoプレミアムで聞いてる他県の人たちの「応援メッセージ」も流してたのね。ファックスやメールで届くから。

んで、この中で多かったのが「熊本の皆さん、頑張ってください!」とか「応援してます!」とか、とにかく「がんばれ!」系統が多かった。これ、聞くのがだんだんつらくなってくる。特に被災4日目がつらかった。

こんな荒れた部屋の片付けもしなきゃならないし、お湯も出ないし、余震はまだ続くのに何をどう頑張ればいいの?何がどういう状況になってるかわかっていないのに、何をどうしたらいいのかわからないのに頑張れって何よ?みたいなことを思ってた。「がんばれ!」ていうだけで被災地応援したような気持ちになれるからいいですよねー、みたいな。落ち着いた状態なら「ありがとうございます!」て言えるんだけど、その前の荒れた状態で言われると逆にすさむというか。

でもラジオって一方的だからひたすら「がんばれ!」系メッセージを流し続けるのね。がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ…こちらが考える暇もないくらいに。少しは落ち着いて物事を考えさせろ、ていいたくなった。こんだけ矢継ぎ早に同じようなことをいわれ続けたら、何も考えられなくなるわ。

あとは「被災地応援ソングを作ったので是非かけてください!」なんてラジオ局にCDごと送って売名する人とか出てくる始末(しかもラジオ番組で取り上げて曲流してるし)。上手な人ならいいけど、アマチュアみたいな人の下手な曲で心安まるか!て思ってラジオ止めた。

すると今度は静かすぎて逆に不安になってくる。いつもならクルマが走る音とか、子供の声とか、近所の動物たちの鳴き声がして賑やかなのに、地震の後はそういうのが一切無くなってほんとに静寂になってしまった。だからまたラジオをつける…また「がんばれ!」の洪水が押し寄せてくる…の繰り返し。放送大学に変えても、今は内容が頭に入ってくるような状況じゃないし。

なんか変に息苦しくなってきたのが、今でも思い出して気持ち悪くなる。

東北の人たちもこんな感じだったんかな。あのときあまりに無邪気に「がんばれ!」と言ってなかったか。「がんばれ!」は誰に対してのものだったのか、「がんばれ!」と言っただけで満足してなかったか。改めて考えてしまう。

避難所に帰ってきて、部屋から発掘した網野善彦の本にたしかこんなことが書かれていた。音声と文章では同じ内容でも伝わり方が違う、と。

海と列島の中世 (講談社学術文庫)

海と列島の中世 (講談社学術文庫)

 

1ヶ月前のことだからすごくぼんやりした記憶になってるんだけど、文意はそんな感じだった。ちょうど「ラジオで「がんばれ」と言われるのがなんでこんなに腹立つのか」と疑問に思ってたときにぶつかった文章だったので、変に引っかかった。網野はその理由について論じてなかったけど、文章は自分で解釈して自分のタイミングで吸収できるけど、音声はその場で受け取らないと逃げてしまう。自分のタイミングというプロセスがなくなってしまう。 だからラジオの「がんばれ」がむかつくんじゃないか、なんてふうに考えて、私としてはすごく腑に落ちた。まあ自分勝手な解釈なんだけど、それでもここで腑に落ちていなければ、今ラジオ聴けなかったかもしれない。その解釈で自分が納得したのもあって、次の日からちょっと落ち着いてラジオ聴けるようになったし。

「声」の資本主義 ---電話・ラジオ・蓄音機の社会史 (河出文庫)

「声」の資本主義 ---電話・ラジオ・蓄音機の社会史 (河出文庫)

 

こいつも持ってこようとしたら見つからなかった。また買い直すか…。 

5.子供の相手、高齢者の相手

避難所にはそれこそ小さい子からお年寄りまで集まっていたんだけど、特に子供たちをどうにかしないといけないなと思った。彼らは状況が理解できてるのかストレス溜まってるのかよくわかんないけど、とにかく避難所内を走り回る。人が寝ていようがいまいが関係なし。5日目からは小学校高学年か中学生くらいの子たちが避難所内でバスケし始める始末。さすがに注意されていたけど。

体育館ってあんなに響くもんだったっけか。意外なところでストレスが出てくる。

あとは高齢者の相手。これは慣れてたし、彼女たちのお話が面白いからついつい民俗調査じゃないけどあれこれ話を聞き込んでしまったりもした。70年近く住んでてこんな地震初めてだ、とか、以前は関西と博多の間の特急で売り越してたんよ、とか。そういう面白い話があれこれ出てきて盛り上がった。聞く側としては、なるべく暗い話にならないように、話を聞くときは気をつかったかな。

それでも初日から元気がなかったおばあちゃんがいて、どうしたもんかと思ってたけど5日目くらいに姫路から派遣されてきた保健師さんと熊本市の民生委員の人とあれこれ話をして多少元気になっていたからよかった。

不思議だったのは、今まで一度も顔を合わせたことのないような、若い世代から高齢世代が、一堂に集まって同じ釜の飯を食っていると、不思議と家族みたいな感じになっていくのを目にしたときだった。目にしたというよりも、実際に体験したというか。話したこともない相手と生活しているはずなんだけど、次第に「どこそこのおばちゃん」とか「どこそこの先生」とか、そう呼びはしないけど、そんな感覚ができあがっていくのね。すごく不思議だったけど、心地よさはあった。

6.「新参者」の勝手に困る

避難所生活5日目くらいに、天気が大きく変わって大雨になった。地震の影響で家に雨漏りが起きている人や、余震が怖いからと、これまでクルマや自宅で生活していた人たちが避難所に入ってくるようになった。

んで、この新しくやってきた人たちがこれまでできていた避難所内のぼんやりとしたルールを壊していくのね。知らないから当然なんだけど。例えば夜10時以降は消灯だから話し声も小さくするとか、というか寝る、てのが何となくできあがってたルールだったんだけど、新しく来た人たちはそんなのお構いなしなのね、平気で大きな声で話をするわけ。12時まで話し続けてたおばちゃんたちもいてうるさかった。体育館は響くんだよ音が。

夜になると不安になるから、ってのはわかるけどね。

もっと酷かったのはトイレで煙草吸ってる人がいたことかな。そもそも避難所は中学校の体育館で禁煙なんだけど、気づいたときには缶詰の空き缶を灰皿にしてあって吸い殻が2本入ってた。避難所生活というかマナー以前の問題で、大勢の見知らぬ人と共同で暮らす難しさを改めて感じました。

7.ボランティアに手伝って欲しいけど

正直、片付けとかボランティアに手伝って欲しいけど、気が引けるつーか。

うちにはあれこれ収集していた書籍やら資料やらがあって、それが散らばってるような状態なんだけど、それを面白おかしく撮影されてアップされたりしないだろうか、とか。ガイダンスとか受けるようになってる、て話は聞くけど、なんかね。

友達や家族はもっと嫌だな。手伝うよ、て言われてるけど。絶対バカにされるか、ずーっと言われるづけるかのどちらかに転ぶのが目に見えてる。彼らを信頼していないわけではないですが、身近だからこそあれこれ言われる関係なのがここでは逆に作用してしまいそうで。お金出して業者にやってもらった方が確実だし、安心だと思ってます。

あとは学生さんたちのことかな。深夜の地震だったんで学生さんたちのテンションが高い高い。走り回ったり友達見つけて追いかけっこしたりね。あとスマホがんがん使ってるんでバッテリーすぐ減る→避難所のコンセントで渋滞が起きる、とかそういう光景が繰り広げられてました。反対に、自分らも被災しているであろうに、積極的にボランティア活動している学生さんたちもいて 、彼ら彼女らにはいろいろ助けてもらいました。

 

非常にざっくりとだけど、こんな感じのことを考えてました。

 

1ヶ月ぶりに部屋に帰る

来週ようやくまとまった休みが取れたので、そのときに戻って引越業者に見積もりやら何やらをお願いしたり、カメラ類の発掘をしようと考えています。一番気になってるのは電源切ってでてきた冷蔵庫の中身…タマネギとか入ってたよな確か。あと水をためっぱなしにしたお風呂場とか。ブレーカーごと切ってきたからどうなってるのやら。たぶん新しい生物が生まれてんじゃないかな。ほんとは部屋を見つけたらすぐ帰るつもりだったんだけど、こうなってしまった。ああひどいことになってそうだ。

郵便物は、転居手続きをしたら「今まで郵便受けに入ってたたものです」てひとまとめにして郵便屋さんが送ってくれました。これありがたいです。

アパートの管理会社からは被害状況を報告するように、とアンケート用紙が届きました。被害の詳細は戻ってから見ないとわかんないけど、出てくるときに見つけた分だけを書いてみました。覚えてる被害だけでクロスに被害が出てるのと流し台が10センチ近く動いたのとそのくらいか。トイレタンクのフタが飛んでったけど、トイレ内には被害出てなかったし。ゴム管が切れてたけど、使うには問題なかったし。

なんだかんだでまだまだやること多いな。

ここまで考えたことも、半年後とか1年後に考え直してみるといろいろ変わってくるものなのかな。まあいいや、それはそのとき考えよう。