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科学と歴史が、哲学を通じて手を結ぶ『歴史を哲学する』

歴史を哲学する 恥ずかしながら、「歴史修正主義」という言葉を誤解していた。

 厳然たる客観的な「歴史」があるのではなく、受け止める時代ごとの価値観に沿って解釈・再解釈されることを指した用語だと思っていた。しかし、より通俗的には、「歴史修正主義」には、自分のイデオロギーに都合よく史料を取捨選択したり、主張に合わせて誇張・矮小化を図る意味もあることを、本書で知った。

 『歴史を哲学する』は、分析哲学の立場から歴史と科学の双方に手を伸ばし、握り合った好著である。「歴史は科学だ」言うと唐突感があるが、著者・野家啓一氏が提唱する「歴史の物語り論(narrative theory of history)」を援用することにより、科学の確からしさと同等に、歴史の確からしさに触れることができる。科学は科学、歴史は歴史、それぞれの分野で広げてきた知見が、その母胎である哲学のところで同じ理屈でつながり合っていることが分かって、嬉しくなる。

 そのキーワードが、「物語り(narrative)」である。「物語り(narrative)」≠「物語(story)」が重要で、あくまでも動詞的な概念であり、物語る話者だとか、その立場を際立たせるために、あえて区別する。この、物語る話者は、常に特定の観点を前提とし、無色透明で絶対的な語り手ではないという(さもないと、歴史家は膨大な資料に埋もれて途方に暮れることになる)。歴史を物語るという行為は、誰が誰に向かって語るのかと言う言語行為の立ち位置を明らかにし、そのイデオロギー性も曝露せずにはおかないものになる。

 この立場から、自由主義史観に立つ人たちが、「歴史は物語である」と掲げるスローガンを批判する。彼らの言う「物語」とは、「ストーリー(story)」であり、それゆえに「フィクション性」が強調されている。「国民」のアイデンティティを構築するフィクションとしての「国民の物語」なるものが要請され、それに応じて歴史的事実を取捨選択することになる。これは、そうした態度を批判するアンチテーゼとしての「物語り論」の矮小化だというのだ。

 では、「物語り論」とは何か? 著者は、自分の立ち位置を明らかにした上で、複数の出来事を関連づけ、統一的な意味を与えるコンテクストを設定することだという。

 歴史は知覚的に見ることも、聞くことも、触ることもできず、知覚できない。その「実在」を確証するためには、物語り行為をもとにした探究を必要とする。すなわち、遺跡や遺物、文書など「史料」と呼ばれる過去の痕跡を発掘し、史料批判する中で、先人により提示された物語りとつき合わせていく。この物語りの重ね合わせ―――物語り理論ネットワークによって、歴史の確証を得るというわけだ。

 たとえば、前九年の役や後三年の役の戦場となった「衣川の古戦場」は国道4号線の近くの、ただの野原にすぎない。だが、そこで行われた安倍貞任と源義家との戦いが「実在」したことは疑いようもない。その確信は、『陸奥話記』や『古今著聞集』などの史料や、武具や人骨の発掘物に関する物語りのネットワークによって支えられているという。

 著者は、この考え方を科学にも適用する。知覚できないにもかかわらず、その実在を信じて疑わないもの―――たとえば電子や中性子―――を例に挙げて「物語り論」を解説する。どんな優秀な物理学者であろうとも、素粒子を見たり触ったりすることはできない。ただ、霧箱によって捉えられた飛跡を通じて、素粒子の痕跡を知覚するだけだ。その痕跡が素粒子の「実在」を保証しているのは、量子力学を基礎とする現代の物理学理論のネットワークに他ならないという。言い換えるなら、物理学理論の「物語り」から離れた素粒子は、存在することができないのだ。

 こうした、個々の出来事に統一的な意味を与え、コンテクストを与える行為が、「物語り」になる。そして、物語りを通じて実在を主張するためには、直接間接の証拠や、理論的手続きを必要とする。この探求の手続きは、中世史も中性子も同じなのだ。

 科学と歴史が、哲学を通じて手を結ぶ。そんな知的興奮に満ちた講義録。

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