普段の生活ではほとんどの方が意識していない宗派。
しかし、家の宗派について理解しておかなければ、遺族の方がお亡くなりになられた際どのように対応すれば良いかわからないですよね。
そこで今回は、禅の教えをよりどころに生きることを目指す坐禅をその教えの根本とした「曹洞宗」の葬儀の一般的な流れと基本知識をご紹介致します。「曹洞宗」の家系の方はいざという時のために、是非メモに残しておいて下さい。
1,曹洞宗の基本知識

引用元:http://www.ryukokuji.net
日本にはいろいろな宗派があり各宗派によって葬儀を行う意味や内容が異なりますが、曹洞宗は比較的特徴のある宗派です。まず基本的な知識を押さえておきましょう。
1-1.曹洞宗(そうとうしゅう)とは
中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つとなります。
専ら坐禅に徹する黙照禅(もくしょうぜん)であることを特徴としています。
※黙照禅とは禅宗における坐禅の流儀の一つを示す言葉です。
1-2.曹洞宗の歴史
曹洞宗の流れは、インドで生まれたお釈迦さまの教えを幾世代にも渡って祖師方が、悟りの生活を通して「師匠から弟子へ」と受け継いできました。それがインドから中国そしてこの日本に伝えられてきたと言われてします。
曹洞宗の源はお釈迦さまなので、本尊は釈迦牟尼仏です。
そして、お釈迦さまの教えを日本に伝え、永平寺を開いたのが道元禅師と言われています。
道元禅師を「高祖(こうそ)」とあがめています。
一方、總持寺を開き、教えを全国に広めたのが瑩山禅師と言われています。瑩山禅師を「太祖(たいそ)」と仰ぎ、この二人の祖師を「両祖」と呼びます。
この二人にお釈迦さまを加えこの三師を「一仏両祖」としてあがめているそうです。
拝む時は、「南無釈釈迦無尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と唱えます。
現在では全国に約15,000の寺院と、1,200万人の檀信者がいるそうです。
2.曹洞宗の両祖について
2-1.道元禅師
引用元:http://www.sotozen-net.or.jp/soto/ryoso
鎌倉時代の1200年(正治2年)1月26日(陰暦では1月2日)に京都で生まれたとされています。
諸説ありますが、父は天皇家の流れをくむ名門貴族の内大臣久我通親(こがみちちか)。
母は摂政関白の公卿(くぎょう)である藤原元房の娘で伊子(いし)であると言われており、伊子は絶世の美女だったと言われています。
この伊子と道元が8歳の時に死別することになり道元は出家を決意したとされています。
14歳の時に比叡山の座主公円僧正について剃髪し出家します。
比叡山では天台教学を中心に学びますが、仏教の根本に関する疑問「もともと仏の性質が備わっているのなら、どうしてわざわざ修行をしなくてはならないか?」という大きな疑問があったそうです。
ところがその疑問は比叡山では解決しませんでした。
そのため、わずか2年で比叡山を下り、建仁寺の栄西禅師の高弟である明全和尚に師事したとされています。
そして6年の月日が経ち1223年、24歳のとき、求道の志をさらに強くした道元禅師は明全和尚とともに海をわたり、宋(中国)の地を踏みます。
そこでいろいろな方の元を訪れながら修行をしていきます。
そして何年もかけてついに天童山の如浄禅師に出会い自分の求めていた正師であると直感し如浄禅師のもとでの修行をします。
その中で道元は「只管打坐」(しかんたざ)、「ただ一心に座る」ということを学びます。
如浄禅師によりその悟りの境地を認められた道元禅師は、その後も修行を続け、安貞元年(1227)、道元禅師28歳の時、如浄禅師から嗣書(ししょ)並びにお袈裟を与えられたそうです。
そして帰国しますが、共に宋に渡った明全は修行の途中で亡くなっており、その遺骨を抱いての帰国だったとされています。
天福元年(1233)、道元禅師34歳の時、只管打坐の仏法を実践する道場として、山城国深草に興聖寺が建立されました。(山城国とは現在の京都の南半部の旧名)。
しかし比叡山からの圧迫があり寛元元年(1243)44歳の時、道元は波多野義重(はたのよししげ)の招きに応じて越前志比庄(しいのしょう)に移ることになりました。
(越前国とは現在の福井県北部の旧名)寛元2年(1244)波多野喜重の寄進による修行道場が完成。
はじめは大仏寺と名づけられましたが、のちに永平寺と改められました。
これが今日の大本山永平寺です。
そして建長5年(1253)8月28日、54歳でその生涯を閉じたと言われています。
2-2.瑩山禅師
引用元:http://soto-tokai.net/sotosyu.html
道元が亡くなってから15年後の1268年(文永5年)11月21日(陰暦では10月8日)に越前多称邑(たねむら)の豪族瓜生家に生まれたとされています。
瑩山の母は観世音菩薩を信仰しており、幼少の頃から信心深い母親の影響を受け、8歳で両親に出家を願い出たという話があるほどです。
この話には続きがあり、この8歳での出家の願いは両親には聞き入れられず、その決意として断食までしたと言います。
ついには両親も出家を認めて永平寺へと上がり、13歳の時に懐奘禅師について、僧侶となるための出家の儀式を行ったとされています。
懐奘禅師亡き後は、義介禅師のもとで修業をしたそうです。
18歳の正月に、はじめて行脚の途に入りました。越前大野の宝慶寺(ほうきょうじ)の寂円禅師、京都・万寿寺の宝覚禅師、東福寺の東山湛照や白雲慧暁禅師などさまざまな諸師に参じ、また比叡山に上っては一切経(いっさいきょう)を学んだそうです。
※一切経とは、釈迦 (しゃか) の教説とかかわる、経・ 律・論の三蔵その他注釈書を含む経典の総称。大蔵経 (だいぞうきょう) とも言います。
紀州(和歌山)由良の興国寺の心地覚心禅師に相見して問法した後、21歳の秋に越前に戻り再び宝慶寺を訪ね、永平寺に帰ったとされています。
その後、師の徹通禅師に随って金沢の大乗寺に移り、寺門興隆と民衆布教に専念したと言われています。
そして28歳で徳島の城満寺を開き道元禅師のみ教えを広め、4年後大乗寺に帰り禅修行道場の体制を固めていきます。
その後数ヶ寺を創立するとともに、たくさんの弟子を導き、石川県能登の門前町に總持寺を開いたのは禅師58歳の時だったとされています。
その後も衆生と信仰との橋渡しとなり、数々の偉大なる功績を残して、正中2年(1325)9月29日、62才での生涯を閉じたと言われています。
全生涯をかけて求道し伝道した人生だったとされています。
3.曹洞宗の大本山について
曹洞宗は大本山が二つあり、一つは福井県にある大本山永平寺(だいほんざん えいへいじ)です。
もう一つは横浜市にある大本山總持寺(だいほんざん そうじじ)がありこの二つを両大本山と呼んでいるそうです。
3-1.大本山永平寺

引用元:http://www.eigenji.com/soutou_headtemple.html
今から約760年前の寛元2年(1244年)に道元禅師が寺を開いたと言われています。
渓声山色豊かな幽邃の境に七堂伽藍を中心とした大小70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。
今もつねに2百余名の修行僧が、日夜750年前の当時のままの修行に励んでいるそうです。
ちなみに世界的に知られたフランスの旅行ガイド本「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン(日本編)」で、大本山永平寺が二つ星の評価を獲得しています。
3-2.大本山總持寺

引用元:http://www.k-daihonzan.jp/html/04_01.html
もともと石川県にあった諸嶽寺を、今から約700年前の元亨元年に瑩山禅師が諸嶽山總持寺と改めたのが始まりと言われています。翌元亨2年夏、禅師に帰依された後醍醐天皇は、綸旨を下され、總持寺を勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定めたと言います。
ところが、明治31年4月13日災禍により七堂伽藍の大部分を焼失しました。
これを機に、現在の神奈川県横浜市の鶴見に場所を移しました。
現在は、祖廟として次々に堂宇が再建され、山内約2万坪の境内には焼失をまぬがれた伝燈院、慈雲閣、経蔵などのほかに七堂伽藍も再建されました。有名人、著名人のお墓があり石原裕次郎のお墓もこちらにあります。
4.曹洞宗における葬儀の役割は…

引用元:http://www.sogi-annai.net/about.html
曹洞宗では葬儀を行うと「仏の弟子」になる。
という考え方です。
死後にお釈迦様の弟子となるために必要となる、戒名や戒法を授かるための「授戒(じゅかい)」を行い、すみやかに悟りを開くため仏の道へと導く「引導」を行うことです。
よって故人は永遠に仏様の世界から私たちを見守っていくことができると考えられています。
4-1.血脈(けちみゃく)とは
血脈とは、10cm四方ほどの大きさの紙で包まれた物です。
その中には、仏教を説いたお釈迦さまから、その弟子である摩訶迦葉(まかかしょう)大和尚、その後を受け継いだ阿難陀(あなんだ)大和尚…というように多くの弟子達が正しい仏法を血の脈のように受け継いできた系図が書かれているそうです。
その系図の線が赤い線で書かれていて、一番最後に受け取ったそれぞれの自分の名前が書かれいて、そこからまたお釈迦さまの方に向かって線が繋がれているそうです。
このことから、最初と最後が結ばれていて、まるで身体の中の血のように一つの流れてなっているため、「血脈」と言われているようです。
曹洞宗はお釈迦さまからその弟子、弟子の弟子、弟子の弟子の弟子というように受け継がれてきた「正伝の仏法」がその元となっています。
そしてそれは曹洞宗が始またとされる鎌倉時代から現在に至るまで絶えることなく受け継がれてきています。
曹洞宗の葬儀では故人が生前にこの血脈を受け取っていない場合は、葬儀に来てくれた僧侶(葬儀では「導師」と呼びます)の弟子になることによって戒名を授かり、血脈を受け取ります。
血脈の1番最後に故人の名前が書かれ、「正伝の仏法」を授かり仏の弟子となり天国へと旅立つということになるそうです。
(本来は仏の戒律を守り、清らかな生活をすることを約束し、仏法に全身を投げ出すことにより戒名をいただけるそうです。生きている間に戒名をもらい、血脈を受け取るのが本来のあり方のようです。)
ちなみに受け取った血脈は柩に入れて一緒に火葬することになりますが、遺族が受け取って仏壇で保管することもあるそうです。
4-2.戒法(かいほう)とは
戒名というのはよく耳にすると思いますが、まず「戒名」とは「戒法」を守る約束をすることにより仏の弟子となった証しとして名前を授かることです。
では「戒法」とは何か?についてご説明致します。
お釈迦さまが最期の時を迎える時、多くの弟子達に最期の説法をしたと言われています。
その中で、
「私の死んだ後は、何よりも戒法を敬い尊ぶ生き方をしなさい。そうすれば、人生は明るく、心豊かに暮らせるのだ」と示され、「戒法を敬い守って行くならば、私が生きているのと変わりないのだ」
と弟子達にさとしたと言われています。
曹洞宗では、戒法は深い信仰に根ざした生活を送ろうという決意を促す教えであり、戒律を受けることによって
「無益な殺生などはできない(不殺生戒・ふせっしょうかい)」
「人に対して嘘はつけない(不妄語戒・ふもうごかい)」
というように、慈悲の心が生活の中で習慣となり、人間として正しい生き方が確立されると説かれています。
「戒」とは、正しい生き方をし、お釈迦さまとの約束を守り、自発的に仏行(ぶつぎょう・仏としての行い)を実践することです。
大乗仏教ではこれを「菩薩戒(ぼさつかい)」と呼ぶそうです。
曹洞宗でも菩薩戒を十六通りに筋道を立てています。
そしてこの「十六条の戒法」を実践することによって戒が保たれるとされているそうです。
4-3.十六条の戒法について
三帰戒(さんきかい)、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)、十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)を合わせて「十六条の戒法」と言います。
基本的に禁忌(きんき・いみ嫌って、慣習的に禁止したり避けたりすること)ではなく、仏性(ぶっしょう)を持つ自己の理想の姿を示しているとのことです。
- ◆三帰戒(さんきかい)
- 帰依仏(きえぶつ)
- 帰依法(きえほう)
- 帰依僧(きえそう)
- ◆三聚浄戒(さんじゅじょうかい)
- 摂律儀戒(しょうりつぎかい)
- 摂善法戒(しょうぜんぼうかい)
- 摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)
- ◆十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)
- 第一不殺生戒(ふせっしょうかい)
- 第二不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
- 第三不貪婬戒(ふとんいんかい)
- 第四不妄語戒(ふもうごかい)
- 第五不(酉+古)酒戒(ふこしゅかい)
- 第六不説過戒(ふっせっかかい)
- 第七不自讚毀他戒(ふじさんきたかい)
- 第八不慳法財戒(ふけんほうざいかい)
- 第九不瞋恚戒(ふしんいかい)
- 第十不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい)
このように生きているうちに『戒法』を受けるには「授戒会(じゅかいえ)」という儀式がありますが、生前にはその機会がなく、お葬式の時に(亡くなってから)戒名と血脈をいただく人が多いわけです。
本来としては戒律を自覚したその証として「血脈」を授かるのです。
5.曹洞宗の葬儀の流れ
5-1.臨終・通夜(遺族)

引用元:http://www.sogi.ne.jp/chishi/ch_2_1.html
枕経のことを「臨終諷経(ふぎん)」といい、「遺教経(ゆきょうぎょう)」と「舎利礼文(しゃりらいもん)」を唱えます。
通夜では一般的には「修証義(しゅしょうぎ)」や「観音経」「舎利礼文」などが読まれます。
和語のお経が中心で、遺族たちに対して世の無常を説く意味合いが強いととらえることができます。
5-3.葬儀式(遺族・会葬者)

引用元:http://www.floral-memory.com/contents/introduction/
本来、正式の仏弟子となる証の戒名と血脈は、在家信者が授戒会(じゅかいえ)という行事に参加して与えられるものでしたが、現代では大多数の人が葬儀の作法として「授戒」を行います。
手順は以下のようになります。
剃髪(ていはつ)
死者を仏門に入らせるの受戒作法の一つ。
導師(引導を渡す僧侶)は前で香をたき、合掌して偈(げ)を唱え、剃髪の儀式を行います。
授戒(じゅかい)
授戒ではいくつかの儀式を行います。
◆懺悔文(さんげもん)
生涯で犯したとされる罪を反省します。
◆三帰戒文(さんきかいもん)
仏陀の教えを守り、修行者に帰依することを誓います。
◆三聚浄戒(さんじゅうじょうかい)・十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)
導師が法性水を用意し、位牌や自らの頭に注ぎます。
◆血脈授与
釈迦から故人までの法の系図が記されたものを血脈(けちみゃく)と呼び、これを霊前に供えます。
入龕諷経(にゅうがんふぎん)
入龕は棺に納める儀式ですが、実際には納棺されています次に大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)と回向文を唱えます。
焼香はこのタイミングで行います。(焼香についてはこのあと説明します。)
龕前念誦(がんぜんねんじゅ) (大夜念誦)
かって大夜は葬儀の前日の夜に行なわれましたが、今は入龕諷経に続いて読まれます。
十仏名(じゅうぶつみょう)と回向文を唱えます。
挙龕念誦(こがんねんじゅ)
棺を起こして葬場におもむく前に唱えられます。
大宝楼閣陀羅尼(だいほうろうかくだらに)を唱え、太鼓やハツを鳴らす鼓鈸三通(くはつさんつう)を行います。
引導法語
導師が故人の生前を漢詩で表し、法炬(たいまつ)を手に取り、右回り、左回りと円相を描きます。
故人を悟りの世界に導きます。
山頭念誦(さんとうねんじゅ)
山頭とは火葬場のことです。
この念誦では、故人に荼毘(だび)することを告げ、すみやかに悟ることを願うものです。
故人の仏性が覚醒するように祈願します。
5-4.出棺

引用元:http://matome.naver.jp/odai/2139553271986210001
回向文を唱え、鼓鈸三通(くはつさんつう)を行い、出棺します。
6.曹洞宗の特徴的な儀式

引用元:http://blog.goo.ne.jp/autumn-monk/e/2dd89a6a93cb2a342a4e088e577e52b7
曹洞宗の葬儀では鼓鈸三通(くはつさんつう)というものを行います。
太鼓や繞鈸(にょうはつ)と呼ばれる仏具を使い、音を打ち鳴らすことを言います。
鼓鈸三通は式中に2回行われ、1回目は告別式を行うために仏を葬祭場へと見送る際に、2回目は火葬場へのお見送りという意味から出棺のときに行われます。
7.曹洞宗の焼香作法

引用元:http://blog.tokozenji.net/blog-entry-358.html
7-1.焼香は主香と従香の2回
1回目:主香(しゅこう)
1回目は、合掌のまま頭を下げ、左手は片手合掌のままで、右手でお香をつまみ、額の高さまで持ち上げます。
この動作を「押し頂く」と言います。
押し頂いたお香を香炭(こうずみ)へ入れ、2回目の所作に入ります。
2回目:従香(じゅうこう)
2回目は、先ほどよりも少量のお香をつまみ、押し頂かずに香炉に投じます。
香炭の上に添えます。お香を添えたら合掌の所作に入ります。
そして合掌のまま頭を下げて退席します。
基本的にはこのように2回行います。
(同じ曹洞宗でも、抹香のくべる回数が地域のしきたりによって異なります。喪主や周囲の方のするのを見て、同じようにすると安心ですね。またご焼香の前に説明がある場合もあります。)
7-2.立礼焼香(いちばんポピュラーな抹香による)
まず、焼香台の少し手前で遺族と僧侶に一礼します。
焼香台の前に進み遺影を仰いで一礼し、合掌した後にご焼香をします。
数珠を左手にかけ、右手の親指、人差し指、中指の3本で抹香をつまみます。
軽くつまんだ抹香を、手のひらを返さないように右目の高さまでささげます。
抹香をつまんだらそのまま目の高さまで持っていくことが大切です。
それから、抹香を香炉の中へ2回静かに落とします。
再び遺影に合掌して、一礼をし、向きを変えずに少し下がり、遺族に一礼して戻ります。
7-3.座礼焼香(抹香)
座礼焼香は、基本的には立礼焼香と同じです。
立ち上がらずに数珠を左手で持ち、膝で進みます。
焼香台の前で、遺影と位牌に向かって一礼し、合掌します。
次に、 抹香をくべます。くべ方は、立礼焼香と同じです。
それから合掌し、遺族に一礼。
霊前に向いたまま膝行(しっこう)で自分の席に戻ります。
ちなみに、膝行(しっこう)とは手を軽くひざわきにつけて上半身をかがめ、座ったままの姿勢でかかとを上げ、つま先立ちをすることです。
7-4.回し焼香
回し焼香は、自宅の通夜や葬儀、法事などで行われます。
読経中に香と香炉が1つになったものが盆にのって回ってきますが、基本的には立礼焼香と同じです。
まず、香炉が回ってきたら、次の人に一礼します。
その後で、 抹香をくべます。この方法は、立礼焼香と同じです。
そして、焼香が済んだら祭壇の遺影に合掌し、次の人に盆を回します。
7-5.線香焼香
抹香焼香と同じように、焼香台の少し手前で遺族と僧侶に一礼します。
焼香台の前に進んでから、遺影を仰いで一礼し、合掌した後にご焼香をします。
続いて.線香の火はロウソクでつけ、香炉に立てます。
線香の数は、曹洞宗は1本です。
少し押し頂いてお上げし、リンを三つならします。
その時に線香を寝かせたり、折らないようにしましょう。
(実際には2回、または鳴らさないこともあり曹洞宗でも人によって違うようですので、周りに従って同じように行えばいいでしょう。)
また、線香は息を吹きかけて消さないようにします。左手であおぎ消すか、すっと引いて消すように。
線香を立てたら合掌して、遺族に一礼してから戻ります。
8.曹洞宗のお仏壇とは

引用元:http://danrin.exblog.jp/15990898/
お仏壇はどの宗教もそうですが、ただ単にご先祖様をおまつりするだけの場所ではありません。
お仏壇の中は仏さまのおいでになる世界、須弥山(しゅみせん)をあらわしており、中心に本尊さまがまつられています。
それはつまりお寺の本堂と同じです。
お仏壇は家の中におけるお寺なのです。
曹洞宗の本尊さまは、仏教の開祖であるお釈迦さまです。
ですからお仏壇にはお釈迦さまをおまつりします。
基本的には、お釈迦さまだけで良いのですが、お釈迦さまと道元禅師さま、瑩山禅師さまの「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」のお絵像をお掛けする場合には、中央にお掛けします。
すでに、お釈迦さまがおまつりしてある場合には、その後ろにお掛けします。
8-1.お仏壇の中心はお釈迦さま
もっとも大切なことはお仏壇の中心はお釈迦さまであること。
お仏壇の上段中央に、木彫りや鋳造のお釈迦さまのお像をまつります。
8-2,お位牌は上段の左右に
ご先祖さまのお位牌は、お釈迦さまの左右におまつりし、古いお位牌は向かって右に、新しいお位牌は左におまつりします。
親類、縁者のお位牌がある場合には、この順におまつりします。
お位牌が多くなり、お仏壇が狭くなってしまう場合は、「繰り出し位牌」や、「合同牌」にしたり、また「○○家先祖代々」にまとめることができます。
この場合は、菩提寺にご相談することをおすすめ致します。
8-3.お供え物の位置は中段に
お供え物は、5つのお供えが基本です。
香り(線香、お香)、花、灯明、お水、飲食(お霊膳、果物、菓子、嗜好品など)の5つです。
ご飯に限らず、お供えする食事は皆さんが召しあがることができる食事を用意します。
それはお供えした物は無駄にしないように分け合っていただく。という考えによるものです。
また、いただきものをした時には、必ず一度、お仏壇にお供えするようにしましょう。
お茶や、お水をお供えする器のことを茶湯器(ちゃとうき)と言います。
これは中央の中段にお供えします。
茶湯器が一つの場合は、ご飯(お仏餉・おぶっしょう)は、茶湯器の右横にお供えします。
茶湯器が二つの場合は、真ん中がお仏餉です。
お菓子や果物は、高坏(たかつき)に盛り付けて茶湯器の左右にお供えします。
これは逆の場合もあるそうです。
なお、お線香は煙をお供えするのではありません。
「良い香り」をお供えするのです。
お線香の匂いが苦手な方は、他の香りのハーブなどを、お参りごとにお供えしても良いでしょう。
8-4.下段には三具足と精霊簿
下段には向かって左側より花立て、香炉(こうろ)、ロウソク立ての三具足を置きます。
見落としがちですが、香炉にも表裏があり、三本足の場合には手前に一本の足がくるようにします。
精霊簿とは死者の名簿のことで過去帳とも呼ばれます。
法名、死亡年月などを記入したものです。寺や各家庭の仏壇の中に安置された、形式は死亡順によるものと、日別にしたものとの2様に大別できます。
これは見やすい位置に置くようにします。毎
朝めくって、その日のページになるようにしましょう。
8-5.おまいりの必要品は下段に
日常で、お参りするために必要なリン(カネ)や経本、数珠などは下段または引き出しの中に置きます。
木魚がある場合は、木魚を右に、リンを左に置きます。リンだけの場合は右に置きましょう。
また、仏壇の中が手狭になった時は、前机を置くと良いでしょう。
9.お参りの仕方

引用元:http://danrin.exblog.jp/m2012-05-01/2/
朝の身支度を済ませたら、朝食前にご飯やお水、お茶をお供えします。
お花の水をかえていよいよお参りに入ります。
はじめに、姿勢を正し、お釈迦さまを仰ぎます。
次に、呼吸を整え気持ちを落ちつかせます。これは、坐禅に通じる作法です。
ロウソクに火を灯し、お線香に一本火をつけ、すこし押しいただいてお上げし、リンを三つ鳴らします。
まず、合掌して一度礼拝をします。
次に、「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」または、「南無帰依仏(なむきえぶつ)、南無帰依法(なむきえほう)、南無帰依僧(なむきえそう)」とお唱えします。
唱え終わったら、もう一度合掌のまま礼拝しましょう。
10.お香典袋の表書き

引用元:http://01.gatag.net/0011008-free-photo/
「御仏前」は、一般的には、四十九日以後の法要に使いますが、曹洞宗では、教義に浄土がなく、成仏以前という考え方が無いので、つねに「御仏前」を用います。
なお、「御香典」はキリスト教以外であれば、各宗派、無宗教葬でも使えます。
ですから、「御仏前」か「御香典」という文字を、水引きの上中央に書きます。
また、水引きの下中央には差出人の氏名を表書きよりも少し小さな文字で書きます。
名前はフルネームで記入し、肩書きがある場合は、右肩に小さめに書き入れます。
不祝儀(香典)袋の表書きは、毛筆書きが基本です。
ボールペンやサインペンは略式なので使わずに、筆ペンなどを使用しましょう。
不祝儀(香典)袋には「蓮」の花が描かれているものがありますが、これは仏教・仏式専用に作られた不祝儀(香典)袋です。
11.数珠について

引用元:http://illust-imt.jp/archives/004117/
数珠は念珠とも言われ、仏・菩薩さまやご先祖さまを拝む時などに回数を記憶するためのものとされています。
数珠は、正式には百八個の珠が二重になり、これに房や飾り玉がついています。
この百八は、人間の煩悩の数といわれています。宗派によって多少異なりますが、現在では珠の数は少なく、一般的には一重の略式の数珠が使われています。
男性用は、珠は幾分大きく、女性用は小さく作られています。
曹洞宗用の数珠には、金属の輪が付けられています。
数珠の正しい持ち方は、座っているときは、左手首にかけ、歩くときはふさを下にして左手で持ちます。
12.葬儀の服装マナー

引用元:http://01.gatag.net/0007325-free-illustraition/
葬儀・告別式に参列の場合は、その場にふさわしい服装として、基本的にブラックフォーマルを着用します。
服装に関しては、特に宗派の違いはありません。
喪に服した悲しみの気持ちを表した装いにします。
男性であれば、ブラックスーツを着用します。
スーツはダブル、シングル、三つぞろいのいずれでも大丈夫です。
白シャツに黒無地のネクタイを着用します。靴は、金具の無い黒のものを履きましょう。
女性は、黒のワンピースやアンサンブル、スーツを着ます。パンツスーツでも構いません。
肌をあまり見せないのが原則で、夏場も五分袖まであるものが望ましいと言えます。
ストッキングと靴は黒を選びましょう。
お化粧も控え目にして、髪型も普段のままでお悔やみに合ったスタイルにします。
バッグなどの小物も、光沢のない地味なものにしましょう。
13.まとめ
いかがでしたでしょうか。
曹洞宗葬儀の一般的な流れと基本知識をまとめてみました。
しかし葬儀では、あくまでも故人の冥福を心を込めて祈る気持ちが大切ですから、本来であれば、宗派による作法の違いにこだわる必要はないはずです。
各宗派による葬儀でのマナーを覚えて、失礼のないように振舞いたいものですね。