エッセー「近代(モダン)とスポーツ」
初出・月刊「ニューメディア」

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広瀬 一郎

    

2  スポーツビジネスの近代化とスポーツマーケティング

 1970年代になって、オリンピックはますます大型化し、それに伴う運営費の増加は開催国にとって大きな負担となっていた。実際、1980年の冬季オリンピックは運営支出の回収ができず、組織委員会の破産という事態まで引き起こした。ちなみに現在何かと話題のサッカーくじであるが、カナダではオリンピックの財源確保を名分にして'69年に公営化された。にもかかわらずカナダ国民は、'76年のモントリオール五輪のツケを払うのに10年以上の歳月を要している。当然今と違って開催地として立候補する都市は少なく、オリンピックの存続自体が危ぶまれていたのである。とるべき道は二つしかなかった。一つは大会規模の縮小であり、他の一つはスポンサーシップという形の民間資本の導入である。IOCは後者を選択した。

 当時すでにいわゆる東側のステートアマだけではなく西側の国でも、スポーツのおかげで奨学金をもらう学生や、就職後もスポーツに没頭することを許されるカンパニーアマの存在なしには、高度なトレーニングを必要とするオリンピック選手は確保できないのが現実であった。しかし彼らの参加がオリンピックの高い水準を維持しており、その高い水準が、メディアヴァリューを生み、ビジネスとして成り立つと考えたのが、卓越したビジネス感覚の持ち主ピーター・ユベロス氏であった。IOC会長は1980年にファン・アントニオ・サマランチ現会長に代わっていた。こうして後にオリンピックの商業化元年として記憶されるロサンジェルス・オリンピックが始まった。大会組織委員長のピーター・ユベロスの辣腕のもと、合衆国、カリフォルニア州、ロサンジェルス市、各々の税金を1セントも使わず、大会の収支は2億ドルを超える黒字を生みだしたのである。それはまさに従来の常識をくつがえすユベロス・マジックだった。

収入のうち注目すべき点は三つ。
 @公式スポンサー、サプライヤー権の確立。
 A公式マーク、ロゴ等のマーチャンダイジング。
 B独占放送権販売方式による放送権料アップ。
  ('93年スタートしたJリーグの収益構造と比較されたい。「Jリーグの経済学」
   朝日新聞社刊31頁参照)

 @のスポンサー料はキャッシュによる支払いだけでなく、有名なマクドナルドプールに代表されるように、企業からの物品の提供(サプライ)を精力的に受け入れた。日本からはブラザーがタイプライターを、富士フイルムがフィルムをサプライし、公式サプライヤーの称号を自社のキャンペーンに活用し、成功を収めている。ここで物品提供をスポンサー料に換算する、ヴァリュー・イン・カインド(Value In Kind)という仕組みが完成する。更に現在では大型スポーツイベントに不可欠な情報システム構築においてコンピューターソフトのサプライに関しヴァリュー・イン・サービスというスポンサーシップが生まれている。(例えばワールドカップUS`94のEDS社のスポンサーシップ)

 Aのマーチャンダイジングについては、公式マスコットの「イーグルサム」の商品化を徹底して行ない、従来は事前PRという役割だけだったがを超えた独自の収入源に仕立て上げた。おかげで公式スポンサーには、イーグルサムの優先的使用権を与えるというスポンサーメリットにも実利が生じるようになったのである。

 Bについては、ABCが全米の独占放送権を2億5500万ドルで購入し、世界をアッと言わせた。これだけで大会総支出の約半分をカバーできる額だと言われた。ユベロス氏は「オリンピックに必要なものは大きな競技場ではなく、問題はその競技場に何台のTVカメラが入れられるかだ。」と言い切ったのである。これ以後の放送権獲得の熾烈な戦いと権料のウナギ昇りのアップが、ここから始まった。

 これらの民間資本の導入(=スポンサーシップ)にあたって、これだけの成果を上げるためには巨大広告代理店を必要とした。商業的権利の付与に対して、ミニマムギャランティーの可能な資金力のある代理店を求め、ユベロスは日本では電通を選んだのであった。彼は、電通の提示した条件に大いに満足し、やはりスポンサー探しに苦慮していたある競技団体に、ミニマムギャランティーを一括前払いできる金融能力の高い電通を紹介した。国際サッカー連盟FIFAと電通の出会いである。より正確には、FIFAから相談を受けていたアディダスのホルスト・ダスラー会長に電通を引き合わせたのである。この出会いは、後にISL社(International Sports Culture & Leisure Marketing A.G.)の設立につながる。

 ロス五輪で財政的に大きな成果を上げることができた一方で、今後も安定したスポンサーシップを確保するためには、安定したスポンサーメリットを提供しなければならない。そういったシステムとしてのスポンサーシップとスポンサーメリットを企画・開発し、販売を行なうためにIOCは、ロス五輪の実績を買って電通及びISLと独占的なエージェント契約を結んだ。そして1986年に生まれたのがTOP(The Olympic Programme)というパッケージスポンサーシステムである。このシステムの画期的な点は、1つの大会のスポンサーであった参加企業がオリンピック運動全体をバックアップすることになり、そのための契約は4年単位としたこと。そして各国のNOCがそれぞれの国で持っていた五輪のマークの商業使用権をIOCが一括管理することにより、多国籍企業である巨大スポンサーのスポンサーメリットが実体を伴う明確な内容になったこと。またIOCから各国のNOCにも利益配分を行なうことにより、双方にとって安定的なメリットを保障したことである。ユベロスと電通が開発した仕組みは、IOC(サマランチ)とISL社が引継ぎ、システムとしての完成度を高めたのであった。スポーツのコマーシャリズムが、ここでスポーツマーケティングへと昇華する。
 因みにTOPII('89〜'92)の参加企業は世界でわずか12社であり、極めて高いステータスをアピールしている。日本からはその4分の1の3社(松下電器、リコー、ブラザー)が公式スポンサーとなっている。

 一方サッカーのワールドカップの広告看板スポンサーセールスは、ウエスト・ナリー社によって1978年のアルゼンチン大会から本格的に始まった。ウエスト・ナリー社はBBCのスポーツキャスターであったピーター・ウエスト氏がパトリック・ナリー氏と、1972年に創立したスポーツマーケティング会社である。当初英国の国内でスポーツビジネスを行なっていたがアルゼンチン大会で広告看板のほとんどを販売し、サッカー界に地歩を固めた。この大会まではスポンサープロモート権は各開催地の組織委員会が管理していたが、1982年のスペイン大会からFIFAが直接管理することになった。そしてアルゼンチン大会の実績を買い、ウエスト・ナリー社をFIFAと結び付けたのが当時仏アディダス社の社長であったホルスト・ダスラー氏である。アディダス社はアドルフ・ダスラー氏を創始者とする、世界No.1のスポーツ用具会社である。社名はアドルフの親称「アディ」とダスラーの「ダス」をくっつけたものである。FIFAを財政的に支援しようとしてSMPIという会社を設立し、FIFAからスポンサープロモート権を独占的に取得したダスラー氏は、同時に自らウエスト・ナリー社の出資者となり、ワールドカップのスポンサーセールスにあたった。ところがナリーとダスラーの関係は、早くも最初の'82年大会の時点で終了する。有能なアイデアマンであり、セールスマンであったナリー氏であったが、ダスラー氏はそれだけでは満足しなかった。彼はこのビジネスチャンスの潜在的可能性をもっと大きなものと考えていた。足りないのは組織力と金融力(あるいはスポンサーセールス能力)である。そこで電通に目を付け、前述のような出会いとなった。

 ISL社は、アディダスと電通の合弁会社として1982年、スイスのルツェルン市に設立された。FIFAのあるチューリヒから電車でも1時間ほどで着く、ルツェルン湖で名高いヨーロッパの古くからの観光地である。まずISLは、FIFAとの周到な交渉の末、ワールドカップのエージェント権を獲得する。'82年のスペインワールドカップの最中に最終の詰めの作業が行なわれ、大会終了後、それは発表されて世界のスポーツ関係者をアッと言わせた。

 サッカーのワールドカップは4年ごとに開かれ、戦術も4年ごとに新しいものが開発され、スーパースターも4年に1回のこの大会で生まれる。つまりサッカーカレンダーでは4年が1クールだと考えられる。それをマーケティングの基本に据えてスポンサーシップをパッケージ化した、インターサッカー4(IS4)の始まりである。基本パッケージに含まれる大会は、'86年のメキシコワールドカップ迄、'84年の欧州選手権と'83年〜'86年の各年の欧州2大カップ、チャンピオンズカップ(C.C.C)とカップウィナーズカップ(C.W.C)の各決勝である。試合数にすると〈ワールドカップ52試合〉+〈欧州選手権15試合〉+〈2大カップファイナル2試合×4年=8試合〉の計75試合の広告看板掲出権とロス五輪で開発された公式スポンサー称号権、及び欧州選手権とワールドカップのアイドルマークの商業利用権である。広告看板は2枚でシングルパッケージ、4枚でダブルパッケージであった。

 IS4の集大成'86年のメキシコワールドカップを振り返ってみよう。この大会はサッカーファンにとっては、対イングランド戦で5人抜きの離れ技を見せたマラドーナの大会として記憶される。ビジネス的には、メキシコ市のアステカスタジアムを中心に12の会場において公式スポンサーだけの広告看板32枚を掲出し、あらゆる方法でスポンサーのメリットの確保が図られた。例えば、"クリーンスタジアム"(Clean Stadium)という規定により、組織委員会は大会開始1ヵ月前に会場内にある公式スポンサー以外の企業名はすべてクリーンにしてFIFAに引き渡さなければならない。仮に場内の時計装置がオメガだとしたら、その時計に露出されているブランド名"オメガ"は、公式スポンサー"セイコー"のメリットを損なうものとしてマスキングされた。また、各スタジアム内にはキヤノンのカメラマンサービスと富士フイルムのラボサービスが設けられた。こうしてスポンサーは徹底的に守られ、例えば欧州におけるJVC(日本ビクター)の社名の認知率は、アンケート調査の結果、メキシコで行われた大会にもかかわらず、大会前と後を比較すると、2ヵ月の間で明らかに差が出たのであった。

 この大会から従来の16チームが24チームに増やされたこともあり、世界はまさにワールドカップに熱狂し、TVの総視聴者は延べで135億人となった。公式スポンサーはどこもその高額のスポンサー料に見合った実を上げたのだった。(ちなみに'90年のイタリア大会では、倍の270億人が、'94年米国大会では370億人がTVを通じてゲームを楽しんだ。)また単に量的なことだけでなく、この公式スポンサーグループは、いわゆる"ビルボードスポンサー"として世界中で一流企業の認定を受け、その名を成さしめることになったのであった。IS4は以後IS'90へと続き、一昨年のUS'94が終了した時点でIS'98がスタートしている。

 この2大スポーツイベントによって確立された、スポーツビジネスの近代産業化の本質とは何であろうか。それは次の5点に要約できる。
 @スポーツマーケットの拡大
 Aスポーツのメディアヴァリューの向上
 B巨額な資金の安定的確保需要の顕在化
 C巨大マスメディアと資金力のある代理店による流入資金の制度化
 D@〜Cの循環及び相乗作用によるシステム自体の拡大(or 自己増殖)
注意しておきたいのは現代に起きたスポーツビジネス産業の構造変化とは、一般の産業がすでに今世紀初頭には完成していた近代産業化であり、資本の原初蓄積と拡大再生産を目的とし、それを可能にするための「物(サービス)と金の安定した流通・循環システム」の成立だという点である。現代に起きたメディアの発達とスポーツのメディア化が、スポーツビジネスの「近代産業化」をもたらしたのである。

 ところで我が国ではそもそもスポーツは従来基本的には教育・健康という観点から捉えられており、マーケティングの対象物ではなかった。しかし東京オリンピック以降、娯楽の対象、特に観る娯楽の対象としての存在が注目を浴びる様になり、その傾向は'60年代後半からのテレビメディアの発達により更に助長される。中でもスポーツ中継の海外テレビ放送権獲得と広告媒体としてのスポーツが着目され、更にマスメディアの発達につれ従来のコミュニケーションソース以外のものが物色され、開拓されるようになった。そして、スポーツが新たなメディアとして注目され、市場が成立し始めたのである。'68年のメキシコオリンピックを経て70年代に入り、ゴルフを皮切りに各種のスポーツの冠イベントが始まった。'75年の世界フィギュア選手権日本開催、'77年のANBによるモスクワオリンピック・テレビ放送権の独占契約などを通して、スポーツが商品として認知され、市場が成立し、そしてスポーツビジネスが近代産業として市民権を得、スポーツマーケティングが誕生したのである。要するにスポーツマーケティングとはメディアヴァリュー(媒体価値)に支えられた商品としてのスポーツ、つまり「メディア・スポーツ」を前提にしているのである。従ってここで対象とするスポーツもスポーツマーケティングという業務領域のなかで扱う「商品としてのスポーツ」という限定的な意味で捉えることになる。逆にこうした捉え方をしないと、スポーツマーケティングという言葉が成立している必然性が曖昧なものになってしまい、その理論化を妨げることになろう。

 この様な観点から商品としてのスポーツを捉えると、扱われるのはスポーツの興行権と肖像権であり、構成要素は次の3つの集約されよう。
   @Game(試合)  ATeam(チーム) BPlayer(選手)
  (注)マーチャンダイジング権などのアクセス権は、この三者のそれぞれの権利から派生するものであると考える。試合会場の看板やユニフォーム広告などの、いわゆるスペースの権利も同様である。もちろんこれらの諸権利はスポーツマーケティングの扱う対象商品である。

 いまスポーツに関する産業の領域を図に表わすと次のようになる。


(参考文献「スポーツ産業の領域の広がり」スポーツビジョン21参照)


 この表の中で前述したようにスポーツマーケティングを行うビジネスの主体は、スポーツというメディアを扱うものであり、『情報関連』というカテゴリーに収まっている。さらにその中で、先程挙げた価値に基づいて商品を扱う売り手(ビジネス主体)としては、次の6者を挙げることができよう。
   @競技団体   Aチーム   B選手
   Cエージェント(マネージャー、プロモーターなど)
   Dプロデューサー(広告代理店含む)
   E媒体(TV局、ラジオ局、雑誌など)

 注(1)スポーツ用品メーカー等のマーケティングは通常の(商品)マーケティングでカバーが可能だと考えられる。但し現実にはスポーツ自体の振興が自社の製品市場に多大な影響をもつためスポーツマーケティング自体とも深く関わらざるを得ない。またスポーツ教室等も同様に教室(スクール)の市場はスポーツマーケティングで扱う市場と相互補完的な関係にあるとも考えられるが、ここでは理論的な整理の都合上、同一には扱わない。
 注(2)1つの主体が、二つ以上の別の役割を果たすことがある。例えば、チームが選手のプロモーションを行なう場合はマネージャーであり、イベントを行なう場合はプロモーターである。
 注(3)TV局やラジオ局がスポーツを報道として扱う場合は、スポーツマーケティングを行うビジネスの主体ではない。

 対価を支払う顧客(エンドユーザー)とは次の2者である。
   @スポーツファン…対価の形態は、直接的には入場料
   Aスポンサー…対価の形態は、スポンサーシップ・マネー
 スポーツファンは、間接的にも対価として新聞、雑誌の購買費、テレビの受信料、マーチャンダイジングの購入費という形態で支払負担を行なっている。
ここで注意したいのは、通常のマーケティングでは、企業はメーカーとしてプロダクトアウトする側にいるが、スポーツマーケティングではスポンサーという形でエンドユーザーとしてマーケティングインしていることである。スポーツマーケティングをマーケティングThroughスポーツとマーケティングofスポーツに分けるとするならば、企業は自社のマーケティングをスポーツを通して(through)行う時は主体となるが、スポーツ振興の観点(=of マーケティング)から見るとスポンサーとして客体(対象)とみなされる。

 「スポーツマーケティング」
 日本マーケティング協会によれば、「マーケティングとは企業、及び他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を経ながら公正な競争を通して行なう市場創造のための総合的活動である」。要するに原点は、商品(またはサービス)を提供する側と享受する側の相互理解を高めることにより市場を創造し、販売促進を図り、販売の支援を行う技術のことであると言えよう。

 一方でマーケティングとは生産者と消費者の間に物語を構築する行為だとも言える。この物語の当事者性が高くなると消費者は「生活者」と呼ばれる様になる。例えばある商品の購買行動を探るとき、直接の購買動機だけでなく顧客像の生活様式(ライフスタイル)を全体として把握しようという傾向がある。その場合市場調査を行い年齢、性別、出身、学歴、年収、はもとより家族構成、好きなテレビ番組、よく見る雑誌等まで調べ購買行動の背景を分析する。そうなると調査対象(マーケティング対象者)は既に消費者というだけで捉えきれず「生活者」と呼ばれるようになる。マーケティングの課題解決のためにはこの「生活者」の購買行動を調べなければならない。そこでよく行なわれるのが市場調査である。とかく「調査」とは既存のある実態を探り出すだけの作業だと思われがちであるが、これは誤解である。探り出すだけではなくマーケティングにおける調査とは、それ自体既に「作り出す」作業或は「選択する」作業という色彩が強い。と言ってもそれは調査結果が作為的に作り出されているという事ではない。調査というもの自体、そして結果というもの自体が作為そのものなのである。ここでいう作為とは、本来結果であるところの「あるべき消費行動」が既に調査企画段階で類推され、その類推に基いた質問項目、調査項目が設定されている点をさす。「あるべき消費行動」を類推する行為とは「作り出し」「選択する」行為に他なるまい。従ってその類推に基いた調査結果も作為的な類推だと言わざるを得まい。そしてその類推に基いて立案したマーケティングが功を奏し販売目標を達成したなら、対象者の消費行動は既に立案時に推測されていた「あるべき消費行動」であったはずだ。つまり調査によって得られた消費者像や消費行動とはマーケティング活動立案の前提(原因)であったと同時にマーケティングの結果でもあるということになる。調査結果はこの様に常に「原因」と「結果」の両義性を併せ持つ。こうして見るとマーケティングとはその内部からすれば完結した合理的で科学的なシステムの様に見えるが、その前提は厳密な意味での合理性を欠いており、その構造はまさに「物語」そのものと言わざるを得ない。

 今日ではある個人がどういう消費をするかにより、概そのライフスタイルが推測できる。極言すればいまや消費スタイル=ライフスタイルだとも言えるのではないか。例えばボードリヤールは既に'70年代には,現代では「消費の仕方」が「個性」の別名に他ならない,と言いきっている。少なくとも「消費」は高度化した現代社会において個人を規定する最大の要素の一つであるということは言えよう。マーケティングの物語を構築する作業という側面は、実は消費の行動規範を提案することに他ならず、このように消費が現代社会の生活に占める重さを理解すれば、現代における消費の物語を構築する「マーケティング」の持つ意味の大きさも自ずから明らかであろう。

 以上を踏まえて定義を試みれば、「スポーツマーケティングとは競技団体、スポーツに関する企業、及び他の組織がグローバルな視野に立ち、スポーツファンとの相互理解を経ながら、スポーツに関する深い理解に基づき公正な競争を通して行うスポーツ市場創造のための総合的活動だ」ということができよう。

 一般的なマーケティングとの違いは第一に基本的な顧客がスポーツファンであること。第二に企業がスポンサーという形で参加する場合スポーツマーケット以外ではプロダクトアウトする側であるがスポーツに対してはむしろ顧客としてマーケットインしている事。第三にこの最も特徴的な第二のポイントがメディアの力によって創出され支えられている事。第四に現在ではメディアによって発展したスポーツマーケットがスポーツ自体をメディア化している点をあげる事ができるだろう。

 しかし最も大きな違いはその製品自体の生産過程にある。スポーツは製品(商品)自体が特定企業に属することのない製品である。そのために一般性、公共性を持ちやすいのでメディアヴァリューが生まれてくる。またスポーツは商品としての実体がなくその商品の価値はプレーのおもしろさに基づいている。そのため企業自体がプロダクトアウトすることは非常に難しく、スポーツの商品化とは端的に言って人々の関心を集めるということに着目してメディアヴァリューを利用することである。従ってスポーツの公共性を企業が犯すことは企業にとってもデメリットになるのでマーケティング自体も企業があまり前面に出る事は望ましくない。一方メディアヴァリューを操作可能商品とする(企業としての)マスコミは、プロダクトアウトする側に近いと思われる。拡大するスポーツ市場の創造のためにはこれ等の多様な諸要素(主体)間でバランスのとれたスポーツマーケティングを行えるプロデューサーの存在が求められる。つまりスポーツマーケティングとは将にスポーツビジネスにおける主体間に「物語を構築する」行為に他ならないのである。

 ここでつけ加えておくならば、スポーツビジネスの近代化がどうやら成し遂げられつつある昨今、そこでわれわれは妙な感覚に捉われてしまう。それは漠とした不安を伴った居心地の悪さとでも言うような感覚なのである。つまり、遅ればせながら近代産業化を果たしたと思ってまわりを見渡したら、そこはすでにポスト近代社会に向かいつつあるという事態であり、そのギャップに気づいた者の居心地の悪さである。ポスト近代社会とは、ポスト産業社会とも呼ばれ、量の拡大やそのための効率化などが価値を失っていく時代である。ここでいたずらに逆説を弄するつもりはないが、近代産業末期に生じた時代の閉塞感がスポーツに対する価値を高め、それがスポーツビジネスの拡大を促し、その近代産業化を果たした、というまことにパラドキシカルな構図が見えてくる。つまり、スポーツの近代産業化を促したロジックがアンチ近代(=アンチ産業主義)から出てきているということ、そしてそのために既にスポーツ自体はむしろ超近代(ポストモダン)な存在になってしまっていることである。従って注目すべきはスポーツビジネスの近代化は超近代化したスポーツとの乖離を生じつつあり、近代産業化自体にこの産業の衰退の原因が内包されているということになる。そこを打開してスポーツは21世紀にどういう役割を担うことになるのか、次回は「21世紀のスポーツとコミュニケーション」について述べる。

つづく