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3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・シールズ

「1968」以来、半世紀近くの時を経て、路上が人の波に覆いつくされた。議会制民主主義やマスメディアへの絶望が、人々を駆り立てたのか。果たしてそれは、一過性の現象なのか。新左翼運動の熱狂と悪夢を極限まで考察した『テロルの現象学』の作者・笠井潔と、3.11以後の叛乱の“台風の眼”と目される野間易通が、現代の蜂起に託された時代精神を問う。

笠井潔/1948年生まれ。作家・評論家。79年『バイバイ、エンジェル』で第6回角川小説賞を受賞。98年『本格ミステリの現在』の編者として第51回日本推理作家協会賞を受賞、2003年『オイディプス症候群』と『探偵小説論序説』で第3回本格ミステリ大賞を小説&評論・研究の両部門で受賞。『テロルの現象学』『例外社会』等の思想史・社会評論の著作も多数。 限界研blog

野間 易通/1966年生まれ。90年大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』副編集長等を経て、フリー編集者に。2011年4月TwitNoNukesのスタッフとなり、反原発連合の立ち上げに参画。2013年1月 「レイシストをしばき隊」を結成。同10月対レイシスト行動集団 C.R.A.C.(Counter-Racist Action Collective)を結成。

第10回 Struggle For Pride  野間易通

「叛乱」か「生活保守」か

 この往復連載をはじめるにあたって、実は「3.11後の叛乱」というタイトルに違和感があった。ひとつは、それがはたして「叛乱」なのかどうか自分では判然としなかったからである。もうひとつは、自分が戦っている相手は革命勢力であり、こちらは反革命なのだという意識があったからだ。

 この場合の「革命勢力」とは、レイシスト市民団体やそれらと共通の思想的基盤に立つ安倍政権、あるいはそのバックグラウンドにいる日本会議などを指す。いやそれだけではない。維新という言葉がやたらともてはやされ政党名にまでなったように、小泉改革〜新自由主義以降の日本の政治的主流は、基本的には革命を目指す勢力であり、むしろリベラルや左派が守旧派の立場を取ってきたという認識が、私にはあった。

 「3.11後の叛乱」は、旧来の革命勢力とも衝突した。中核派、革マル派、革労協、第4インターといった新左翼セクトはもちろんのこと、それらと明確に一線を引いているつもりのノンセクト・ラディカルや、文化左翼の面々とも盛大にぶつかっている。その批判の多くは、3.11以後の運動が権力と対峙していない、あるいは根本的な変革を放棄しているといったもので、「生活保守だ」という罵倒も多かった。

 生活保守とは「現状の生活を維持するために改革を忌避する」というのがもともとの意味で、社会的な関心よりもプライベートな生活の安寧を重視する態度のことを言う。これは80年代のバブル前後に生まれた言葉で、3.11以後の運動に向けて「生活保守だ」と罵る左派リベラルもおそらく40〜50代が多いのではないだろうか。そこで批判されているのは資本主義と消費社会の肯定である。それが「現状維持」派とみなされるのだ。

 第8回で私は、3.11以後の運動が《日常生活を守るための住民運動/生活運動の側面も持っていた》と書いた。それが「叛乱」たりうるのはどういう場合かといえば、大きな力が生活を破壊しようとしているときである。つまり、「保守」であり同時に「叛乱」であるために、必然的に左右両方の革新勢力を相手にしなければならなくなる。現状では右派与党政権がそのメインターゲットであり、左翼は後ろから撃ってくる者、あるいはいらんことばかりする無能な味方である。

 シールズが国会前で小林節と並んで「立憲主義を守れ」「憲法を守れ」と叫ぶそのとき、彼らと議会制民主主義それ自体に異を唱える新左翼党派との共通点は、「反安倍政権」の一点でしかない。しかし前者は反革命的思考にもとづいており、後者は革命思想にもとづいているのだ。これは立脚点が全く違う。

なぜオルグがないのか

 前回の笠井さんの原稿でいちばんおもしろかったのは、《しばき隊やあざらしに、「オルグ」という発想が存在しない》といって驚いている箇所であった。たしかに、オルグという言葉を界隈で聞くことはほぼ全くないが、私は自分たちも同じようなことをやっているつもりになっていた。つまり、ツイッターに主張を書いたり、デモへの参加を煽ったり、フォロワーを増やしたりすることが、まあ昔で言うオルグに当たるのだろうと思っていた。笠井さんが解説していたとおり「オルグ」の語源はorganizeであり、我々もデモやカウンタープロテストをオーガナイズするから似たようなものだと想像していたのだ。

 ところが笠井さんによれば、オルグとは《閉鎖的な組織に一般人を引きこみ、勢力を際限なく拡大しようとする》ことで、その最終目的は《党派的観念が世界サイズまで膨張をとげ、全世界を一色に染めてしまうこと》、そして《虚偽、欺瞞、デマゴギー、妄想、陰謀論、倫理主義的恫喝などを臆面もなく活用して恥じることがない》らしい。どうやら私が考えていたよりずっと厳しい業界のようである。また、ドミニコ会やイエズス会といった宗教組織との連続性が指摘されていたのもうなずけるものだった。そういえばセクト(sect)とは、もともとはキリスト教の宗派を指す言葉である。

 オルグが本来的にそうした性質を持つものであるならば、たしかに「しばき隊」にはオルグは存在しないだろう。そもそもオルグのための「教義」、すなわち左翼セクトでいう理論書といったものがない。「3.11後の叛乱」が始まってからすでに5年が経過しているが、これを「指導」する統一的な理論書というものは書かれていないし、これからも書かれないのではないか。

 ここで間違ってはならないのは、理論書はなくても理論は存在しているということである。それは、広大なネット空間上の不特定多数の人々の言葉による不定形なものとしてそこにあるのであって、もしこれがひとつの理論書にまとまるとすれば、それこそ「運慶的な技術性」によって、誰かの創造物ではなくもともとそこに存在しているものを木から削り出すような作業になるのではないかと思う。

 この往復連載もまた、そうした作業の一部なのだろう。「3.11後の叛乱」の代表的なものとして挙げられた「反原連・しばき隊・シールズ」のうち前2者にしっかりコミットしてきた私の書き口が常に他人事のようなのは、こうした理由による。デモやカウンタープロテストのオーガナイズですら、そこにある大衆の意志に形を与える作業でしかないのである。

分裂すればするほど力を増す

 2012年に書いた『金曜官邸前抗議』でも、その夏に起きた官邸前での出来事と首都圏反原発連合について、私はまるで他人事のように取材し、叙述している。そこで書いたことは、反原連とは完全な実務集団であり、「デモ屋」であるということであった。

 首都圏反原発連合として重要な問題とは、原発をめぐる政府や電力会社の動き、議員の動き、効果的な抗議の方法、何を対象にいつ抗議すべきか、警察の警備状況はどうか、トラメガの配置や配線をどうするか、バッテリーはたりているか、その他の資材は揃っているか、誘導スタッフは誰がやるか、プレス・リリースはできたか、次回の街頭デモのコースはどうするか――といった、抗議やデモを効果的に行なうために最適な状況をつくることであり、常に注力しているのはそこなのだ。日の丸がどうのこうのと会議で話す余裕も必要性もまったく感じていない、完全なる実務集団である。国旗国歌問題も路上の自由も新しい公共圏云々も、会議ではすべて「どうでもいい」話題だった。[1]

 と、こういう状況なので、左翼からは「反原連には思想がない」と罵られてしまうわけである。たしかにその通りで、反原連それ自体は「思想」を持っていない。なぜなら、その「思想」は、反原連が呼びかけた抗議行動に集まる不特定多数の個人大衆のなかにあり、反原連もまた、そうした「思想」をゆるやかに共有している個人の集合体でしかないからだ。彼らは自分たちの職人的技術を使って、金曜夜の官邸前に器をつくり提供しているにすぎないのである。

 これは狭義の「しばき隊」においても全く同じだったが、広義の「しばき隊」になるとさらに状況はアナーキーになる。たとえばC.R.A.C.はその自己紹介の中で、「反レイシズム・アクションをさまざまなレベルで実行するためのプラットフォーム」であると説明しているが、これはC.R.A.C.という名前のもとで集団(collective)としてさまざまな個人が勝手にいろんなことをやることを想定してのものだ。ところが実を言うと、そうした枠組み設定すらも、うまく機能しないのである。

 しかしここで言う「うまく機能しない」とは決してネガティブな意味ではない。C.R.A.C.という枠組みを人為的に設定しても、実際には運動がその枠組みに収まることはない、ということだ。C.R.A.C.や「しばき隊」から派生したものとしてはTOKYO NO HATE(東京大行進)やTDC(Tokyo Democracy Crew)、TQC(東京給水クルー)といったグループが、そもそもC.R.A.C.とは別に活動してきたものとしては男組や差別反対東京アクション(TA4AD)などがあり、さらにその他にも無数の小さな collective があって日々分裂・再編成を繰り返しているのだが、お互いの間に抗争や反目が生じることは少ない。

 これは、かつての新左翼セクトのようにテーゼの違いによって分裂しているのではなく、単に実務上の都合によってそのときそのときで最適のフォーメーションを組むように動いているからだ。C.R.A.C.という大きなまとまりで動いたほうが何かと便利なのではないかという私の思惑自体が、的を外していたのである。そもそもがレイシストをしばき隊、プラカ隊、知らせ隊などなどバラバラであったものが、何かにまとまるということがないのは必然であって、またそのことが、逆に力を発揮できる要因にもなっているのだ。

 こうした運動形態においては、分裂は内ゲバの結果にも要因にもなりえない。なぜなら分裂することによってパイの取り合いが起きるどころかそれぞれが新たな参加者を獲得するため、運動は総体として弱体化するのではなく強化されていくのである。理論はあらかじめ個人大衆の中に存在していて、各集団はそのニーズを感知することによって立ち上がり、「運慶的な技術」によってそれに具体的な形を与えていく。要するに、オーバープロデュースを受け付けない自律的なダイナミズムがそこにあるということなのだ。

 ここで、笠井さんが前回引用した廣瀬純の次の言葉を見てみる。

「この文脈において本書の論者たちが『左翼』の語で理解しているのはひとことでいえば『前衛主義』、すなわち、支配され搾取された大衆のその利害について何らかの表象を創り出し、この表象を外部から大衆に注入する(大衆の即自に外部から対自を与え大衆を自己二重化させる)ことで大衆を団結させ闘争へと動員しようとする傾向だ」(廣瀬純「解説 現代南欧政治思想への招待」)

 「3.11後の叛乱」においては、「支配され搾取された大衆のその利害について」の「何らかの表象」は、大衆を指導しようとする前衛組織によって「創り出」されるのではなく、あらかじめ存在しているものを察知した無名の個人たちによって「彫り出される」のである。結果、大衆は「自己二重化」することはない。そのかわり「団結」もあまりしない。しかし「闘争」は行われるのである。

 このように分析してみると、「3.11後の叛乱」はまさに左翼の終わりとともに立ち上がっているように思える。ただし、これまで書いてきた通り、その「叛乱」の起点は2011年3月11日ではなく、2000年代前半のイラク反戦運動や80年代の市民運動にまで遡ることができるわけで、3.11のインパクトはそれらが大規模に起動するきっかけとなったにすぎない。

新たなレフトは誕生するか

 笠井さんはまた第8回の私の論考について《野間さんがまとめた「集合的アイデンティティ」の形成と運動化のスタイルは、ネグリが注目した「組織化のための水平的なメカニズム」の日本版として捉えることができる》とも指摘している。

 アントニオ・ネグリ/マイケル・ハートはずいぶん前から文化左翼や知識人のあいだで未来派左翼としてもてはやされており、私も10年ぐらい前に『帝国』を読んでみたが、何が書いてあるかよく理解できなかった。しかしアラブの春以降の動きを扱った2013年の『叛逆』には、ひとつ真正面から刺さる文章があった。

 もっと伝統的な左翼の政治思想家やオルガナイザーのなかには、二〇一一年の闘争のサイクルが気に食わない者もいれば、それに警戒心を抱いている者さえいる。彼らはこう嘆く。「ストリートは人でいっぱいだが、〔左翼の〕教会は空っぽだ」と。(中略)私たちに必要なのは、左翼の教会を空っぽにし、その扉を閉ざし、それを焼き払うことなのだ! それらの運動は、指導者(リーダー)を欠いているにもかかわらず強力なのではない。そうではなくて、まさに指導者を欠いているからこそ強力なのだ。[2]

 「左翼の教会」とは、イデオロギーやリーダーシップが集中する権威主義的な運動主体のことである。奇しくも笠井さんが説明しているとおり、セクトは宗教的概念であり、左翼の運動体のアナロジーは教会なのだ。

 ラウル・サンチェス=セディージョが〈2011〉について《ぼくたちに左翼であることをついにやめさせてくれた出来事》《アウトノミア型の前衛、労働者の自律性といったものですら退けられるべきものとされました》と語っているのも興味深い。

 私自身は、とくにネット上では自分のことを「左翼」と自認している。リベラルと言うこともあるし、アンチファシストと称することもある。しかしこの場合の「左翼」は、だいたいの傾向において右翼的ではなく、左派に属するという程度の意味である。笠井さんやネグリやサンチェス=セディージョの言う「左翼」とはずいぶんかけ離れているのだと思う。その証拠に、我々がヘサヨと呼んできた人たちや、中核派や革マル派のような新左翼セクトの人々は、「おまえは左翼の歴史がわかってない」と私に言う。

 いや、その通りだと思う。私は実際に、伝統的な左翼の歴史について学習したことも研究したこともなく、その理論を実践したこともないのだ。そして「3.11後の叛乱」に参加している多くの個人大衆も、おそらく同じではないかと思う。教義を知らず、教会にも行かない。しかしその理由はシンプルだ。その宗教に帰依していないからである。

 反原連の構成団体のひとつであるTwitNoNukes(大阪)が、関西電力前の反原発抗議行動のときに自らの名前を大書きした幟を持ってきた労働組合に、「それを下ろしてくれ」と言ってトラブルになったことがある。その労組の言うには、旗や幟は労働者の団結の象徴であり命に等しい、それを掲げるなとは何ごとか、とのことであった。3.11以後の運動は、この感覚を共有しない。

 今でも大きなデモでは、多くの労組や市民団体が団体名を記した幟を林立させる。そのデモの主張はわずかに先頭の横断幕にあるだけ、というようなパターンも多い。3.11後の運動はまず、このスタイルを拒否してきた。当たり前のように倉庫から組合の幟を取り出して持ってくるのではなく、イシューにあわせたプラカードをそのつどつくってこいということを、求めてきたのだ。団体名の幟すなわち自分は誰であるかを沿道に向けて示すかわりに、自分は何を主張しているかを示すべきだということである。

 この運動は《「団結」もあまりしない》と先ほど書いたが、もちろん反原連にしろ反レイシズム運動にしろ、シールズにしろ、常にデモや抗議行動に大きな結集を呼びかけてはいる。unite という言葉も頻繁に使われる。3.11後の各運動体の「組織度」にはそれぞれ濃淡はあるものの、基本ラインとしてそれらが呼びかける団結は、組織やコミュニティを基盤とした恒久的なものではない。

 これらの運動は、幟旗だけでなく「仲間」という概念すら拒否する。伝統的な左翼市民運動が不当逮捕の救援活動をするときには「仲間を返せ」と権力に向かって呼びかけるが、「3.11後の叛乱」においては、そうしたときに権力の不当性や逮捕者の正当性を訴え「釈放しろ」と言うことはあっても、「仲間を返せ」とは言わないのである。なぜなら、不当に逮捕された人は組織の持ちものではなく、その人が帰るべきところは運動ではなく個人の平穏な日常生活だからである。

 シールズの若者たちが街頭デモや国会前でスピーチするとき、かならず最後に日付と自分の名前を添えるスタイルを取っているのは、その主張がシールズという団体のものではなく、発言者個人のものであることを示すためだという。彼らのドキュメンタリー映画『わたしの自由について -SEALDs 2015-』(監督・西原孝至、2016年)が、「我々の自由について」というタイトルでないのも、同じ理由からだろう。彼らもまた、平穏な学生生活を取り戻すために、あるいは将来の学生が平穏に生活できるように闘っているのである。

 果たしてこれは「叛乱」という言葉にそぐうものだろうか。それが、私が当初タイトルに違和感を持った理由だ。しかし、強大なパワーに対する rebellion であることは間違いなく、個人が個人の立場のままで行なう悪戦苦闘、すなわち struggleであることも確かである。

 であるならば、これは有史以前から行われてきた人間の当たり前の行動のひとつにすぎないとも言える。何のために闘うのか。権力のためか。自由のためか。民主主義のためか。結局行き着くところは、シンプルに個人の尊厳と誇りのためだと言うことができるのではないか。

 共産主義や社会主義や無政府主義といった、20世紀の世界を席巻した理論と方法では、もはや新たな闘いを闘うことは困難になっている。だからこそ、そのためのツールとメソッドの開発が、いま全世界レベルで進行しており、3.11以後の日本もまた必然的にそのなかに組み込まれているのだろう。

 多くの人は、そのことを左翼との決別と考えるのかもしれない。しかし私はこれを、教義も教会も修道院も持たない新たなレフトの誕生ととらえたい。

[1] 拙著『金曜官邸前抗議 デモの声が政治を変える』(河出書房新社、2012年)
[2] アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』(NHKブックス、2013年)

(2016年05月17日掲載)

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