どうも。
世の中には凄い人がごく少数だけいて、その他はその他大勢だ。能力が突出した人などごくごく僅か。きっと世の中の大半の人が何かしらの劣等感に苛まれながら生きていることと思う。
そこで今回はそんな息苦しい思いをしている人たちのために、心のカンフル剤を紹介したいと思う。
それがずばり「他人の批判」である。
何となくやってしまう他人の批判だが、ちゃんと用法用量を守って使えば、これほど優越感をもたらしてくれるものはない。しかもタダだ。普段、消費することしか考えていないような人でも「批判」という新しい価値を生み出して、さらに自分の心を癒やすことが出来るのだ。素晴らしいことだ。
ということで、そんなさもしい人たちのために批判の方法を伝授したいと思う。
他人の悪い所を的確に表現しよう
「なんかムカつくよね」
「あいつ嫌い」
こんなのは批判でもなんでもない。実際にこれを言った所で優越感に浸れるだろうか?そんなことは絶対にないだろう。こんなのはただの愚痴だ。非常に精神衛生上良くない行為だ。
何がムカつくのか、何が嫌いなのか。それを具体的にすることが批判の第一歩だ。
「身勝手だからムカつく」
「偉そうにしているから嫌い」
さっきよりもまだマシだが、これでもまだ足りない。相手の身勝手さや、偉そうにしている態度が何に起因しているかを見極めよう。
例えばこんな感じだ。
「あいつは小心者で、自分の身の安全しか考えていないから身勝手になるんだよ」
「あの人は自分の能力と他人の能力を客観的に見られないから、アホなのにあんなに偉そうにしてられるんだよ」
これは素晴らしい批判だ。これぐらいのレベルの批判ができればさぞ優越感に浸れることだろう。
相手のことを分析し、何によってこちらが不快になっているのかを明確にする。そうすることで、さも相手よりも優位に立ったような気分になるのだ。
周囲の人と共有しよう
次のステップに移るとしよう。
相手の悪い所に気付き、さらにはその要因まで見抜いたあなた。きっとあなたは優秀だ。優秀なあなたが気付いた重要な事実。それをそのまま自分の胸の内にしまっておくだけでいいのだろうか?いや、そんなことはない。あなたの貴重な考えを周囲の人間にも教えてあげるべきだ。
人は周囲にいる人間の平均値になるという。ということはあなたの周りにいる人たちも劣等感に苛まれた可哀想な人なのだろう。だったらあなたが感じた優越感をおすそ分けしてあげるべきだ。幸せは他人と分かち合うことで倍増する。優越感も同じだろう。
さらに、あなたの的確な批判を周囲と共有することでまた新たな批判の種が見つかるかもしれない。
「そういえばあの人って、喋るときに相手の目を見れない人じゃない?あれって心を許していない証拠だよ」
「そういえばこの前ずいぶんと機嫌が悪かったけど、家庭で上手くいってないんじゃない?そういうの下手そうだもん」
などなど、色んな角度から嫌いな相手を見ることができることだろう。その中にはあなただけでは気付けなかったような素晴らしい批判も出てくるかもしれない。協力することで生まれるものもあるのだ。
余裕を持って対応できる
嫌いな相手を的確に分析できたあなたは、完全に相手を見下しているのでそれはもう、今までとは比べ物にならないぐらい余裕を持って対応できるようになるだろう。いつもだったらイライラしていた相手の言動にも「はいはい、出た出た。そんなのお見通し」といった具合に余裕でかわすことができる。
優越感に浸れる。イライラは解消する。
他人を批判することの素晴らしい効果を理解できただろうか?
では次に副作用の話に移る。劣等感に劇的な効果を発揮する「他人の批判」であるが、効果の高い薬に付きものである副作用がある。それを説明してこの記事を終わりにしたい。
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他人の批判の副作用
まず、他人を批判することで優越感を得られると書いたが、賢明な皆さんならお分かりの通り、これは幻だ。存在しないものだ。
つまり、偽りの優越感に浸っているだけで、ちょっとでも冷静になると途端に虚しくなる。それだけで終わればいいが、末期の患者になると「次の批判を探さなきゃ」と、完全に依存症になってしまう。しかもこの「他人の批判」依存患者は、けっこうそこら中にいる。もっと言えば、本人にその自覚はない。恐ろしいものだ。
また他人を批判するクセがつくと、自分が成長しようとする意識がなくなる。なぜなら、他人を批判することで自分が偉くなったような気になるからだ。自分で自分を偉いと思っている人が成長しようとするだろうか?それはありえない。満足した時点で人は成長を止める。
さらに、他人を批判することが習慣化すると心が腐る。具体的には相手のイヤな部分にしか目が行かなくなったり、全てのことを損得でしか考えられなくなったり、後悔に苛まれるようになる。とにかく腐ったような心になるのだ。
他人の批判はほどほどに
いつでも聖人君子でいるのは難しいことだと思う。たまには不貞腐りたいときだってあるし、愚痴を言いたいときもあるだろう。だがそればかりになると、いつの間にか自分の心がひん曲がってうので気をつけていただきたい。
以上、健闘を祈る。