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通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月16日(月)07時07分30秒 i118-19-15-143.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >宿坊は、信仰が目的で戒壇様に帰依したのでなく、創価学会内で居場所が無くなり、法華講に潜り込む事で
>創価学会から認めて貰おうと企んだと想像します。

哀笑。つまり宿坊は、創価学会に於て居場所が無くなったのは、自分自身に原因がある、だから、其の落ち度を
挽回しようと日蓮正宗に潜り込み、創価の犬よろしく、再び飼い主に褒められようとしている、という事ですか。

呆笑。いやはや何とも、呆れた話であります。

況してや、そんな創価の犬が、自身の掲示板を開いて、現創価に不満を持つ諸会員の投稿を収集し、
さも、自らが創価改革の一躍を担うが如くに振舞っているなどは、これ全く投稿者の信義を欺く、
無慙極まりない、痴行と言えましょう。

果たして其の事。宿坊の掲示板に集っている投稿者は知っているのでしょうか。

思えば思う程、呆れるばかりであります。呆呆。

さても、こんな痴れ者が、他宗の教義に文句を垂れるなど、其れこそ、オマエの脳髄は破れておるのか、と
云う他ありません。呆笑。

宿坊が云く「来月以降、学会員への嫌がらせや勧誘が激化していくことが予想されるので、注意を喚起したい」

糞笑。

日蓮大聖人を本仏と仰ぐは、これイワシの頭を信じるに同じ、と侮蔑した痴れ者が、創価学会員に対して
嫌がらせの注意喚起を促すなどと…。堪笑。

果たして此れは漫画であるのか。糞笑。

よいか宿坊。学会員に嫌がらせをしておるのは、他でもない。貴様なのである!

ったく、どこまで性根が腐っておるのか。呆怒。

応に、下人とは貴様の事である !

尚、通りすがりの法華講員殿には、度々の御投稿に感謝致します。
重ねまして、今後の御活躍を、心から期するものであります。
 

管理人様

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 5月15日(日)16時04分16秒 pw126254066207.8.panda-world.ne.jp
返信・引用
  こんにちは。

はい。ある情報ツールと宿坊独特のコメントの書き方、それを指摘した途端にアクセス禁止をした慌てふためいた行動から、宿坊は創価学会を脱会し、勧誡を受けただけでなく、11月に総本山大石寺に支部登山で参詣し御開扉を受けていると断定できます。

かの御仁は、昨年夏に「サブロー」なるHNを用い、中古天台を用い妄言を晒しておりましたが破折されています。11月からは「読書人→愚人」なるHNを用い、創価学会から法華講になった事、法華講員として御登山し「大石寺は霊性を感じる」とコメントしていました。
しかしこの御仁の主張は、日蓮正宗とは程遠いものであり、講習会登山も講習は受講せずテキストだけを持ち帰るというものであり、凡そ法華講員とは想像できない主張の数々でした。
一度、おかしなコメントをした為、「読書人→愚人=宿坊」を疑いながら破折活動を続けていましたが、昨夜、ある情報ツールとこの御仁のコメントから馬脚を現した事が判明したため、「読書人→愚人=副管理人=宿坊」と断定し、公表するに至った訳です。

宿坊は、信仰が目的で戒壇様に帰依したのでなく、創価学会内で居場所が無くなり、法華講に潜り込む事で創価学会から認めて貰おうと企んだと想像します。

信仰も何も無くなった、創価学会が正に地獄界の様相を示しましたので、この機に破折を進める事が急務だと思います。
折伏躍進の年、確実に創価学会は宗教の体を無くしているようですね。
 

通りすがりの法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月15日(日)12時21分35秒 i118-19-15-143.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >ご無沙汰しております。
>昨年秋より、宿坊2の掲示板で、HN=読書人(愚人)という自称法華講員が難癖をつけてきていましたが、
>この御仁は実は宿坊であり、昨年11月に御開扉を頂いていたことが判明しました。
>宿坊は、創価学会を脱会し、法華講に潜り込んでいたようです。

其れは真(まこと)でありましょうか。

もし、そうであれば、信仰世界に於ける人非人の姿そのものでありましょう。

実に、信仰者のクズ、とは、こういう者を指して云うのであります。

しかし、此の者の面は既に割れているのでしょう。

となれば、虚言を弄して入講した、という事になります。

しかも、日頃から批判中傷している戒壇の大御本尊に向かい、例え、其れが偽装であろうとも、
手を合せ、皆と一緒に唱題するとなれば、これ程の自己撞着は有りますまい。

応に、信仰者のクズであります。

其れにしても、創価学会を脱会しながら、法華講に偽装入講するという事は、此の者は彼のアンチの阿呆と
全く同じ痴人の類であるという事になります。

実に、創価を脱会しながら、創価の怪文書であるフェイクを連日ベタ貼りし、法華講に入講しながら宗門への
中傷を繰り返すなどは、最早、信仰義も大義も無い、其れこそ、怨念と策謀に生きる、実に命濁極まりない、
極悪人の姿と言えましょう。

ったく、思うだけで反吐(へど)が出ます。

さても、こんな馬鹿者に、日蓮本仏義の文証を出すなど、其れこそ、一円の価値も無い愚行となる由。

御金言に曰く『親疎(しんそ)と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ。御心得候へ』と。

【法門というものは、親しい人であろうとも、疎遠な人であろうとも、まったく信心の無い者には、
軽々に話すものではない。此の事を能く能く心得ていきなさい】と。

無論、ここに云う法門は、当宗に於いては、相伝義を指すものであります。

ったく、そんな連中に、富士門の相伝義など、話すだけでも罰が当たるわい。

先ずは第一、我らの大義を訊きたいと思うならば、先ずはオマエらの、其の腐った根性を直して来い!
と言ってやりましょう。況してや大義を訊くに非ず、其れが批判中傷の類となれば尚更の事であります。

>創価学会の内部崩壊もここまで来たかと思いましたので、こちらにコメントさせていただきます。
>今、私が参詣する末寺も、創価学会脱会者が増加しています。

小笑。一大秘法は題目だ。

呆笑。もうこれで創価は終わっております。

とまれ、池田太作が死んだ後、創価学会は自ずと崩壊して往くでありましょう。
本より、自製のカリスマを擁した集団組織は、其の自製のカリスマが消滅した時点から溶解して往くのであります。
又、其の理(ことわり)は、彼の北朝鮮にも当て嵌まるものであります。

>創価学会員の苦しみを救えるのは、我々法華講員だけです。地道に破折し彼等を救って参りましょう。

無論、宗派教団を問わず、其の者が信仰者として活動しているのであれば、こちらとしても、しっかと
折伏して参る所存であります。しかし、馬鹿者(捨てハン・串投稿・無親告)は相手にしません。
其れこそが当方の信条であります。

此の度は、態々(わざわざ)の御投稿、有難うございました。
 

宿坊は創価学会を脱会し、法華講に潜り込んでいたようです。

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年 5月14日(土)21時45分22秒 pw126152193181.10.panda-world.ne.jp
返信・引用
  管理人様

ご無沙汰しております。
昨年秋より、宿坊2の掲示板で、HN=読書人(愚人)という自称法華講員が難癖をつけてきていましたが、この御仁は実は宿坊であり、昨年11月に御開扉を頂いていたことが判明しました。

宿坊は、創価学会を脱会し、法華講に潜り込んでいたようです。

創価学会の内部崩壊もここまで来たかと思いましたので、こちらにコメントさせていただきます。
今、私が参詣する末寺も、創価学会脱会者が増加しています。
創価学会員の苦しみを救えるのは、我々法華講員だけです。地道に破折し彼等を救って参りましょう。
 

ああ、邪教人 其の卅九

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月14日(土)15時28分11秒 i118-19-15-143.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  と、其の前に、昨日の自民党幹事長・谷垣氏の発言には、思わず腹の底で吹き出してしまったぞ。

云く『(合流後の政党について)、鵺(ヌエ)のようなものでは困る」とな。

腹笑。

さても、合流して鵺に成るモノも居れば、除名されて鵺に成るモノも居る。

小笑。無論、後者の鵺こそが創価学会である。哀笑。

して、自民党幹事長の発言を受けて、与力の公明党幹事長が云く、

『(結党から70年続いた社民党が解党するかどうかについて)そう短期間の間にできるのかなぁというのが
率直な感想』とな。

堪笑。

大丈夫ですよ。幹事長。

あなた方の支持母体。いや、あなた方を統制する管理団体、池田創価学会は、創立から60年一寸(ちょっと)で、
離脱作戦を成功させて除名を勝ち取り、それから、待ってましたとばかりに、2年たらずで、自前の本尊を作成し、
それから、9年余りで、本門戒壇の大冠を捨て去り、それから僅か12年にして、今度は、閻浮提総与の三大秘法義を
捨て去って、其れこそは短期も短期。いや、それこそは『短気』とも云うべきか。腹笑、そんな、池田創価学会の変身
太りを参考にすれば、其れこそ小党社民の解党など、あなた方が指南してやれば、すぐにでも出来るでしょう。
だから教えてやりなさい。そんな、あなた方の鵺ぶりを。哀哀笑。

腹笑。さて目を転じれば、

相も変わらず、愚図愚図とやっておる。呆哀。

よろしいか。

オマエら不平組が、いつまでもそーやって愚図愚図しておるから、タンコブ原田を傀儡とする谷川グループの采配が、
悉(ことごと)く既成化されて、今や組織改革などは、手の届かぬものに成ってしまっている。
まったく、内部から改革する事さえ難しいと云うに、組織の上意によって除名追放された連中が、組織内の改革など
出来よう筈も無い。そうとなれば但一つ。オマエらにして出来得る事は、自前のインターネット掲示板で、上層幹部の
醜聞(スキャンダル)を暴露し、其れらの人身攻撃を延々と繰り返すしかないであろう。

だからこそ云う。

オマエら不平組は速やかに同志を募り、各々プラカードを作成して総本部を取り囲み、創価学会上層の腐敗ぶりを
今こそ糾弾し、以って其の光景をマスコミに訴えるべし、と。

言うまでも無い。曾(かつ)てオマエらが御宗門に対して行った離脱作戦、つまり、喧嘩を売りながら、自らは手を
出さず、相手に手を出させて被害者を装う。オマエらはそーゆーのが得意であろう、鼻笑。だから其れをやれ!
と申しておる!

連日総本部を取り囲み、シュプレヒコールを以って大幹部の醜態を糾弾するならば、其れこそ、総本部も黙っては
いまい。果たして、警備員を動員して排除に出るか、将又(はたまた)、国家警察の権力を以って弾圧して来るか。
要は、其れらの事を創価上層にやらせれば、オマエらの大好きな世法に於いて勝ちを得る、つまり、被害者としての
言い分がそこに於いて成り立つ、という事である。

弾圧された! 殴られた! 早く報道して下さい! 鼻笑。どーであるか。これ程の良策はあるまいて。小笑。

>「ホンマやのぅ、最近の男子部の最高幹部は腰抜けやのぅ。笑」

だから、其の腰抜けの虚を突け! と申しておる。

>「言論戦だぁぁぁぁー ! なんて勇ましく言うてるけど、男子部長としてなってないッスねぇ。
>やっぱり、ボンボンで甘やかされて育ったヤツはあきませんわぁ」

哀笑。

平然と本尊義を変える現創価学会に於いて、最早、内部に於いても、オマエら不平組に於いても、言論戦などは
通用しない。唯(ただ)義憤を以って本城を包囲するのみ。よろしいか。『工作』のみでは落城はしない。時には
力攻めも必要となる。ったく、オマエらには参謀は居らんのか。哀哀哀。

>会員一人一人の浄財でガッポリ!!
>景気不景気関係ねえ!!
>退職金もガッポリ!!
>年金もガッポリ!!
>おいらは天下の最高幹部だあ!!

哀笑。

御坊様への御供養は、其の使途について、在家信徒がとやかく言うものではない、とは恩師戸田先生の
御指南であるが、学会の幹部は、お主ら会員と同じ『信者』であるから、信者が収めた金品を、同じ信者が
自由勝手に使うなど、決して許されるものではない。そこの所は、しっかと追及すべきが当然と言えよう。
況(ま)してや、そんな幹部連中から「おめーなんか、要らねー」と除名を告げられたとなれば、其の鬱憤、
一体何処(どこ)に打(ぶ)つべきや。哀笑。

>汚職をしてもみんなで守り合う温かい職場!!
>師弟なんか関係ねえ!!
>学会職員最高!!

哀笑。いやはや、地団駄踏んでの嘆き節。まこと哀れな様相ではある。哀哀。

>会員の皆さま、どうぞこれからも学会本部を思考停止した純真な心で信じて下さい!!

哀笑。其れは、クジラ地区部長のグループに言うべきであろう。哀笑。

釈迦本仏の宿坊板に、原田正義のくじら板…。

言うまでも無い。此等(これら)は皆、邪流違背の愚板である。

>原田! 悪いのはお前だ!

あいや! 悪いのはオマエら全員だよ!

哀笑。

今日も今日とて邪教人!

邪教人への呵責はこれからも続く!
 

脱会者二世殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月12日(木)13時37分58秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  『独善主義からの脱却を求めて』

と題された貴殿の言い分、須らく読ませて戴いた。

先ずは、投稿先の規則を守らんとする其の姿勢と、単に罵倒中傷を書き連ねる創価教宣の連中とは異なり、
しっかりと自身の主張を述べられて、其の上で、日蓮正宗、并(ならび)に、創価学会や顕正会などに対し、
堂々、其の批判の矛先を向けられている事について、当室管理人は、心から佳とするものである。

何せ昨今に於いては、貴殿の様な規則を守ろうとする人間が極く稀となり、特に創価教宣、及び除名会員、
加えて、私憤怨念を原動とするアンチなどが、自身の所属宗派を隠匿して多重ハンネを使い、海外の串を
駆使しては、批判中傷を繰り返し、当室の運営を妨害せんとする。

本より、其れらの行為は、信仰者に有るまじき痴行であり、最早、法義云々以前の問題であると、当室管理人は、
何度も繰り返し、注意警告して来たのである。

しかし、其れらの警告も効果はなく、痴行者の乱痴騒ぎは、愈々(いよいよ)増して、止む無く現在、其れら痴行を
遮断する意味に於いて、当室は『確認後掲載』の仕様を採って、今に至っているのである。

まぁ、度々邪魔が入るとは、其れだけ当室が鬱陶しいのであるから、其れは其れで効果の証拠ともなろうが、
其れ以上に、警告や削除などの余分な作業を無くす事の方が、当室の健全にとってより良い効果になると、昨今
熟(つくづく)思うものである。

尚、貴殿には前(さき)にも申した通り、当室の根旨は、其々の宗派教団に属する信徒会員が、日蓮正宗の本尊教義に
対して論じ、又、我らが其れら宗派教団の教義を破折するものであるから、貴殿の様な無宗教者・無信仰者からの
投稿は御遠慮願っているものである。従って、貴殿からの投稿文は、其の規則に於て今後とも掲載の対象にならない旨、
改めて御承知願いたい。

しかし、貴殿の態度は、昨今珍しく真摯なものであるから、此に於いて各一文を掲載し、此に返答するものである。
無論、これが最後の応答となる。以後のやり取りは不可となるので悪しからず。

では返答を記(しる)そう。

尚、返答が厳しくなっておるが、これも破折の一端であるから、しっかりと受けなさい。

>私は確かに特定の宗教団体に所属していないがゆえ、特定の思想、対象物or人間を唯一絶対の本尊として崇め
>奉らないという立場を表明しているわけですが、しかし思うのは、およそ人間というものは、何かを信じて、
>行動を起こしているわけで、かく言う私も自分なりの信念に基づき、今があるわけです。
>一言でいえば「独善主義からの脱却」であり、物事を是々非々で考えていく立場です。

先ずは「絶対」と「独善」の分別を、己(おのれ)の命から達観する事であろう。
さても「絶対」と「独善」とは個に於ける表裏であるのか、それとも個々に於ける相関であるのか。
して其れらは、自己の概念に依って変化するものなのか。してもしそうであるならば、自己こそが独善となるのでは
ないか。

>こうした私の主張も、主観による個人的意見の表明であり、それがいかなる時代・社会においても唯一絶対に
>正しい思想ということではありません。

つまり、自身の言い分は、あくまでも主観であり、其れこそは絶対ではない、という事であるよな。
はて、そうであるならば、つまりは、絶対ではない自身の主観に於いて、身辺周囲の対象群、つまりは法律、
つまりは哲学、つまりは宗教等に於いて、其れを独善と決定する主観とは、一体如何なる絶対性を以って決定され
るのか。

>では、なぜ私がここに来たのか?(別に喧嘩を吹っ掛けたいわけではありません。)
>それは日蓮正宗系教義が、創価学会や顕正会等のカルト教団を生み出し、「人や社会に多大な迷惑を掛けた」と
>考えているからです。

果たして「日蓮正宗の教義が、カルト団体を生み出し、人や社会に多大な迷惑を掛けた」とは、如何なる絶対から
結論されたものであるのか。まさか、社会の評判、という絶対を拵(こしら)えての事か。まさか、其れは本当か。

>私は何度も何度も、日蓮正宗の信徒として生きていくべきか?創価学会員として生きていくべきか?
>悩んで悩んで悩んで悩んで、悩み抜きました。
>そして「いや、そもそも私は、彼らの独善的な教義に縛られていただけではないか?」と考えるに至りました。

さても「独善的な教義」とは如何。
されば「非独善的な教義」とは何ぞ。

果たして、己(おのれ)の信から発したものは、絶対たり得るか。
それとも、絶対たり得るからこそ、己(おのれ)の信を発するか。

>私もかつては日蓮正宗の言うとおりに信じていました。
>そして正本堂建立の際には創価学会もとんでもない額のお金を会員から巻き上げました。
>これでもし大石寺の板曼荼羅が実は偽物だったら、とんでもない詐欺ではないでしょうか。

「もし」とは如何。
「もし」とは仮定の意ではないのか。

はて「もし」という仮定を論拠にして、事の正義を判じるならば、其れこそが全くの独善ではないか。

>しかし、ネットの普及とともに、これまでであれば表に出てこなかった(伏せられていた)であろう様々な
>情報が次々と明るみになり、「どう考えてもこれは怪しいぞ」と思うようになりました。
>創価学会に対してもそうです。

果たして「伏せられていた、であろう情報」とは、一体如何なるモノか。
而して「世間の情報」をネットで閲覧し「こりゃどー考えても怪しいぞ」と結論するは、これ全く「信仰未熟」の
幼姿ではないか。

>私からすると、あなた方の戒壇の本尊観というのは「盲目的に信じる」姿そのものであり、
>それでは学会が正しいと言ってはばからない彼らの池田さんに対する「妄信」とたいして変わらないように
>見えます。

さても、信仰者として本尊を信じる事は、一丁目の一番地ではないか。
して「盲目的に信じる」とは、我が戒壇の大御本尊のみに対して述べられるか。
さに非ず、他宗の本尊についても、其の概念を適用するか。
して、戒壇の大御本尊のみに適用するというのであれば、貴殿こそは、彼の重須日浄と同じである。

而して、盲信的とは、貴殿の懐疑から出で来るものではないのか。
つまりは、其の懐疑に貴殿が固執しているという事ではないのか。

果たして草花は人間にとって観賞の其れと成るが、ヤギにとっては、単なる食い物にしか見えない。
さても『盲信的』とは是れ如何に。哀。

>基本的に、思想、価値観、宗教は人それぞれ千差万別、多種多様であると思いませんか?
>私はそれらは最大限に尊重されるべきできあると考えます。
>たとえ自分とは異なる思想、価値観、宗教に基づく主張であったとしても、それに対して聞く耳を持ち、
>尊重することは大切であると考えています。

ならば、何故、戒壇の大御本尊を信奉する我らに対して「独善盲目」と侮蔑するか。
さても、其の教義に於いて、他義他論を論釈して破し、又は其の正たるを論証するが、まこと高義の其れでは
ないか。して逆に其れを為さず、高低浅深の理(ことわり)を無視し、其れこそ「寛容性」の名の下に万教同一の
私義をばら撒かんとするは、此れこそ「独善」ならぬ「独悪」の思行ではないか。

さても、念仏を尊重する日蓮宗とは是れ如何に。
さても、真言を尊重する日蓮宗とは是れ如何に。
加えて、天理教の価値を見出して自己の成長に結するとは是れ如何。

>なぜなら、お互いの意見を自由闊達に述べ合うことによって、
>自分では知り得なかった多様な価値観、考え方や知識、情報を学び、自己を成長させるとともに、
>人生の指針として、よりよい答えを見出していくことに繋がる可能性があると考えるからです。
>したがって、自分の持っている価値観も決して唯一絶対のものと決め付けるのではなく、
>他の視点、立場からの別の考え方がありえることを、まず理解することが大切であると考えるわけです。
>この姿勢を「寛容性」と考えており、それは独善主義からの脱却でもあります。

哀。

申し訳ないが、其れは「世間法」での事である。
本より、世法の価値観を根本にして仏法義を計る事は出来ない。
尚、其れら世間法に於いて、他者の意見を聞き、又は、学習せんとする姿勢は大事である。
しかし、其れとて寛容の問題ではなく、分別の問題とも言えよう。
果たして、持する寛容性は、身に付いた分別から起こるものであるのか。
して、その身に付いた分別によって優劣を決した場合、其れは独善と成るのか。
して、その独善の基準は、一体何であるのか。まさか大衆迎合の其れであるのか。
爾して、真の寛容とは、正邪優劣の判別が出来てこそ成るものではないのか。

>では、世の中のどんな宗教であろうとも、尊重すべきなのか?と問われれば、決してそうではないとも
>考えています。
>宗教の目的が世界の平和と人類の幸福であるとすれば、言い換えれば、宗教とは世界の平和と人類の幸福という
>崇高な目的の為に、人間が考え出した手段(道具)であるとするならば、この崇高な目的を阻むような宗教は尊重に
>は値しないと考えるわけです。

先ず以って「宗教とは人間が考え出した手段」とは、木を見て森を見ない、あまりに矮小な認識である。
抑も、此の宇宙法界は、地球人類の遥か以前から存在しているものであるが、其の存在は、地球人類に対して
不二の存在である。しかも、この相関は、過去・現在・未来に於いて終始一貫である。して、人間は、其の
宇宙法界の原理に基づいて誕生し、そこに於いて誕生した人間は、其の原理に対して探究したのである。
つまり、宗教とは、其の元から存在する宇宙法界の理(ことわり)を、我ら人間生命の理からして一体である事を
究明し、そして会得したのである。して其れは「発見」でもなく「偶然」でもなく、ましてや「手段」でもない。
実に其れこそは「必然」だったのである。

よろしいか。皮相面から、事の本質を見極めるのではなく、事の本質から皮相を認識して、其れをリードする。
実に其れこそが仏法の威力なのである。

>例えば、その宗教が客観的事実(数学、物理、化学、生物等自然科学の諸法則、歴史的事実等)に反した嘘の主張、
>すなわち非科学的な態度を取ったり、あるいは、法律、社会規範、倫理、モラル等に反する主張や反社会的行動を
>取ったりしていれば、その宗教には疑問符が付きます。

はて、数学、物理、化学、生物等自然科学の諸法則、歴史的事実に反するものが嘘とは如何なる事か。
ならば、吉兆はどうか。此の理(ことわり)は科学で証明できるのか。

例えば凶夢。此れはどうか。

ある時、自分の頭に角(つの)が生える夢を見た。して其れこそは凶夢であるという。
然して其の者は、後日に首を刎ねられた。
つまりは云う。『頭に角が生えるとは、「角」の字。つまりは頭に「刀を用いる」意によって凶夢である』と。
果たして、是れこそは『虫の知らせ』と成るのではないか。
尚、此の事は、三国志演義の後半に出ておるから、時間があったら読んでみなさい。

加えて昨今、東北の被災地に於いて『幽霊がタクシーに乗車した』との記事が載っていた。
して、其の現象を卒論にした学生が居たという。
果たして、これらの現象はどうであるのか。

さても非科学は嘘か。否、抑も非科学とは何か。

尚『法律、社会規範、倫理、モラル等に反する主張や反社会的行動を取ったりしていれば、その宗教には疑問符が
付きます』と云うが、其れこそは単なる犯罪の部類ではないか。哀笑。

さても貴殿は、世法と学術の俗性を以って、仏法義を計らんとするか。実に其れこそが「独悪」となろう。

>また、客観的事実の主張とは異なり、例えば、根本的な人の生き方、宗教、哲学、芸術、政治、社会のあり方と
>いった問題についての議論は、人それぞれの主観による個人的意見の交換であり、そもそも絶対的に正しいという
>ものは存在しないと考えます。それらは、時代、社会、そして立場によっても変わりゆくものであると考えるから
>です。それにもかかわらず、自分たちのところの宗教だけが唯一絶対に正しく、他の宗教はすべて邪であるとする
>独善主義の思想・価値観はいかがなものでしょうか?

哀笑。

其れこそは、日蓮大聖人にお聞きすべきである。
持っているならば、御書をよ~く読みなさい。さすれば、自ずと答えが出て来よう。

>これらの主張は、私の主観による個人的意見であり、
>数学の公式や物理法則、化学式の話をしているのではありません。

何やら話が滅裂になっておるな。呆呆。
さても、数学、物理、化学、生物等自然科学の諸法則に反するものは嘘の主張で非科学的だと、言い乍(なが)ら、
一方で、人の生き方、宗教、哲学、芸術、政治、社会のあり方という主観的な問題について意見交換し、互いの
成長に役立てるべきだ、などと言う。しかも、自身をして主観的であると言う。呆笑。
つまりは、客観的事実に基づかない主張を、貴殿は為されているという事か。
ならば一体、何の御批判であるのか。つまりは単なる文句という事か。哀哀哀。

>しかし、嘘はダメですよね?
>もし、実は日蓮は楠木の板曼荼羅など作っていなかったら(作らせていたなかったら)、あなた方はどうしますか?
>日蓮本仏論の根拠としている御書が実はすべて偽書だったらどうしますか?
>私を含め、結論が出ていない事柄に対しては誰も真偽を断言することはできません。
>私は断定的な言い方はしません。

哀哀。そーであろう。要は貴殿の言いたい処(ところ)は、そこにあるのであろう。小笑。
其れを早く云えばよいのである。

もし、大曼荼羅が嘘だったら、御書が全て嘘だったら…。

はて、こーゆー質問の場合、貴殿の好きな世間法では何と云うか。

云く『もし、という仮定の話には答えられません』と。

実に其れこそが答えと成ろう。呆哀。

>「真偽未決の事柄に対して、嘘を付いている可能性がある」と表現しています。

哀哀。おいおい。

真偽未決、つまり、文献学術の限界に於いて、其れを一方側に断定し、嘘を付いている可能性とは是れ如何。
さても、其の逆を云うならば、真実を述べている可能性も、そこには存在する、という事になるではないか。
抑も「未決」とは、其れら両方の論理が成り立つからこそ「未決」と言うのである。
よろしいか。学術に於いて「未決」とは、あくまでも「未決」であって「真」でもなければ「偽」でもない。
つまりは、其れが判らないから「真偽未決」と言っているのである。

しかしである! 我々は信仰者であるから、其の学問学術の未決などは、信奉する伝法教義の上から判釈して、
其れを解決するのである。無論、そこに学問など入る余地はない。受持即観心の妙義。
さても、文献学者には判るまい。

>現代において極めて怪しいとされている事柄に対して、「いや、唯一絶対に正しいのだ!」と主張しても
>いいのでしょうか?

極めて怪しい、という認識は、まさか、記録に残っていない、という幼稚な基準から出でおるのか。
果たして、そうであるならば、対論以前に於いて其の勝敗は決しよう。
其の理由は、上に示したとおりである。

尚、記録の有無ではなく、仏法義の上からして怪しいと言うのではあれば、当方は大いに論じよう。
しかし、悲しいかな、貴殿は無信仰・無宗教、いや、若干押し上げても、初詣なら何処(どこ)へでも行く。
そして、お参りする。つまり、そーゆー行動をして「寛容」と是認する、所謂、無知な一般人であるから、
これ以上の深い対論は出来よう筈も無い。

譬えて言うならば、小学生が大学院の講義に出席しても、何の事やらさっぱり解からない、という事になる。
尚、言って置くが、これは自讃ではない。法義を堅持する者と、無信仰者との差異を述べているものである。

其れよりも先ずは貴殿に勧めよう。

貴殿には、世間の話題を中心とした掲示板とか、又は、処世や哲学を述べ合う掲示板とか、そういう掲示板の方が
よろしいと思う。先ずは、そこから出発し給え。仏法義の対論などは其れからの事である。

>盲目的に信じることなく、怪しいと考える立場に人間に対して「オマエらは謗法だ!堕地獄だ!」と脅迫して
>もいいのでしょうか?

呆笑。

はて、謗法だ、と呵責する事が、何故に脅迫となるのか。其れこそは単に物の言い様ではないのか。
人に依って物の言い方にも色々あろう。其れにしても『脅迫』とは仰々(ぎょうぎょう)しい。
さても其れこそは、一をして十と云う、応に針小棒大の誇張言ではないか。
世は其れをして『イチャモン(難癖)』と云う。

鼻笑。其れにしても『堕地獄』とは、年季の入った言い様ではある。
果たして貴殿は、創価学会で何を学んで来たのか。哀哀。

>しかし、学会を離れ、宗門を離れた今、個人的意見としては、大石寺の板曼荼羅が「いつ?どこで?誰が?」制作
>したのかということは重要ではないと考える部分もあります。
>重要なことは、あくまでも、その「内容」であると考えるからです。
>例えば、法華経と言う径典にしてもそうです。
>日蓮は、それを釈尊が説いたものと信じているかもしれないが、事実は果たしてどうでしょう?
>法華経が釈尊とは何の関係もない数百年後の無名の者たちがまとめ上げたものだとしても、
>そこに説かれている内容が感銘を受けるものであり、生きるうえでの指針となるのであれば、
>少なくともその人にとっては、それは言わば「ありがたい教え」ということになるのではないでしょうか?

おいおい、そういう言い分であるならば、先程、貴殿が述べられた、

「真偽未決の事柄に対して、嘘を付いている可能性がある」との言い様は、全く意味しないモノとなるでは
ないか。果たして、重要な事はあくまでも内容とは、学術の見地から言っておるのか。それとも、宗教に
於ける教判から言っておるのか。あいや、貴殿は無宗教であるから、学術一般の見地からしか述べられないで
あろう。ならば、尚更の事である。さても「重要な事はあくまでも内容」とは、一体何の内容であるのか。
して其れこそは、客観性に基づく内容を以って「重要」と結論しておるのか。

>本尊にしてもそうです。
>日蓮正宗は、それが日蓮出世の本懐の戒壇の大御本尊と信じているかもしれないが、事実はいざ知らず。
>曼荼羅が、「いつ?どこで?誰が?」制作したものであろうが、
>重要なことは、あくまでも、そこに示された「内容」だと考えるわけです。
>そこに示されている内容が、例えば人生の根本指針となるものであるならば、
>少なくとも「その人にとっては」それは言わば「ありがたい本尊」ということになりえると考えるわけです。

哀。誰がいつ、どこで作成しようとも、それが、自身をして人生の根本指針と成り得るなら、それこそが
示された内容という事であり、それこそが、ありがたい本尊、という事か。哀哀。

つまり、みんな其々(それぞれ)、自分に合った思想・哲学・宗教を持てば、其れこそが重要な内容となり、
其れこそが、自らの人生の根本指針となる。だから、こっちが正しいとか、あっちが間違っているとか、
そーゆー事は言わないで、皆が仲良く研鑽し合って、其々の信条を推し進めて往けば、それでよい、という事で
あるのか。

哀哀哀

申し訳ないが、貴殿にはやはり、仏法の話は無理である。先ずは宗教とは何ぞや、という初手の部分から
入った方がよかろう。教義の判釈などは、まだ十年は早い。
其れにしても「示された内容が人生の根本指針となるのであれば、それこそが有り難い本尊と成り得る」とは、
いやはや何とも、アゴの骨が即座に外れて、空いた口が地面までドスーンと落ちてしまう程の珍論である。
先ずは、其の珍論を何とかしさない。呆哀。

>また、本仏論の話ですが、日蓮の思想、主張、行動、生き方等に感銘を受け、
>日蓮は主・師・親の三徳を具備された方であるとして、末法の御本仏と仰ぎ尊敬するのはあなた方のまったくの
>自由です。しかし、それを他者へ押し付けるべきではないと考えます。
>思想・価値観は多種多様なのです。誰を尊敬するのかも、人ぞれぞれの自由です。
>世の中には日蓮のことを必ずしも尊敬しない考え方の人もいるわけです。
>あるいは尊敬はするけれども、本仏とは捉えない人もいるわけです。考え方は実に様々なのです。

呆哀。重ねて言おう。貴殿は抑も、創価学会で何を学んで来たのか。

>日蓮を末法の御本仏と仰ぐ思想こそが絶対の正義であり、それ以外は謗法であり誤りである、地獄行きだと
>主張するのはいかがなものでしょうか?

呆哀。ならば、日蓮大聖人は末法の御本仏との主張が、地獄行きの主張となるのか。
いや、それとも、全日蓮宗の教義すべてが、成仏の道を開く正義である、と云うか。

>ですから、それは他者に対する明白な脅しともなり、他者の思想・価値観、身体を拘束し、人生をも狂わしかねず、
>したがって、寛容性を持たない宗教は、所詮カルト的危険性を持った宗教でしかなく、こういった宗教までも尊重
>できるのかと問われれば、答えは否であると言わざるを得ないと考えるわけです。

呆哀。これについては、再び言おう。

謗法だ、と呵責する事が、何故に脅迫となるのか。其れこそは物の言い様ではないのか。
人に依って物の言い方にも色々あろう。其れにしても『脅迫』とは仰々(ぎょうぎょう)しい。
さても其れこそは、一をして十と云う、応に針小棒大の誇張言である。
世は其れをして「イチャモン」と云う。

尚、言って置くが、我々は中共支那の其れではない。ったく、身体を拘束するとは如何なる事か。
よろしいか。中共支那と同じにするでない。北朝鮮と同じにするでない。
さても読んでいて、貴殿の嫌悪感がしみじみと伝わって来る。哀。

尚云うが、寛容性の持たない宗教は、所詮カルト的危険性を持った宗教、とは、貴殿の未熟から出る発想であり、
抑も、寛容と峻別、つまりは、定義の上に起って其々を取捨し、其の前提を以って正義を採る、という、いわば
最良の基点というものを、貴殿は全く知ろうとしない、いや、理解し得ないから、知る由も無い。

さても貴殿は、自分の親を殺害した政府軍の兵士に対し、其れは政府軍の仕業であるとするか、それとも、
その兵士個人の仕業とするか。して、兵士個人の仕業となれば、貴殿は、其の兵士が所属する政府軍に対しては、
何の憎悪も向けないか。さに非ず、其の個人をして全体と判断し、政府軍の兵士全体に攻撃を仕掛けるか。
してそこに寛容の精神は存在するのか。いや、其れこそは都合の良い寛容性と成るのか。

本より、自身に都合の良い寛容性など、全く以って独善と成り、
然して、自身に都合の悪い寛容などは、全く以って偽善と成る。

果たして貴殿の主観はどっちであるのか。哀笑。

>およそ宗教というものは、それぞれが己の正義を主張します。だから、いつの時代も対立が絶えません。
>悲しくなりませんか?
>「家系こってりラーメンこそが至高」、「いや、あっさり中華そばこそが至高」と言い合いしている姿と
>変わらないですね、そんなの・・・

呆哀。

宗教だけではないだろう。

政治も然り、哲学も然り、科学も然り、更には、会社の会議も然り、嫁と姑も然り、延いては親子でも然りでは
ないのか。

よいか。皆、其々の考えを主張し、その優れたるを示さんとするのである。

して、其れを対立とするか、優劣の選択とするか、実に其の基本を為す度量こそが、真たる宗教の法義によって
培われるのである。

尚云うが、当流とイスラム外道を同視するでない。

無礼である。

>管理人さんは過激思想の持ち主であることは文面から察しがつきますが、逆にそういう人は、
>ひょんなことからいっきに考え方が変わるんじゃないかなとも思いました。
> (だいたい99%は水掛け論ですが・・・)

はて、当方が過激思想とは是れ如何に。

言って置くが、当方の過激性は、現中共支那(ゲリラ八路軍)の億分の一であり、朝鮮労働党の万分の一である。
つまり、其の過激は過激と成らず、其れこそはしっかと正義を顕示する、興門正統の戦士像と成るものである。

おっと! これは増長が過ぎたか。

ったく、支那や朝鮮ではあるまいし、意見する者を縛り上げて、我々に従えなどとは言わんよ。哀笑。
だから安心しなさい。鼻笑。

>繰り返しますが、私の主張こそが正しいと言っているのではありません。
>「私はこう考える。では、あなたはどう思いますか?」という議論を通じて、何か身になるものを見出したいと
>思った次第です。
>長文失礼しました

さても、その割には、嫌悪感丸出しの文体が、諸所に在ったような気もするが、いずれにせよ、最後のオチが、
『私の主張こそが正しいと言っているのではありません』と成っているのであるから、これ以上の事は申すまい。

尚、今回の様な、規則外の投稿者に対して、其の返答を記すなどは、本より例外であり、其の例外を以って、
本例と為すような事はしない。

尚、脱会者二世殿には、以後、当室に投稿されようとも、其の掲載のみならず、当方からのコメントも一切無いと、
心得られたい。爾して貴殿が、再び信仰者に成られたら、其の時にこそ来室しなさい。

以上である。
 

阿呆な身延の戯れ言を叩く 五

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 9日(月)12時25分6秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、今回が最終となる。

早速に以下の駄文を呵責致そう。

一致派身延の門人が云く、

************************************************************************************

⑤法華経の方便品、寿量品のみの読誦と本勝迹劣の誤り

確かに「月水御書」等に方便品と寿量品のみの読誦の根拠はあるが、日蓮大聖人自身は方便品と寿量品を中心に、
提婆品、神力品、陀羅尼品などの重要性を説かれており、二十八品の読誦や書写もされていた。更に本迹一致は
身延門流のみだが、本勝迹劣は浅はかな幼稚な解釈で、法華経二十八品そのままで見れば、本門の方に重要性が
あるのは当然であり、日蓮聖人の仏法の真髄があると言える。しかし、それは一応の浅はかな解釈で、本門寿量品の
立場に立脚すれば、二十八品全てが平等に尊くなり、その一致派教学を確立されたのが、行学院日朝上人や心性院
日遠上人などの日蓮宗の高僧方である。この教学と法門の深さは、勝劣義の他宗門(法華宗や仏立宗や日蓮正宗)の
僧俗には到底理解できないものである。この様な理由で、日蓮宗では二十八品読誦をするのである。

以上、おおよそ日蓮正宗の本尊と教義の誤りを述べてきたが、両方の総本山に行ってみるといいだろう。
富士大石寺は建物こそ広大で立派なものであるが、中身は恐ろしく貧弱な総本山である。日蓮聖人ゆかりの
御本尊や御遺文、御遺品などがほとんど無い。それに比べて身延山久遠寺は、日蓮聖人の御廟があり、
御本尊や御遺文、御遺品などもたくさん所蔵している。どちらが正統な教団であるか、一目瞭然である。
日蓮正宗は単なるインチキなカルト教団である。

南無久遠実成本師釈迦牟尼仏 南無平等大慧一乗妙法蓮華経 南無本化上行高祖日蓮大菩薩 南無妙法蓮華経

**************************************************************************************

哀笑。

しかし何だ。文末に身延の呪文を付記するとは、此の門人も肝が入っておるではないか。小笑。
うむ。腐っても信仰者なれば、そーゆー肝こそが大事となろう。例え小義に信を奪われていようとも、
彼の創価学会の様に、無節操に根本義を変え、其の信義さえも平気で投げ捨ててしまうよりはマシで
ある。鼻笑。さても「枯れ木も山の賑わい 」とは此の事か。小笑。

まぁ、よい。

さて、本題である。

「本迹一致」

久しぶりの呵責である。

何せ、此の十数年、本迹の違目などは、疾うに卒業し、其の殆どは、文上脱益の寿量品に対する
文底秘沈の顕示であったから、其れこそは、大型ダンプから自転車に乗り換える程のギャップと
成る。まぁ、そうであろうとも、肝の入った身延の門人が「本勝迹劣は浅はかな幼稚な解釈」と
大言しているのであるから、そこは富士門信徒として、しっかと御灸を据(す)えるべきであろう。

さて、先ずは当流の高説を、此に示そう。

理解出来ずとも、目を通して置きなさい。

其れこそは後々に於いて、領解の参考となる。

よろしいか。

先ずは云おう。

もし、法華経の謂(いわ)れを知らぬとなれば、法華経も爾前の教えと成る。
して、法華経の謂れを知るとなれば、これ爾前も亦(また)法華経と相成る。
して、本門の謂れを知らぬとなれば、本門も亦(また)迹門と成る。
して、本門の謂れを知るならば、迹門即(すなわ)ち本門と成る

尚、以降も続くが、お主は本迹一致を標榜しておるから、ここまでとしよう。

さて、法華経の二十八品。其の本迹は十四品に分かれる。

して、お主ら一致派の根旨は「本迹異にりと雖(いえど)も不思議一なり」という玄義の説を
用いての事であろう。つまりは「本迹未分」「実相一体」を主とするものであろう。
つまりは、お主が誇らしげに紹介した行学院日朝の弁、即ち「首題の内証は本迹未分の法体也という
処(ところ)を堅く心得る可き也、されば当流には本迹をば説の浅深と約束し給へり」という弁をして
主張しているのであろう。

しかしである。

迹門と本門とは、単に説の浅深のみならず、そこには勝劣がある。
つまりは、一念三千を例に採れば、迹門に於いて其の名は有るとも、其の義は無い。
つまり、真(まこと)の一念三千は迹門に於いては顕現されていない、という事である。

つまりは日蓮大聖人が曰く『一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る』と。【新編 466】
仍って曰く『迹門は本門の依義判文なり。但し真実の依義判文は本門に限るべし』と。【同】

はて、此の日蓮大聖人の御金言からするならば、行学日朝の言う「首題の内証は本迹未分の法体」とは、
実に「本門に限る」という、日蓮大聖人の再往義に対する反目となるではないか。

よろしいか。再往とは、究竟の義を示するものであり、一往とは、其の義をして究竟に非ずとするものである。

爾して大聖人が曰く『本迹の相違は水火・天地の違目なり。例せば爾前と法華経との違目よりも猶(なお)
相違あり』と。【新編 1236】

さても、此の義こそ、再往義の最たるものではないか。

つまり、本迹に於いては、其の再往義にして天地程の差異、つまりはそこに勝劣が在る、という事ではないか。
つまり、是れこそが真に本門の謂れを知る事ではないか。

果たして、お主らが言うように、爾前と法華経とは、再往義にして一致と成るのか。

よいか。お主らは上記の御金言を能く能く拝して、本迹の相違が単なる説論の浅深であるのか否か、心して深慮
しなさい。

哀笑。其れにしても、

>法華経二十八品そのままで見れば、本門の方に重要性があるのは当然であり、日蓮聖人の仏法の真髄があると言える。

と言いながら、

>しかし、それは一応の浅はかな解釈で、本門寿量品の立場に立脚すれば、二十八品全てが平等に尊くなり、

などと言う。哀笑。

さても、日蓮聖人の仏法の真髄が一往で、其の真髄(本門寿量品)の立場からして、再往、二十八品が平等に尊い、
とは、いやはや何とも、天地逆転の妄言ではある。呆笑。

よいか。一往は名通。再往は義別である。

ったく、天月をして、水月が尊いとは、是れ応に天月を識らぬ者の言い分である。呆笑。

>確かに「月水御書」等に方便品と寿量品のみの読誦の根拠はあるが、日蓮大聖人自身は方便品と寿量品を中心に、
>提婆品、神力品、陀羅尼品などの重要性を説かれており、二十八品の読誦や書写もされていた。

呆笑。だから、方便寿量の読誦が再往義。一部読誦が一往義。

仍って月水御書に曰く『勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍(はべ)り、余品は皆枝葉にて候なり』と。
爾して曰く『足代(あししろ)と申すは一切経なり。大塔とは法華経なり。(中略) 大塔をくまんがためには
足代大切なれども、大塔くみあげぬれば足代を切り落とすなり』と。【新編 1508】

よろしいか。是れ皆、悉(ことごと)く再往の義である。

さても、足代なる余品を読誦して、何の利徳なるや。呆笑。

>この教学と法門の深さは、勝劣義の他宗門(法華宗や仏立宗や日蓮正宗)の僧俗には到底理解できないものである。

呆笑。一往・再往の義さえ了せぬ者が何を言う。糞笑。

さては、此の者、頭蓋が七つに破れておるのか。哀哀。

>以上、おおよそ日蓮正宗の本尊と教義の誤りを述べてきたが、両方の総本山に行ってみるといいだろう。
>富士大石寺は建物こそ広大で立派なものであるが、中身は恐ろしく貧弱な総本山である。

鼻笑。何だ。言うに事欠いて、今度は建物の悪口か。呆笑。

言って置くが、中身が恐ろしいのは、お主らの総本山である。

何故に恐ろしいか。

さても、仁王様の形相も恐ろしいが、其れよりも増して恐ろしいのは、一致派の総本山でありながら、
勝劣派顕本の本多日生の銅像が三門近くに建っている事である。

果たして、迹門宗の総本山に、勝劣派管長の銅像が建っているという、実(げ)にも恐ろしい滅裂宗。

実に「貧弱な総本山」とは、そーゆー痴態を指して言うものである。

して、其の顕本派祖の日什が云く『大聖の御門弟六門跡、並びに天目等の門流、皆方軌弘法共に大聖の化儀に
背く処に依って同心せざる処也』と。【日什門徒等可存知事】

さても、背いている、と言われておるに、其の出処の管長を銅像にするとは、一体、お主らの脳髄は
どーなっておるのか。呆哀。反駁あるならば申してみよ!

>(富士大石寺には)日蓮聖人ゆかりの御本尊や御遺文、御遺品などがほとんど無い。
>それに比べて身延山久遠寺は、日蓮聖人の御廟があり、御本尊や御遺文、御遺品などもたくさん所蔵している。
>どちらが正統な教団であるか、一目瞭然である。
>日蓮正宗は単なるインチキなカルト教団である。

呆哀。先ず以ってインチキなのは、本迹ゴチャゴチャのお主らである!
上記の文句など言う暇があったら、本多日生の銅像を何とかしなさい!

尚、御廟は信仰の基と成らず、御遺文(真筆御書)の所蔵に於いては、大石寺が32書、久遠寺が1書である。
ったく、事の数を誤魔化すものではないぞ。よろしいか。

>南無久遠実成本師釈迦牟尼仏 南無平等大慧一乗妙法蓮華経 南無本化上行高祖日蓮大菩薩 南無妙法蓮華経

さて、此の呪文が最後の破折となる。

しっかと読みなさい。

日蓮大聖人に曰く『日蓮は日本国の諸人に主師父母なり』と。【新編 577】
重ねて曰く『日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし』と。【新編 830】

実に是れこそは、仏の三徳を顕示されたものである。

仍って曰く『仏法必ず東土の日本より出づべきなり、(中略) 当に知るべし、仏の如き聖人生まれたまわんか』と。
                                         【新編 678】

果たして、仏が御誕生の時は五色の光気四方に遍き、仏御入滅の時には十二の白虹南北に亘ったという。
爾して日蓮大聖人、或は大地震、或は天変、宛(あたか)も仏が生滅の如く、近年に於いて勃発せるという。
仍って曰く『当に知るべし、仏が如き聖人生まれたまわんか、滅したまわんか』と。【同上】

実に是れこそは、元初本因凡夫僧の本仏たるを、御自ら示唆されたものである。

さても、大聖人御生誕の時、砂浜から清水が湧き出で、庭の池に蓮華が咲き、浦に於いて鯛が群れを為し、
御入滅の時に於いては、即座に大地が震動したという。

当に符合とは此の事か。

而して曰く、

【南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳大慈大悲宗祖日蓮大聖人】と。

よろしいか。日蓮大聖人は菩薩ではない。

真(まこと)【南無妙法蓮華経日蓮】たる本因の仏である。

尚、此れより先は、本迹の領域を超えるものであるから、先ず以って身延の門人が本迹の違目を領解した後に、
其れらを述べる事にしよう。

以上である。
 

H27法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 9日(月)11時56分41秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お久しぶりで御座います。

さて、今回も御身内への再折伏。

必ずや成就するでありましょう。

何れに致しましても、創価学会は、必ず混乱をきたします。

>さて、昨日、朝刊、読売新聞で、北朝鮮が、金日成、金正日を永遠の…総書記、としたと(笑)
>おい、創価学会の三代とかぶるなあ。
>独裁、洗脳化集団とは、かくも似る、負けても勝ちと言い張る、ごみ集団だなあ。

御意。

古(いにしえ)から、権力は三代を以って萎える、と申します。

まぁ、北朝鮮などは、其の典型でありましょう。

遅くとも、四代目にして崩壊致します。
 

脱会者二世殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 9日(月)11時32分39秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  投稿を確認の上、今回のみ掲載致します。

尚、今回の掲載理由は、串投稿でない事。

加えて、自身をして無信仰者であると親告している事。

此の二つの理由に於いて、特に掲載したものであります。

しかし、当室は無宗教・無信仰者からの投稿は、受け付けておりません。

又、其の事は、赤文字による規則事項に記(しる)されております。

どうか、今一度お読み下さい。

尚、一言だけ申しますが、

抑も根本尊崇たる本尊を、貴殿らの様な無信仰者の要請によって鑑定に出す事自体が、事の道理に反するのであり、
其れこそは、師匠から戴いた大事な形見を『待てよ是れは本物か』と疑念し、其れこそ質屋の暖簾をくぐって、
目利きの判断に委ねると同じ行為に成る。増してや、其れを他人から勧められて行うなど、まこと人倫にも劣る恥行
となります。さても、世間の道理でさえ、そうであるのに、信仰の世界に於いて、尊仰する本尊を其の様に扱うなど、
これ全く仏菩薩に対する冒涜と心得るが正義であります。

尚、申し訳ないが、お主はそういう次元に於いて理解していない。

無信仰者のお主には失礼であるが、我々信仰者からして無信仰者の価値観ほど幼稚なものは無い。
まぁ、其れは其れで、仕方のない事であろうが、兎も角、お主からの投稿は今回のみとさせて頂く。

又、真偽未決と言われるが、抑も真偽が未決となれば、そこに於いて客観的事実も未決となろう。
したがって、お主の言う、

『真偽未定である大石寺の板曼荼羅こそが唯一絶対に正しい本尊と主張し、それを信じることは、
客観的事実に反した虚偽の主張を信じているという可能性があることに加え、他者の思想・価値観を
否定することになる』との弁は、応に牽強付会の其れであり、其れこそは無信仰の名の下に、信仰者の
思想信条と其の価値観を否定するものである。

加えて『寛容性を持たない宗教は、所詮カルト的危険性を持った宗教でしかなく、こういった宗教までも
尊重できるのかと問われれば、答えは否であると言わざるを得ない』とは、其れこそが客観性に乏しい
発言であり、其れこそはお主の個人的思考である、という事を、此にして断言するものであります。

尚、重ねて申しますが、次回からの投稿については、是非、信仰者と成ってから実行して下さい。

本より其れが不可となれば掲載は出来ません。

規則は規則です。守って往きましょう。

以上であります。
 

アホ、馬鹿と謗法者は恐ろしいまで、笑える程に似るなあ。

 投稿者:H27脱会@法華講員  投稿日:2016年 5月 9日(月)11時29分23秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  こんにちは。
管理人、大月天さま、法華講のみなさま。

皐月、5月、日増しに日差しも強まり、こちら関東圏も晴れると初夏の様です。
約、1ヶ月近く、こちらに来れず、ご無沙汰しておりました。
私、創価学会の、積年の謗法から、脱却果たしたのが昨年の10月18日、以来、
半年以上が経過致しました。

創価学会で、「おかしいんじゃ無いか?」「謗法に加担してる」「選挙が何故、法戦?」
「池田大作が師匠って恒久性有るか?」「創価の勝利とは、誰も勝者が居ない、負け犬
の遠吠えにも成らない戯言」…日々、常々歳々、感じて居た、疑念を、打消し打消し、
どうにか自身を、騙す、あの、日々を顧みるとき、本当に、創価学会を、辞めて良かった
と、五月晴れの晴れ渡る、深い青い空の様に、爽やかな、気分です。

昨日は、所属寺院、菩提寺さまで。ご報恩御講日でした。
また、今週は、支部登山で、総本山、本門戒壇の大御本尊さまに、今年の、ご霊宝お虫
払い法要、参詣させていただいてより、2回目、お目通りが叶います。

先週は神奈川、川崎に住む、長男、兄夫婦を再折伏、創価学会が今や大謗法集団成り下
がった、池田創価が、大謗法の本性現した、今も尚、残留してる事の破折に行って来ま
した。素直に話を聞き、もう、少しの所まで、理解しつつ有ります。
今週、土日、総本山登山の帰路、同じく、神奈川、県央に住む、4男、兄、この兄が、亡き
父、授与頂いた、日昇上人さま、ご書写の常住御本尊を、継続護持してるのですが、やはり
、未だ、創価学会の、つまらない、しがらみに囚われて居るので、今年、3回目の破折に
行き、また、続けて、長男宅にも行き、創価学会を辞め、正しい信心に、立ち返るよう
話に行きます。

さて、昨日、朝刊、読売新聞で、北朝鮮が、金日成、金正日を永遠の…総書記、としたと(笑)
おい、創価学会の三代とかぶるなあ。
独裁、洗脳化集団とは、かくも似る、負けても勝ちと言い張る、ごみ集団だなあ。

さ、日蓮正宗の信心の正しさを、歓喜の心で、今日よりまた、語って語り抜いて、一人でも
多く、正しい信心に目覚めさせて行こうと思います。

 

創価学会はカルト

 投稿者:脱会者2世  投稿日:2016年 5月 8日(日)14時56分11秒 p764149-ipngn200606sizuokaden.shizuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  所属:日蓮正宗、創価学会、顕正会等独善主義教団以外の寛容性を持った一般的日本人
   ゆえに、特定の信仰対象は無し。

さて、創価学会はカルトであることは論を待たない。
しかし、日蓮正宗も同様である。
この掲示板を閲覧し、どちらも目くそ鼻くそ、同じ穴の狢だということがよく分かった。

科学鑑定未実施で真偽未定である大石寺の板曼荼羅こそが唯一絶対に正しい本尊と主張し、
それを信じることは、客観的事実に反した虚偽の主張を信じているという可能性があることに加え、
他者の思想・価値観を否定することになる。

同様に、日蓮こそが唯一絶対に正しい本仏と主張し、それを信じることは、
やはり 他者の思想・価値観を否定することになる。

日蓮を本仏と仰ぐ思想は勝手、自由だが、そこそが唯一絶対の正義と主張したうえ、
他者の思想・価値観を否定し、信じる者は救われ、信じない者は救われない、
あるいは地獄に堕ちる等の独善的な教義を掲げているとすれば、
それは他者に対する明白な脅しともなり、他者の思想・価値観、身体を拘束し、人生をも狂わしかねない。

したがって、寛容性を持たない宗教は、所詮カルト的危険性を持った宗教でしかなく、
こういった宗教までも尊重できるのかと問われれば、答えは否であると言わざるを得ない。
 

阿呆な身延の戯れ言を叩く 四

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 7日(土)22時16分49秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて今回は、以下の疑難である。

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④偽御書が多い

正宗の御書は自分達を正当化する為に意図的に編集してあって、「日蓮一期弘法付属書」「二箇相承」
「本因妙抄」「百六箇抄」など、偽御書である。

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哀笑。観ればどれもこれも使い古した文句ではある。

本より、五老門下にとって、どれもこれも都合の悪いものであるから、日蓮大聖人の直筆が残っていない、
との理由で、文句を垂れているものである。しかし、何度も云う様に、直筆が残っていない、という事と、
そこに示されている内容が偽である、という事は、須らく比例するものではない。つまり、直筆が残って
いなくとも、そこに示されている内容が正義であるならば、其の書は偽(いつわ)りの書ではなく、あくまでも
正伝書として扱わなければならない。無論、其の示されている内容が、正義であるのか、将又(はたまた)邪義で
あるのか、実に其の判釈に於いて、其々に伝わる門流の教義が係わってくるのである。又、其れこそが
我が日興門下と五老門下との対峙ともなろう。尚、其れらの教判に於いて、無信仰・不信心の学者らが色々と
理屈を捏ねておるが、抑も、そういう連中には仏法義の理解などは無いのであるから、そこに示されている内容に
ついて、正義だ邪義だ、と判定する智量などは初手からして持ち合せているものではない。其れこそは精々、
直筆か写本か偽本か、という分類作業に止(とど)まるが、これら無信仰学者の限界とも成ろう。哀笑。

さて、身延の門人。

「日蓮一期弘法付属書」「二箇相承」「本因妙抄」「百六箇抄」などは、皆偽りの書であり、其れらの諸文を
御書に載せるは、是れ全く日蓮正宗が、己(おのれ)を正当化する為の意図的編集の其れである、と云う。

哀笑。

はて、其の『意図的な編集』とは、日蓮大聖人の直筆でないものを掲載している、との意であるのか。
其れとも、示されている内容がデタラメである、という意であるのか。本より、本人の直筆ではない、
という理由で文句を垂れているならば、もう其の時点で却下となる。何度も云うが、直筆の有る無しと、
そこに示されている内容の真偽正邪とは別であり、又、其れら直筆の有無を以って、本人による執筆の
事実が否定されるものでもない。要はそこに示されている教義が正義であるのか邪義であるのか、実に
其の視点こそが重要なのであり、又、そこにこそ相伝の真価が発揮されるのである。言うまでも無いが、
其れらの判釈に無信仰の学者が入る余地などは無い。つまりは五老門下の教義が正しいのか、其れとも、
我ら富士門の教義が正しいのか、其れこそ、其々の門流が堅持している法義法門によって、其れらの判定が
為されるのである。よろしいか。真蹟(直筆)の有無は、伝法教義からして絶対ではないのである。
そこの所を、オマエら身延は能く能く理解しなさい。

哀笑。其れにしても何だ。

「日蓮一期弘法付属書」「二箇相承」とはどういう事だ。哀笑。

まさか「三箇相承」という事か。小笑。

身延の門人よ。もし間違いであるならば、即刻に訂正致せ。観ていて余りにも恥ずかしい。哀。


では参ろう。

先ずは「二箇相承」。

本より、此の二箇の相承の御直筆は残されていない。

尚、房山日我(保田妙本寺14代)によれば、天正9年(1581)西山13代の日春が、重須10代の日殿から二箇相承を
含む重宝を強奪し、其れらの重宝は全て、諏訪四朗勝頼(武田勝頼)が支配する甲府に持ち去られるも、其の後、
織田信長の来襲によって、二箇相承は紛失した、という。まぁ、其の後の成り行きは存知の如くであるが、
果たして、家康の手に渡った二箇相承が、其の儘、久能山に持ち去られたとか、今にして身延傘下の北山本門寺が
真筆を隠匿しているとか、色々と耳には入って来るが、其れとても確証はない。本より、西山によって強奪される
以前の二箇相承が、果たして真筆であったのかどうか。して観れば、当宗14世の日主上人が、其の強奪される以前に
於いて、二箇相承を写されたとある。しかも、要法寺19代日辰が、重須8代の日耀に正本臨写せしめたという
二箇相承の写しと同じく、日主上人の写本にも「身延山」ではなく「身遠山」と記されている由。
さても、そうであるならば、御真筆自体が「遠」となっておったのか、其れとも日耀の誤写によるものか。まぁ、
其れ以上の事は、学問文献による連想の分野と相成るから、是れにて止める事にするが、何れにしても、二箇相承に
記(しる)されている内容こそは、須らく正義であり、又、事実、其の様に成っているのである。
尚、日亨上人は興詳伝上に於いて「遠」の字のある日辰臨写本をして『もっていささか(御正本の)二箇相承を偲ぶに
足る』と仰せになる。

して、聖教文庫発行の興詳伝下180ページにある『惜しいかな、正本は天文九年に紛失す』の「天文九年」とは、
「天正九年」の誤りであろう。

ついては補足だが、二箇相承の「身延山付属書」に於いて『白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当
たるべきなり』とあるが『白蓮阿闍梨日興』と記されているのは、宗祖御遷化記録(正本・西山本門寺蔵)のみ
であり『身延山久遠寺』という寺号などは、オマエらが大好きな真筆御書のみならず、全ての御書に於いて、
其れらの寺号は記されてはいない。となれば、身延相承書に於ける「身延山久遠寺」という寺号が初出となり、
「白蓮阿闍梨日興」という表記も、記録書以外に於いて初出となる。果たして、其れらの初出を以って作者の
偽造とするか、其れとも、日蓮大聖人の明記とするか、其れこそ、身延山久遠寺のHPにある『弘安四年(1281)
11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、日蓮聖人自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名された』という
文言は、一体何処(どこ)の文献から持ち出したものなのか。よいか。其の事を明示しなければ「身延山久遠寺」と
いう寺号こそは、実に身延相承書から持って来た、という事にもなる。そうであろうが一致派よ。哀。

猶(なお)云うが、二箇相承の信憑性については、日興上人の弟子である、大石寺談所の重須学頭日順師が、
「摧邪立正抄」に於いて『日興上人に授くる遺札には白蓮阿闍梨と云々』と記(しる)されて、是れまったく、
「白蓮阿闍梨日興」と銘記さる二箇相承(日蓮一期弘法付属書・身延山付属書)を拝覧した証拠であると、
当方は此に於いて確信するものである。

して現在、日興上人が離れた身延山久遠寺は、日向已来の本迹一致の邪義を維持継承し、其の順世迎合の
受体を以って、其の謗法義をまき散らし、宗祖日蓮大聖人の御真意を踏みにじっているのである。

よいか。実に其の実態こそ、二箇相承の正義が示された、反面の証拠である!

哀哀。民部日向の末裔よ。

そして、謗山身延の碌を食(は)む文献亡者の学者共よ。

よいか。オマエらが先ずやるべき事は、本迹一致の邪義たるを勉学する事である。

よいか。本迹に迷っているオマエらに、種勝脱劣の大義など解かろう筈も無い。

だからこそ、オマエらは本因妙抄の深義に驚き、百六箇抄の奥義に嫉妬するのである。

ったく、途中の人師がどーの、と言いながら、否、一致派の分際でありながら、日春や日我や日辰の
文言を引っ張り出して、あれやこれやと文句する、そういうオマエらの節操のない思動こそ、実に、
節操のない本尊義の体現であり、当に諸宗本尊に迷えり、を地で行く謗法体の其れである、という事を、
オマエらは能く能く識るべきである。

さても、そんなオマエらが、其の示さる深義に驚愕する本因妙抄。

果たして、一致派のオマエらが、どんなにアタマを捻くり回そうとも、法華本門宗血脈抄事の深義など、
到底理解し得ないであろう。哀哀。

本より、本抄に於いても、其の直筆の有無に於いて正邪の判定など出来るものではない。

要は、そこに示される教義が、我ら門徒にとって正義であるか邪義であるか、という判釈の如何こそが
重要となる。とまれ、真筆の有無を探究する作業などは、其れこそ学者に任せておればよろしい。
無論、事、教義に関して口を挟むなどは、学者の分際で為すものではない。

よいか、此のセリフ、何度も言わせるものではないぞ。

さて、本因妙抄の二十四番勝劣に曰く『彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千・一心三観、此は久遠元初の
自受用報身無作本有の妙法を直ちに唱う』と。【新編 1682~1683】

享けて、重須日順師が曰く『此れは久遠元初の自受用報身・無作本有の妙法を直ちに唱ふ者・無作本有の妙法は
法の中に最上甚深の秘法なり。(中略) 久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の
自受用身と取り定め申すべきなり』と。【富要二 83】

爾して曰く『我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり』と。【前出】
重ねて曰く『然ルに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり』と。【富要 113】

仍って日寛上人が曰く『本因妙の教主釈尊とはこれ蓮祖聖人の御事なり』と。【文段 531】
仍って曰く『前に明かす所の本尊の為体、一毫も動かず、全くこれ久遠元初の自受用身の当体の相貌なり』と。
                                           【同 502】

つまりは、久遠元初の一法、是れ南無妙法蓮華経仏の当体にして、凡夫本因の覚知する所の妙法。
其(そ)は即ち、人法体一の深法にして、其の具現する処、須らく日蓮大聖人の御心體に直伝さる。
本より其の直伝、法界より為る。即ち是れ、法界即日蓮・日蓮即法界の深義にして、本尊の為体、
是れ全く久遠元初の自受用身の当体と成る。仍って其の御相貌【南無妙法蓮華経日蓮】の御首題と
して顕わる。然るに五老門、其の大義を知らず、唯、我が興門正統のみ、其の大義の淵源を知る。

仍って日蓮大聖人が曰く『此の経は相伝に有らざれば知り難し』と云々。【新編 92】

本より「此の経」とは法華経なり。

爾して大聖人が曰く『法華経を以て本尊とするなり』と。【新編 1275】

よろしいか。則ち、宗教の根本たる本尊義こそは、相伝によって伝持される、という事である。
則ち、其の伝える相手によって、其の正伝が相成る、という事であり、其れが無くば、到底、
知り得ない本尊義と成るのである。

尚、本因妙抄に於いては、年月不明ながら、重須日順師の「本因妙抄口決」があり、第六世の日時上人や、
日寛上人による写本なども有る。尚、日亨上人は、日順師の著書について、

『本因妙抄ロ決などを要法寺あたりでは、偽書だなんていっている。それに、文體が他の物と違うですからね。
(中略) 文體がほかの三位日順の修正された文章にくらべてみると、ほとんど似つかない拙文です。それで、
これを偽書だというのです。けれど、その、ほかに日安の寫した古いものによってみるというと、同し種類の
日順のものがあったのです。ですから拙文だからといって偽書ではありません』

と断言されている。(堀上人に富士宗門史を聞く)より。

尚、補足であるが、「日蓮宗」という日順師の表記については、文中の対比語として解釈出来るものである。

さて次は、百六箇抄である。

先ずは拝するに、此の百六箇抄。まこと奥義にして甚深なる御抄である。
本より、そこに示された正伝は、凡(およ)そ御義口伝に勝るとも劣らないものである。

曰く『久遠名字の時受くる所の妙法は本、上行等は迹なり。久遠元初の結要付属と日蓮が今日寿量付属とは
同意なり』と。【新編 1697 本門付属の本迹】

又曰く『本因妙を本とし、今日寿量の脱益を迹とするなり。久遠の釈尊の修行と、今日蓮が修行とは介爾(けに)
計りも違はざる勝劣なり』と。【新編 1696 末法の時尅の弘通の本迹】

当に、元初本因凡夫僧に於ける御本仏の妙体を示された、まこと甚深なる法義である。

哀哀。本より、日向門下の末流に解かろう筈も無いわ。哀哀。

何? 日蓮大聖人がそんな事を言われる筈がない、とな。呆呆。

小笑。なんで其れが解かる。さても、オマエらが理解し得ないから、其の様な事を言っているのであろう!

本より、彼の日向の血を引く連中である。唯、驚いて、そんな事など在るものか、と、口角泡を飛ばして
文句を言い、山積みの学本を読み漁(あさ)っては、重箱の隅を突(つつ)かんとするのであろう。鼻笑。

尚、百六箇抄は日尊に相伝されたものだ、などという輩も居るが、さて、其の日尊は、一体誰から百六箇抄を
受けられたのだ。小笑。まさか、我が富士大石寺の御開山様ではあるまいな。小笑。
して、もし御開山である、と云うならば、百六箇抄こそ、我が正統・富士門流よりの相伝書である。事実、
そうであるからこそ、我が富士大石寺に於いて心読するのである。尚、百六箇抄は要法寺の相伝書だ、という其の
百六箇抄をして、オマエらが「要法寺出身だ!」と小口を尖らす、当の日精上人が、

『正和元年十月十三日に両巻の血脈抄を以て日尊に相伝し給ふ、此の書の相承に判摂名字の相承、形名種脱の
相承あり、日目、日代、日順、日尊の外漫には相伝し給はざる秘法なり』【「家中抄・日興伝」富要五 170】

と記述して、要法寺開基の日尊のみならず、日目上人、そして、重須の日順師、加えて西山開基の日代までも、
本因妙抄や百六箇抄が相伝されている旨、示されているのである。言うまでも無い。日尊は日目上人の弟子である。
となれば、上記の内容こそは、応に信憑性のある内容ではないか。

尚、要法寺日辰とは西山日春との問答(辰春問答)に於いて、

『興上本因妙抄百六ケ両巻の血脈を以って日尊に付属すと云うこと西山重須大石諍ひなし』【富要六  42】

とは、抑も両巻血脈抄が大石寺の相伝義ではないから、日尊に対する付属について争い(異論)なし、という意では
なく、本より、日目上人に於いて両巻血脈抄の大義は既に日興上人から相伝されておるから、其の日目上人の弟子で
ある日尊に両巻血脈抄が改めて相伝(唯授一人の付属ではない)されようとも、唯授一人の其れではないから、別段、
異論などはない、という事である。尚、其の様には絶対読めないというならば、此の論証が間違いであるという
決定的な証拠を出して貰おう。さても、両巻血脈を以って日興上人から日尊に付属とは、一体何の付属であるか。
其れよりも何よりも、本因妙抄と百六箇抄、共に日興上人から付属された、とは、つまりは、この両巻血脈抄が
抑も日興上人からの相伝書である、という証左ではないか。つまり、日興上人からの相伝書となれば、其(そ)は則ち、
我が富士大石寺の相伝義ともなる。

そうであろう、身延よ。実に是れこそが道理と云うものである。

哀哀。其れにしても哀れよのぉ、なぁ、身延よ。

応に無慙とはオマエらの事である!

よいか!

オマエらこそは、甚深なる両抄に文句する以前に、木釼(和風カスタネット)修法の正義を、仙寿院日閑の
言葉で説明してみせよ。加えて、中山法華経寺の日久が、身延において積善坊流の相伝を受け,これを基に中山に
遠寿院流の祈祷法を確立した事について、其の正義を、オマエらの大好きな真蹟御書で証明致せ。
加えて、七面明神説を唱えた貫首日唱が、除歴された上に投獄され毒殺された、という事を、七面明神の正義から
説明してみせよ。無論、これとて、オマエらが大好きな真蹟御書からの説明である!

加えて一つ。オマエらが各寺院で行っている「九識霊断法」なる呪(まじな)いについて、其の正義たるを
日蓮大聖人の御金言から証明して貰おうかい。

言って置くが、串ではイカンぞ!

さて、次回が最終となる。

身延の門人が云く、

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⑤法華経の方便品、寿量品のみの読誦と本勝迹劣の誤り

確かに「月水御書」等に方便品と寿量品のみの読誦の根拠はあるが、日蓮大聖人自身は方便品と寿量品を中心に、
提婆品、神力品、陀羅尼品などの重要性を説かれており、二十八品の読誦や書写もされていた。更に本迹一致は
身延門流のみだが、本勝迹劣は浅はかな幼稚な解釈で、法華経二十八品そのままで見れば、本門の方に重要性が
あるのは当然であり、日蓮聖人の仏法の真髄があると言える。しかし、それは一応の浅はかな解釈で、本門寿量品の
立場に立脚すれば、二十八品全てが平等に尊くなり、その一致派教学を確立されたのが、行学院日朝上人や心性院
日遠上人などの日蓮宗の高僧方である。この教学と法門の深さは、勝劣義の他宗門(法華宗や仏立宗や日蓮正宗)の
僧俗には到底理解できないものである。この様な理由で、日蓮宗では二十八品読誦をするのである。

以上、おおよそ日蓮正宗の本尊と教義の誤りを述べてきたが、両方の総本山に行ってみるといいだろう。
富士大石寺は建物こそ広大で立派なものであるが、中身は恐ろしく貧弱な総本山である。日蓮聖人ゆかりの
御本尊や御遺文、御遺品などがほとんど無い。それに比べて身延山久遠寺は、日蓮聖人の御廟があり、
御本尊や御遺文、御遺品などもたくさん所蔵している。どちらが正統な教団であるか、一目瞭然である。
日蓮正宗は単なるインチキなカルト教団である。

南無久遠実成本師釈迦牟尼仏 南無平等大慧一乗妙法蓮華経 南無本化上行高祖日蓮大菩薩 南無妙法蓮華経

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哀笑。

若干の重複とは相成るが、須らく駄文を破す事にしよう。
 

阿呆な身延の戯れ言を叩く 三

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 5日(木)13時59分10秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、前回は、日有上人が戒壇の大御本尊を創作したという、其の難癖がましい痴弁に対して呵責致したが、
抑も、日有上人が、いつ戒壇の大御本尊なるものを創作したのか。其の年月日も言えぬ癖して、適当な事を
言うものではない。第一、其の創作したという板本尊が、何故に弘安二年十月十二日の建立となっておるのか。
何故、其の日をして選んだのか。なんだ、まさか、聖人御難事を観ての事か、将又、大石寺譲状を観ての事か。
言って置くが、聖人御難事にも大石寺譲状にも【十月十二日】とは記されてはいない。加えて、三師伝にある
【大聖人御感有て日興上人と御本尊遊ばす】の記述に於いても、十二日という日付は入ってはいない。
其れとも何か。御自らが法主を務める富士大石寺の創建日が、十月十二日であったから、其の日付を書き入れた
とでも云うのか。いや、其れを云うならば、何故、富士大石寺の創建が、十月十二日であるのか。
オマエらは其の事を須らく論証しなければならない。

よいか身延よ。

日頃から文献を弄(いじく)り、其れこそ、日付がどーの、背景がどーの、と妄想を捻くり出して文句するのもよいが、
上記の論証に加え、我が富士大石寺の創建日が、実に戒壇の大御本尊に刻された日付に則して決定された、という
其の可能性についても、全面的且つ完璧に否定出来得る証拠を持参してこそ、オマエらの妄想癖が此に於いて多少は
救われるというものである。

オマエらには勿体ないが、此に若干述べよう。

よいか聞け。

さても何故に、日蓮大聖人の御入滅日が、十月十三日であったのか。爾して彼の天台智者大師は、其の本懐たる
摩訶止観を説いた後、其の四年後に入滅された。爾して、日蓮大聖人も弘安二年の本懐宣言より四年後に於いて
御入滅されたのである。さても此の不思議。実に日興上人が譲状にて仰せらる【弘安二年の大御本尊】こそが、
其の思惟及ばざる所の不可思議境、つまりは、日蓮大聖人の大本懐たる本門戒壇の大御本尊ではないか。実に、
日有上人の御登座から遡(さかのぼ)る事、百四十年。将来の大戒壇に御安置されるべき大本懐の御本尊は、厳然と
富士大石寺に在られたのである。よいか。それ以上、世迷言を言うものでないぞ。

では本題に参ろう。

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③日興上人への血脈相承と身延離山の嘘

日蓮聖人が日興上人に血脈相承をしたという事はあり得ない。日興上人が優れた方であったのは事実だが、
日蓮聖人は六老僧を全て平等に見ておられ、日興上人は日向上人や波木井実長と対立して身延山を下山した
だけで、決別を意味する離山ではない。これには多くの証拠がある。日蓮宗では六老僧を全て平等に敬って
いる。日蓮大聖人は「波木井殿御書」の中で、「日蓮が弟子、檀那等はこの山(身延山)を本として参るべし」
と言われている。正宗の御書には載っていない(都合が悪いから)。

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鼻笑。又しても、そういう戯れ言か。鼻笑。

>日蓮聖人が日興上人に血脈相承をしたという事はあり得ない。

いや、有り得るだろう。

釈迦は迦葉。
天台は章安
伝教は義真。

皆、付法は一人である。

本因妙抄の加文に曰く『彼の天台大師には三千人の弟子有りて章安一人朗然たり。伝教大師は三千人の衆徒を置く、
義真已後は其れ無きが如し。今以て是くの如し』と。【新編 1680】

して五人所破抄に曰く『伝え聞く天台大師に三千余の弟子有り、章安朗然として独り之を達す、伝教大師は三千の
衆徒を安(お)く義真以後は其れ無きが如し』と。【富要二・6】

さても、両抄の文面が類似するは、此れは是れ、五人所破抄の作者が重須日順師となるならば、上記本因妙抄の
加文こそは、応に日順師のものと推察出来ようが、まぁ、其れ以上の空想は、一部の莫迦を含む文献愛好家の仕事で
あるから、信仰者である当方は、其れ以上の゙ストーリー゙は敢えて書くまい。小笑。

して、其の日順師が云う。

『日興上人は・是れ日蓮聖人の付処・本門所伝の導師なり、稟承五人に超へ・紹継章安に並ぶ』と。【富要二・22】

つまり、仏法の相伝に於いては、唯授一人に於ける血脈相承、師資相承というものが厳然と在る、という事であり、
其(そ)は、伝持する法義が甚深であれば在るほど必須である、という事である。

又、其の義が在るからこそ日順師は『師資相承未聞の私案自門一人の外・口外すべからず密議なり』【富要二・33】
と仰せられたのである。いや、其れよりも何よりも、日興上人の筆受たる御義口伝に於いて、

『唯授一人の相承なり、口外すべからず』との御文が在れば、最早、唯授一人に於ける血脈相承は、在って然るべき
と云うべきである。

仍って、身延が主張する「六人相承」など有ろう筈も無く、其の証拠など、日興上人と五老僧との相違を観れば、
炳(あきら)かではないか。つまり、本弟子に於ける六老僧の制定は、あくまで其々の教線に於ける主師の制定で
あり、法義法門に於ける均等相承ではない、という事である。

五老僧が云く『本尊に於ては釈迦如来を崇め奉るべし』と。
爾して日興上人が曰く『聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず』と。

果たして、此の相違は一体何であるのか。さても均等相承であるならば、此の様な雲泥の相違など有ろう筈もない。
言える事は唯(ただ)一つ。日興上人こそが正しく日蓮大聖人の御正意を領解されていた、という事であり、つまりは、
そこに法義の相伝が唯授一人に於いて為されていた、という事である。

つまり『日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す』『釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す』という
二箇相承の内容は、まこと、其の信憑性に於いて信じ切れる文証という事になるのである。

実に『日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って』という日興上人の御言葉にこそ、
当に日蓮日興・血脈の次第がそこには在ると、此に確信するものである。

果たして、六老筆頭の弁阿闍梨日昭(権律師・法印)は天台宗に溶解し、六老第二の大国阿闍梨日朗は、後年重須の
日興上人を訪ねて落涙し、六老第四の佐渡公日向は、身延在の日興上人によって学頭に任ぜられ、六老第五の伊予公
日頂は、後年重須に帰郷して日興上人に信伏し、又、其の弟たる日澄も身延日向の下を去って日興上人に帰順し、
そして、六老第六の蓮華阿闍梨日持は、四十九院時代、日興上人の下にあり、後年、大聖人の本弟子と成るも、
其の後、北方に於いて行方不明となる。

さてどうであるか。なんと五老僧の内、一時の帰参も含めて、三師(日朗・日向・日頂)が、日興上人の下に於いて
其の身を振っておるではないか。しかも、残る二師(日昭・日持)は、観ての通りの行状である。

よろしいか。事の事実というものは、単なる文献文字の有無によって決せられるのではなく、其の目に映りたる
実際の現証に於いても決定されるのである。お主らは其の事を能く能く肝に銘じなさい。

さても、日蓮大聖人を大菩薩と下し、しかも、其れら寺院を統括する僧侶をして『聖人』などと浮言し、
やれ仁王様だ、やれ四天王様だと、其れこそ節句のひな壇飾りではあるまいし、其れこそ日興上人が見られたならば、
さもありなん、さもありなんと、其の異流異変の本尊式をして、改めて五一相対の淵源を再知される事であろう。
実に、其の果を知らんと欲せば、其の因を見よ、とは此の事である。

我らが中興・日寛上人が曰く『六老の次第は受戒の前後により、伝法の有無は智徳の浅深による』と。【六巻抄 197】

よいか。オマエらが言う様な、六人均等相承なるものはない。在るのは、伝法第一の選定のみである。
よいか。教線は六人、伝持は一人。其の事を、能く能く覚えて置きなさい。
ったく、日蓮大聖人を『上人』と言い、燕尾帽子(もうす)の紫袈裟の坊主が、何故に『聖人』であるのか。
よいか。オマエら五老門下は、そういう習慣の淵源こそを説明すべきである。
尚、言って置くが、キツネとかヘビとか天女とか、そんなモノはもうよい。バカらしくて話にも成らん。

次。

>日興上人は日向上人や波木井実長と対立して身延山を下山しただけで、決別を意味する離山ではない。
>これには多くの証拠がある。

哀笑。まさか、決別を意味するものではない、とは此の事か。

曰く『米の紙袋一・串柿五連しろしめして候にいつれもこれにてはめつらしさ申はかりなきものにて候。
めいめいに給候事おそれ申はかりなく候。なをなを御世間こそおもひやりまいらせて候に種種にあつかり候事
聖人の御宝前に申上まいらせて候。恐々謹言』【六郎入道殿御返事 日興筆 富士妙蓮寺所蔵】

小笑。はて、其の「六郎入道殿」は、波木井実長で間違いないか。小笑。

他にも居るぞ。六郎入道殿が。鼻笑。

してもし、上記の手紙が間違いなく波木井実長宛のモノとすれば、実に其れこそは、実長の子息が違背した父の
名代として御供養されて来たのを、心中其れを察した日興上人が、敢えて実長宛てに手紙を返されたのではないか。
つまりは、日興上人による子息等へのご配慮のお手紙ではないのか。さても、実長も悪いが、其れ以上に日向が
悪いと、日興上人は思われていたのやも知れん。さすれば猶(なお)の事。慈悲教導の意味に於て、其れらの御返事を
書かれたのやも知れん。よろしいか。手紙のやり取りには、奥が在るのである。文献莫迦よろしく文章の上っ面
(うわっつら)ばかりを舐めるものではない。

あとは何だ。まさか「弟子分本尊目録」の事か。

哀笑。其れは止めた方がよい。火傷するぞ。鼻笑。

あとは有るか。他に証拠が有るなら、其れを出しなさい。

其れにしても何だ。「対立して身延山を下山しただけで、決別を意味する離山ではない」とは、何とも凡庸な
言い様である。よいか。日興上人は、地頭と学頭の謗法に於いて、身延を離山したのである。其の様な事、
数ある傍証に於いて明らかではないか。しかし、後に於いて相手が悔悟するならば、当然に許されるであろう。
つまりは対立でもない、決別でもない。日興上人の御選択は、其れよりも深い処(ところ)にある、という事を
我々は知らなければならない。尚、波木井実長は、日興上人の身延離山後から8年後にして死去している。
日興上人が御年51歳の時であった。

次。

>日蓮大聖人は「波木井殿御書」の中で、「日蓮が弟子、檀那等はこの山(身延山)を本として参るべし」
>と言われている。正宗の御書には載っていない(都合が悪いから)。

堪笑。おいおい、最後が其れであるか。小笑。

波木井殿御書。

確か其れは、お主ら日蓮宗の中に於ても偽書ではないか、と囁かれているモノではないか。

尚、平成新編に掲載されていないのは、其れこそ「波木井殿御書」は偽書である、との判断に於いて決せられた
ものである。別に都合が悪いから外したものではない。哀笑。いや、それどころか、お主ら一致派日蓮宗にとって、
都合の悪い御書などが沢山あるのではないか。だから言っているだろう。早く釈迦牟尼世尊の仏像を本尊とすべし、
という御書を出しなさい! と。加えて、一閻浮提第一の本尊が釈迦牟尼世尊の仏像である、という文証を出しな
さい! と。よいか。兎にも角にも、其れを早く出しなさい。

尚、上記、波木井殿御書に於ける「日蓮が弟子、檀那等はこの山(身延山)を本として参るべし」などは、
お主が「優れたお方で日向と平等だ」としている日興上人が抑も『地頭の不法ならん時は我も住まじき由、
御遺言には承り候へども不法の色も見えず候』と宣べられ、其の後、地頭の波木井実長が日向に誑かされ
「俺様の師匠は日向様だ!」との謗言を聞くに至って、日興上人は、日蓮大聖人の御遺言どおり、身延を
離れたのである。

さても、其の御遺言の主たる日蓮大聖人。身延の地に於いて、こう仰せらる。

曰く『霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ』と。【新編 1595】

さても、身延の地に在って、最勝の地を尋ねんとするは如何なる事か。

つまりは全て、日蓮大聖人は見透されていた、という事である。

本より、三世を知る仏聖人であるならば、将来に於ける戒壇建立地など、其れこそは了知されていたのである。

仍って日興上人、霊峰冨士のもとに大石寺を建立す。

曰く『凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河富士山は是日本第一の名山なり』と。

よろしいか。御仏智の下に成るべくして成った。実に是れこそが富士大石寺なのである。

言って置くが、甲斐の身延は最勝の地ではない。

つまり、波木井殿御書の内容は、上記の事からして、空しく吹き飛んでしまう、という事である。

ところで、日向が造ったという仏像は、一体何処(どこ)に在るのか。

其の事、日進の書物から出して貰おうか。

してもし無いとするならば、其れは何故か。何故、日向は仏像を造らなんだ。
否、其れにも増して、何故に金箔漆の板本尊を、日興上人の去りし後に作成したのか。

呆哀。

ったく、訝(いぶか)しい身延め。

何とか言いなさい。

さて、次回は、以下の疑難を摧破する。

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④偽御書が多い

正宗の御書は自分達を正当化する為に意図的に編集してあって、「日蓮一期弘法付属書」「二箇相承」
「本因妙抄」「百六箇抄」など、偽御書である。

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阿呆な身延の戯れ言を叩く 二

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 3日(火)20時42分34秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて、前回は、釈迦牟尼仏が末法の本仏である、という身延の戯れ言を、日蓮大聖人御自らが顕示され諸御書から
其れらの稚言を摧破した。本より、仏の三徳をして、御自らが其れを具しているとの顕示は、須らく御自身をして
末法の仏であるとの御内意である。最早、是れ以上の示唆はあるまいて。又、そうであるからこそ、日興上人は、
日蓮大聖人を御仏として尊崇し、其の御宝前に於いて門下僧俗の供養を披露されたのである。言うまでも無く、
「御宝前」とは、仏や神の御前という意である。

日興上人が曰く『法華聖人の御宝前に申上まいらせ候』と。(大石寺蔵)
又曰く『御状、聖人の御宝前によみ上まいらせ候ぬ』と。  (大石寺蔵)

仍って、日順大学頭、其の師匠の教示を享けて云く『我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申す』と。
又曰く『久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなり』と。
爾して曰く『本尊総体の日蓮聖人』と。

尚、言って置くが、此の時の重須は富士大石寺の談所であり、しかも、富士大石寺の大坊には日興上人が厳然と
居られたのであるから、上記の日順師の文言は、すべて日興上人の御教示によるものである。

尚、日亨上人は、日順師の本因妙口決をして偽書ではない、と断言されている。

とまれ、我らの法義に批判中傷を為す者どもは『いや、其れは痛い』と思わせる様な、『いや、其れはその…』と
詰まらせる様な、そーゆー決定的な証拠を持って批判中傷して貰わねば、我ら針金宗徒の信心は、全く以って
微動だにしないという事である。

鼻笑。まぁ、頑張りなさい。

さて本日は、以下の疑難に対する呵責である。

其の邪宗身延の門人が云く、


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②戒壇の御本尊は日有による偽作

彼らが信じてやまない戒壇の御本尊(板曼荼羅)は、日蓮大聖人の筆跡ではなく、
日有による偽作。現に日顕達が筆跡鑑定をして、偽物だと判明したらしい。
ちなみに日蓮宗では臨滅度時の御本尊など、日蓮大聖人の真筆の御本尊をたくさん所有している。

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哀笑。

何だ。まさか、彼の『大石寺誑惑顕本書』を元手にしておるのか。
してもし、そうであるならば、話にも成らんぞ。鼻笑。
ったく、誰が書いたか知らんが、重須日浄の悪文を列記するに、日有上人をして『中興』などと記(しる)し、
重須の寺号をして『北山本門寺』などと言うは、これ全く近代のモノであり、創価広宣か、アンチの莫迦か、
つまりは、そーゆー類(たぐい)の者が書き殴ったものである事は、其の書体と匂いで容易に判るというものである。

尚、重須の日浄については、あまり知られておらず、日浄記自体、其の信憑性が問われておるが、抑も、
所在不明の重須日浄記の内容が、近代の佞僧・玉野日志によって公開された事自体、本記の正当性には問題がある、
という事である。仍って、上古に於ける戒壇の大御本尊否定の傍証とは成り得ない。

とまれ、戒壇の大御本尊の筆跡が、日蓮大聖人のものではない、などとは、全く幼稚な物言いであって、
其れが単なる書体の変化について述べているとすれば、最早、論ずる足らない痴弁となる事をオマエらは能く能く
知るべきである。哀哀。

而して、日有上人が戒壇の大御本尊を創作した、という決定的な証拠があるならば、此に出して貰おう。
よいか、三流作家の推理よろしく、こーだろう、あーだうろ、と、其れこそ痴義妄想を捏ね繰り回して
筋書きを拵(こしら)えている様では、我が針金宗の信義は、全く以って微動だにせんぞ。

本より、御板御本尊は、日有上人のみならず、前師、日影上人も造立されている由。
否、其れより遡(さかのぼ)る事、約九十年前、彼の身延の日向が板本尊を造立しているのである。
実に是れこそ、御板の御本尊という態様が、上古から在った証左であり、実(げ)に其れこそは、日蓮大聖人が造立
せし、御板御本尊に倣って造立されたものであると、当方は確信するものである。
とまれ、仏像主義の民部日向からして、御板に曼荼羅の相貌を堀り写す発想など持てる筈も無い、という事である。

よろしいか。御本尊を御板に初めて御彫刻されたのは、他ならぬ日蓮大聖人である、という事を、オマエらは
知らなければならない。無論、其の様な事は、御書には書かれていない。当然であろう。書く必要が無いから
書かない。ただ、其れだけの事である。しかし、書いていないからと言って、その事実が無かったとはならない。
本より、書いてあるモノにしか反応出来ないのが文献学であり、其の狭い範疇こそが文献学の限界とも云えようが、
我々に於いては、無くとも有る、否、有ろうとも無いに等しいという概念を持ち合せているのである。よろしいか。
我々の概念は、文献学を超えた処(ところ)に在るのである。つまり、文上を舐める似而非学者には到底解からない、
否、解かろう筈も無い領解開悟の世界が、我ら富士門の大義には在る、という事である。

尚、此の身延信者。あろう事か、創価広宣の河辺メモ作戦の痴行を参考にして『現に日顕達が筆跡鑑定をして、
偽物だと判明したらしい』などとほざいておるが、さても、身延信者が『日顕達』などと言うのであろうか。鼻笑。
なんだ。オマエも、自身の所属を直(ひた)隠しにしておるのか。嗤。しかしなんだ、創価学会員が身延の信者に
成り済ましているとなれば、これ程、滑稽な事はなかろうて。哀笑。ったく、あの小樽問答は一体何だったのだ。

哀笑。まぁ、よい。とまれ、身延の門人という事にして、此の儘、呵責を加えて参ろう。

>ちなみに日蓮宗では臨滅度時の御本尊など、日蓮大聖人の真筆の御本尊をたくさん所有している。

哀笑。何? 「ちなみに日蓮宗では」だと?

ったく、自宗に誇りあるならば、我が日蓮宗と言いなさい!

そーは思わぬか、一致派の門人よ。哀笑。

尚、云うが、大聖人の御真筆御本尊を多く所有しているとか、していないとか、其の様な事が何の基準となるのか。
まさか、日有上人が其の所有の少なさを以って偽作したとでも云うのか。

哀笑。おいおいオマエ、大丈夫か? 其のアタマ。呆笑。

オマエ、其の様な事を今にして云うならば、何故、御真筆御本尊を多数所有している日蓮宗が、己(おのれ)の総本山
本堂に於いて其れを祀らず、首題一塔の即席文字を以って本尊としておるのか。オマエは其の法拠を先ずは述べよ。

尚、よく言われる、樟(くすのき)の話などは、全く以って論外であり、其の様な事を以って疑難する者共こそが、
池田センセーからトンカチでアタマをぶっ叩かれる連中である。おっと! 又、言ってしまったわい。糞笑。

よいか、弘安期に於いて、樟が甲斐南部、及び駿東地方に於いて、全く存在していなかったとは、絶対に
言い切れるものではない。本より、大聖人が身延で樟を御使用となれば、其の樟は既に樹齢を重ねていよう。
となれば、其の樟の成長過程は、平安期から始まっていた、という事にもなる。さても、其れら樟の種子が
其の当時、甲斐身延の山中に全く無かったのか。果たして其の様なことは誰も判らないのである。

否、もし絶対に無いという証拠が今にして出ようとも、もう一つの可能性が残る、というものである。
言うまでも無い。樟の製材など、当時の流通からして容易に入手出来よう、というものである。
本より、当時は鎌倉に幕府があり、其の要所に於いて交通の便などは、至って良好と思わねばならない。
無論、必要とされる樟板の重さは、100㎏~200㎏位であろうが、其の重さであるならば、馬一頭で充分である。
いや、其れよりも何よりも、日蓮大聖人の御信徒には、大工の元締めの筋である、池上両人が居たのであるから、
其れこそ、製材の手配、職人の確保、加工の指示などは、御手の物となろう。つまり、日蓮大聖人には其れらの
人脈が大いに在った、という事である。尚、其の当時、鎌倉から京までは、徒歩で約17日かかるという。
尚、日蓮大聖人は、12日間の道のりだと仰せらる。とまれ、2週間前後で流通が叶う、という事である。
となれば、京に於ける物流も、そして、普及している技術も、須らく関東に及ぶは、これ必然と思わなければ
ならない。

尚、弘安当時に於ける製材技術は、凡(およ)そ、丸太から板を作り出す場合、縦引きの鋸(のこぎり)は使用されず、
全て丸太に楔(くさび)を打ち込み、其れを木槌で叩いて縦割りにし、其れを手斧(ちょうな)や槍鉋(やりかんな)で
削平しているのである。爾して畏れ多い事であるが、戒壇の大御本尊の御背中は、削平されていない半丸太の儘で
在らせられる。仍って、戒壇の大御本尊は、鎌倉期に於いて御造立されたという事が、此に於いて立証されるので
ある。因みに、日有上人の時代には、大工職も組織的となり、其れは各寺院に於いても形成されたのである。
しかも、二人挽きの『大鋸(のこぎり)』が後年に於いて普及されはじめ、事実、日有上人が御健在であった永享8年、
其の大鋸で製材された額板が、近江白山神社に掲げられているのである。

仍って、戒壇の大御本尊が日有上人によって造立された、というならば、其の御板の制作は、当然、其れ以前に
京に上られていた日有上人からして、大鋸による両引きの製材でなければならないと云えよう。
より良い技術を以って新作を造る。至極当然の事であろう。本より其れらの事は、職人の往来に於いて可能となる。
尚、もし日有上人が、敢えて御本尊を半丸太としたならば、其れには模範が在ったと言わざるを得ない。
つまり、富士大石寺に於いて、日有上人が初めて御板御本尊を造立したとはならない、という事である。

して思うに、身延が所有する日向の板本尊も、大御本尊と同じく手斧(ちょうな)で制作されたものであるから、
其れがバレると、戒壇の大御本尊も鎌倉期の造立という事になるから、身延は其れを隠匿しているのであろう。
まして、其の材質が『樟』ともなれば尚更の事であろう。鼻笑。

兎も角、我ら針金宗の信徒が、グーもスーも言えない程の、其れこそ決定的な証拠を持って批判中傷して貰わねば、
我らの牙城はびくともしない、という事である。

よいか。今に於いて重須日浄の愚記などを採用し、又は、目に映る文面のみを追って論弁し、延いては、
三流小説宛然(さながら)の妄想文を以って批判するなどは、是れこそ文献莫迦の骨頂であり、挙句の果てに
鑑定に出してくれ、などと懇願するなどは、是れ全く邪宗学者の怠慢である、という事を、オマエら一致派の
痴れ者は能く能く知るべきである。

さて、次回は以下の痴言を破す事にする。


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③日興上人への血脈相承と身延離山の嘘

日蓮聖人が日興上人に血脈相承をしたという事はあり得ない。日興上人が優れた方であったのは事実だが、
日蓮聖人は六老僧を全て平等に見ておられ、日興上人は日向上人や波木井実長と対立して身延山を下山した
だけで、決別を意味する離山ではない。これには多くの証拠がある。日蓮宗では六老僧を全て平等に敬って
いる。日蓮大聖人は「波木井殿御書」の中で、「日蓮が弟子、檀那等はこの山(身延山)を本として参るべし」
と言われている。正宗の御書には載っていない(都合が悪いから)。

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阿呆な身延の戯れ言を叩く

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 1日(日)17時39分27秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  さて観れば、何処(どこ)ぞの日蓮宗の痴れ者が『日蓮正宗の本尊と教義のウソを暴く!!』と題名し、
「日蓮正宗こそが邪教であり、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗こそが、真の正しい日蓮教団である」
などと自慢し「日蓮正宗の邪宗である根拠を述べていく事にしよう」などと大言して、我が正統・富士門流の
法義に対し、色々と認癖をつけておる。して見れば、どれもこれも、邪教人や似而非学者や無信仰者などの
痴言の焼き増しであるが、当方として久々に此等の戯れ言を改めて摧破し、これら邪宗人の未熟さを、此に
炙り出してやろうと思う。

小笑。

しかし何だ。

今や、此の手の疑難中傷は、専(もっぱ)ら我が富士大石寺にのみ集約されて、池田創価学会などは蚊帳の外と
なっておる。哀笑。つまりは、それだけ池田創価が身延などの邪宗日蓮宗に同化した、という事である。
本より其の状態を例えるならば、彼の五老僧が、世間からの非難を避ける為、否、政治権力への諂いを込めて、
我こそは天台の僧である、と宣言したに等しいものであり、実に其の姿こそ、我が日興門流からして最も恥ずべき
行為である、という事を、オマエら創価外道の諸君は、能く能く其の腐肝に銘じるべきである。

よいか。身延から非難中傷されなくなったら、最早、その宗団は、日興門流の正統ではない、という事を、
オマエらは能く能く知るべきだ、という事である。此の言っている意味、解かろうか。
なぁ、創大の宮田よ、そして、会長、タンコブ原田よ。

おっと、前置きが長くなったわい。

では参ろう。

其の邪宗身延の門人が云く、

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①日蓮本仏論の誤り

日蓮聖人がおっしゃっている様に、本仏は久遠実成の本師釈迦牟尼仏であり、
これは御遺文(正宗でいう御書)からも明白である。日興上人も日蓮聖人を本仏とは見ておらず、
大石寺教団の中で徐々に形成されていった特異な思想である。

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哀笑。

此の手の疑難。

最早、邪宗身延に止まらず、創大の宮田をはじめ、その他、不信心の宗教学者、及び、怨念と策謀に生きる
宿坊一味の主張にもなっている。当方は其れらをひっくるめて『文献莫迦』と称しているが、邪宗身延なら
いざ知らず、創価学会員を名乗る連中が、上記の様な疑難を吐き散らかしている事について、心から憐れみ、
そして悲しむのである。もしや恩師がお出でに成られたら、どれ程に驚かれ、悲しまれようかと。呆哀。
まぁ、それを言っても仕方ない。最早、創価学会は、新興宗教の其れであり、今更、富士門の法義を解説
しようとも、理解出来ぬほどに脳髄が七分に破れておるから、其の細首を針金で結わいて動けないようにして、
其の破れた脳髄をトンカチでぶっ叩いて治すしか方法が無いとも思うが、そういう池田センセーのやり方では、
やはり問題があろう。本より結果は推して知るべしである。哀笑。

さて、邪宗身延の門人が云く、末法の本仏は久成釈尊である、という。
しかも、其れが日蓮大聖人の正義(御遺文)であり、日興上人も同じである、という。
加えて、日蓮大聖人が末法の御本仏というのは、富士大石寺の中で徐々に形成された邪想である、などという。

哀哀。

よいか身延よ。

オマエが言う「久遠実成の本師釈迦牟尼仏」とは、つまりは、五百塵点劫第一番成道の釈迦の事である。
しかし、此の久成の釈迦は、其の成道の以前に於いて菩薩道を修行していたのである。
ならば、その菩薩が修行して仏に成った、という其の修行の法体とは一体何であったのか。
実に其れこそが、本有常住久遠元初の自受用身、つまりは事行の一念三千たる南無妙法蓮華経なのである。

よいか身延よ。

十界本有常住・事の一念三千の南無妙法蓮華経は、須らく人法体一の法なのである。
而して其の妙法を証得し、五百塵点劫已来、世々番々に出現したのが釈尊なのであり、其の釈尊を成道せし
めた法こそが南無妙法蓮華経なのである。爾して、其の南無妙法蓮華経とは則ち、久遠本有常住の仏であり、
其(そ)は人にして本果妙の釈尊ではなく、本因妙の教主たる日蓮大聖人の御事であり、日蓮大聖人こそが
本有の妙法を所持された御本仏なのである。仍って、久遠已来の妙法を所持された日蓮大聖人が今時末法に
於いて其の儘に行ずる事を以って「久遠即末法」と云うのである。

よいか身延よ。

五百塵点劫の当初に於いて即座に開悟した凡夫と、今時末法に誕生された凡夫は、須らく同一なのである。
爾して其の久遠名字即の正体、つまり、同一たる久遠元初本因凡夫僧、つまりは本因妙の教主釈尊こそが
日蓮大聖人なのであり、其の同一を以って「御本仏」と申し上げるのである。

開目抄に曰く『仏世尊は実語の人なり。故に聖人・大人と号す』と。

仍って撰時抄に曰く『当世には日本第一の大人なりと申すなり』と。

仍って聖人知三世事に曰く『日蓮は一閻浮提第一の聖人なり』と。

更に仏の三徳をして曰く『日蓮は日本国の諸人に主師父母なり』と。

重ねて曰く『日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし』と。

爾して曰く『仏法必ず東土の日本より出づべきなり、(中略) 当に知るべし、仏の如き聖人生まれたまわんか』と。

果たして、其の仏が如き聖人、今時末法に於いて此の大日本国に誕生す。

だからこそ云う。

本因妙抄に曰く『釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり』と。
百六箇抄に曰く『久遠の釈尊の修行と、今日蓮の修行とは芥子(けし)計りも違わざる勝劣なり』と。


よいか身延よ。

オマエらが言う様に、末法の本仏こそは釈迦牟尼世尊である、とするならば、上記に示した諸御書の
全文に於いて、全て釈迦牟尼仏の尊像を以って本尊と為し、其の釈迦牟尼仏の末法本仏たる事を証明
せねばならない。尚、言って置くが、本因妙抄も百六箇抄も、すべて日興上人の教示する処(ところ)であり、
単なる真蹟の有無によって、其の真偽正邪を決するは、応に管見の痴行である、という事を、オマエらは
能く能く知るべきである。よいか、百六箇抄を賜った日尊師も、万年救護御本尊を持ち出した日郷師も、
皆、富士大石寺から出た僧侶であり、重須談所の日順師は、存知の如く日興上人から教訓された僧侶である。
つまり、両巻血脈抄に於ける内義は、須らく富士大石寺、就中、御開基日興上人の根義であり、其の正義を
堅持しているからこそ、現在に於いても重用するのである。

曰く『我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍って日本と名く』と。

さても、日亨上人は、此の日順師の表白文を以って『宗祖本仏論は後世の発展のごとく誤評する釈迦本仏・
一大円仏の空想教団の人々を深く味識せられるべきである』と御教示さる。

よいか身延よ。

日蓮本仏論の誤りとは、さに非ず。
釈迦本仏論こそが、大きな誤りである、という事を、今こそ知るべきである。

日蓮大聖人、御自らをして曰く『教主釈尊より大事なる行者』と。

よいか身延よ。

オマエらの言う「日蓮聖人がおっしゃっている様に、本仏は久遠実成の本師釈迦牟尼仏であり、
これは御遺文(正宗でいう御書)からも明白である」も「日興上人も日蓮聖人を本仏とは見ておらず、
大石寺教団の中で徐々に形成されていった特異な思想である」も、すべて間違った見方であり、
其の誤謬の根源こそは、須らく日向の謗法態から出発している、という事を知るべきである。

尚、オマエら身延は、未だ本迹の相違さえ理解出来ず、しかも、本尊に於いて一尊なのか二尊なのか、
将又(はたまた)、一塔か十界曼荼羅か、其れこそ日蓮大聖人の御書から、其の本尊形式の文証を出せず、
其のいい加減な教義体系に劣等しながら、あれやこれやと無信心な学者どもが、屁理屈を捏ね回しては、
下手な体裁を繕(つくろ)っているのである。

よいか、そんなオマエらに、本尊の正義を語る資格など有ろう筈も無い。
ったく、一致派ごときが何を言うか。哀笑。

先ずは第一、釈迦立像(坐像でも寝像でもかまわん)を末法の御本尊とする文証を出しなさい。
そして、日興上人が、自らが釈迦像を造立して本尊とした事を証明しなさい。
ったく、宗開両祖をして、釈迦牟尼仏こそが末法の御本仏と尊仰するならば、当に釈迦牟尼仏を造立して
本尊とするが、当然の事であろう。
して、其の宗開両祖が造立せし仏像は一体何処(どこ)に在るのか。して、其(そ)は誰に造らせたのか。
まさか、日蓮大聖人が造ったのか。日興上人が造ったのか。いや、違うと言うならば一体誰が造ったのか。
其の名も含めて明示してみせよ。

日亨上人に曰く『興尊の御主持は、宗祖大聖人を末法応時の御本仏として絶対に他仏を容れざる所にあり、
これが五老僧たちおよび全宗徒の大聖人即上行菩薩に留(とど)まり、末法の本僧に甘んじて、その上に
久遠実成の釈迦―大円仏を奉持するのと正反対に対立するが故に、五老門下一同の大曼荼羅軽視、すなわち、
釈迦円仏付属の思行と全然趣を異にすることは、その御筆物に御行動に遺憾なく顕われたるのみならず、
富士全門下僧侶の規範として残された門徒存知事に明らかにせられて、本尊奉安に護持に厳密謹重の御扱いを
なされた』と。【興詳伝下 75~】

よいか身延よ。

日興上人は、釈迦牟尼仏をして末法の御本仏とはされていない。
仍って、釈迦牟尼仏を御本尊にしてはいない。
してもし、していると云うならば、日興上人が釈迦仏像を造り、各地の信徒に与えたという、
其れこそ、オマエらの大好きな真蹟文を以って、其れを証明しなければならない。よろしいか。

尚、重ねて云うが、日蓮本仏義は、我が富士門古来からの立義である。
徐々に形成された、などと、阿呆な事を言うものではない。

加えて云う。学術文献に於ける真偽の判定は、須らく真蹟の有無に支配されるのであり、
凡(およ)そ、真蹟の無い時代写本を鑑定するに於いては、そこに示された内容を、其れこそ、
不信心の学者が自身の知識に於いて解釈し、其の結論を成すのである。
さても、学術文献に於いて其の真偽が未決となれば、其れこそは文献学の敗北ともなろうが、
其れよりも何よりも、真蹟の無い時代写本の内容を、一体、どの様な解釈を以って正釈と為すのか。
否、其々の時代に於いて口決さる内容を、如何にして学者が正釈するのか。
さても、行学は信心より起こるとは、日蓮大聖人の御金言であるが、其れを真っ向から否定しておる
のが、身延子飼いの学者どもであり、創大の宮田であり、イワシの頭の金原宿坊であり、怨念派の
イタチであり、発狂アンチのオカマなのである。

ったく、いい加減な信心で、何が解かると言うのか。ましてや、無信仰の学者などに、何が解かると
言うのか。哀。あまりふざけるものではない。呆怒。

尚、次回は、

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②戒壇の御本尊は日有による偽作

彼らが信じてやまない戒壇の御本尊(板曼荼羅)は、日蓮大聖人の筆跡ではなく、
日有による偽作。現に日顕達が筆跡鑑定をして、偽物だと判明したらしい。
ちなみに日蓮宗では臨滅度時の御本尊など、日蓮大聖人の真筆の御本尊をたくさん所有している。

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という、身延門人の痴言について、呵責を加えようと思う。
 

只今帰参

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月28日(木)10時27分51秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  ようやくの帰宅。

思えばあれから一ヶ月。

当室管理人として、あまりに長い不在であった。

しかし、当面、此の様な事はない。

とまれ、本日今より、従来通りの管理に立ち戻り、創価外道を首(はじめ)とする、全邪宗教への呵責を再開し、
講員諸氏からの力稿も得ながら、正義顕揚・邪義破折の大剣を再び振り下ろして往く所存である。

尚、腐れ広宣部、宗教ゴロ、偏執アンチ、並びに宿坊ら策謀グループによる荒らし行為(不親告・串投稿による
規則違反を故意に犯し、其の対論不成立を良い事にして批判中傷を繰り返す痴行)を防止する意味に於いて、
当室が現在実行している「確認後掲載」については、当面は解除せず、各位からの投稿を受け付けて参りたいと
思っております。多少のもどかしさは有ると思いますが、愚言・中傷・雑談等が入る事無く、個々に於いて
正法正義を大いに顕揚し、以って邪宗邪義を思う存分に破折出来る方が、余程有益であると思うものであります。
無論、我が正統・富士門流の法義に対して批判する者が、正々堂々、串を使わず自身の所属宗派・教団を親告し、
其の所属の下に信奉する本尊と教義を顕示するならば、当室は早速に其の者の投稿文を掲載し、鋭意、対論法論に
臨むものであります。

改めまして、講員各位に於かれては、今後とも当室への御投稿を宜しくお願い申し上げます。
 

正しい信仰を得た喜び。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 4月10日(日)23時45分44秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  こんばんは。
桜も散り始めた今日この頃ですが、今夜は涼しい、やや冷たい東風が吹いています。
今年は、急に熱く成らないから、春が長く成るかな…。
移ろいゆく季節を味わえるのも、下種御三宝尊のおかげと御報恩感謝申し上げます。

移ろいゆくと言えば、(笑)移ろうどころか彷徨う、池田創価学会(呆笑)
ま、それは、取りあえずさて置き。

今日は、4月度、御報恩御講に所属寺院、菩提寺さまに参詣させて頂きました。
その先日、6~7日は、総本山、ご霊宝お虫払いご法要に参加させて頂きました。
初日は、晴れ渡り、爽やかな春風、すそ野まで美しい、多宝富士がお迎え頂きました。
本門戒壇の大御本尊さまに、600人を超える海外の方々と共に、お目通り叶いました。

私、今回、ご登山で何より嬉しかったのは、御隠尊猊下様に、お会い出来ました。
創価学会破門されても昨年まで、創価学会に在籍して、ご宸襟を如何ほど、お悩ませした
か…お目通り願っておりました。
お元気なお姿を拝し得て、心から、お詫び申し上げつつ、身の罪障消滅を、本門戒壇の
大御本尊さまに、ご祈念させて頂きました。

丑寅勤行にも臨ませて頂き、依り一層の折伏をお誓い致しました。
翌日は、明け方から、強い雨でしたが、みな、総本山、日蓮大聖人さまの、御元に来れた
喜びで、降りそぼる雨もいとわず、ご高齢の方も、一歩、一歩、各会場に、歩を進まされる
姿、この様に、貴い、ご先輩法華講の方々に、自然と、私も、後継の道を歩ませて頂こうと
誓いました。
そのような、思いに成らせて頂ける、雨、にすら、感謝申し上げられる、身の福運。
それこそが、《正しい信仰を得た歓喜》です。

今回、大日蓮出版で、法華講のおばちゃんさまに、お薦め頂いた、『九州開導の師 妙寿日成
喜尼伝』
また、加えて、『妙法七字拝仰 上下巻』購入させて頂きました。

いま、むさぼる様に、お教え求めて、妙寿日成貴尼御尊師の、ご本、拝読しております。
ありがとうございました。
また、改めて、こちらに、書き込みさせて頂きます。
先ずは、近況御報告まで。
 

こんばんは。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 4月 5日(火)00時06分6秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  管理人、大月天さま。
法華講の皆さま。

先月は、決算月で、更に後処理に追われてご無沙汰しておりました。
漸く、一段落し、昨日は、菩提寺さまに2週間ぶりに参詣出来ました。
毎月、第1日曜日は、広布唱題会とは、知ってはおりましたが、月初は中々、都合が
付かず~ですが、今月は、何としても参詣させて頂きたいと願い、参加出来ました。
帰宅後、調べたら、総本山も、全国の寺院さまでも、同時刻、広宣流布を日蓮大聖人さま
にお誓い申し上げる為に、成されてる由、改めて感動いたしました。

さて、隅田川沿いの桜も満開のこの時期、今週は、6~7日、総本山は《ご霊宝お虫払い
法要》がございます。
幸い、私も、所属寺院を通じて代表登山の一員に、加えて頂けました。ずっと、参加させて
頂きたいとは思って居ましたが、そもそも、創価学会脱会して間もないのに、昨年の《ご大会
》に引き続いては、恐れ多い…それに、平日ですから、仕事のやり繰りも…。
ところが、仕事は、願ってた通り叶い空けられ、参加させて頂ける事に成りました。

今年は、春夏秋冬、年間4回以上、本門戒壇の大御本尊さまにお目通りさせて頂きたいと
願っておりました。
ありがとうございました。

さて、創価学会脱会して、今更ながら、いや、更に、2014年11月の【教義、会則改変】以降、
一段と、悪辣さに磨きかけたなあ…と(笑)呆れるばかりの池田創価。

謀略と、嘘と、何も知らない、一般会員を騙すのだけは、長けたつもりの信濃町の池田創価の
中枢幹部。
こいつら、ホントに、悪だな。(苦笑)
でもさ、そんな、出鱈目、通じるのは、創価のコップの中だけ。
師弟不二論に毒された人は騙せても、そんなに甘く無い。
所詮、自界叛逆は、当然の帰結。

今日の、聖教新聞、1面。池田太作、ず~と名誉会長だったのが、近頃、SGI会長だと…。
原田以下、なに、企んでんだ?(笑)
ま、そりゃそれで、何でもいいや。その、池田代作、もとい、(笑)太作が、3月30日、
大田池田文化に、かみさんと同行で、訪問して、陰の労苦を称えた~と…。
陰の労苦を草葉の陰から覗いたの?

続いては、2日に品川文化を、これまた、かみさんと、今度は車で視察した~。

目を疑うなあ。あれ?聖教新聞だよな?読む前から、聖教【古新聞】か(笑)
日刊紙だったよなあ(笑)

ここから、垣間見えるのは、最早、池田太作、公に、姿を現せられない程【惨めな】状態
と言う事。謗法の恐ろしさ。
つい最近まで、土足禁止の会館に靴履く姿の写真。それさえ合成写真。

それすら、出来無く成ったか?
もしや、原田以下、あんたの弟子は、全く、お眼にも掛からないのか、或は会いたくも
無いのか?別行動。同じ空気吸うのも嫌か?

ご宗門に対して、ついた、数多の暴言が、すべて、恐ろしい迄に厳然と我が身に、還る、
還着於本人とは、池田創価の実相だな。

さ、創価学会脱会して、心も身も晴れやかに、万朶に咲き競う桜、満開の総本山に、行ける
身の福運に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
 

投稿者及び閲覧者各位

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月 1日(金)13時34分55秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  現在、当室管理人は諸事多忙の為、寄せられた投稿文の確認掲載及び、其の閲覧管理のみ行っております。
次回よりコメント出来るのは、今月下旬頃になる予定です。
尚、寄せられた投稿文につきましては、出来得る限り、速やかに掲載致しますので、投稿者各位には、どうか
宜しくお願い申し上げます。
 

生存証明

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2016年 3月31日(木)20時22分24秒 14-133-186-48.mie1.commufa.jp
返信・引用
  管理人さま、皆さまご無沙汰しております。

牛歩ではございますが御命題達成に向け着実に成果を上げております。

とりあえずご報告まで。
 

徒然隋想~春の足音がする夜に思う事…。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 3月20日(日)23時52分33秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  こんばんは。
桜の蕾も、もう、弾けるように膨らんで、開花のニュースもチラホラかと言う
、春の静かな夜です。

昨日は、私たち、所属、法華講布教区の広布推進会が盛大に、都下板橋区の寺院さま
で行われ、決算月の慌しさですが、時間をやり繰りして参加させて頂けました。
山門前が公園に成って居て、非常に清廉、ご立派な近代建築の、寺院さまでした。

拙宅から、高速道路使えば、早いのですが、久しぶりの行程を楽しんで、一般道
環七走り節約できた分を僅かですが、ご供養させて頂きました。

いつも乍ら、法華講の会合は《歓喜》が有りますね。
素晴らしい、このご寺院さま、ご所属の、お話では80歳を過ぎた御婦人の体験談を
お聞きしました。
それが、およそ80歳を過ぎたとは思えない、若々しい方で、驚きました。お声も、
張りが有り、20歳以上お若く感じました。
創価学会が破門された時、池田創価の豹変、余りのご宗門、御僧侶への、悪口を
聞いて、ご自身が目の当り、感じて見てきたご宗門と余りにかけ離れた【池田創価
のプロパガンダ】に嫌気さして、創価学会を平成2年頃、脱会されたと…。
今なお、折伏に励まれておいで故の、若々しさと、得心致しました。

さて、翻って、池田創価の、【師弟不二論の狂人】の集まる、片方の【宿業板】覗け
ば(呆笑)蘭夢なる、書き込み…。
曰く…池田創価は「矛盾と矛盾との戦い」
「組織や幹部は裏切っても、御本尊さまだけは裏切らない」と…。

あのさ(笑)…。未だ創価学会に残留する、人々。春だし、虫や蛇、ケダモノすら目
を覚ますこの時期です。いい加減【目】を覚まそうよ。

その、裏切らない御本尊さまを池田創価は【裏切った】んだよ。

聞く所に依ると、池田太作、脳の病ゆえとは言え、時折、瞋恚、僻み、憎悪の念が、
時たま、消えてる僅かな時間…「なんで、みんな総本山行かないの?」と聞くらしい。
創価学会員を【大謗法の道】に引きづり込んだ現証の催す所、誠に、哀れ…。
散々、御隠尊猊下様に、悪態をつき、罵り、有りとあらゆる、謀略機関プロパガンダ紙
を総動員して、創価学会員を謗法に洗脳した罪の成すところ。

それに比べるのも恐れ多いのですが…。
御隠尊猊下さま、お元気でおいでで、たびたび、ご法要にお元気な《お姿》を、大白法
紙上で拝せます。本当にありがたい。最早、この一点に於いてすら、正邪は明白。
4月に総本山登山させて頂きますが、御当代御法主上人猊下さま、御隠尊猊下さま、
お会い、お目通り叶いますように…。

決算月終わる今月は、慌ただしいですが、日蓮正宗の信徒に回帰、帰命させて頂いて、
本当に感謝の日々を過ごさせて頂いています。









 

ああ、邪教人 其の卅八

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月17日(木)14時57分21秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >まず、創価学会という組織は世間一般の組織とは根本的に異なります。世間では社長は偉い存在ですが、
>創価学会では、会長は全く偉くないのです。ですので、会長=社長ではありません。むしろ会長は一番の
>下っ端として考えるのが本来の創価学会です。この前提を間違えると、すべてが狂ってしまいます。

呆笑。そーか。世間の社長は偉い存在なのか。小笑。

して、創価学会の会長は一番の下っ端って、其の会長を下っ端に持つ一般会員とは、一体どんな偉い存在
なのか。鼻笑。

>宗門が邪教化したのは、「僧侶が上、信徒が下」とはき違えたからです。

腹笑。はき違えておるのは、オマエの方だよ。腹笑。

大丈夫か? 其のアタマ。

>同じく創価学会が邪教になるとしたら、「会長が上、会員が下」とはき違えた時です。

呆笑。会長が上でろうと下であろうと、創価学会はもう邪教になっているんだよ。
其の様なこと、オマエが投稿している宿坊掲示板を見渡せば一目瞭然ではないか。

>会長並びに執行部を偉くさせてはならないのです。池田先生が本幹で、壇上幹部を叱り飛ばしたのは、
>それをわからせるためでしょう。本来、皆の前で叱るということは、やるべきことではありません。
>なぜなら、恥をかかせることになるからです。だけどあえてそれをやるところに、甚深無量の意味が
>あるわけです。

呆笑。そーか。池田センセーは、会長や執行部を偉くさせない為に、本幹で怒鳴ったというのか。
呆笑。違うよ。池田センセーは、自分を偉く見せる為に、参加者の面前で、壇上幹部を怒鳴ったのである。
呆笑。部下に恥をかかせて、自らを誇示する。これが池田センセーの根性である。
哀笑。よいか。日興上人が衆目の中で日尊を叱ったのとは訳が違う。雲泥の差である。
哀笑。問題は、その叱った内容なのである。其れを見れば、まことの叱責か、それとも自己顕示による叱責か。
哀笑。そういう事を見透せず、甚深無量の意味、などと放言しているお主そこ、いの一番に叱られる御仁である。

尚、現状の創価学会は、秋谷議長の人脈で動いているのであり、そうさせたのは、他ならぬ池田センセー
なのである。長年、妻を虐めて来た夫が、年老いて寝たきりになった時、果たして虐められてきた妻は、
一体どういう行動を取るのか。其の様なこと、想像すれば容易(たやす)い事であろう。

>自分が偉い存在と錯覚するところに権力の魔性の恐ろしさがあります。
>権力の魔性を断ち切れるのは信心だけです。学会が権力の魔性に染まってしまったら、
>ミイラ取りがミイラになったも同様ですから、絶対に会長を偉くさせてはならないのです。

哀笑。だから、会長を一番の下っ端と見下すオマエは、一体どんなお偉いさんなのか、と訊いておる!
ったく、ミイラ取りがミイラになった、とは、実にオマエの事ではないか。
いや、オマエのHNからすれば、ババ抜きがババに成った、という事だろう。鼻笑。
ったく、他愛無い奴め。

>下っ端の会長並びに執行部が理不尽で調子こいたこと(先生の指導と違う)をしていたのならば、
>「おかしい」と追及するのは普通のことでしょう。

ならば、戸田先生の指導と全く違う事をやっているオマエらも「おかしい」と追及されて当然、という
事になるよな。

>宗門は広宣流布の道から逸れてしまったので、残るは創価学会だけが、日蓮の魂を継ぐ団体です。
>そのためには先生の指導を根本にしなければなりません。

小笑。これ笑えるな。此奴(こやつ)は何も見えておらん様である。果たして真(まこと)の盲目か。呆哀。
さても「創価学会だけが、日蓮の魂を継ぐ団体」とは如何なる事か。して、其の根本が破門信徒の池田の
指導とは如何なる事か。オマエは、其れを説明しなさい。

>最後に戸田先生の指導を紹介しておきます。
>「自分で威張るつもりはなくても、自然に威張るようにさせてしまうのが、怖いのだ。学会も、幹部になれば、
>周囲が、自分を何か偉い存在のように作ってしまう。それに乗ったら恐ろしいぞ。くれぐれも気をつけよ!」

呆哀。この指導の出典は何処(どこ)か。其れを添記するが常識であろう。ったく、手を抜くものではない。
尚、言って置くが、オマエに戸田先生の指導を引用する資格など無い。してもし、その資格を得たいと思う
ならば、次の戸田先生の指導を能く読んで、己(おの)が現状とともに其の意味を理解しなさい。よろいしか。

恩師が云く、

『世間に、今大流行をしている宗教がある。この宗教は南無妙法蓮華経と唱えるから、知らない人々は、
日蓮宗だと思っている。信者自身も、日蓮宗とはこんなものかと信じているものが大多数である。その理由は、
ただ南無妙法蓮華経と唱えるからである。しかし、その教義は、日蓮大聖人の教えなど、毛ほども用いていない。
信者を二十五人から五十人と作ったものは、利益があるとせられている。だから「ねずみ算」式に、信者は
どんどんふえる。もうかるのは本部だけで、信者の方は真の仏教でないデタラメなものに夢中になるから、
宗教の原則によって、だんだんと生命力をなくしてしまう。仏教経典になんら根拠もないインチキの教えを振り
まいている状態を見て、さらに無智の大衆が、なんらの批判もなしに、これが日蓮大聖人の真の教えであるかの
ように、眩惑されているのを見て、吾人は、黙っておられないのである。邪教の理論的詐術(さじゅつ)を知らぬ
愚人こそ吾人は哀れと思わざるおえない』 【昭和24年10月10日 大白蓮華 巻頭言】


はて「日蓮大聖人の教えなど、毛ほども用いていない」宗教とは一体何か。
実に其れこそは「本尊義」の堅守であろうが。つまり、其の堅守が為されてない日蓮宗は、須らく邪宗という
事であり、ましてや、元信者が結成した俄(にわか)教団などは、応にインチキ宗教の其れである、という事を
オマエは、上記の指導を以って理解すべきなのである。

つまりは恩師が云く、

『創価学会の信者なんてある訳がねーじゃねーか。みんな日蓮正宗の信者だよ。
創価学会に君らに信心してもらうものなんか何もねーよ。我々は日蓮正宗の信者だよ。
会長自身が日蓮正宗の信者ですよ。日蓮正宗の信者でいいじゃないか。
創価学会の信者なんてならなくていい!  よいか。もう一度言うぞ!
創価学会の信者なんてならなくていい!』 【恩師肉声】


よろしいか。当にこの恩師の指導こそ、この当時、否、平成三年に破門される以前まで、オマエら創価学会の
組織に創価学会の信者などはいなかった(居たとなれば恩師の指導に反する)という証拠なのであり、又
其れこそが、創価学会に於ける他の新興宗教と一線を画す最も重要な大義であったのである。さても
上記の恩師の指導からして、平成三年までの間、創価学会には創価学会の信者など居なかったという。
ならば其の以降、創価学会員は一体何処の信者となったのだ!?

更に恩師が云く、

『大石寺には、日蓮大聖人出世の御本懐たる一閻浮提総与の大曼荼羅が相伝せられている。この大曼荼羅こそ
末法の衆生の不幸を救う大威力のあるもので、この大曼荼羅を本として御出現した御本尊こそ、人に強き生命力を
与え、不幸を根本から救うのである。すなわち家なき者に家を、子なき者に子を、親なき者に親を、財なき者に
財を、病の者には良医と健康とを与える絶対の功徳の根源である。邪宗の本尊は不幸の根源となり、この正宗の
大御本尊は、いっさいの幸福の根源である』と。【戸田城聖全集 第3巻93頁~】

仍って、(師弟不二の)池田センセーが云く、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

                           【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】


はて、これらの指導に違背しておるのは、一体、何処(どこ)の何奴(どいつ)であるのか。
よいか。ミイラ取りがミイラではなく、ババ抜きがババ自体に成っている、オマエ、つまりは、ジョーカーという
HNのオマエ。

も少し、勉強してから『創価学会だけが、日蓮の魂を継ぐ団体です』という世迷言を宣言しなさい。

よろしいか。


呆哀。今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責は、これからも続く。
 

ペテン師の宿坊へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月17日(木)12時42分40秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  オマエ、串と捨てハンでいくら投稿しても、掲載されないよ。

やり直しなさい。

よろしいか。

所属している宗派教団名を名乗る。
そして、其の下に尊信する本尊と教義を顕示する。
そして、其の確信の下に正宗の教義を批判する。

よいか。

これが手順である。

しかし、オマエは馬鹿であるから、この手順を何度教えても覚えようとしない、いや、覚えられない。
だから、いつまで経っても対論が成立しない。而して、其の様にしておきながら、一方的に批判中傷を
繰り返す。よいか。其れがオマエのやり口なのである。

呆哀。なぁ、宿坊よ。

言って置くが、オマエなどに、現創価学会執行部を批判する資格など、億万分の一も無い。

ったく、裏と表を使い分け、純朴な投稿者を謀(たばか)る、其の醜い姿よ。呆怒。

オマエは、まこと信仰者のクズである。

そんなオマエに法義を語る資格など有ろう筈も無い。

控えよ、宿坊。

本より、オマエなどは、二番煎じ、三番煎じの地涌フェイクの与太話を掲載して、其の悦に浸っているのが
似合いである。よいか。下郎は下郎らしく、怪文書の手先となって、其の読売などをしておればよい。

よいか、宿坊。

当方と対論したくば、正々堂々、しっかりと手順を踏んで来い。

さすれば、即刻、掲載してやろう。
 

創価学会、池田創価は、《正》に邪難繰り返すうちに、《正》が何だったかすら分からなく成ってる。(呆笑)

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 3月17日(木)00時10分35秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  こんばんは。
創価学会系の掲示板、宿業の?板。も、一つ鯨板。
この2板、どちらも池田創価の現状を反映してるなあ。
共通してるのは、どちらも、最早、日蓮大聖人さまの仏法じゃないな。レベルは身延、
日蓮宗各派の邪宗教と同じで、それでも無い、新興宗教、鵺の様なゴミ団体。

日蓮正宗の正しいご法義に難癖付けてる内に、見境い無く成った、ただの馬鹿(笑)

ご宗門から破門通告受けて、早、20数年、遅くは成りましたが、創価学会を脱会して、
昨年10月、日蓮正宗の信徒に戻れて、本当に良かった。
もし、未だ、しがらみ、情実に捉われて、創価学会に在籍してたなら、毎日、おかしい?
謗法だろとの思い、信濃町の職業幹部の嘘と欺瞞と、爛れた職員間の下らない色恋沙汰に、
忸怩としながら、葛藤と、それを封じ込める為に、無理無理、正しいと思いこむ、およそ、
信仰、正しい、仏法では無い事の、努力をせねばならない。
そして、教学も何も無い、人々を地域幹部として欺かねば成らない。

しかし、池田創価って、呆れるほど、悪い【世情】を現してるなあ。
北の共産独裁国家。近頃、賑やかな、国内組織の対立抗争。それと、池田創価。
その、5年後は、壊滅か、分裂か…。
ま、池田創価の分裂、壊滅は、必定。自界叛逆の相、そのもの。

池田太作なんて、良く崇め奉れるなあ。あれ、師匠なんて、創価学会に在籍中も一回も、
思った事無い。

さて、今日は、仕事を内勤にして、先日の、所属寺院、菩提寺さまで《御報恩御講》の
際、法華講のご先輩Kさんに、ご挨拶した際、またも、私を気に掛けて頂いて、書籍2冊
頂戴いたしました。
《松岡○○の邪智極まる十項目の誑言を破す》
《悪書 「日蓮と本尊伝承」の謀りを破す》を熟読致しました。
池田創価が、池田太作が、善人面して、他に、裏で書かせるよう企んだ、疑難を完膚無き
まで、破折されてる。

所詮、日蓮正宗の800年に及ぶ、《御正統、ご法義》に、俄か新興カルト教団が、何を
戯言、寝ぼけた事言うか?
言えば言うほど、池田太作が二枚舌、虚言癖、頭腐った証拠に成る。(呆笑)

さ、晴れて、日蓮正宗の信徒に成れた歓喜と、今夜は、買い求めさせて頂いた、日達上人
さまのご著述を纏めた書籍《盥洗》を読ませて頂いて、春の近付きを感じる夜に、御報恩
感謝申し上げて、明日からまた、頑張ろう。

追伸…4月の御霊宝お虫払いご法要に参加させて頂ける事に成りました。
ありがとうございました。
 

管理人の宿坊へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月16日(水)15時03分4秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  以下の投稿文も削除されたので、此に再掲する。


お主はペテン師である!

信仰の世界はイワシの頭であるから「大聖人が末法の御本仏」というウソも、組織内ではオッケーなのだ。

オマエ、このセリフの意を、投稿者全員に説明せよ!

よいか、其れこそが管理人としての責務である!

投稿者を謀(たばか)るものではない!
 

信濃町のネット対策チームの対策の阿呆へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月16日(水)15時00分16秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  哀笑。やはりな。

其れにしても早い。

つまりは、イタチの類(たぐい)が、持ち回りで掲示板を監視している、という事であろう。

ったく、小策を弄する連中である。呆。

兎も角、前(さき)にも申したが、当方の投稿文を削除したのであるから、今度はオマエがこっちに来い!

よろしいか!

では再詰する!

>他、いつもの竹岡男子部長、橋本青年部長、渡部書記長、宮尾牙城会委員長も紙面座談会だけでなく
>現実の日顕宗と対論をして正義を証明して欲しいと思います。

果たして、我が日蓮正宗と対論して証明する創価の正義とは一体何ぞや。

其れを申せ!
 

信濃町のネット対策チームの対策の阿呆へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月16日(水)13時45分58秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >皆様のご自宅にも創価新報が届きましたでしょうか?
>3面に原田執行部の精鋭である青年幹部の座談会が掲載されています。
>ただし、登場されている方が本当に発言しているのかは疑問です。

呆笑。日頃から批判している原田執行部の青年幹部を『精鋭』とは、オマエの頭は捻転しておるのか。

哀笑。執行部の青年幹部は『精鋭』ですが、ただし、それらの者が本当に発言しているかは疑問です、だと?

小笑。只今、アメリカの精鋭部隊が迫っております!

オマエがもし、そんなセリフを小隊長に申したら『もう一度言ってみろ!』と、早速に往復ビンタであるぞ!

此の言っている意味、解かるか?

>日顕宗の行体を扱き下ろしている内容で私たち創価学会員にとっては胸のスッキリする内容です。

哀笑。果たして、執行部の堕落を批判している者が、その堕落している組織の所属幹部を「精鋭」と褒め讃え、
しかも、其の発言を指して『胸のスッキリする内容』とは、まさか、オマエの頭は好き嫌いの感情に支配されて
いるのか。なんだ、オマエは感情で信心しておるのか。哀。

よいか聞け。敵の敵は味方などと、凡そ本尊教義から脱線する感情論で、事の正邪を決しようとする、そんな
オマエの脳髄こそが馬鹿なのである。大丈夫か、オマエ。哀。

>鈴木創価班委員長
>たまたま機関誌※宗門機関誌を読んでみたらビックリしたよ。なんと、来日直後の片言の日本語しか
>話せない外国人を折伏した例を、模範例として取り上げていた。
>引用 以上

>日顕宗と対論をしていた創価班や牙城会の皆様であれば、日顕宗の機関誌を「たまたま読んでみる」
>ことはないですよね? 破折の為にしっかり読み込み極悪日顕宗と対論します。
>「たまたまた読んでみた」とはどう言うことでしょうか?
>うっかり空想で書いてしまったと言われてしまいそうです。

哀笑。たまたま、でなくとも空想で書いておるのが、創価新報であり、地涌であり、フェイクなのである。
したがって、うっかり空想で書いてしまったと言われてしまいそう、ではなく、其の様に言われてしまって
いるのである。ったく、オマエは目ん玉は何処(どこ)に付いておるのだ!?

>他、いつもの竹岡男子部長、橋本青年部長、渡部書記長、宮尾牙城会委員長も紙面座談会だけでなく
>現実の日顕宗と対論をして正義を証明して欲しいと思います。

哀笑。果たして、我が日蓮正宗と対論して証明する創価の正義とは一体何ぞや。
其れをいの一番に訊こうではないか! 兎も角オマエ、こっちに来い!

いや、其の前に当方がオマエの所に行こう!
よいか! 削除するでないぞ! よいな!
もし削除したならば、オマエこそがこっちに来い!

では今から投稿する!
 

ああ、邪教人 其の卅七

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月15日(火)15時59分15秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >支部の新聞長会のときなど支部長が支部の中のある婦人の方が現在聖教新聞を6部とって
>いらっしゃいますが4部は読まれていない状況なのですが、皆さんこの4部を活用するには
>どうしたらいいか、何かいい案があったら提案してください。
>とキチ●イみたいなことを言い出す始末です。

哀笑。支部長! アンタが其の4部を引き受けなさい!
さすれば、キチ●イみたい、などという暴言は吐かれまいて。

>統監も3ヶ月不明なら処理していいことに…

哀笑。おお、其れは早いな。

因みに、現在の熱心な活動家は約100万人、まぁ、世帯数でいえば約45万世帯くらいであろうか。

つまり、820万世帯という現在の数字は、死亡者や脱会者や未活者などが含まれてのものであり、

其の実質は、大白蓮華の発行部数(約280万部)が、創価学会の世帯数と言ってよい。

つまり、45万の活動家世帯が、200万余の一般世帯を牽引して、宗教会社である創価学会を支えている
という事であり、其れら末端の労働から得た収益は、須らく官僚幹部の手元に集められるのである。

何? 御供養だと?

鼻笑。在家が在家に御供養とは是れ如何に。糞笑。

其れこそは「入金」とすべきが正解ではないのか。

其の方がお主らには似合っておる。鼻笑。

>結局は現場が元気を無くしてやり手がいなくなれば職員幹部が最後は困るという当たり前のことにやっと
>気付いたのでしょうね。現場の不振は積もり手遅れかもしれませんがね…

哀笑。そーよな。もう手遅れかも知れんな。本より一般会員は、みんな白けているよ。哀笑。
しかし、其れを放置しては、今後の集金業務に支障をきたすから、利回りの良い池田センセー株を
チラつかせては、一般会員の労働意欲を今後とも掻き立てて往くだろう。無論、其れらの方策は、
TやHやYやKや、まぁ、そんな連中が、夜な夜なクラブや料亭で一杯やりながら、考えて往く事だろう。
だから案ずることは無い。営利団体である以上、経営が盤石であれば、其れこそが最高の「善」と成る。

>今の創価学会の問題は、過去との整合性がとれていないことです。
>更に問題なのは、その整合性が取れない責任の矛先が、池田先生に向かうことです!

哀笑。向かうも何も、其れらは全て、池田センセーの責任ではないか。
今更、創価の名誉会長にしてSGIの会長が、私は何も知りませんでした、では済まされないだろう。
ったく、其の様な事、当たり前ではないか。呆哀。

因みに、本尊教義に於いて整合性の取れない宗教をして「邪宗」と言う。
して、其の「邪宗教」に転落させた責任は、須らく「師匠」に在るという事を、オマエらは知りなさい。

>今日の聖教
>韓国の子供達に遊んでもらっている原田さん
>あり得ないー!

哀笑、なんで有り得ないのだ。

>あなたの老後の楽しみの為に子供達を使わないでください

…堪笑、なんだ、そーゆー事か。堪笑。

>小さな島国の日本の会長如きがなんで、あちこちSGIに行っているのでしょうか?
>SGIの肩書き、何かありました?
>訪問団の顔が映っていませんが

鼻笑。それは秘密です。

>SGI主任女性部長笠貫さんも一緒ですか?

哀笑。それも秘密です。

>原田さんは欧州といい、韓国といい、必ず笠貫女性部長と一緒に行く
>なんで?

哀笑。だから、それは秘密です。

>お二人共、伴侶と死別、独身
>再婚し、引退することを勧めます

哀笑。それは大きなお世話だよ。

>皆さんの宿泊費、旅費は我々の財務でしょうか?
>それとも、交流団のように自費でしょうか?

哀笑。実費で行く訳ないだろう。

>現地メンバーに迷惑かけていませんか?

哀笑。多分、かけているだろう。

>おじいさんの(原田)会長はもう結構!
>青年学会として、妻を大事にする、先生直結会長と交代してくださーい

哀笑。もうボロクソだね…。呆笑。

ところで「青年学会」って、何だ。

>「金城会の現場は信心の戦いとは程遠い」と本気で嘆いていました。
>こんなこと言われて悔しかったら、立ち上がってください、金城会。

『もう立ち上がっていますよ!』 (原田金城会より)

>昨年安保法制のデモがありましたが、聖教には一切出ていませんでした。

哀笑。そんなモン、出すわけねーだろ。権力側に居るんだから。

よいか、よ~く聞きなさい。創価学会は、民衆側にではなく、権力側に付いているのである。

そこんとこを、オマエらはよ~く覚えておきなさい。解かりましたか?

>私の内部の友人が本社に何故なのか理由を聞くために電話しました。
>電話の向こうで、嫌ならやめていただいても結構です。と即答だったと伺いました。

何?「嫌ならやめていただいても結構です」だと?
おいおい、随分と冷淡にして横柄な言い様ではないか。
一体、此奴は何様のつもりで居るのか。
ったく、こんな者が窓口に居るとは、創価も末よな。哀。

>もう一つ、神奈川で、ある婦人が2部から1部に減部したところ、除名されました。
>信心がないとかで!
>この婦人と直接あって伺いました。
>他に理由はありません。減部だけで除名です!

おいおい、幾らなんでも、聖教新聞の減部で除名はないだろう。

それ本当の話かい。

>本来、創価学会では全て自由です。

哀笑。そーよな。本尊も自由、教義も自由…。哀笑。

>最近、それが変質して来たことから、この(宿坊)掲示板では、その対策について議論されているのですが、

哀笑。はて、其の自由が変質した、という事は、本尊と教義がようやく固定化したという事か。
哀笑。いや、まだまだ自由は続いて往くだろう。哀笑。

>その論拠として、ここ(宿坊の掲示板)では教学についても色々と語られています。

哀笑。しかしなんだ。変質した自由を自由に語るとは、一体全体どんな自由であるのか。
ったく、そんなもの、単なる我義集合の滅裂態ではないか。呆笑。
大丈夫か? そのアタマ。哀笑。

>この(宿坊の)掲示板で、今の執行部を追い出した後、
>現在の執行部に代わる学会の舵取りとなるビジョンを、
>誰が、いつ、どのような形で提示しているのでしょうか?

哀笑。してないね。

と云うか、己(おのれ)の信条を宣べずに、相手を信条を批判するのが、宿坊一味の性癖であるから、
抑も、先行して批判の基となるビジョンを顕示する事など、此奴らがする訳がない。
つまりは、そーゆー連中だ、という事である。鼻笑。

宿坊云く、

>ビジョンを示せなければ批判をすることが出来ないという前提は看過できません。
>ビジョンを示すことを必要と考えるのであれば、貴殿が音頭を取って進めれば良いだけです。

哀笑、な、やはりそうであろう。

ったく、己(おのれ)の信義を示せぬ者が、何で相手の信義に文句など云えようか!
言うまでも無く、ビジョンとは、其々の信義信条によって構築されるものである!
つまり、ビジョンを示せなければ批判することが出来ないという前提は看過できない、
などと言っているオマエ、宿坊、オマエの事だよ、つまり、オマエの様な言い分こそが
間違っている、という事なのである。

信仰の世界はイワシの頭であるから「大聖人が末法の御本仏」というウソも、組織内ではオッケーなのだ。

よいか。これがオマエの根本信条であり、創価本尊の理想こそは釈迦牟尼世尊だ、というのがオマエの
ビジョンなのである。そして、それこそが、オマエからして、イワシの頭からの脱却と成るのである。
ったく、そういう事を手前(てめぇー)の掲示板では一切言わず、投稿者に対して「ビジョンを示せなければ
批判することが出来ないという前提は看過できない」などと言う、オマエの其の言い草こそが、最も責めら
れるべき痴言なのである。

猶(なお)も云えば、法華講員も学会員も、宿坊が運営する掲示板に投稿する場合は、先ず以って宿坊の信条、
つまり、日蓮大聖人の御本仏たるを否定し、日蓮日興血脈の次第を否定し、釈迦牟尼世尊こそが末法の本仏だ
という邪根を先ずは呵責し、其の後に於いて投稿を開始すべきである。本より、其の呵責によって管理人の
宿坊が反駁もせずに削除するとなれば、即ち其れこそが宿坊の根性なのであり、実に其れこそが、奸計の証し
となるのである。ったく、宗創に係わる議論対論に於いて、其の場を提供する管理人が、先ずは自身の信条を
投稿者に向けて宣示し、又、其の根幹と成る本尊教義に於て、自らが所属する宗派教団の下に、其の正当性を
顕示するが、宗教掲示板を司(つかさど)る管理人としての、最も大切な責務ではないかと、当方は強く戒める
ものである。

ったく、其れにも拘わらず、

>ビジョンを示せなければ批判をすることが出来ないという前提は看過できません。

などと。呆怒。

よいか! ビジョンが提示されなければ、こちらとして批判のしようもない、というのが正論であって、
其の正論をして看過出来い、とほざいている、オマエの文句の方が、よほど看過出来ない戯れ言である
という事を、オマエ自身が能く能く認識すべきである。

>ビジョンを示すことを必要と考えるのであれば、貴殿が音頭を取って進めれば良いだけです。

馬鹿者! ビジョンも示せぬ管理人が、投稿者に対して、オマエが音頭を取れ、とは何事か!
ったく、傍観してどうするのだ! この卑怯者め!

>創価学会の根本は、組織や幹部がいかにおかしかろうと、「自分が変われば回りが変わる」という理念の下、
>それらを突き抜けて、自身の戦いを展開するところにある。

呆笑。上の方も、そんなふうに思っているよ。「自分が変われば創価が変わる」ってな。おっと!
変わる、ではなく、もう変わり果ててるよ。堪笑。

>これはいわば、組織と自分とのダブルスタンダードの状態で広宣流布を推進していくことになる。

呆哀。

宗門に対してもダブルスタンダード。
組織に対してもダブルスタンダード。
本尊に対してもダブルスタンダード。
教義に対してもダブルスタンダード。
会員に対してもダブルスタンダード。

応に阿梨樹の枝とは此の事か。呆哀。

して云く、

>20世紀まではダブルスタンダードでも何とかなった。しかし、21世紀はもう一歩バージョンアップ
>しなければ、組織は滅びます。

おいおい、此れ以上、己(おのれ)の頭を破(わ)ってどうするのだ。

まさか、その破れた頭から、阿梨樹の枝がウジャウジャと出て来るのではあるまいな。

哀笑。頼むぞ、オイ。

>原田会長、谷川主任副会長辞任せよ!

呆哀。だから、早く其のセリフをプラカードに書いて、総本部を取り囲みなさい!

いつまで待たせるのだ!

何、そこまではしたくない、とな。呆呆呆。

何だ、其れもダブルスタンダードなのか。呆呆呆。

鼻笑。もうよいわ。

…ったく。どうしようもない連中である。哀笑。

今日も今日とて邪教人!

嘘つき邪教人への呵責は、これからも続く。
 

創価学会を脱会して、目の当り、感動させて頂ける事。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 3月15日(火)00時18分49秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  こんばんは。
今日は、関東、首都圏は、一日中、冷たい雨が、降り続き、夜も雨が降って、
静かな夜です。
一雨ごとに春に近づいて居るんですね。

昨日は、所属寺院、菩提寺さまで、《3月度御報恩御講》に参詣出来ました。
創価学会を脱会して、5回目の御講です。
本当に、創価学会を脱会して『良かったなあ』と日々思いますが、御講で、
御住職、御尊能化さまお会いすると、本当に凄いなあ…と思います。

穏やかなご表情ですが、破折の段は、本当に厳しい《お眼》に成られる。
私は、若い20代の頃から、様々な経営者、業界の一流の経営者の方々にお会い
する機会に恵まれましたが、経済人とは又、異なる…

さあ、どう表現したら良いんでしょう。
《所作の美しさ。》
です。こればかりは、一朝一夕で成れるもんじゃ無いですね。
御講の最中、幾度も、その《答え》を、見させて頂く機会に遭遇します。

それは…。
お師匠さまである、御住職に、対する、お若いご僧侶の、拝講の《お姿》です。
私の所属寺院は執事さまの他に、お若いご僧侶が3人おいでですが、ご師匠で
有る御住職さまへの眼差し、本当にまっすぐで、一幅の絵画です。

これは、ご大会でも、感動しました。
日興上人が、日蓮大聖人さまに、初めてお会い成された時、お仕え申し上げた時、
この様な、お姿だったんでしょう…と、心、洗われる思いがします。
そこから、また、御住職御尊能化さまのお若い頃のお姿も、思い致し、《所作の
美しさ》が、この様な、御修行の上に有られるんだなあと、気付くのです。

こればかりは、どう創価学会が逆立ちしても、【新興宗教】には無理ですね。
池田太作、一代限りの、単なる、世俗の【師弟】ですから、信濃町の師弟など、
金の切れ目が縁の切れ目、命の切れ目が縁の切れ目(呆笑)

ま、比べるべくも無い事ですが…。

法燈連綿。800年の歴史の重みに感謝申し上げ、今夜の静な夜に、明日より、
また、日蓮正宗の信心の感動を語って参いろうと、誓った夜でした。










 

此の度の大震災に思う 【再掲】

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月11日(金)15時59分33秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  兎も角も、未曾有の大震災であった。いや、未だ其の大震災は続いているのである。

本より、これ以上の絶望感と悲しみは、我ら日本人として当然の感情でもあろう。

さてもそういう中、朝日新聞は今回の原発事故に関して、其の政府の避難指示に於ける初動に
対して早速批判し、みんなの党の渡辺代表などは、この事態に於いて官僚には任せるな、などと
偏頗な批判をしておる。

そうと思えば、此の度の大震災について、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」などは、震災の
事実関係を初めて報じる一方、帝国日本に於ける植民地支配の過去の清算を現政権に於いて早速に
取り組むよう論評し、その冷淡な姿勢を示しておる。

果たして、これら両者の体質などは、抑もが極批判の類(たぐい)であるが、それらの小言などは
傍らに置き、先ずは此の国難、それこそ人命救助を第一の優先として、それこそ、みんなの党が
臍を曲げようとも、与野党一致して行方不明者の救出と、被災された方々の一刻も早い救済策を
講じて、日々迅速に対処すべきが正道であろう。

そして、我ら日蓮正宗信徒こそも、此の度の大震災を、創価学会が原因だ、公明党が原因だと、
その都度に目くじらを立てる事なく、先ずは被災された方々、否、肉親を失った方々の深い悲しみを
瞑目し、決して被災された方々に対して「それは謗法の現罰だ!」などと責めてはならない。

目の前で親を失い、子を失って悲しむ被災者に向かって「その原因はあなたの謗法だ!」などと
云うは、それこそ北朝鮮「労働新聞」の記事に匹敵するほどの冷淡な言動ともなろう。

先ずは第一、この大参事を人間として悲しみ、そして、其の果を為したる法界の根本要因こそを
深慮し、此の憂えるべき現証に対して、自身が深く心痛める事こそが、日蓮大聖人の慈悲の億万分の
一をも学ぶ者の姿勢ではないか。

云うまでも無く、立正安国論は時の為政者に対しての諫暁であり、又、だからこそ為政者の邪宗なりを
責めたのである。而して、其れを其の儘、我ら信徒が見習いよろしく「あなたが邪宗信徒だから津波に
のまれたのだ!」「それは創価学会のせいだ!」などと一律に叫ぶは、此れまさに人機を無視した突喊
(とっかん)の弁であると、小生は思うものである。

内に向けたる変節なき信条と、其の信条を以って外に対するは、常に比例するものではなく、其れこそ、
相手の置かれている立場と状況に於いては、敢えて比例させぬ事こそが、機知を備えたる誠の正宗信徒で
あると、小生は確信するものである。

日蓮大聖人、四條金吾に対して曰く『御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云。開眼の事、(中略)
木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし』と。(新編992)

さても、発迹顕本された後の大聖人が、強信者たる四條金吾の仏像造立に対して叱責せざる事を
深慮すべし。何(いか)に況や、仏法を知らぬ一般市民の肉親を失い悲しむ、其の姿に対してをや。

講員諸氏に於かれては、先ずは御一考願いたいものである。


※「みんなの党」は、平成26年に解党。
 

震災五年目に思う

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月11日(金)15時40分30秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  あの悪夢とも云える東日本大震災から早五年。

いや、まだ五年しか経っていない、と思われる御仁も中には居よう。

帰宅途中の運転ではあったが、大震災が起きた午後二時四十六分、一旦、車を路肩に止めて、
被災された方々と同じ日本国民の一人として、心よりの黙とうを車内より捧げた。

今更に言うまでもない。

愛する人を一瞬にして亡くした悲しみ、そして、愛しい肉親を一瞬にして失った其の絶望感。

今、応に津波にのまれ、自身の命が絶たれんとする時、心に刻んだ数々の思い出が、愛しい人の顔と
ともに、よぎった事であろう。そして、愛しい人の行く末を見る事も出来ずに絶命する、其の無念と
悔しさは、如何ばかりであったろうか。

当方はいつも其の事を思う。そして其の度に心が痛むのである。

「こんな残酷な事が在ってよいのか」と。

しかし、其のような事は、此の歴史上に於いて、何度も繰り返されて来たのだ。

そして、其の繰り返される天変国難の真っ只中に、末法の御本仏・日蓮大聖人も居られたのである。

大聖人に曰く、

『国土に起こる大地震・非時の大風・大飢饉・大疫病・大兵乱等の種々の災難の根源を知りて退治を
加ふべき勘文。(中略) 一切の人衆皆善心なく、唯繋縛(きばく)・殺害(せつがい)・瞋諍(しんじょう)
のみ有って、互ひに相讒諂(ざんてん)し枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん。疫病流行し、彗星数出て、
両日並び現じ、博蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表はし、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨
悪風時節を知らず、常に飢饉に遭ひ苗実も成らず、多く地方の怨賊有って国内を侵掠し、人民諸の苦
悩を受けて土地所楽の処(ところ)有ること無けん。(中略) 此等の文を以て之を勘ふるに、法華経等
の諸大乗経国中に在りと雖(いえど)も、一切の四衆捨離の心を生じて聴聞し供養するの志を起こさず、
故に国中守護の善神・一切の聖人此の国を捨てて去り、守護の善神・聖人等無きが故に出来するの所の
災難なり。(中略) 問うて曰く、如何にして速やかに此の災難を留むべきや。答へて曰く、還って
謗法の者を退治すべし。若し爾(しか)らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留むべからざるなり』と。

本より、此れ以上の理(ことわり)は申すまい。

しかし、此の御金言の内容も、一致派の学者や、創価学会を含む新興宗教などでは、日蓮大聖人が、
信者の信心を倍増させる為の譬喩(ひゆ)で言われた事であり、実際、邪宗の題目や邪思邪想が起因と
なって、大地震や大津波が起こるものではない。寧(むし)ろ、そういう考え方は、非現実的であり、
非社会的であり、其の本からして信教の自由に対する挑戦である、などと口遊(ずさ)むのである。

哀。

もはや、此等の者は、依正不二の原理、つまりは、此の宇宙法界のすべてが、其れら依正の相関に
よって動いている、という事を理解できないのである。

ったく、何とも情けない日蓮門下であるよな。哀。

尚、此の度の大震災に於いては、同門他門を問わず、亡くなられた方も居るであろう。
又、一人も居ない、と云う事であれば、其れは誠に以って稀有に等しいものである。
尚、未だに二千余名の方々が行方不明になっている事を、我々は決して忘れてはならない。

そう言えば、

つい最近、朝日新聞に載っていたと思うが、複数のタクシー乗務員が、被災現場近くで客を乗せ、
目的地を聞き、其の場に到着して料金を提示して後を振り向くと、そこには誰も乗って居なかった、
という体験談。しかも、それらの体験談を卒業論文にまとめた女子学生が居るという。

して、其の女子学生が云く「(複数の乗務員が)乗せたのはいずれも比較的若い男女で、もしそれが犠牲者の
霊魂だとしたら、大切な人への強い無念の思いや、やりきれない気持ちを伝えたくて、個室空間のタクシーを
媒体として選んだのではないか」と。

何とも、不可思議な事ではあるが、実際、そういう事は有り得るのである。
実際、恩師もそういう事は有り得る、と仰せになっていた。

さて、その関連に於いて話を進めよう。

本より、人が死すれば葬儀と相成るが、現在の創価学会では、学会員全員が成仏したまま、冥界(死後の世界)を
経ずに来世に誕生するらしいから、そういう現象は無いと云えよう。しかし、能く能く考えてみれば、其れら
成仏した学会員に対して『御冥福を祈る』必要など無いのではないか。其れよりも何よりも、成仏を遂げている
学会員に対し「御冥福を祈る」とは、其れこそ、故人・遺族に対して失礼な言い様ともなる。

加えて、学会の葬儀(友人葬)に於いては、不成仏の者への追善などは、其の者が来世に誕生するまでは、まったく
(妙法の)効力が働かないらしいから、其れこそ、学会員が言う様に、友人葬などは単なる『セレモニーーー』と
いう事にもなろう。哀。

鼻笑。ならば一層の事、葬式など止(や)めてしまえば宜しい。

して、どうしても葬式はやりたい、もちろん、坊さん抜きで、と言うのであれば、導師などは、其れこそ、
誰でもよいのであろうから、隣のねじり鉢巻きの八百屋の親父でも、腹巻をした色黒の大工の親父でも、
最近、高校を中退した、ヘビースモーカーの金髪兄ちゃんにでも、ちょっと頼むわと一々儀式臭い正装などは
させずに、其れこそ置物よろしく遺体の前に座られて導師でも何でもさせればよいのである。

形式を無視し、儀式を嘲笑し、別に絶対でなければ、厳守する必要などない、などと屁理屈を捏ね回す、
お前ら新興創価の連中などは、其れこそ、葬式も結婚式も、赤フン一丁でやればよいのである。

よいか。こういう事を言わせるオマエらの、応に追善供養に対する無智と、其の化儀即化法の理を無視した
狂気こそが、先ずもって是正されるべき醜態なのである。

よいか! 此の度の大震災で亡くなられた方々に対し、お前ら創価学会員は決して『御冥福をお祈り致します』
などとは言えないのである! 其の理由は既に解かっておろう!

御聖訓に曰く『彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』と。

当方は、此の度の大震災五周年を念記として、今よりも猶(なお)、現代の一凶たる新興宗教創価学会を呵責し、
以って、其の邪義変節の醜態に鉄槌を加えるべく、鋭意、前進するを此に改めて誓うものである。
 

大白法を、隅々まで、読めました。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 3月10日(木)13時48分53秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  こんにちは。
今日は、少し慌ただしい日が続きましたから、内勤~。ま、経営者の特権、駆使して
ゆっくり。

なので、朝の五座の勤行でお題目を、昨夜に引き続き、常より多くさせて頂けました。
今日は、気に成っていた、お香炉の手入れも。香炉の蓋も綺麗に洗い、御給仕させて
頂きました。

創価学会に在籍中、考えもしなかった、お仏間に入退室する際の、合掌も自然に致せる
様に成りました。これは、文字通り、自然な発露で、大聖人様の、お側に居させて頂ける
感謝からです。

さて、勤行後、3月1日付け《大白法》をじっくり読ませて頂きました。
そう言えば、子供の頃(40年以上昔)、聖教新聞を跨ぐと、父に叱られたなあ…汗。
大聖人さまの御法が記載されてるのに跨ぐとは、何事か!と…。

今や、聖教新聞なんか、跨ごうが、踏みつけようが、お咎め無し。そもそもが、
現役創価学会員でも、毎日、深く読みもせず、そのまんま、【ゴミ箱】行き(呆笑)
見ると毎月、1万円近く新聞集金時、払ってる異常さに、嫌気射すから(笑)
写真のスペースやたらでかく、内容乏しい。
開きゃ、健康食品の広告のオンパレード。
おい、創価学会員って、健康食品を拝まなきゃ成らんの?信心はどこ行った?

真面目に考えてごらんよ…。
そんなに、創価学会が言う様に、世界広布成し遂げた、世界192か国、地域に世界広布
した~って、本当なら、創価学会が、解散勧告書、破門通告されてから、世界は
安定したか?平和か?
日本は、人々が幸せを享受したか?
幾ら、創価学会員でも、立正安国論くらいは、知ってるでしょ。
あなた方、本当に世界広布したと言うなら、この、混沌とした世界情勢は、何なんですか?
池田創価が、謗法に引きづり込んでるから、この様な仕儀に至ったと、思いませんか?
少なくとも、天変地異は減るはずでは無いですか?

最早、創価学会は、法然【選択集】上回る、現、当代の【一凶】です。

ま、首領様…もとい(笑)…池田太作、足と頭から地獄に先送り。
何か、埼玉に行ったって?聖教新聞の写真昨日付け。
誰も、撮影者以外他に居ない?みんな学会員会いたがってんじゃ無いの?
おかしく無いか?少なくとも代表者ぐらい。隔離状態?
その、写真に写らない外側に大勢の警備が池田太作を見せない様にガードしてる。
おい、その、腰掛けた足の靴の向き、曲がってるって(笑)
かみさんと2人きりで、誰も居ないの?
淋しいねええ。

さて。
大白法。
慎みて、姿勢を正して拝読させて頂きました。
何故かならば、《正しい日蓮大聖人さまの》ご法が、有るからです。
創価学会を脱会後、購読させて頂いてる、大白法は、全て、保存。

3月1日付け、御法主上人猊下さま、《立正安国論》ご説法。
深々のご指南を拝しました。
この様に、立正安国論を拝す事の、大事さを改めて痛感致しました。
また、御法主上人猊下さまの大慈悲心、創価学会員を、救い出さんと成される
大慈悲心のお心に、涙が出ました。

ありがとうございました。










 

ああ、邪教人 番外の二

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 9日(水)15時32分22秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >仮に、今後、原田会長の英断により、教義変更が失敗だった事を公式に認めた場合、真相究明の委員会が
>立ち上がれば小委員会のメンバーであった森中さんは重要なキーマンになります。

哀笑。

おいおい、教義の変更さえ問題があると云うに、其の変更をして失敗したとか成功したとか、一体お前らは、
どーゆー事を基準にして教義というものを捉えておるのか。まさか、信者の多数決と言うのではあるまいな。

哀笑。ったく、頼むぞ、オイ。鼻笑。

>私達、池田先生を師匠とする門下が考えなくてならないことは、原田会長が言う、日蓮正宗からの完全な
>決別でもなければ、大石寺の板本尊のことでもないのです。
>池田先生の仏法上での立場であり、池田先生の思想を永遠に残していくことなのです。
>「池田先生の事」これだけです。

呆笑。オマエなぁ、それだと、原田創価の教学よりも下になってしまうぞ。

なんだ、其れさえも分別出来んのか。呆呆。

>波田地氏が言葉に出したと聞いたことがある四菩薩論です。
>大変に重要な法門であります。
>過去に三代会長を四菩薩に配した人はいましたでしょうか?

何。池田センセーを四菩薩に配する事が重要な法門だと?

阿呆! そんなモン、だだの邪義だよ!

第一、イタチの戯れ語が、なんで「法門」と成るのか。

ったく、増長するのもいい加減に致せよ。

チンケなHN「信濃町のネット対策チームの対策」とやら。

オマエは小イタチであるのか。哀。

ったく、屁にも成らんぞ!
 

ああ、邪教人 番外

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 9日(水)06時32分2秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  とある小さな交差点。

クルマで信号待ちしていた当方が、ふとドア窓に目をやると…。

白いミニスカートから、スラッとした白い太腿を覗(のぞ)かせて、黒いブーツも艶やかに颯爽と歩いて行く女性…。
……と、思いきや、その顔を見たら何と、森田公一にそっくりな中年のオッサンだった!

おいおいおい…!

思わず目を瞬かせて、其れこそ「さかなクン」ではないが「ギョギョギョ!」と一瞬、体を凍らせてしまった
当方…。さても、何なのだ此奴(こいつ)は! と言うべきか、其れとも、なかなか自由でヨロシイ! と言う
べきか。そんな葛藤が脳内を駆け巡るも、やはり、コイツは何なのだ!! の結論に達してしまった当方。

しかし、其の瞬間、何と今の創価学会の姿が浮かんで来た。

白い仏壇から、ユラっとした線香の紫煙を覗かせて、黒光りした数珠の色も艶やかに、颯爽と「一大秘法の題目」を
唱えていると思いきや、その先の本尊を見たら何と! そこには、池田書写本尊と釈迦の立像が安置されていた!

おいおいおい! 本当かい! 中年のオッサンと創価学会。哀笑。

何でこの二つが其の瞬間にしてダブったのか。

その答えこそは、宿坊イタチと、そこに集う学会人こそが知っていよう。

応に、鵺(ぬえ)をも凌ぐ、多様合体の成れの果て。呆笑。

世は其れをして「乱雑無章」と言う。

巻八・陀羅尼品に云く『若し我が呪に順ぜずして説法者を悩乱せば、頭(こうべ)破れて七分に作(な)ること阿梨樹の
枝の如くならん』と。

言うに及ばず。

頭破作七分は、今や創価の代名詞となる。

さても、中年のオッサンと創価学会。鼻笑。

其の滅裂の度合いは、どちらに軍配が上がるのか。

一目瞭然。

其れこそは、罪の度合いによって決まるのである!
 

不思議と、脳乱者、顛倒者、狂人は似てるなあ(笑)

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 3月 8日(火)23時50分46秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  今日は、朝の濃い霧が、抜けたら、爽やかな青空。
日差しの強さを感じて、日増しに春に、近づいてる事を感じます。

そう言えば(笑)
ヤフーの動画欄に、ふと、目をやると、「犬を撫でると、五郎丸ポーズする」
って可愛い、我が家の犬に似た、画像が…。
見てみたくなり、ポチっとクリックしたら、創価学会のCMに繋がった…。
凄まじく不快(笑)気持ち悪っ。
どうして、創価学会は、こうも、デリカシー無く成ったんだ?
こう言う、やり方して、「そだ!創価学会入ろう!」と思いますか?
急いで消して、無事、可愛いワンワンの画像にたどり着いた。

こりゃ、明らかに、サブリミナル効果狙った、悪質な宣伝手法。
ま、公共じゃないから、金払えばやれんでしょ。
会員が爪に灯ともすよな、暮らししてる人が多いのに…悲。

かと思えば、創価学会の元理事長と同じ名前に銃弾撃ち込まれたニュースが。
すわっ、とうとう、やっちまったか?
と思いきや、別の団体でした。
どなたもお怪我無くて何よりです。

かと(笑)思えば更に…。
某、残り少ない共産独裁国家。
北の方。
ここがまた、創価学会に、しみじみ良く似てるなああ。
そう言えば、若いころの、池田太作の写真が、大白蓮華に載ってたが、ありゃ、
完全に、チョソンサランのいで立ちでした。
ぶかぶか、太いズボンを腰高ベルト位置。白い開襟シャツに、ポケットに両手
突っ込んで、粋がるポーズ。
これ、昔、蒲田~川崎辺りの、典型的…ま、止めましょう(笑)

で、米軍と韓国が大規模な軍事演習実施中。
北は、猛烈に反発。

でも、どうして、独裁体制って、必ず、仮想敵を必要とするんでしょうね。(笑)
自身とその一味の【悪事】から、会員、信者の…、いや、国民の目を逸らさせる為、やたら、
噛み付きだす。
俺たちの思想が広まらずに、孤立化させられるのは、こいつら(仮想敵)のせいだ!
国民が貧しく、未だ満たされないのは、正しい首領さまの、邪魔をするからだ!
偉大なる首領さま、マンセイ!万歳!万歳!…漫才!

哀れだなあ、騙す方も騙される方も。やがて潰える(ついえる)定め。
目先の栄華が、何に成る?それさえ砂上の楼閣。

さあ、明日も、日蓮正宗の正しい信心をさせて頂ける、これ以上の身の福運が
有るでしょうか?

就註法華経口伝(御義口伝)平成新編御書1749頁
第四 与如来共宿の事
御義口伝に云く、法華の行者は男女共に如来なり。煩悩即菩提・生死即涅槃なり。
今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は与如来共宿の者なり。傅大師の釈に
云はく「朝々仏と共に起き、夕々仏と共に臥す。時々に成道し、時々に顕本す」云云

日蓮正宗の正しい教えに、帰命、回帰出来て良かったです。
ありがとうございました。








 

【面目は恥なり】首魁・池田太作に捧ぐ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)16時39分36秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  今思うに、当時、鎌倉幕府が実権を握る日本国に於いて、否、其れより以前から日本国の身分制度という
ものは、公家・武家を問わず、其の出目と武力によって獲得し、又は維持されてきたのである。

したがって、中世日本に於ける身分の格差というものは、現代人の我々が想像も出来ぬほど、絶大なのである。
例えば、権大納言と一農民とでは、其の人間の存在価値に於いても差別されるのであり、一商人・一農民が、
守護地頭に暴言を吐けば、其れこそ頸刎ねられるのである。

否、権大納言や守護地頭どころではない。相手の地位が従五位下であろうと御家人であろうと、反攻に及べば、
其の頸刎ねられるのである。つまり、其の逆を申せば、其の当時に於いて、官位を持つ者、城を持つ者などは、
民衆一般からして、雲の上の存在なのである。してもし、それら地位の者が我らの前に現れたら、我らはその場
にて土下座し、頭を下げなければならないのである。

さても、西洋かぶれの平等主義を掲げる創価学会員などは、其の様な世界が我が国にあったとは、其れこそ反吐
(へど)が出るくらい、嫌悪するであろう。しかし、其の当時に於いて、其れが日本の常識だったのである。

して当時、其れら雲の上たる公家衆に招待されて法を説いたと喜悦し、其れら殿上人からの賞賛を以って
己(おのれ)の面目と成した三位房の性根を、日蓮大聖人は厳しく叱られたのであった。

長文ではあるが、委細、其の事を示そう。

曰く『御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事、かへすがへす不思議にをぼへ候。
そのゆへは僧となりぬ。其の上、一閻浮提にありがたき法門なるべし。設ひ等覚の菩薩なりとも何とか
をもふべき。まして梵天・帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて、正法の僧をやしなうべき
者につけられて候。毘沙門等は四天王の主、此等が門(かど)守り、又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。
其の上、日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、但(ただ)島の長(おさ)なるべし。長なんどにつかへん者
どもに召されたり、上(かみ)なんどかく上(うえ)、面目なんど申すは、かたがた詮(せん)ずるところ日蓮をいやし
みてかけるか。総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば、始めはわすれぬやうにて後には天魔つきて物くるう、
少輔房がごとし。わ御房も其れ体になりて天のにくまれ蒙(かほ)るな。のぼりて幾何(いくばく)もなき実名を
かうるでう物ぐるわし。定んでことばつき音なんども京(みやこ)なめりになりたるらん。ねずみが蝙蝠(こうもり)
になりたるやうに、鳥にもあらず、ねずみにもあらず、田舎法師にもあらず、京法師にもあらず、せう房がやうに
なりぬとをぼゆ。言をば但(ただ)田舎ことばにてあるべし。なかなかあしきやうにて有るなり』と。(新編 430 )


【訳文】

持仏堂で法門を説いた事が面目、などと(手紙に)書かれているが、どう考えても不審な事である。
其の故は、僧となった身であり、其の上、持する法門は世界第一の法門である。したがって、例え
相手が等覚位の菩薩であっても、何を気にする事があろうか。まして梵天帝釈などは我等の父親で
ある釈尊の領地を預かって、正法の僧を養う者とされているのである。毘沙門等は四天王の主にて
此等(これら)梵天帝釈の門番である。また、四州の王等は毘沙門天王の家来である。其の上、日本
秋津島は四州の転輪聖王の家来にも及ばない、但の島の長(おさ)である。其の長などに仕える者達に
「召された」「上」などと書き、剰(あまつさ)え「面目」などと言うのは、いろいろ突き詰めて考え
てみると、この日蓮を卑しんで書いているのであろうか。総じて日蓮が弟子は京に上ると、初めは
忘れない様ではあるが、後には天魔が憑りついて正気を失ってしまう。其れこそは少輔房の様なもの
である。御房も其の様な姿になって天罰を蒙らない様にしなさい。(御房は)京に上っていくらも日にち
が経っていないのに実名を「尊成」に変えたという事であるが、物狂いそのものである。さぞや、
言葉使いや発音なども京なまりになった事であろう。鼠(ねずみ)が蝙蝠(こうもり)になったように、
鳥でもなく鼠でもなく、田舎法師でもなく京法師でもなく、其れこそ少輔房の様になってしまったと
思われる。言葉は但(ただ)、田舎言葉でいるがよい。どちらも付かずは返って見苦しいものである。


さても、上記の御文は、京に上った三位房が、そこに住する僧侶や公家の雅やかな風情に心浸され、
其れこそは、京の都からして田舎地方(東国)に拠を置く、日蓮大聖人の門下である事を恥じるが如く、
自身の名を「尊成」と改名し、殿上人なる公家衆から招待されて賞賛を浴び、其れこそは名誉な事だと
得意げに「面目躍如」を書き記す三位房の性根を、鎌倉に居る日蓮大聖人が厳しく叱られた御文である。

して、上記の事を現代に転じてみよう。

果たして、日蓮門下と名乗る多数の中に、三位房と同じ性根を持つ者は居らぬか。

いや、居るであろう。其の代表と成る者が。怒。

其の者の名こそは池田太作。小生からして応に三位房の生まれ変わりである。

さても、海苔屋の息子が、師匠について仏法を学び、其の弁説巧みを以って、組織の長となり、
初めは、大臣・首相何するものぞ! 日蓮大聖人の弟子こそは、世界の雄である! と曰(のたま)って
はいたが、其の後、国際舞台に憧れて、それこそ己(おのれ)の面目を確かめるが如く、自身の京(みやこ)
とも云うべき中国へ渡り、其の雄大な国力と延々なる歴史の造詣に心侵され、遂には無冠では通用せぬと、
束るね組織の長名に満足せずに、博士だ、教授だ、詩人だ、哲学者だ、と名誉号を次々と貪り、其の獲得を
以って「面目躍如」と会員に誇示する姿こそは、応に三位房日行が生まれ変わりたる姿なのである!

俺は偉い人に会った。そして、偉い人に招待もされた。そして俺は、そこで演説をした。
そうしたら、みんなから賞賛された。そして俺は偉い人から勲章を貰い、賞状も貰った。
だから俺は偉い。果たして、こんな素晴らしい事が他にあろうか。

創価外道の諸君!

上記のセリフは小生のものではない。まさしく池田太作が机をバンバン叩きながら叫んだセリフである!

而して、三位房太作、自慢して云く、

『じつは私は「桂冠詩人」であり、「世界桂冠詩人」の賞もいただいております。詩人にとって詩を
贈ることは、最大の栄誉を贈ることなのです』

               (胡錦濤来日時に詩を贈ったときの言葉/ 平成二十年五月九日付 聖教新聞)

して、三位房太作、其の自慢が高じて云く、

『私の話が高尚で、そして分かりやすくて、そいで哲学的で、そいで文学調で、そいで詩的で、
そいで会話的である。頭が相当聡明でないとおっ付いていけないんです』

               (平成5年1月27日、アメリカSGI&関西合同総会 於ロス)


呆笑。果たして此の者、日蓮大聖人のお叱りからすれば、応に天罰食らう言動ではないか。

尚、言って置くが、其の天罰の証しこそは、池田太作の最後の姿に顕る!

さても病状の事について、一々云うは、其の道徳からして避けるが一般ではあるが、世界創価学会の
長である者ならば、そうはいかぬ! 実に其れこそは、此の者が悪しざまに侮蔑して来た、日顕上人
現御隠尊猊下との勝負である! 足が立たぬとは言わせまい! モノが言えぬとは言わせまい!
そしてオムツをしているとは言わせまい! 応に此の事は、正邪決定の証しと成るのである!

法華経・安楽行品に云く『若し人悪(にく)み罵(ののし)らば、口則ち閉塞せん』

同じく、陀羅尼品に云く『若し我が呪(しゅ)に順ぜずして、説法者を悩乱せば、頭破(わ)れて七分に
作(な)ること、阿梨樹の枝の如くならん』

仍って大聖人に曰く『円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて
十巻をそらにをぼへ、五十年が間、一日一夜に二部づつ読まれしぞかし。かれをば皆人は仏になるべしと
云云。日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底に堕つべしと申したりしが、此の人々の
御臨終はよく候ひけるか如何。日蓮なくば此の人々をば仏になりぬらんとこそをぼすべけれ。
これをもってしろしめせ。弘法・慈覚等はあさましき事どもはあれども、弟子ども隠せしかば、公家も
しらせ給はず』と。 (新編 1070)

【意訳】

安房清澄寺の円智が、其の大堂に於いて、五十年間、法華経を書写し、十巻を諳誦(あんじゅ)した。
したがって彼の事を、世間の人は皆、仏になるだろうと言っていた。しかし、此の日蓮だけが「無間
地獄に堕ちるだろう」と言ったが、果たして、これらの者の臨終は良かったか。そうではないだろう。
もし、この日蓮が居なかったら、これら者は皆、仏になったと世間は思うであろう。これを以って、
知りなさい。弘法・慈覚らは臨終があまりに悪く、それを弟子共が隠した為に、朝廷公家衆に於いて
其の事実を知らないのである。

創価よ。池田太作にもしもの事があろうとも、其の臨終の良し悪しなどは、しっかりと明言致せよ。
さもなくば、日恭上人の御殉教に対して罵詈する事などは、一切出来ないのである! よいか!

今こそ知るべし! 応に真の「面目」とは、其の臨終に在るという事を!
 

H27法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 8日(火)16時33分54秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >親孝行は、今までは金銭的な事だけでしたが、本当の《親孝行》が出来得たと思います。
>最も大きいのは、もう、この、信心は間違ってんじゃ無いのか?が一切無く成った事で得られる、
>《心の安定、安寧》です。
>また、心の安寧からもたらせられる、《感謝の念》です。
>実は、昨日も、義姉含め、兄からも、顔が、変わって、《柔和》に成ったと…。


【衆生既信伏 質直意柔輭 一心欲見仏 不自惜身命】

衆生既(すで)に信伏し 質直にして意(こころ)柔輭(にゅうなん)に
一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず


本より、色心不二の信心なれば、自ずと顔相も柔輭と成りましょう。

此の度の事は、本当に良うございました。

改めまして、母上様の御長寿と、兄上様の帰伏を心からお祈りすると共に、法華講員殿の更なる御健闘を
此に期待するものであります。
 

勿於此生疑。當断令永尽。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 3月 7日(月)23時43分1秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  こんばんは。
管理人、大月天さま。

ありがとうございます。本当に、良かったです。
初め、特養ホームの介護の方に車椅子で連れられて来た時と、私の顔を見て
からは、不思議と、母の顔が、朱が射す、顔色、良く成った様でした。
数十年ぶりに、母の手を握ったら、強く握り返してくれたほどです。

親孝行は、今までは金銭的な事だけでしたが、本当の《親孝行》が出来得たと
思います。
日蓮正宗の信徒、法華講の一員に成らせて頂いて、自分自身が、一番、変化を
感じる事が、多々、有ります。

最も大きいのは、もう、この、信心は間違ってんじゃ無いのか?が一切無く成った
事で得られる、《心の安定、安寧》です。
創価学会在籍中は、池田創価の、余りの変貌に、常に、疑念と葛藤しておりました。

最早、最上の、御法に、日蓮正宗のご法義に回帰、帰命させて頂き、もう、疑念を
抱く必要が無いのです。
こんな、有る意味、当たり前の事が、私は、新鮮な感動です。

我が、眼で、散々、吹き込まれた来た(内心、本当か?ん?な事有るか?…と思いましたが。)
創価学会が、散々、罵っていた、ご宗門の、御尊師、ご高僧の殆どの方に、お会い出来ました。

私の記憶通りの、創価破門前と寸分違わぬ、《ご所作の美しさ》と、更に加えて、御柔和な、
法華講員を、幸せを享受させたいとの、強いご意思と、慈悲を感じます。
法華講員と共に、法華講の、お歌を、最も大きな、お口を開き、共に、歌われるのです。

また、心の安寧からもたらせられる、《感謝の念》です。
生来、短気でしたが、感謝が先立つ様に成れました。

なので、実際に会う、未だ、創価学会に騙されてる方を見る、会うと、可哀想だと思える
様に成りました。

実は、昨日も、義姉含め、兄からも、顔が、変わって、《柔和》に成ったと…。

これは、所属寺院、菩提寺さまの、法華講のご先輩、Kさんに、総本山登山、御大会で、
文字通り、寝食、共にして頂いた際も、その後、Kさんにお会いする度、幾度も、
『先ず、貴方が変わる事、この、正しい日蓮正宗の信心したら、相、顔付きから変わる』
と…。これは、大変だな…と思いましたが、勿論、まだまだ、ですが、仕事上でも、また、
昨日は兄夫婦からも、思いがけず言われました。

そうして、『日蓮正宗の信心出来た歓喜を得て、それを語りなさい』…。
これは、実感してますから、語れます。

決して、まだまだの、凡智も凡智。ですが、日々、感謝を、身に刻み、法華講のご先輩方
に教えて頂けた事を、次は、私が出来える様に、身を正して参ります。

ありがとうございました。








 

H27法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 7日(月)14時56分54秒 i60-34-119-239.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  感動溢れる御投稿、しっかと読ませて頂きました。

3月24日、早いものです。

あれから、もう1年ですか。

思えば、この10年来、法論掲示板の管理人として、他板への投稿を一切控えていた当方が、
宿坊の掲示板に呵責文を投稿し、即座に削除されるも、其の一瞬の掲載を目にされた法華講員殿が
当室の存在を知り、今、こうして、正統・富士門流の信徒に成られているとは、何とも深い縁(えにし)で
あると、此に改めて痛感するものであります。

其の法華講員殿も、今では立派な興門正統の御信徒。応に「水を得た魚」ならぬ、正義を得た強信者とは、
実に法華講員殿の事を指して云うのでありましょう。

最早、心配などはしておりません。

否、当方こそ、法華講員殿の信心姿勢に促され、日々の信心に不足なきやと、自分自身に言い聞かせる毎日で
あります。

御母上の事。

読んでいて、涙がどうしようもなく溢れ出て来ました。

本当によかったですね。

御身内の誰かも御認識されない母上様が、法華講員殿のお顔を見るなり「良く会いにきてくれた」と、お声を
出してお喜びになられるとは、まこと、法華講員殿の願いが御本尊様に通じたのでありましょう。

本当に、本当に、良うございました。

加えて、兄上様の事。

よくぞ、折伏されました。

大丈夫です。

必ず、悔悟される日が来るでありましょう。

身内への折伏は最大の孝財。

実に、法華講員殿は「子にすぎたる財なし」との大聖人の御金言に沿う、まこと、親孝行、兄孝行の御人であると、
当方は心の底から敬服するものであります。

本日は、感動溢れる御投稿を有難うございました。
 

而強毒之。神奈川の兄を破折しに行きました。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 3月 7日(月)00時17分3秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  こんばんは。
管理人、大月天さま。
また、本日は、ぽんぽこ狸さま。ご無沙汰しておりました。
お元気そうで何よりです。
また、こちらで、未熟な私に、色々、お教えください。

さて、大月天さま。
御記憶でしょうか?
私、この、3月、こちら、掲示板に初めて書き込みさせて頂いてより、もう直き、
1年を迎えます。正確には、3月24日、16時ちょっと前、忘れも致しません。
私には記念日です。

この日、私は、あの、創価学会員、それも、【創価の師弟不二論の狂人】の集まる、
宿業、宿○板で、書くのも煩わしく、ただ、眺めていたところ、大月天さまの、獅子吼、
『お前ら、創価学会員は、何を拝んでんだ!』の叱声の《正義の言》に触れたのです。

即座に、その大月天さまの書き込みは、あの、ゴミ板の常套逃げ手段に依り、即消し
されました。
ですが、その、お名前から、こちら、《正義の掲示板》探し出して、初めて、ここに、
《諸事情依り創価》のHNで書かせて頂いたのです。
彼の、ゴミ板では、【父の教えを守る】~【壮年部A】でした。

爾来、こちら、大月天さまに様々、お教え頂いて、創価学会に在籍して、如何に、正義面
しても、所詮は、強盗、詐欺集団で、善人ぶっても、それ自体が、脳乱だと、気付いて、
創価学会を、先ずは、親族、私一人でも脱会しようと、腹を決められたのです。
本当に、大月天さまには、言葉に言い表せない程の感謝をしております。
私は、《正しい、日蓮正宗の信徒》に加えて頂けたのです。
これ以上の、身の福運は、ございません。
日々、五座、三座の勤行で、無限の安寧を頂き、心、落ち着いております。ありがとう
ございました。

しかし、もとより、本当の感謝とは、《言》では有りません。
大月天さま、法華講のご先輩方、また、恐れ多くも、私の様な、創価学会員を、救い出そう
とご宗門、御当代御法主上人猊下さま、御隠尊猊下さま、所属寺院、御住職さま、御僧侶方、
一切の御僧侶方の、ご恩に報いたいと、眷属、友人を、1人でも多く、破折させて下さい、
本門戒壇の大御本尊さまの御元、日蓮正宗に帰命、帰伏させる、《力》をお与え下さいと…。

今日は、年老いて、加齢から、また、創価残留の、罪障からか、我が母が、認知症が進み、
いいえ、認知症の方が、全て、謗法とは言えませんが、その、苦しみを救うのは、日蓮正宗に
回帰した私の務めと、行って参りました。普段なら車で行くのですが、今回は、拙宅から、
新宿まで、電車で行き、小田急線に乗り換え、特養ホームに居る老母に、義姉の案内で、
尋ねました。
行く前に、聞いて居た、今や、前回、昨年の11月に総本山登山、御大会参加させて頂いての
帰りに会ってより、更に、認知症、進み、同居していた兄も、義姉も、その子たちも、況してや、
他の兄達の誰も、誰だか分からないと…。

ところが、会うなり、私を、分かってくれ、「良く会いにきてくれたねええ。ありがとう」と
何度も言うのです。『○○だよ。末っ子の…分かる?』と聞くと「分かるよ、ありがとう」と…。
男ですから、人前では、泣けませんが、思わず合掌し、『大聖人さま、ありがとうございます』
と祈りました。

今朝も、その、前から、ずっと、自宅御本尊さまに、母の安寧と、心安らかに…穏やかに過ごせる
事を祈っていた通りに成りました。

その後、特養ホームを、義姉と、兄の次女と、近くの、料理屋に移動を頼み、兄が来るのを
待ちました。兄は、創価学会の現役、県幹部です。
この日、地元で、B、ブロック五勇士なる、創価の、五人の活動家集めを盛んにここ2年ほど、
掘り起こしの為、やってますが、全国遅々と進みません(笑)
で、騙すように掻き集め、五人達成…と…悲。
それが、信仰か?
ご多分にもれず、この日、我が兄もこんな、事をやってます。遅れて到着し合流しました。

私は、兄が聞こうと、今回、聞き入れようが聞き入れまいが、《而強毒之》の通り、
今回、私が、日蓮正宗の信徒に成らせて頂いた10月からは、2度目、電話加えれば、3度目
の破折を致しました。

黙って反論する事も無く聞いております。
今回、私が所属する、菩提寺さま、法華講のご先輩、Kさんに頂戴した、昨年10月1日付け、
《大白法》=真言宗の僧侶が、日蓮正宗の信徒に、還俗してなられた記事。
それから、貴重な、《創価学会の皆さんへ》=東京第二布教区さま発行の創価学会破折の
パンフ、手渡しました。

書かれた概要は、口頭で話し、更に、詳しく、又は反復して、これを帰宅後、読んで下さい…と。
素直に受け取りました。
亡き父の、菩提寺さまには、今も現に、父の名が信徒として記録されてる事も話し、
日蓮正宗の正しい信仰をしなければ駄目だと話して来ました。

帰宅は、19時に成りましたが、自宅、お仏間で、御本尊さま、日蓮正宗の正しい、御本尊さま
に、感謝の勤行をさせて頂けました。

明日よりまた、身を慎んで、日蓮正宗の信徒として正しい信心をして行きます。
来週は、三月度、御報恩御講です。
楽しみにこの一週間、仕事頑張れます。

本当にありがとうございました。





 

ああ、邪教人 其の卅六

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 6日(日)15時14分25秒 i60-34-194-43.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用 編集済
  さて、本日も邪教創価員の滅滅ぶりを呵責して参ろうか。

>聖教新聞や創価新報での原田会長や青年幹部の記事は、自己相違の見本です。
>彼らの言葉に「重さ」はありません。

哀笑。聖教新聞は仕方ないだろう。何せ、総本部の公的な機関誌なのであるから、
原田会長や谷川総長の御指導やらを鋭意掲載するは当然の事となる。

しかしな、創価新報(旧大学新報)はそうはイカンだろう。
言うまでもなく、創価新報は、北林が手掛けた「怪文書・地涌」に連動したものである。
つまり、宗門に対する批判中傷を請け負った、いわば、広宣部連中のガリ版である。

して、そんなガリ版が、原田執行部の言い分を載せている、という事は、広宣部も教宣部も、
みな、今回の本尊義改変について得心している、という事になる。つまり、宿坊やイタチから
するならば、応に糾弾すべき媒体ではないか。

しかし此奴らは、其れをしようしない。其れは何故か。
それは、今回の改変内容については、宿坊もイタチも金も、其の方向については一致し、
其れよりは尚一層改変して、将来の創価本尊は、釈迦牟尼仏を本尊とすべし、との思いがあるから、
敢えて、其の矛先を向けないでいるのである。

ったく、そんな事も解からずに、宿坊の掲示板に投稿している創価学会員の底も知れたものであるが、
北林は悪だ、新報の記事は自己相違の見本だ、などと吐き捨てて居ながら、地涌の記事を掲載し、
新報の記事を掲載する。呆哀。

よいか。そーゆー、見境の無い、糞味噌一緒のやり方をして、無節操というのである。
実に手段を択ばない無頼者とは、オマエらの事を指して云うのであろう。

>創価新報での原田会長や青年幹部の記事は、自己相違の見本です。
>彼らの言葉に「重さ」はありません。

哀笑。そうではないだろう。よいか、問題は、原田会長の言葉の「重さ」云々ではなく、そーゆー、
重くもない言葉を平然を「御指導」として載せている、創価新報の「軽さ」を問題にすべきであり、
そーゆー着眼の無いオマエら離反組の未熟さ、つまり、単なる恨念によって行動している其の未熟さを、
当方は心の底から嗤うのである。

地涌、創価新報、フェイク…。

何てことはない。

これら媒体の本来の汚さを、誰よりも知っておるのが、お主らイタチグループではないのか。呆哀。

地涌に云く『「法体の血脈」というとき、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。(中略)
今回のお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊を御書写されたものであり、
「大御本尊根本」の信心は、従来といささかも変わりありません』【第697号  平成5年年9月8日付 】

創価新報に云く『今回の(日寛上人)御本尊授与についても、当然、大御本尊根本の信心は、これまでと全く
変わらない』【平成5年9月15日付】

フェイクに云く『身延山といえば、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がずに「日蓮大菩薩」と称しており、また
「板本尊偽作論」を唱えて大御本尊を否定し、更に、御本尊を店先にぶら下げ、御守本尊をカードにして販売
している謗法の山である』【第1406号(13.08.22 発行分)】

鼻笑。オマエら、いい加減に致せよ。

さても観るならば、、現創価学会の本尊観は、地涌や新報の記事からして謗法の態と成るのであり、
日蓮大聖人を末法の御本仏と仰がず、戒壇の大御本尊を偽作とする、宿坊や金などは、皆謗法人と成るのである。

それとも何か、地涌や創価新報などは皆怪文書の類であるから、記(しる)されている内容など当てには成らない、
とでも言うのか。呆哀。果たして、オマエらが謗法人であるのか。それとも、地涌やフェイクが馬鹿であるのか。
其れこそは、馬鹿と阿呆の鬩(せめ)ぎ合い、ではないのか。鼻笑。

>信濃町の人びと
>信仰者として成長していく為に必要だと思います。

呆怒。だから~! お前んの所の宿坊が、

『信仰の世界はイワシの頭であるから、組織内ではウソでもオッケーなのです』

と言っているんだよ。

ったく、オマエらは、こーゆー事を自身の掲示板では一切宣べずに、投稿者に対して『信仰者として成長していく』
などと言うは、これ全く詭弁詐欺の其れではないか! 人様を馬鹿にするのもいい加減に致せよ!

>うちの組織は大変ですよ。新聞の〆きりの日に、目標をクリアできてなければ誰かが必ず、うちにいれて、、、。
>こうなりますね。必ず。大啓蒙のときはさらにたいへんです。
>無理矢理贈呈啓蒙。内部も外部も関係なしに、、。さて、お金を払うのは誰?
>そして、会合で全地区目標を突破しました~!!だとさ。
>こんなことに、どれほどの価値があるのでしょう。

呆笑。価値ないよ。そんなもん。

>利用されたり、派閥作ったりと、創価学会内はグチャグチャ。
>不平不満ばかり言っていたり、不安定な時はお題目を唱えて、匂いを嗅ぎ分けるくらいのことは必要ですね。

現在の創価学会が愚茶愚茶であるのは判っておるが、不安定な時にはお題目を唱えてって、
一大秘法でもない本尊に題目を唱えて、基(もとい)、日蓮大聖人の御魂魄を一大秘法としない教団の本尊に
題目を唱えて、一体どんな嗅覚が得られると云うのだ。呆笑。 まさか其れは、畜生の通力であるのか。呆笑。

さもありなん! さもありなん!!

>沖縄 辺野古訴訟で「和解」だって大きくニュースで報道してた。
>あれだけ大きく注目されていた裁判だから大きく報道されたんだな。
>あれ?そういえば「矢野裁判」て、どうなったんだろう?
>大きく拠点でご祈念項目の一つに掲げてあったの、いつの間にかなくなってるけど、、、???

>と思って、地区の人に聞いたら誰も知らない、、、
>支部長も知らない。

>本部長に聞いたら
>「実は和解したんだ、、、」だって。
>「えーーーーーーーーーーーーー!!!!!?????」と私は絶句!!
>「あれだけ大騒ぎしたんだから、何で聖教で大きく発表しないんですか??」
>と聞いたら、
>「いや、聖教でもしっかり発表したんだ、、、ちょこっとだけ」だそうです。

腹笑。これは笑えるな。

其れにしても創価。大事な裁判に限って『和解』が好きだね。小笑。

「実はシアトルも和解したんだ…』
「えーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!?????」と皆も絶句!!
「あれだけ勝った! 勝った! と大騒ぎしたんだから、何で聖教で大きく発表しないんですか?」
「いや、聖教でもしっかりと発表したんだ、、、ちょぴっとだけ…」

大呆哀。

今日も今日とて邪教人。

邪教人への呵責はこれからも続く。
 

ぽんぽこ貍殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 6日(日)14時46分28秒 i60-34-194-43.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お久しぶりで御座います。

現在、当室は管理人による「確認後掲載」となっており、即時の掲載が出来ません。

御不便とは思いますが、今後とも、当室への御投稿を宜しくお願い致します。
 

H27年脱会@法華講員様、管理人様

 投稿者:ぽんぽこ貍  投稿日:2016年 3月 6日(日)09時35分6秒 softbank220044135060.bbtec.net
返信・引用
  >ご両所ともお元気の由、大変頼もしく思っております。
 当方私的雑用が多く、信心から多少遠ざかっておりました。
 この版を久しぶりに拝見致しまして、特にH27法華講員殿の御活躍には喜ばしく思っ
 ているもので有ります。

 当方、地方出張の際には縦線時代の先輩、同輩、後輩を尋ねる事が多くなり、先月も
 大先輩(故人)の元地方ゾーン長の奥様宅に訪問させて頂きました。
 「お久しぶりですね。お顔を拝見致しますとお元気そうで何よりです。」
 「何が元気ですか。空元気ですよ。お父さんが失くなってからは組織の誰も訪ねてきて
 呉れないし、子供や孫も仕事ばっかりで信心には全然関心が無いし、困ったものです。
 それにお父さんの蔵書が部屋中を占領しているので使い勝手が悪いんですよ。」
 「奥様。本については私が知り合いの神田の古物商を紹介しましょう。学会の書籍は
 人気が無いのでお金には成りませんが、処分代を無料と言う条件で話しますが、
 宜しいでしょうか。」
 「良いですよ。私も年で目も悪くて読めないし、遺品にも成らないのでお任せ致します」

 以下は雑談の為省略。

 以上にて帰路につき、翌日古物商店に行き引取の話を進めました。

 古物商曰く「どういう本が有りましたか。」

 「大した本は有りませんよ。大体の目録がこれです。」

 「殆んど学会さんの本じゃねぇの。池田大作の本じゃ商売にも成らないけど、古い
  牧口全集や戸田全集、それに日蓮宗の本だったら引取に行っても良いよ。」
 「それじゃそれを処分代として、全部処分して下さい。頼まれて呉れませんか。」
 「仕方ねぇな。お前さんとも長い付き合いだし、そっち方面に用事があるから、帰り
  に寄らしてもらうよ。」

  後日、古物商に連絡を取りましたら、殆んどは処分して30冊位は在庫として保管しま
  したとの事。奥様が大変喜ばれていたとの事でした。

  現在創価学会に在籍されている方々も積ん読だけの無用の長物と化した悪書を多数
  保管されていることでしょう。

  私見を言わせて頂ければ、無用の悪書は生きている内に処分しなさい。
  くだらない書籍購入や多数新聞購読等きっぱりとやめなさい。
  そういうお金が有れば、家族団欒の資金や将来の生活資金としなさい。
  それが現在、悪辣な政教一致営利集団と化した創価を健全化するんですよと。



 

H27法華講員殿

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 6日(日)06時15分3秒 i60-34-194-43.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  毎々の御投稿、痛み入ります。

御承知の如く、当室は現在、宿坊を首(はじめ)とする、所謂、文献莫迦の荒らし行為を封殺する為、
管理人が先ずは投稿文を閲覧し、其々に規則違反(所属不親告・串投稿・捨てハン等)をチェックして、
問題がない場合にのみ、其れらの投稿文を掲載する『確認後掲載』という形にしております。
従いまして、投稿されても掲示板には即時に掲載されず、あくまでも掲載は、管理人の確認後という
事になりますので、投稿者の皆様には、さぞや御不快な事とは存じますが、どうか御容赦頂きます様、
此に重ねて願い申し上げます。

>私は、創価学会在籍中から、創価学会員の中でも【池田大作への師弟論】、創価の
>【師弟不二】を唱える、声高に叫ぶ人間は、もう、救うのが難しい、《令顛倒衆生》
>だと思っていました。

師弟不二、ですか。

当方も、曾(かつ)て男子部の時、福島副会長(当時)の「師と共に! 師と共に!」という叫声を聞いては、
目頭をとことん熱くして、そーゆー【師弟観】の下に、座談会などで熱弁を揮っておりました。汗笑。

>池田大作は教員ですら有りませんが、幹部を【先生】を付けて呼んだ習慣が、そのまま、
>学歴、教養コンプレックスの池田大作の【増上慢】に火を付けたんでしょう。

そういえば、池田太作は、小樽問答の時、小平教学部長、辻青年部長を『先生』と呼んでおりました。
して、そんな池田太作センセーが冒頭挨拶して申さく、

『身延の信仰がどこまでも、日蓮大聖人に対する敵であり、仏敵である。それに対し日蓮正宗の仏法のみが、
経文の上でも哲学の上でも、事実の現証の上でも正しいという証拠の故に(身延派の信者は)身延を止めて
日蓮正宗の信徒となったのであります!』と。

無論、此の当時と今と、日蓮正宗の教義は全く変わってはおりません。
したがって、池田センセーの当時の宣言は、今以って正しい宣言であった、という事に成るのであります。

>池田がコンプレックス爆発させたら首が飛ぶ。北のキムチと同じ体質。

応に其の通り。

>池田大作が、もう復帰不能が確定したから、自己保身と、池田へ積年の恨みは、有っても、池田以後、
>保身と、前述の会員減少を考えたら、この際「池田大作をご本仏」に祀り上げざるを得なくなった。
>それが、4人組と言うゴミ中枢幹部。追い出され正○元理事長は、コテコテの池田チルドレン一派。

さても、4人組(原田・谷川・佐藤・八尋)…、いや、違ったか…。丹・長・北・中…。??
呆笑。何が何だか、悪人がいっぱい居過ぎて判りませんが、何れにしても、釈迦本仏主義の連中が、
現執行部を批判し、一大秘法は本尊ではなく妙法蓮華経の事だ、と言っている連中が、池田チルドレン
などを排斥する。果たして、どれがどーしてどーゆー相関であるのか。応に混濁入り乱れての喧騒模様。
実に法華講員殿が仰せの通り【自界叛逆】とは、此の事をして云うのでありましょう。

>私は、この様な時、創価学会、積年の欺瞞から目を覚まし、脱会し、多くの法華講の
>ご先輩方、アドバイス頂いて正しい、日蓮正宗の御僧侶のご指南の基、日蓮大聖人さまの
>仏法信仰が出来得て、身の幸福を日々、感じます。

現当二世の信心。

法華講員殿には、これからも、歓喜溢れる御投稿を、宜しくお願い致します。
 

せめて、如何に創価学会員と言えども、自我偈の意味ぐらい学びましょう。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 3月 4日(金)11時34分41秒 E219108019207.ec-userreverse.dion.ne.jp
返信・引用
  おはようございます。
管理人、大月天さま、前、2つの書き込み、3月2~3日の書き込み、
読み学ばせて頂きました。

さて、創価学会員の、およそ、歴史も何も知らない、創価学会の成り立ちも
知らない、実態の伴わない烏合のゴミが集まる、宿業だか、宿○?(呆笑)、
又は、地区部長成る、地区単位の責、負ってると自称する輩の運営する、潮吹き
板が、互いに言い争い、尚且つ自板でも、己義邪義のひけ散らかし合いを競って
居ます。
果敢に、我が法華講の方々も破折に行っておられるようですが…。

私は、創価学会在籍中から、創価学会員の中でも【池田大作への師弟論】、創価の
【師弟不二】を唱える、声高に叫ぶ人間は、もう、救うのが難しい、《令顛倒衆生》
だと思っていました。

いくら、今や、池田創価が勤行様式まで、悪に手を染め、方便品、自我偈を、1回づつ
だけに短縮しても、それでも、1回は読誦しているであろう、自我偈の意味すら学ぼう
としない、学ぶ事すら出来無い邪教創価の、悪の面目躍如たる所以が、ここに、
極まって居ると思うのです。

そもそもが、家庭の仏壇に、ごちゃごちゃと、池田の写真や、揮毫を飾り立ててる
会員は、もう、そこに、日蓮大聖人さまの仏法では、無いのです。
尤も、ニセ本尊ですから、ニセ宗教、信濃町の大誓堂なる建屋に祀るニセ板本尊に
池田の録音された、声に合わせて、似非勤行をする…
すべてが、ニセ、似非です。

私は、大誓堂成る、名前の【堂】を冠した本部施設が命名された瞬間、これは、もう、
生まれてから、好むと好まざるとに依らず、50有余年、創価学会員で居ましたが、
辞める決意を固め出しました。その後の、2014年11月8日、忘れる事は無いですが、
突如、何の事前に地域、圏、県単位での、説明も事前承認も無いままの、丸で、戦時下
の【大本営発表】の様に行われた、聖教新聞記事、【教義改変と会則変更】…。

これは、看過出来ない《大謗法》です。
思えば、日蓮正宗ご宗門から、解散勧告書、破門通告書、通達されてから、20数年、
あの時点で、創価学会を辞めようと思ったのを、踏み止まらせたのは、実家の兄、
老母と同居する兄の、「池田先生に付いてけば間違いない」でした。
その際、私は『ならば、今暫し創価学会に残るが、総本山富士大石寺、本門戒壇の
大御本尊さまを蔑ろ、非難したら辞める』と言いました。
兄は、池田先生はそんな事は絶対しない…が兄の言でした。
必ず僧俗和合の途を図るはずだと…。

事実、陰で何を信濃町の中枢幹部連中と、謀議を巡らしていたかは、今や、計り知れ
ませんが、池田大作は、公式には、富士大石寺、本門戒壇の大御本尊さまへの非難は
しては居なかったのです。
それを全て、根底から【嘘と欺瞞の教義盗人の邪教団】の本性を現したのが、2014年
11月8日です。

法華講の方々に、すれば、『それは違う、昔からだ』と仰られるかとも思いますが、
それほど、創価学会の内部では、信仰歴長い人間には、爪を隠し、隔離、分離して、
謀議を図っていたのです。

ですが、有る意味、それら、古くからの創価学会の信仰歴30年以上の会員に遠慮会釈無く、
邪義、大謗法を推し進めざるを得なく成るほど、池田創価は、【衰退顕著】と言う
事です。
これは、毎年隔月に取る【本部統監】に携わる地区部長以上なら、分かる事です。
潮吹き地区部長が信用無いなら、自分の地区しか見れないでしょうから分からんでしょう
が、地区、支部、圏、単位纏めれば、衰退が甚だしい。

都市部で、毎年、10~15%会員が自然減しています。未活動の幽霊会員、統監に残り
ますが、所在が分かればまだ良い方。本人に創価学会員の意識は全く無い数字だけの
員数です。その上で、かりそめにも、活動家?聖教新聞、財務、有償書籍、パンフ、
公明党宣伝パンフ、民音チケット押し付け出来る会員が、毎年、1割以上自然減して
いるのです。
勢い、残留会員への負荷は多く成ります。
これを成す為に、【池田大作】を師匠に祀り上げつつ、本仏と、等しいか、或は、
御本仏、日蓮大聖人さまのと同一、酷く成ると、生まれ変わりと…錯覚、刷り込みを
行う、オウム以来の、稀に見る、邪宗教に成り果てました。

池田先生にお応えする為に…。
池田先生に心を合わせ無ければ功徳は無い…。
これは、完全に、《日蓮大聖人さまの仏法》では有りません。

私は、記憶する限り、創価学会、池田創価が、【師弟不二】を持ち出しだしたのは、
昭和50年以降と記憶しています。
先生だから師匠が、池田創価の最初の、やり口。
先生と呼んだのは、昔、創価教育学会で有った頃の、幹部が、教員が多かったからな
だけの名残り。池田大作は教員ですら有りませんが、幹部を【先生】を付けて呼んだ
習慣が、そのまま、学歴、教養コンプレックスの池田大作の【増上慢】に火を付けた
んでしょう。
その後の彼の人生の軌跡を見れば、哀れなほどの、名誉欲。
東大閥を優遇し、池田大作名で書籍を、文字通り【代作】させる。
東大卒、桐○泰○しかり。

しかしなあ(笑)東大卒、勿論、優秀な方も、多いでしょうが、創価学会中枢幹部の
東大卒なぞ、世間知らず。同窓は国家官僚、企業役員、政治家に進出しても、所詮は
池田の手下。池田がコンプレックス爆発させたら首が飛ぶ。北のキムチと同じ体質。
それが、池田大作が、もう復帰不能が確定したから、自己保身と、池田へ積年の恨みは、
有っても、池田以後、保身と、前述の会員減少を考えたら、この際「池田大作をご本仏」
に祀り上げざるを得なくなった。
それが、4人組と言うゴミ中枢幹部。追い出され正○元理事長は、コテコテの池田チルド
レン一派。
池田に一物持つ奴らが、権力掌握し、池田信奉の純粋バカが追い出せれてる、文字通り
【自界叛逆】の様相を呈しています。

私は、この様な時、創価学会、積年の欺瞞から目を覚まし、脱会し、多くの法華講の
ご先輩方、アドバイス頂いて正しい、日蓮正宗の御僧侶のご指南の基、日蓮大聖人さま
の仏法信仰が出来得て、身の幸福を日々、感じます。

五年後、日蓮大聖人御聖誕800周年、日蓮正宗は、弥弥の発展を、成し遂げています。
私、所属寺院にも、【創価学会の大謗法】に気付き脱会した、創価の幹部の方が、
居ます。
退潮著しい創価と、正邪は、この5年が内に付くと確信しています。

先日、法華講のご先輩、Kさんから頂戴した、《大白法》の記事。
浄土宗、真言宗の僧侶が、日蓮正宗の《御法》に触れ、還俗して、日蓮正宗のご信徒に
成られた記事を、読みました。
それと比べたら、創価学会を辞める等、たやすい事。
お二方とその、ご家族、御眷属の、大英断に勇気づけられると共に、創価学会では、
成し得ない事だなあ…と痛感致しました。

哀れ、教義盗人と、信者盗人の大邪教創価。
あなた方が、師匠、師匠と叫ぶ度、その師匠は、錐で苛まれるが如くに【地獄】の態を
現世で受ける…哀れ…。







 

宝塔を開く

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 3日(木)12時39分16秒 i60-34-194-43.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  就中(なかんずく)、我らにとっての宝塔とは、彼の見宝塔品に示された虚空会の儀式そのものであり、
又、其れこそが御本尊の御姿なのである。つまり御本仏日蓮大聖人は、其の不可思議にして荘厳なる
虚空会の儀式を以って、御本尊を御顕発されたのである。又、其れを今時末法に当てはめるならば、
応に御本尊の御顕発こそが、日蓮大聖人をして一切衆生の為に打ち立てられた、唯一の大宝塔という
事になるのである。つまりは、日蓮大聖人御一人のみが、今時末法に於ける宝塔建立の当事者という
事にもなろう。

本より、見宝塔品に示された儀式は、今時末法に附して説かれたものであり、其れは又、六難九易の
譬説からして領解出来るものである。而して、日蓮大聖人は、其の宝塔には開閉の二義があるとし、
応に宝塔を開くとは、本門寿量品をして宛てられたのである。

天台に云く『若し塔を開せんと欲せば、須らく分身を集め玄を明して付属すべし、声は下方に徹し、
本の弟子を召して寿量を論ず』と。(文句巻八下)

仍って大聖人に曰く『天台大師文句の八に釈し給いし時、証前・起後の二重の宝塔あり。証前は迹門、
起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門』なりと。(新編 792)

而して、証前の宝塔とは、三周の声聞が法華経に来たって、涌現せる二乗作仏の己心を見知する迹門の
体相であり、起後の宝塔とは、釈迦多宝、二仏並座にして十方分身の諸仏を召し出し、其れこそは滅後の
弘通を本意とする、応に本門寿量品を説き起こさんとする本門遠序の体相である。

しかし、此の証前起後の宝塔と云うも、須らく、末法に於いては三大秘法の顕現に帰一するのであり、
仍って日蓮大聖人は、今時末法に於ける宝塔の建立、つまりは法華本門の大曼荼羅御本尊の御図顕を
以って、出世の御本懐とされたのである。つまりは、宝塔を書き顕す意味に於いての御本懐が先ずは
在って、遂には、末法一閻浮提衆生の宝塔を開かしめんとする、本門戒壇の大御本尊の御顕発へと繋
がって行くのである。

仍って日寛上人は『就中(なかんずく)弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐
なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり』と仰せられたのである。

而して、宝塔を開くとは、応に其の御本懐たる御本尊との境智冥合を以って為すものであり、又其れ
こそが阿仏房御書に示された御教示なのである。

曰く『妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり。宝塔又南無妙法蓮華経なり』と。
又曰く『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さな
がら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり』と。(両文同上)

さても、御文中『此れより外の才覚無益なり』とは、応に仏法に於いては、仮令(たとえ)、どの様な
才覚知識があろうとも、自身の生命を変革せしめんとする強盛な信心がなければ、自身の宝塔をして
成仏は叶わない、との御意であり、応に宝塔を開くとは、其の事を以て開くという意なのである。

仍って大聖人に曰く『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入とは是なり。日蓮が弟子檀
那等「正直捨方便」「不受余経一偈」と無二に信ずる故に因って、此の御本尊の宝塔の中へ入るべき
なり。たのもしたのもし』と。(新編 1388)

応に仏法の根本たるは『信』を以て其の源と為す。然れば、自身の宝塔を開かんと欲するならば、
先ずは『無疑曰信(疑無きを信と曰(い)う』の心得を以って励むべし。

果たして、上記『宝塔さながら阿仏房』の御文を以って、己(おのれ)こそが宝塔本尊などと、阿呆な
慢心を起す者などが出来しておるが、こういう者共は、まるで御書が読めない、邪流の下人である。

日寛上人に曰く『当家の観心はこれ自力の観心に非ず。方(まさ)に本尊の徳用に由って即ち観心の義
を成ず』と。而して曰く『若し仏力、法力に依らずんば何ぞ能く我等が観心を成ぜんや』と。(文段)

されば、我が己心の宝塔を開くとは、応に御本尊の力用を以って成すを領解する事であり、又、其れ
こそが「見宝塔」の「見」の意を理解する者である。

『阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり』

まこと甚深なる御金言である。
 

学を採り信を侮る。此れ文献莫迦の典型なり

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 2日(水)13時39分3秒 i60-34-194-43.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  昨今、特に我が日蓮正宗が一部の信徒団体、つまりは創価学会の事であるが、其の創価学会の念願どおり
我が宗門が破門に処した頃から、手前の信心、つまりは己(おのれ)が所属する宗派組織及び信服する本尊
などを明示せず、又は終始隠匿してただ矢鱈に富士大石寺の教義教学を非難し、今や邪宗破折の牙を持たない、
外道礼賛の池田創価学会の軟弱をよい事にして、専(もっぱ)ら其の疑難中傷の矛先を、我等富士大石寺の
宗義に向けている者共がいる様ではある。

さても、其れらの疑難中傷者が、其れこそ所属宗派の中枢を為し、曾(かつ)ての小樽法論が如く、大白蓮華
第四号に於て什門顕本法華宗が正しいと論じながら、一致派身延に肩入れした其の勝劣派顕本の長谷川義一が
堂々『本尊はどこ迄も、実在不滅の久遠本仏釈迦牟尼仏を以って、我々は本仏と致しておりまするがぁ、此の
応現の仕方におきまして、久遠示顕の姿におきまして、そこに別勧請しておりまするのが、所謂(いわゆる)
鬼子母神とか、そういったモノなんだ!』と述べていたが、其の内容のお粗末さは別にして、兎も角、
己(おのれ)の立場を宣べた上で、相手の宗義に対して批判する事が、真(まこと)法論を為す者の筋道であると、
小生は思うものである。

して観れば、上記に登場した顕本法華宗僧侶の長谷川義一が、其の勝劣顕本の立場を以って身延に肩入れした
事実に対し、東京立正女子短期大学副学長及び、身延日蓮宗本佛寺(東京杉並)住職にして、『人間日蓮』の著者
でもある石川教張(故人)などが『長谷川義一師は日蓮宗の僧であって顕本法華の僧ではない』などと現宗研に
於いて論じていたが、さに非ず、当の長谷川義一などはしっかりと、小樽法論の場に於いて、顕本法華の持論
たる一品二半義(本迹勝劣)を述べているのである。小笑。

本より、これら邪宗日蓮宗の混濁教義などは、実に出鱈目(デタラメ)な本尊形態(別勧請含)と成って顕現され、
実に其れらの実態は、日蓮宗末端の小寺に行けば行くほど、其れこそとんでもないモノを祀っているのである。

とまれ、顕本法華の僧である長谷川義一が『新しい日蓮宗を設立したから参加したのだ』との言い訳を以って
一致派身延に肩入れし、当時の恩師率いる日蓮正宗創価学会に正々堂々批判する姿勢などについては、現今、
我ら興門正統の信徒からして、まこと真摯なものであったと、此に同情するものである。

其れに引きかえ、昨今の者ども。

つまりは、己(おのれ)の所属宗派を隠匿し、又は所属せし教団名を伏せ、自身が尊拝する本尊と、其の本尊の
正義を教説する宗派管長、並びに教団教祖や会長名などを後ろ手に隠しながら、我ら正統・富士門流の三大
秘法義、つまりは本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇義を疑難し、加えて、当流に相伝せる各種奥義をして、
写本・後加筆、又は文意の初出という理由を以って偽書と判定する、所謂、不信心の文献莫迦の者どもは、
其れこそ顕本長谷川義一の爪の垢を飲むが宜しい。

本より此奴(こやつ)らは、信仰と研究という二分野に於いて、其れを恣意的に混同し、さも見て来たかの様な
屁理屈をこねては、偽書だ作文だと騒ぎ立てるのである。

中には『とりあえず日蓮宗』などという不信心者が、文献学の青瓢箪よろしく、富士門の研究などと称して、
興門正統の相伝教学を『偽教』と批判するのである。哀笑。

さてもこれら不信心の者が、我ら信仰の真髄にして、その大支柱たる本門の本尊について、一体何が判ると
云うのか。いや、判ろう筈もないのである。ったく、学識をもって法華本門文底下種の大本尊の法義を理解
せんとする根性こそ、まこと不信心にして浅識謗法の其れであるという事を、先ずはお前ら文献莫迦の者ども
に申し付けるものである。

日蓮大聖人曰く『一念三千の法門を振り濯(すす)ぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習いそこなひの学者
ゆめにも知らざる法門なり』と。(新編 523)

仍って日寛上人に曰く『自受用身の一念の心法即ちこれ一念三千の本尊なり。故に「不可思議境」と称する
なり。不可思議境とは即ちこれ妙境の異名なり。妙境とは即ち妙法蓮華経の本尊という事なり。(中略) 問う、
この義、前代未聞の消釈なり。誰かこれを信ずべけんや。答う、不相伝の輩は聞き得て驚くべし。御相伝の
家には仰いで信ずるのみ』と。(文段 466)

よいか、文献莫迦の者どもよ。

お前らは不相伝の者であるが故、否、お前らは不信心者であるが故に、我が一念三千の大曼荼羅を科学の
分析を以って其れを知らんと欲し、又、当家伝来の各相伝書に対し、その前代未聞の内容を以って偽書偽作
と吠えるのである。本より、これらの動機は、我らが堅守する宗義信条を崩落せんとする、云わば学者ずれ
した愉快犯の其れであり、又、だからこそ、文献莫迦の類などは、往々にして己が尊拝する宗義・本尊を
隠さんとするのである。又、これらの者共は、文献の研究に名を借りた所謂(いわゆる)愉快犯の其れである
から、相手の宗義信条が古今一貫にして堅固であればある程、其の伝統宗義の崩落に快感を覚えるのである。
仍って、本尊も教義も終始一貫していない、其れこそ蛇や狐や天女などを祀る日蓮宗の出鱈目(デタラメ)教義
に対しては、其の愉快根性の矛先などは向けないのである。鼻笑。ったく、しようも無い連中であるよな。哀。

さても、己(おの)が不相伝にして不信心である事も弁えず、我ら大信に唾する文献莫迦の姿も哀れであるが、
彼の小樽問答に於いて、其れこそ邪宗日蓮宗に対して、

『証拠は大石寺にある! 若し其れを(大聖人出世の御本懐の三大秘法の正義を)知りたいのならば
信心を奮い起こして拝みに行け! 信心の無い者に、見せる、見せない。見世物じゃあるまいし!
信心の無い者が拝めるわけが無いではないか!!』

と激言した、小平教学部長の確信を笑うかのように、昨今の創価身中の者共は、戒壇の大御本尊、
日興跡条々事に対して「鑑定に出せ!」などと騒ぐのである。哀笑。

ったく、小生からして、これらの者は皆すべて「莫迦」である。否、恩師の御遺訓を踏みにじった
忘恩狂乱の「阿呆」どもである。

日蓮大聖人、法華経をして曰く『無智の人の中にして此の経を説くこと莫(なか)れ』と。
又して曰く『口伝を以て之を伝へん』と。(新編 785)

仍って日寛上人に曰く『これ相伝の法門なり。君に向かって説かず』と。(文段 587)

よろしいか。其れら法門の大事は大石寺にある。若し其れを学問ではなく、日蓮門下の信仰人として
其の証拠を知りたいのであれば、当に信心を奮い起こして拝みに行きなさい!

当に『行学』とは信心により起こるとは、日蓮大聖人の御金言である!

何? 其の大聖人の真蹟に「三大秘法の証拠は大石寺にある」などとはどこにも書いていない、とな。

哀笑。だからお前達は『莫迦』なのである。
 

ああ、邪教人 其の卅五

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 3月 1日(火)16時36分44秒 i60-34-194-43.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >C作戦
>かつては、日顕。
>今は、執行部。
>すごい時代に生まれ合わせたものです。

鼻笑。C作戦、そんなモノはありません。呆哀。

其れよりも何よりも、C作戦という代物(シロモノ)自体、お主ら創価の懐から出で来たモノである。鼻笑。

「離脱作戦」

哀笑。覚えておるか。

よいか。用意周到だったのは、其れらの離脱作戦を温存して来たお主ら創価学会なのであり、
宗門はただ、其れらの魂胆が表面化した謗法集団を、堪忍袋の意に於いて破門に付したまでの事である。
作戦も何も、針金宗として当然の処置ではないか。よいか。此れは作戦ではない。処断である。
重ねて云う。其れらナントカ作戦の代物は、全てお主らの懐から生じたものである。
よいか。其の事をよ~く覚えて置きなさい。

>先生は日顕に対しても、最後まで、僧俗和合と言われていました
>先生が切ったのではなく、宗門から切ってきました

鼻笑。お主、大丈夫か? 其のアタマ。呆笑。

哀笑。よいか、宗門が切ってきた、のではなく、学会が切らせた、のである。
オマエは、もう少し、世間で勉強しなさい。ったく、幼稚園児みたいな事を言ってんじゃないよ。呆怒。

>例え法主といえども、己義を唱えるならば従うべからず
>日興上人の精神
>創価学会も同じでなければならない
>例え会長たりといえども、三代、なかんづく池田先生の精神に違背しているならば従うべからず

小笑。はてさて、池田センセーの精神に逆らう事が、何故、二十六箇条の「己義を構へば」に当たるので
あるか。して、池田センセーの精神に逆らう事が、何故に己義と成るのか。恥笑。
よいか聞け。抑も、己義を構えて正法に違背したのは池田太作なのである。だからこそ、除名されたのである。
ったく、お主の目ん玉は何処(どこ)に付いておるのか。呆怒。

して何だ。日顕上人(当時)が、仏法に相違して己義を構えたとな。果たして其れはどーゆー己義かいな。
今一度、説明して貰おうかい。さすれば当方が、大呵責をしてしんぜよう。

>除名された三人
>参加してきました。人数もそこそこでした。
>話の内容も?の部分が多々ありましたが、

小笑。「?」て何だよ。鼻笑。
何だ、これら三人も、総本部と同じように、珍粉漢粉(ちんぷんかんぷん)な事を言っている、という事か。
そーいえば、これら三人組のプロフィールには「創価学会に入社」って書いてあるよな。
其れにしても「創価学会に入社」とはどういう事か。やはり、創価学会は信仰組織というよりも会社組織と
しての形態が強いという事か。哀笑。其れにして「創価学会に入社」という表記は実にオモシロイ。
さても、本部職員が正社員で、小幹部以下の一般会員は、非正規の其れという事か。哀笑。
尚、一般会員に於いては、創価学会に入社とは言わない。入会と言う。そして、我ら興門正統に於いては
当然ながら「入信」と言う。 入社・入会・入信…。果たして、どれが信仰組織としての意味合いに成るか。
鼻笑。其の様な事、余程の馬鹿でないかぎり、瞬時に解かる事であろうが。哀哀。

>独裁(派閥で固めた)よりも、民衆(会員)の中から選ばれた人を会長に推戴するのが筋じゃないですか?

鼻笑。派閥で固めた独裁、との言い分はよいとしても、会員が即ち民衆という概念は、凡そ手前味噌に成る
危険があるから、気を付けた方がよろしい。例→学会員を呵責破門する→民衆に対する権力の横暴弾圧。鼻笑。
よく使っていたであろう、此の手口。哀笑。

>何も学会職員の中から選ばずとも、民間から優れた人を学会職員に抜擢し、重役職につけたらよろしいのでは?

呆笑。そーよな。創価は会社組織の様であるから、別に外部からスカウトしても構わんよな。

そーさな。

増資なら、ホリ坊か目玉男。
喋くりなら、ナントカ堂の社長。
広報ならば、モーニングの親分か秋葉の旦那。

哀笑。応に今の創価学会にはピッタリの陣容ではないか。小笑。

>今日、婦人部の方が家庭訪問に来ましたわ。
>多分、新聞中止にしたからでしょうね。
>顔みたら、思わず色々話しちゃいそうで居留守使いました! 胃は痛くなるし、 眠れない。
>早く、何とかして下さい!

哀笑。ならば早くやめた方がよろしい。
放置しておくと、其の内、ノイローゼになってしまうぞ。

>10数年以上前の話ですけど、東哲のある研究員の方が、学会員が書き込む掲示板(今はありません)で、
>諸天供養に対するご自身の見解を述べていました。詳しい記述は忘れてしまいましたが、要するに
>勤行の中に諸天供養を盛り込んだのは、元々は天照大神を最上位とする戦前の国家神道思想の名残りであり、
>自分は戦前・戦中の時代に連なる気がするので初座は省いている、という趣旨でした。

呆笑。違うよ。諸天供養は、歴(れっき)とした日蓮大聖人已来の法門(神天上法門)だよ。
そして、其の意義は、法華経巻五・安楽行品第十四にも示されているよ。
ったく、東哲のどんな阿呆が言ったのかは知らんが「諸天供養は戦前・戦後の名残だ」などと…。恥笑。
ったく、わからんちん、は、オマエらアタマの方ではないのか。呆笑。

>でも、戸田先生のご指導に、「勤行するのに御本尊に相対した時、諸天善神は自分の後ろにズラ~ッと
>控えるように座っているんだ」というものがあって、その後ろに控えているはずの諸天に何で祈るのか、
>かすかな違和感を持っていたので、その東哲研究員の書き込みを読み、私もすっぱりやめてしまいました。

呆笑。泣けてくるな、これ…。あまりに阿呆過ぎて。呆呆呆。

>5老僧の過ちを攻めたのは大聖人ではなく、後継者の日興上人

哀笑。おいおい、そんなを事言ったら、管理人の宿坊から『文証を出せ!』と言われてしまうぞ! 小笑。
よろしいか。宿坊とは、そーゆー管理人なのである。オマエらは何も知らんのか。

信仰の世界はイワシの頭であるから、大聖人が御本仏というイワシの頭も、組織内ではオッケーなのです。

呆哀。ったく、こんな馬鹿な事を言っている管理人が、無智な会員を寄せ集めて、原田・谷川執行部などを
批判しておる。堪堪笑。

言って置くが、教学に関しては、オマエらより、タンコブ原田の方が、まだマシである。糞笑。
ったく、此の儘では、執行部を批判する前に、逆に執行部から破折されてしまうではないか。
よいか。釈迦本仏主義の掲示板に集っている者らが、いくら執行部を批判しようとも、其の基本的な部分、
つまり、教義の根本(本尊義)に於いて違背しておるのであるから、結句は、オマエら反執行部の負け、という
事になる。

よいか。釈迦本仏主義の連中が、いくら原田降りろ、谷川降りろ、と叫んでも、そりゃ、おかしな話だろ、
という事になるのである。糞笑。ったく、オマエらは、そーゆー単純な事さえも理解出来んのか。糞笑。

其れにしても宿坊よ。
此のセリフは何なのだ。

>貴殿の意見には賛同するものではありませんが勇気ある行動には敬意を表します。

哀。勇気ある行動に敬意を表するって、オマエ。よくも、人様に言えるよな。
オマエ、当方が当室に於いて何度も親告せよ、と申しておるに、其れを無視して串投稿を繰り返し、しかも
捨てハンを用いて中傷を重ねて…。オマエ、よくも人様に言えるよな。

ったく、読んでいて反吐(へど)が出るわい!

>ただし、改めて言うまでもありませんが、管理人はどちらにも与しません。

何? どちらにも与しない、だと? ふざけるものではない。呆怒。

日蓮大聖人が末法の御本仏というのは、イワシの頭を信じるのと同じだ、と言い放ったオマエが、
除名された金やイタチとつるんで、無智な学会員の投稿を寄せ集め、執行部への腹いせに利用せんとする、
そんな醜い根性と、其の腐り切った信心と、其の策意に満ちた小細工を弄しながら、管理人はどちらにも
与しません、などと、よくもまぁ言えたセリフである!

よいか! 貴様に芥子粒の勇気があるならば、先ずは管理人として、己(おのれ)の信仰信条を自身の板に
於いて宣告してみせよ!! そして、今時末法に於ける本仏は、真の教主たる釈迦牟尼世尊であると、
日々投稿している学会員に宣告してみせよ!! ったく、そんな事も出来ずに、何が勇気ある行動に敬意を
表するだ! ふざけるものではない!

何度でも言おう! オマエは信仰者のクズである! 仍って、管理人の資格などは全く無し!!
少しは恥を知りたまえ! なぁ、宿坊。言って置くが、オマエの信心など、タンコブ原田の百万分の一にも
満たない、一闡提の其れである! ったく、そんなオマエが創価執行部を批判する掲示板の管理人とは、其れこそ、
詐欺師が銀行をつくって、無知な預金者から金を踏んだくるのと同じである! 呆怒。
よいか、あまり投稿者を欺くものではない! よいか! 宿坊! 鉄面皮もいい加減に致せ! 呆哀。
 

今日は東京第一地方部、総会に参加させて頂きました。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 2月29日(月)00時07分18秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  こんばんは。
管理人、大月天さま。法華講のご先輩方さま。
続けての書き込みに成るかも知れませんが、お許し頂きたく存じます。

今日は、地方部総会が、私、所属寺院、菩提寺さまで執り行われました。
朝から、楽しみで、自宅、お仏間で五座の勤行をさせて頂き、『総会に
行かせて頂きます』と御本尊さまに、ご祈念と御報恩感謝申し上げ、
いつもより更に、早く自宅を車で出て、途中、お供えの、日本酒を求め、
一時間前に着く事が出来ました。
行く道すがら、いつもは混む国道も、折りからの《春の様な好天》で、さぞや、
混むだろうと予測したのですが、たまたま、信号の区切り良かったか、信号
待ち毎に、前方道路ががガラガラに空く形で、スムーズに着けました。
今日は、いつも寒い中、お役をされてる、私が兄ともお慕いする法華講のご先輩、
Kさん、時間も有り、ご挨拶も、山門くぐり御宝蔵に合掌させて頂いた後、ゆっく
り出来ました。

望外に、様々な資料、日蓮正宗お勤めの仕方プリント、寺院参詣の心得プリント、
浄土宗、真言宗から、日蓮正宗に改宗成された、ご僧侶の記事の大白法の記事、
等々、頂戴いたしました。本当に感謝です。

今日は、総会でも有り、混み合うとは思いましたが、本当に沢山の方々で、既に
境内地は、賑わい、笑顔の溢れる感じでした。

お若いご僧侶にご挨拶申し上げ、お願いして諸手続き後、ご本堂に上がり、早く
着けたので、御宝前、ほぼ中央、前列に座れました。
閉会後、お聞きしたのですが、参詣、総会参加された方が多く、ご客殿まで、
多くの方でいっぱいだったと。

今日は、鼓笛隊の小学生~の演奏も有りました。
皆、利発そうな子供たちで、真剣な眼差しでした。
以前にも書かせて頂きましたが、法華講の方々は、ご家族連れで、見えるので
子供さん、それも、きちんと、御宝前に向かう姿勢を、身に着けた子供さんが
多くて、来るたび、感心致します。

今日は、感動的なお二人の体験談、聞けました。一人の方は私、所属の支部の
青年部長…彼は、私は何回か、御報恩御講でお隣に座らせて頂きましたが、凛々しい
好青年です。姿勢も良く、御住職御尊能化さまの御講を、真剣に拝聴する姿が
印象的です。

もう、一人の方は、他支部の婦人部の、未だご入信、日が浅い方ですが、素晴らしい
感動の体験談で、近頃、涙もろく成ったとは言え、本当に感動いたしました。

思えば、私は、創価学会在籍中、もう、何年も、この様な《純粋な信心の体験》を
聞いていませんでした。
池田創価の体験発表は、【選挙の票取り】、【広布基金、財務等の金の簒奪】、
【聖教新聞の多部数購読か拡張、書籍、チケットのの押し付け販売】これらが、主体で、
病や、経済苦で悩んでる方が、登壇して、これらを、やるから、悩みが解決できるように
これから(呆笑)頑張る話が、殆どです。

【功徳の実体験】が無いのです。
これは、非常に恐ろしい事です。これから、功徳が得られるように、扇動する事柄、
全てが【日蓮大聖人さまの仏法】と全く関係無いのです。

私は、今日、改めて、東京第一地方部の総会に出させて頂いて、池田創価の【害毒】に
侵された方々を、たとえ、時間掛ろうとも、根気良く、御当代御法主上人猊下さま、
御命題の、五年後、日蓮大聖人さまの御聖誕800年目指して、一人でも多く救い出そうと
心に強く決意致し直しました。

今日は感動が多く、1度に書き表せない程です。
また、機会が有れば、書かせて頂きたいです。

帰り、御宝蔵に合掌させて頂き、傍らの、紅梅が、今日も美しく満開だと見ておりま
したら、小学生位の、女の子が、御宝蔵に合掌してる姿を見ました。
紅梅に競うような《美しさ》でした。

今日も、帰り、運転する車中、歓喜が込み上げて来て、帰宅後、三座の勤行で、
御報恩感謝申し上げました。
ありがとうございました。


 

久しぶりに~半年ぶりに、創価学会版御書全集開いて見た。

 投稿者:H27年脱会@法華講員  投稿日:2016年 2月28日(日)00時29分35秒 220-208-80-79.koalanet.ne.jp
返信・引用
  こんばんは。
題の通り、創価学会脱会後、半年ぶりに、創価学会版、【日蓮大聖人御書全集】
、池田創価、破折の為、残しておきましたが、開いてみました。

開いた目的は、戸田先生に依る、『発刊の辞』を再読するためです。
また、続いて、堀 日亨上人さまに依る、『序』が、ございます。

基より、創価学会版御書全集と言えども、日蓮正宗の御正統義が有ればこその、
発刊です。堀 日亨上人さま、ご碩学の、お力添え賜り、発刊が成し得た事の、
感謝を忘れて、今や、日蓮正宗、ご宗門に対して、有りとあらゆる暴言と、虚言と
、でっち上げの悪態を、付き捲る、池田創価が、如何様に、「御書根本」と叫び
狂おうとも、その、御書全集6ページ開いただけで、文字通り邪教団の証明、証拠
だと言う事です。

【日蓮大聖人直結】と言うも、御書根本?昔、経巻相承を叫んだ、邪宗教と同じ、
何も、依るよすがすら無い、謗法者が言う、常套句を、現代、今時、この言を
叫ぶ、邪教、池田創価で有る事は、ここでも、確定。

また、借りる威も無い、ゴミ、宿ボか、または、その系列のゴミか、所属教団、宗派
も名乗れず、こちら掲示板に来てましたが、こいつら、他板で、完膚無く言い負けた
腹癒せ(笑)か、HN変えて姑息に、ここで狂言吐く、常套句、百六箇抄、本因妙抄を
偽書呼ばわり。
おまえら、創価学会員か?
恥を知りなさい。
全国、会館に、如何に、牧口戸田先生の写真を、飾ろうとも、もはや、先師も恩師も
、池田大作とは、無関係。
厚顔無恥、池田創価とその仲間達。

全集、わずか、2ページ目、戸田会長、発刊の辞、中、「最も重要なる血脈抄、本因妙
抄等日蓮正宗門外不出の御抄…」と有る。

血脈抄とは、百六箇抄の事。

斯様に、池田創価は、邪狂徒の集まり、大謗法の集まり。そこに所属すれば、謗法に
加担した事に成る。

さて、創価学会、池田創価を脱会して、四か月。
日蓮正宗、亡き父、有縁の都下、寺院、菩提寺さまに、勧戒を、お願いしお受けさせて
頂き、正信の道を歩みだしたばかりですが、本当に、御住職御尊能化さま始め御僧侶方、
更には、法華講のご先輩方に守って頂きながらの四か月でした。

五座、三座の勤行を、丁寧に、誤りなく行う様に心がけ、雑念を極力抑えて、御観念文
心、込めてさせて頂く時、本当に、日蓮正宗に回帰出来た、感謝が込み上げます。

明日は、私、所属寺院、菩提寺さまで、布教区総会が執り行われます。
御尊師方の、正しい、ご指導を、御法門に基づいたお話を、お聞き出来ます。
少し、早く、家を出て、向かおうと、楽しみです。
歓喜の信仰が出来て、創価学会在籍中の、迷いが覚めて、本当に、安寧を得て居ます。
心遂醒悟…
ありがとうございました。
今夜は、もう少しの時間、暁鐘編集室、ご発行の《御観念文の解説》読ませて、学ばせて
頂いてから、休ませて頂こうと思います。




 

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