私は単純にこのような研修を不快だと思ったが、そう思わない人間が多いことにあまりにも驚いた。
こういうのは私に言わせればカルトのやり方であって、このようなやり方が肯定的なものと見なされることは、個人を弱くせしめ、ひいては社会を、ナチズムやファシズムのような全体主義に対して抵抗できないものにしてしまうだろう。
人の尊厳という価値を毀損する行為を、「会社の業務だから」「研修だから」という理由で無批判に受け入
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私は単純にこのような研修を不快だと思ったが、そう思わない人間が多いことにあまりにも驚いた。
こういうのは私に言わせればカルトのやり方であって、このようなやり方が肯定的なものと見なされることは、個人を弱くせしめ、ひいては社会を、ナチズムやファシズムのような全体主義に対して抵抗できないものにしてしまうだろう。
人の尊厳という価値を毀損する行為を、「会社の業務だから」「研修だから」という理由で無批判に受け入れる、そのような人々をつくることは、(かつてアドルフ・アイヒマンがやったように)「日々の業務として」ユダヤ人で満杯のガス室のボタンを押すことに、何の疑問も持たない人々をつくることに、つながるのである。
我々は、このようなことに対して、断固として抵抗しなければならない。
ところで、『田中さんはラジオ体操をしない』という映画がある。
http://urayasu-doc.com/tanakasan/
会社で行なわれるラジオ体操を拒否して闘った人の物語だ。
彼は、朝のラジオ体操という、多くの会社で行なわれていることに対して、そこに「企業ファシズム」を見出し、抵抗したのである。
田中さんのように勇気を持つことは難しいし、それを誰にも求めるのは無理だ。しかし、このような体制順応的ではない人もいることは、覚えておいても損はないであろう。たとえ質問者の方が、どのような対応を取るにせよ。
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