遅くなりましたが、9月26日に行われました民事訴訟の報告をいたします。報告が遅れた理由は、相手方の弁護士から連絡が来ないか暫く待っていたからで、何故そういう事態になったのかを以下に書いていきたいと思います。
今回の口頭弁論では西村修平さんと私の証人尋問が行われました。それに合わせまして、前もって陳述書を提出しております。陳述書は私のブログの方にアップロード(http://tamogamicomeback.blog.ocn.ne.jp/statement.pdf)いたしました。余談ですが、陳述書以外に私の方から裁判に出した証拠資料を少しずつそっちのブログの方で公表していきたいと考えております。私同様、何かしらの事件で在日朝鮮人から訴えられた人に対して、少しくらいは役に立つものになるかと思います。証人尋問では、前回、7月11日の続きで西村修平さんへの反対尋問(原告代理人からの質問と西村修平さんの回答)がまず行われました。本当にどうでも良い質問ばかりを原告代理人はするのですが、一番強烈だったのは、謝罪の仕方が気に入らないと言って西村修平さんを責め立てていたところです。前回の主尋問(被告代理人からの質問と西村修平さんの回答)において、最後、西村修平さんは朝鮮学校関係者に対して謝罪の言葉を述べましたが、今回の反対尋問で原告代理人が、やれ朝鮮学校関係者が傍聴に来ているのか確認したのかだとか、どうして手紙を出すとか直接来て謝るとかしなかったのか、と言い、人格攻撃をしておりました。どうやら、原告側の弁護士に言わせると、悪い事をした人は被害を受けた人に直接会って謝罪をしなければならないようです。少なくとも彼等が相手を侮辱するような事を言ったら、関係者に手紙を出す等して直接謝罪の言葉が届くようにするはずだということです。まずこの事をしっかり憶えておいて以下の報告を読んで下さい。
私の尋問ですが、最初に陳述書に沿った形で主尋問が行われ、続いて反対尋問が行われました。反対尋問で在特会の活動が外国人差別であると言われるのではないかと予想し、それに対する回答を用意しておりました。証人尋問では全く喋りませんでしたが、用意してきた回答についてここに書いておこうと思います。在特会やこういう保守的な運動を始める上で大きな影響を受けた人物がいます。それは三都洲アデミール氏です。三都洲氏は昭和62年の高校選手権決勝で高円宮殿下、妃殿下がご覧になっている目の前でフリーキックを決め、チームに優勝をもたらしました。バナナシュートとして有名になっております。あの頃、興味を持って高校サッカーの特集番組を観ていましたが、三都洲氏はずば抜けた身体能力を持っていながら誰にも負けない努力家であった事をよく憶えています。たった1本のフリーキックを決めるために数えきれない程の練習をしていたと言われております。このひた向きさは私も見習うべきだと思いました。そして、三都洲氏は社会人になり、Jリーグ発足とともにプロのサッカー選手になります。しかし、外国人枠の制限で三都洲氏は不遇のサッカー人生を歩ことになりますが、そんな中でも泣き言一つ言わずに練習を続け、チームのために、お世話になった人のために、地元のために、と努力し続けました。三都洲氏は帰化するにあたり、サッカーのために帰化するのではないと言っていました。日本のために尽くしたいと言って、引退後の今でもその通り実践しております。こういう人こそ本当の日本人であり、私は三都洲氏を見習って生きていこうと思っています。用意した回答はここまで。
反対尋問では本来明らかにすべき事と全然かけ離れた内容の質問(つまりは私に対する人格攻撃)がなされ、結局、この証人尋問で明らかにしたいと原告側が要求してきた事は全く明らかになりませんでした。証人尋問で明らかにしたかった事は在特会の事で、これについて反対尋問でまともな質問が出てこなかったため、最後に裁判官から質問され、それに答える形でようやく証人尋問らしくまとまりました。在特会についてのまともな質問は主尋問と裁判官からの質問でしかなされておらず、無駄な時間を費やした反対尋問は裁判官にとって大きなマイナスの心証になったかと思います。これだけでも証人尋問に出た意味があったかと思います。反対尋問で会長の発言内容について訊かれましたが、これは特にきつい質問ではありませんでした。反対尋問で本当にきつかったのは既に記憶から抜けてしまっているような過去の抗議文に対する質問や全く答えが無いような質問です。以前、私が国連に抗議文として出した文章を出してきた時、どういう経緯でこの文章を書いたのか完全に忘れておりました。そこに「動画の著作権が在特会にある」というような文章があり、今でこそ、何故そういう文章になったのか答えられますが、反対尋問の時は答えられませんでした。あの当時、一緒にやっていた諸団体の役員の中で英語でまともに議論できる人が私しかいなかったから、とりあえず著作物についても全部まとめて在特会が窓口となり、こちら側の権利を主張しようということで話がまとまってあんな感じの文章になりました。確か一晩で英語の抗議文を書き、それを日本語に訳して在特会の運営ブログに載せました。抗議文だから事実誤認もあって良い、相手の回答を受けて間違っているところは間違っていると認めて再度回答しよう、ということで抗議する事項を全部書くようにしました。きちんと思い出せば答えられるのですが、突然出てきて、事実通りに主張できなかったのでその事が悔やまれます。もっとも、原告側は裁判の円滑な進行よりも私に対する人格攻撃が目的だった訳ですから、それで良かったのかもしれません。アップル社とどこぞの朝鮮企業が裁判で争っていた時、そのclosing arguments(多分、最終弁論と訳すのでしょう)でアップル社のlead counsel(主任弁護士と訳すのでしょうか)であるWilliam Lee氏が言っていた事、それが思い出されました。
“There’s a saying among attorneys. If you have the facts, stand by the facts. If you don’t, attack your rival’s clients, attack their witness and attack their lawyers. And that’s what ◯◯◯ has done."(「訴訟代理人の業界で言われている事があります。真実があるのなら真実に基づいて話せば良い。もしそうでなかったら相手の顧客を非難せよ、相手側の証人を非難せよ、相手側の弁護士を非難せよ。◯◯◯がやってきたのはまさしくそれだ。」◯◯◯には企業名が入りますが、この場合、同じ民族が経営する学校法人名を入れても見事に当て嵌まるのではないかと思います。)
そして、このブログ記事のタイトルでもあります、心にも無い事を言ってしまった件です。在特会の1000万円疑惑についてしつこく質問され、我々がその年の収入と支出をきちんと会員向けに報告している事、そして会員からその収支報告の承認を受けている事を話し、単に某自称ジャーナリストが支出のところを無かった事にして疑惑を作り上げただけである事を説明しました。その流れの中で、私が頻繁に裁判に出廷しているのは何故だとか、金はどこから出ているのか、だとか訊かれました。まずこの裁判ですが、私は自費で来ております。その事を証言したら、朝鮮学校側の弁護士は驚いていたようですが、私は普通に仕事をしており、それなりの収入があるから徳永弁護士にそれなりの弁護士費用を支払った上で裁判のために京都まで来るのはそれ程苦痛になりません。東京−京都間の新幹線でわざわざグリーン車に乗り、前述の某自称ジャーナリストが桜井誠の贅沢として批判していたホテルよりもはるかに料金が高い高級ホテルや高級旅館に泊まり、裁判が終われば徳永弁護士らと一緒に京都の町に行って贅沢な食事を楽しみ、時には女の子のいる店に入ってチョメチョメし、高い葉巻を吸いながら高い酒を何杯も飲む、といったこの活動と関係の無い支払いまでもをさすがに在特会に請求する訳にはいかないでしょう。そう言えば、今、安倍総裁の食べた3500円のカツカレーなるものが非難の的となっているようですが、同じ日に私達は京都ホテルオークラで裁判前の打合せを行い、私はそのホテルのメニューの中では最も安い部類に入るであろうスパゲッティー・ナポリタン(2000円)を食べて京都地方裁判所に向かいました。裁判に何故出てくるのかと訊かれても、答えようがありません。「そんなもの理由なんかある訳ないじゃないか、このバ〜カ」というのが私の頭の中、実際に話したのは「被告ですから…」と訳のわからない答えになってしまいました。そもそも私を被告にして裁判に引っ張り出して来たのは原告の方であって、それでいて「何故、裁判に来るのか?」と質問するのは、法廷を侮辱しているとしか思えません。日本に法廷侮辱罪があれば、確実に彼等は逮捕され、刑事罰を受ける事になるでしょう。ほかにも答えようが無い質問を幾つかやられました。カルデロン問題でデモ行進を行った時の告知文に「法治国家における外国人の犯罪行為を許さない」と書いておきながら、この運営ブログ(http://www.zaitokukai.info/modules/wordpress/index.php?p=428)で大津市の教育長を襲撃した大学生を讃える(犯罪行為を賞賛する)のは矛盾ではないかと言われ、これも回答に苦しみました。立原正秋著「冬の旅」のような小説を読んだ事のある人にはこの時の私の気持ちを理解していただけるかと思います。
この記事の冒頭で述べましたように、本日、裁判の報告を決意するまで私はずっと朝鮮学校側弁護士から手紙等の連絡が来るのを待っておりました。それはこの証人尋問で反対尋問のかなりの部分を担当した江頭節子センセイから私の社会的評価を低下させる発言があったからです。カルデロン問題で蕨市内のデモ行進を行った時、私が撮影を担当していたと陳述したら、江頭センセイから「どうりでブレノさんと違ってブレまくっていた」との発言がありました。本人は冗談のつもりで言ったのでしょう。傍聴人も一同、笑っておりました。私もその時は特に気にしなくても良いだろうと思っていましたが、翌日、会社に出勤して事態の重大さに気付きました。誰がタレ込んだのか知りませんけれども、「ブレる撮影しかできない者にこの仕事を任せる訳にはいかない」とのことで仕事が回ってこなくなってしまいました。江頭センセイは私のブログをよく見ていると言っておりましたので、私がそこにプロフィールとして書いた部分についても知っているはずで、すなわち私が技術系の仕事をしている事を知っていたと考えられます。そして彼女は自身が国連の人権委員会にオブザーバーとして参加したとも言っておりました。故に「observe」(観察する)の意味はよく分かっていたと思われます。技術系の仕事において観察するのは基本中の基本で、私は顕微鏡観察の結果を写真に撮るような事を生業の一つとして仕事をしております。それが弁護士の心無い発言がきっかけで不当に評価を落とされて、事実、損害を被るまでに至りました。
「ブレまくっていた」の発言がブレノさんを讃えるものであるのならば特に名誉毀損を訴えるような事にはならないと思いますが、そういう場合には発言内容が変わっていたはずです。上記のように人の社会的評価を低下させるようなものにはならないでしょう。件のデモ行進の映像は動画、静止画を含めて複数の人がインターネットに公開しました。江頭センセイも私が陳述するまで公になっている動画、静止画のうち、いくつかが私の撮影したものであるという事実を知りませんでした。その状況で、「ブレまくっていた」であろう私の撮影である事が明らかな動画あるいは静止画との共通性を見出したからこのような発言が出てきたと思われますが、一体それはどの映像なのか、これを証明できないとしたならば、公の場で虚偽の事実を示す事で私の社会的評価を低下させる発言であったと言わざるを得ません。前述の通り、江頭センセイは私が技術系の仕事をしている事も「observe」の意味もよく知っておりました。だから「ブレまくっていた」の発言が私の社会的評価を低下させる事も十分予測できていたはずです。原告側準備書面の中で原告代理人らは京都朝鮮第一初級学校の中を何度も見ていて普通の学校と何ら変わりないと主張しておりました。だとしたら理科の成績の付け方で観察の能力が高い児童に高評価を与え、その能力が劣る児童に低評価を与えているはずで、せっかく次の次くらいの証人尋問で朝鮮学校の教師が出てくるのだから、理科の成績の評価方法について質問してやろうと思います。先生が観察能力の評価の仕方について正しく行っていると証言してくれたら、「ブレまくる」映像しか撮れないというのが、理科の分野で観察の結果を伝える能力が欠けているという意味になり、すなわち江頭センセイの発言が技術系の仕事をしている人物に対する社会的評価を著しく低下させるものである事がこの裁判の中で証明される事になります。
自分の行った事が原因で評価が下がるのは仕方がない事だと思いますが、今回の場合は私の方に何の落度も無いのに評価が下がり、仕事をする上で能力を試す機会すら与えられなくなってしまった訳ですからやりきれない思いがあります。まずは撮影ができるかどうか試してから評価して欲しいと思っていても、どうせやっても無駄だという理由ではね除けられてしまうのです。それでも私は会社を恨む事なく誠実に会社のため、そして日本のために尽くしていこうと思います。こういう時に三都洲氏の生き様が参考になります。三都洲氏の不遇なサッカー人生に比べたら今の私の状況などあまり大した事では無いでしょう。試合出場のチャンスに全然恵まれなかった三都洲氏ですが、それでも出場機会を信じて高校生の時と同様、誰よりも一生懸命に練習をしていたそうです。私も見習うだけです。その方が今失ってしまった信頼よりもずっと多くの信頼を得られそうな気がします。
私は江頭センセイから手紙か何かで連絡があるかもしれないと一週間以上待ち続けましたが、連絡は一切ありませんでした。西村修平さんへの反対尋問で原告側弁護団が西村修平さんに謝罪とはかくあるべきと言っていた訳ですから、当然、江頭センセイが何か悪い事をしたという自覚があるのなら私のところに連絡して直接謝罪するとともに、誤解を与えてしまった仕事上の関係者全員に「ブレまくっていた」の発言の撤回を説明してくれるものだと思います。これがなされていないという事は、本人に悪い事をしたという自覚が無いのでしょう。私はそういう事を否定するつもりもありませんし、そういう人に人格攻撃して偉そうに振る舞うつもりもありません。原告側弁護団と同じレベルにまで自分を落とすようなことはいたしません。今回、朝鮮学校側が我々を告訴した理由の一つが「本人に悪いという自覚が無くてもその発言によって心が傷付く場合もある」ということであるのだから、そういう人権問題に発展するような発言に対して弁護士は慎重にならなければならないのではないでしょうか。しかし実際は全く逆で、以前に報告したセクハラ事件についてもそうですが、京都弁護士会という組織が人権侵害の温床になっているのであります。こういう組織の腐敗を察していたかどうかは分かりませんが、京都弁護士会からの非難声明が出た時に、弁護士会館に抗議しに行った西村修平さんやチーム関西の皆様は立派だと思います。この裁判中に「ブレまくっていた」発言の何らかの見解がなされるかもしれませんが、セクハラ事件同様に、京都弁護士会からの誠実な対応というものを期待することはありません。それにしても裁判後の弁護士会館内での報告集会で誰か人権侵害だと指摘する人はいなかったのでしょうか。それとも、冗談で言った程度の事だから人権侵害にならない、皆さん笑っていたではないか、その程度の軽いものだ、と思っているのでしょうか。そういう事なら話は早い訳で、この裁判で我々がやるべき事は、在特会の会員を数十人程集めて朝鮮人に対するいわゆるヘイトスピーチを行い、皆さんがゲラゲラ笑っている様子を動画に収める事です。その悪趣味な動画を証拠として提出し、この裁判で問題になっている朝鮮人へのヘイトスピーチなんて所詮冗談程度のレベルの話だ、皆さん笑っているじゃないか、と主張してやれば良いのです。原告や原告支援の傍聴人達が江頭センセイの発言を冗談で言った程度の話と考えているのであれば、動画を観てこの程度の発言は侮辱にも名誉毀損にもあたらないと、皆さん納得してくれることと思います。その悪趣味な動画ですが、Monty PythonのFlying Circus第3シリーズエピソード11の「Prejudice」(偏見という意味です)のスケッチ(日本ではコントと言います)のようなものになるのでしょう。余談になりますが、ロンドンオリンピックの閉会式で「Always Look On The Bright Side Of Life」という歌が歌われたそうです。Flying Circusはイギリスの国営放送で放映されたコメディーで、何と言うか、非常に寛容な国なのでしょう。なお、Flying Circus第3シリーズエピソード11にはDennis Mooreのスケッチもあります。金持ちから金品を奪って要求の激しい貧乏人に与え、そのうち金持ちと貧乏人が逆転するという、在日特権を象徴するような話です。
私の反対尋問で、原告側弁護団の方から「被告八木の陳述書はもっともらしく書かれているが…」との発言が出た時、裁判長から「そうは思いませんけれども」と言われてしまいました。それを聞いて、原告側弁護士は「安心した」との事ですが、これって私も原告も馬鹿にされているのではないか、と思ってしまうのは私だけでしょうか。私の陳述書を読んでいただければ分かると思いますが、ただ争点に合わせて論理を組み立てただけであり、とても一般常識に即した文章と言えるようなものではありません。常識的な内容としては「北朝鮮による拉致事件が明らかとなった今日、全ての拉致被害者が生きて祖国に帰ってくるまでは、拉致事件に深く関わってきた朝鮮総連とその傘下団体である朝鮮学校は、その存在を許してはいけない」の部分くらいしかないのではないでしょうか。要するに争点自体が常識からかけ離れたレベルの低いもので、裁判官は原告と被告のやりとりを上空3000メートルくらいのレベルに立って眺めているということなのでしょう。私達の活動はそういう裁判官の視点ではなく、たとえ下らないと思われても良いから左翼やシナ人、朝鮮人のレベルに合わせて闘っていこうというものです。そしてそれが排外主義だとか弱い者苛めだとかと咎められようと、突き進んで参りました。私の反対尋問でも冨増四季センセイから「子供がいるのにどうしてわからないのか」と机を叩いて怒られてしまいましたが、京都朝鮮学校の事件でもカルデロン一家の事件でも、子供を楯にした連中の主張通りにすると、双方にとってもっと不幸な結果をもたらす事が分かるからあえて汚れ役でも引き受けているのです。かつて北朝鮮への食料支援を中止しようとしていた時にそれに反対していた坂本義和というインチキ学者が東大名誉教授という立場を悪用して拉致被害者のご家族に「怒りを覚えた」等と発言していました。今となってはその時経済制裁を推進していた側と反対していた側のどちらが人道的でどちらが非人道的なのか言うまでもありませんが、和田春樹センセイ等、こういう発言をする人は北朝鮮の状況が分かっていてもっともっと酷い状況にしてやろうと発言するから質が悪いのです。朝鮮学校の支援者をはじめこういう人達は可哀想な朝鮮人を思い遣っている自分が崇高であると実感し、満足したいだけなのでしょうが、その結果、日本人が被害に遭う事に対してむしろ快感を覚えるのではないかと思ってしまいます。行き過ぎると、日本人が幸せになる事が絶対に許せないと思うようになるのでしょう。そして、一部の朝鮮人が利益を得る反面、多くの朝鮮人がもっと不幸になっていく事実を認めたくなくなるのでしょう。それが反日左翼の歪んだ心理状況であって、こういう連中と理解し合える事はありません。私達のやるべき事はこれまで通り、日本の将来を考え、敵の人格攻撃にも怯まず闘う事です。
平成24年10月7日
在日特権を許さない市民の会
副会長 八木康洋