言わずと知れた、邦画専門名画座館。ビニールレザーの客席。手をかざすと届きそうなスクリーン。
頭のすぐ上の映写窓等々。多くの人がこの映画館に思い出をもらったと思います。
「野良犬」「酔いどれ天使」などの黒沢映画やもっと前は「緋牡丹博徒」シリーズを背伸びして観た思い出があります。私にとっては、なんかここへくることが゛大人の仲間入り゛のようなそんな感じの映画館でした。

東銀座の松竹会館の地下にありました。1階は「松竹セントラル」で2館とも現在はありません。
洋画の専門館でたいてい二本立でした。ごーくたまに特集を組むけれどあんまりパッとしないものがおおかった。ゴメン!
84年に「松竹シネサロン」と改名。洋画を主に上映するスタイルは変わりませんでしたが、「高峰三枝子フェアー」などの特集上映はさすが松竹と思わせる構成でした。

和光の横を入った通りにあるハタ・シネマ系映画館。’60年代前後は「銀座文化劇場」と「銀座ニュー文化劇場」。文化は主に洋画、ニュー文化は邦画を上映していました。
’70年代に入り館名を1、2に。「銀座文化1」はロードショー館。「銀座文化2」は名画座館となりました。
現在は「シネスイッチ銀座1・2」と改名、おしやれな銀座にふさわしい映画館となっています。
70年代〜80年代当時は邦画、洋画を問わず比較的新しい映画を、週変りで上映していました。
 
’61年「ニュー文化劇場」 ’60年

京橋フイルムセンター

名画座?と思われる方も多いと思いますが、結構利用していたので入れてしまいます。
当時学生140円の超低料金の魅力には勝てません。(ただ整理券が必要なのです)
常時上映ではありませんが、数ヶ月にもわたってって行うここならではの特集はさすがお国のやることと、ありがたく拝見させていたきました。
メリエスの「月世界旅行」やブニュエルの「アンダルシアの犬」など凄い映画の数々を観させてもらいました。
以前火災があったのをご記憶のかたもいると思いますが、現在は壁面ガラスも素適な建物に。ホールは大小。特集上映は豆にチェック!
銀座には三原橋交差点の地下道に「銀座地球座」と「銀座名画座」がありましたが、私が知っているのは両館とも成人専門のときのみで60年代のことはわかりません。
80年代後半に名画座は改装。ロードショー館となったとき、ただの一度友人Sと「13日の金曜日・3・3D」を観にいったきりなのでコメントは控えさせていただきます。現在は「銀座シネパトス」として単館ロードショーや特色のあるレイトショーで素適な映画を上映しています。

新橋文化

外回りビジネスマンのオアシス!暑い夏の昼下がり、セミさえ鳴かない烏森口のガード下、エアコンの程よく効いた館内でポケベルを切り、まどろみながら「バルスーズ」のミュウ・ミュウの谷間を見ていると、今営業途中であることをすっかり忘れさせてくれます。
せまい館内、女性と子供は皆無の「新橋文化」では、国電のレールの音とともに「夕日に立つ保安官」ジェームズ・ガーナーはあらわれるのダ。ここは現在は「新橋文化劇場」と改名し、現役名画座として今日も銀幕にサラリーマンの夢を写しつづけております。
ちなみにそばの「新橋第三劇場」は邦画専門の名画座でした。おとなりは日活「新橋ロマン劇場」。成人専門館です。他に新橋には日比谷口方面の当時の三菱銀行の地下に「新橋名画座」がありましたが、ここも洋ピン専門でした。


幅のせまい急な階段を上って行くとそこはスターが蘇る場所。高校の帰りによくよらせていただきました。(二本立て最終上映は割引なのです)
当初は「ヤエススター座」。のち「八重洲スター座」に。
「紳士泥棒/大ゴールデン作戦」に出演していたビクター・マチュアがあまりにもしわくちゃのおじいさんになっていて悲しくなった思い出があります。
次回は何を上映するのか、ワクワクのタイムテーブルチラシも楽しみでした。
八重洲は洋ピン2・3本に血圧低下のための?洋画1本という変な組み合わせの「観光文化ホール」や、成人専門館「ヤエスシネマ」「ヤエス松竹」と結構ピンクに染まっていました。


78年

観光文化ホール/63年