韓国の朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は先週、イランを訪問した。経済的に大きな成果を上げたという。バランスシートに一喜一憂するのではなく、着実に取り組むべき事柄だ。国家元首(大統領)による海外訪問が最近増えているのは、国際社会での韓国の重要性が高まっていることを示す指標とも言えるだろう。しかし、飛行機でわずか2時間という近さにもかかわらず、韓国の国家元首が訪問できない外国がある。「訪問できない」のではなく、「しないことを選んだ」と言うべきだ。それは韓国がかつて「自由中国」と呼んだ台湾だ。国際社会で台湾は国でありながら国ではない特異な存在だ。1971年に国連は台北ではなく北京の共産党政権を唯一の中国と認定した。それ以来、台湾は国連から締め出された存在となった。せいぜい中台による「両岸体制」または「1国2制度」の枠組みで「国の中の外国」という存在と化した。その実態は世界の戸籍簿には載っていない人口2400万人の島だ。
台湾の小説家、呉濁流はかつて、自身の祖国を「アジアの孤児」と自嘲した。台湾は1895年に戦争に敗れた清がまるで捨てるかのように日本の手に渡した島であり、それ以前も以降も侵略者、搾取者が次々と「美麗島(美しい島という意の台湾の呼称)」を蹂躙(じゅうりん)し、温かい手を差し伸べる者は全くいない孤独な存在だった。
10月24日の国連デーは1970年代初めまで韓国の国家記念日だった。48年8月、国連は誕生したばかりの大韓民国を直ちに承認し、6・25戦争(朝鮮戦争)が起きると、軍隊を派遣し、韓国を守った。国連デーには国民学校(小学校)の児童らが国連安保理の常任理事国である「自由中国」の蒋介石総統宛てに感謝の手紙を書いた。蒋介石総統の恩を称えもした。日本による植民地支配期に国を奪われた韓国の亡命者が主権回復を夢見た上海、重慶の臨時政府を支援したのも蒋介石だった。49年8月には最初の国賓として韓国を訪れ、激励の言葉をかけ、李承晩(イ・スンマン)大統領も戦争が終わるや、53年11月に台北を訪れた。両国はそんな関係だった。