【コラム】広島に行くオバマ大統領へ

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 広島にいらっしゃると聞きました。私は昨年7月に行ってきました。緑豊かな公園の横に太田川が流れ、原爆でドームが吹き飛んだ産業奨励館跡ではスズメが鳴いていました。そよ風に潮のにおいが混じるこの都市で、1945年8月6日に14万人が死亡し、3日後には長崎でも7万人が死亡した。このうち4万人が朝鮮人だったことは、韓国以外の国々にはあまり知られていません。

 私たちは日本外信記者協会の協力により、米国・ロシア・ドイツ・フランス・スイス・中国など10カ国の記者15人で一緒に動きました。記事を書くのが嫌でした。それは微妙な時期だったからという言い訳もあります。安倍晋三首相が終戦70周年記念談話を発表する1カ月前ということで、韓国の世論が激しさを増していました。

 振り返ってみると、狭量だったように思います。日本のせいで苦しめられたから、日本が受けた苦痛はそれが何であれ、「どんな目に遭っても当然だ」と考えたいと思っていました。それを恥ずかしいと感じさせる言葉を、生存者の小倉桂子さん(77)から聞きました。

 「米軍の爆撃機から黒い点のような爆弾がゆっくりと落ちました。次の瞬間、キノコ雲がわき上がりました。腸が飛び出した人々が『お母さん、お母さん!』と叫びました。生き残った人々は半分溶けたり、骨だけ残っていたりする遺体の山を踏んで必死に走りました。大勢の人々が川に飛び込んだと聞きました。熱くて、のどが渇いたからです」

 小倉さんは太田川を指して、「あの川いっぱいになった遺体が、干潮時は海に押し流され、満潮時は再び河口に押し戻されてくるのを三日間以上繰り返しました」と言いました。「数十年間、罪悪感がありました。私はなぜ生き残ったのだろうか。生き残った意味は何なのか。ここに来るたびに、その時死んだ方々に『申し訳ありません。まだこの世には核兵器があります』と謝罪しています」とも言いました。

東京=金秀恵(キム・スへ)特派員
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