旅先でよく facebook や LINE を交換しようと言われるけど、私は両方やっていないので驚かれる。
本当に気が合うと思った人には Twitter をこちらから提案するけど、旅人はあまり Twitter をやらないんだな。
私が facebook も LINE もやらない根底には、そこはかとない厭世観があって。
出会って数分の人のタイムラインをだらだらと見つめ続けるメリットが私にはないし、ミュート機能があると言われても、なぜそんな小細工をしてまでその人とつながらなければいけないのかがわからない。
大学時代は LINE もやっていたけれども、さして仲良くもないのにイベントに誘われたり、意味もないスタンプの内輪のボケツッコミに付き合わされるのが面倒くさかった。
こんなこと言ったら身も蓋もないのかな? 知らないよそんなこと。
本来なら自然に疎遠になっていくはずの人間関係が、SNSの中に文字となって永遠に残り続けて、切ろうもんなら薄情みたいな雰囲気が、私にはだるい。
私がブログや Twitter をやるのは、それなりにそこで関わる人たちに愛着があるから。
その一方で、SNSである以上いつでも簡単に切れるという安心感が、私が今日までこうしてやっていられる理由でもあるんだよね。
人間関係なんて、儚いぐらいで丁度いい
旧友は思い出だから美しいこともある。
今日話した人が明日にはどこにいるかわからないからこそ、その人との今を精一杯楽しもうという気分になる。
私は今ある人間関係を「ずっと」なんて思ってないんだ。
幼馴染も10人ほどいるけれど、それは偶然いっしょの時間を重ねたり、離れてもお互いにふと気にかかって再会したり、つねに流動的な人間関係の中で、出会ったり離れたりを繰り返して成り立ったもの。
ずっとべったり群れていたわけじゃない。
チャラチャラと多くに紛れて消耗するうちに、大切な人の崖っぷちを見逃すような真似はしたくない。
その「大切」という気持ちすら流動的かもしれないからこそ、つねに「今」一番大切な人や事柄を優先できるようにしていたい。
やみくもに延々と多くとつながることが人望とは、私は思わない。
そういう価値観で生きている。
おもな連絡手段は、Twitterとガラケー
Twitter でつながっている人たちはおもに趣味仲間なので、DMなどで気軽に連絡も取りたいと思うし、非常に重宝している。
リアルでどうしても最低限つながっていなきゃいけない人用(親とか親とか親とか)
にガラケーがあるけれど、これも今時「わざわざケータイメール宛に送る」という行為が LINE と比べて面倒なので、意味のない連絡をかなり回避することができる。
それと、自分が最低限つながっていたい人との連絡ツールもガラケーで、お互い「連絡を取ろう」という気持ちがあれば、それは十分な連絡手段のように思う。
わがままに、一匹狼で生きていたい
すべてに目を向けるのは疲れるし、目の向けがいもない人が多いし、気に入らないことは気に入らないって言いたいし、嫌な場所には居たくない。
まあ要するに、わがままに一匹狼で生きていたいんだよね。
そんなわけで、お互い気が向いたら仲良くしましょう。