以前もブログで書いていますが、育児休暇取得中に生後4ヶ月になる息子を初めて実家のある札幌に連れていきました。
写真や動画では両親に息子を見せてはいましたが、実際に見るとやはり可愛さはひとしおのようで、「重い重い」と言いながら楽しそうに孫を抱く両親の姿を見ていると、息子の顔を見せるというのは良い親孝行になっているのかなと実感できました。
そして、自分の両親と自分の息子(祖父母と孫)の姿を同時に見ることで、芽生えた何とも言いようのない感覚がありました。
それは「老い」と「命のつながり」です。
祖父母と孫の関係性から見る「老い」と「命のつながり」
その感覚を強く感じたのは、僕が子供の頃の写真を妻に見せようと昔のアルバムを見ていた時の事。
30を過ぎ、自分が父親になっているので年を取ったなと感じるのは至極当然なのですが、特に老いを感じたのは「若き日の両親の姿」です。
アルバムの中の自分自身が「若いな」とはあまり思いませんでしたが、写真の中の親の若さはかなり衝撃的でした。
2年ぶりに帰省してもあまり気づかなかった親の老いが、アルバムの写真から感じ取れてしまい、
「ああ、親はいつまでも若いままでは無いんだな」
「いつまでも生きてるわけじゃないんだな」
「いつまでも生きてるわけじゃないんだな」
としみじみ思いました。
息子を見て自分が父親になった事よりも、自分の両親が祖父母と言う立場になり、重たそうに息子を抱く姿は、時の流れを鮮烈に僕の目に焼き付けていったんです。
昔のアルバムでは、力強く赤ちゃんの時の僕を抱く父や母の姿は、30年経って随分と小さくなっていました。
息子が生まれてから感じる一番不思議な感覚
息子が生まれて初めて想像できた不思議な感覚があります。
それは
「息子は、自分や妻が死んだ後の世界でも生きているであろう」
という事。
息子が大病も事故もなく、今後70年80年生きることが出来たとすると、その時の世界には間違いなく僕たち夫婦はいません。
それが1番信じられません。
今は僕ら夫婦がいなくては生きていけない赤ちゃんが、60年後には僕も妻もいない世界で暮らすんです。
気の早い(早すぎる)話ではありますが、子供を産むという事は自分たち親がいなくなっても、ちゃんと生きていけるようにしてする必要があるんだな、と考えるようなりました。
でも、まさにその「親よりも長生きすること」が、何よりも親の希望なのだとも思います。
親になって、「子供の健康」「教育」「政治や福祉」に興味を持つようになるのは、「子供には自分たちより長生きをしてもらって、自分たち親がいない世界でもしっかりやっていけるように」と、本能的に気にし始めているからなのかなと、
自分自身の気持ちの変化をたどると、そういう結論に行きつきました。
自分たち夫婦もできるだけ長生きをして息子の成長を見守りたいと思いながらも、息子には絶対に自分たちより長生きをしてもらいたい。
まとめ
父親になってみるまで、こんなにいろいろな感情が湧いてくるというのは想像ができませんでした。
息子の誕生が気付かせてくれた感情と言うのが本当にたくさんありました。
「自分の両親の老い」そして「感謝の気持ち」
息子の誕生が気付かせてくれた感情と言うのが本当にたくさんありました。
「自分の両親の老い」そして「感謝の気持ち」
それらも、息子が生まれるまであまり気が付けなかったところです。
今のところ、息子に教えていることは特にありませんが、どちらかと言うと僕の方が息子に教えてもらっていることの方が多いんじゃないかな。