先週の記事ですが、ヨーロッパのエリートと大衆の断絶を理解する参考になります。
ジャーナリスト、ヤコブ・アウグスタインは、「国民のあいだで価値観の転換が起こり始めている」と指摘する。SPDと緑の党が弱者の感情を無視して、金持ちのための党になってしまっていることにも責任があるという。AfDはすでに成長の軌道に乗っているというのが要旨だ。今頃、気付いてももう遅い。タイトルはズバリ“too late”。
Rechtspopulismus ist kein Unfall - sondern das notwendige Ergebnis eines neoliberalen, postdemokratischen Systems.
Thomas Frankの"Listen, Liberal"によると、アメリカでは民主党が労働者のための政党から、ウォール街やシリコンバレーの"professional class"あるいは"creative class"のためのエリート政党に変質しており、これがエリートへの対抗勢力と見做されるトランプやサンダース人気につながっています。
Listen, Liberal: Or, What Ever Happened to the Party of the People?
- 作者: Thomas Frank
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既存の政党やメディアに極右扱いされるAlternative für Deutschland(AfD;ドイツのための選択肢)ですが、その主な主張は
など、安定成長を実現した戦後レジームの復権と言えるものなので、AfDが極右なら冷戦期の二大政党も極右になってしまいます。このことは、ドイツのエリート(professional class)のリベラル化が進んだことを意味しますが、1960年代からの「革命」がその源流になっているように思われます。
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ウォーラーステインは、世界的な若者の反乱の年である1968年を世界革命だと位置づけています。現在主流となっている新しい社会運動(フェミニズム、同性愛解放運動、少数民族解放運動、環境保護運動など)は、60年代にルーツがあります。
その約10年後から、英米発の新自由主義「反革命」が本格化します。
サッチャー時代のイギリス―その政治、経済、教育 (岩波新書)
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サッチャーが政権を握るまでは、保守党も労働党も、国民の福祉を増進するという大目的では合意していたから、国の性格が揺れ動くといっても、その振幅は今ほど大きくなかった。…*1
リベラルには左派、ネオリベラルには右派のイメージがありますが、両者は伝統的な共同体の破壊を目指す点で一致します。
「アラブの春」では、民主化を求めて強権体制を打倒したら、強権体制が封じ込めていた原理主義過激派の勢力が伸長してしまいました。リベラルが理想とする社会は、ネオリベラルの勢力拡大にうってつけの環境だったようです。
経済のサービス産業化に伴う第三次産業化は、それまでの資本家対筋肉労働者という社会図式を、資本家、知識(あるいは事務)労働者および筋肉労働者から成る三階級図式に変換した。
社会がますま合理化されて、業績本位になると、実力でのり上がり高い地位につく人が大勢生じる。いわゆるmeritocracyがこれであり、サッチャーもその一人である。こういう人は出身階級に愛着を持てば労働党を支持するであろうし、行き着いた階級に誇りをもてば保守党を応援するであろう。それ故メリトクラシーをめぐって、保守党と労働党が争奪戦を演じるようになる。このことは保守党のスペクトラムと労働党のそれが、メリトクラシーの階級で重なり合うことを意味する。
と分析していましたが、「知識(あるいは事務)労働者」の上位層が資本家と合流して"professional class"を形成し、彼らに支持される政治が行われるようになってきたのが、米欧の潮流と言えます。*2
社会が「三階級図式に変換」されたことで、それ以前の労働者対資本家の構図は薄れ、左派政党は途上国からの移民や種々のマイノリティなどの「新たな弱者」に味方する傾向を強めました。冒頭の記事では「SPDと緑の党が弱者の感情を無視して」とありますが、左派政党には元々のドイツ人の弱者は弱者ではなく、「新たな弱者」を抑圧する強者に見えているわけです。その結果、一般大衆が左派政党に「極右・レイシスト」と認定されて攻撃される事態が生じています。左派政党がポリティカル・コレクトネスを大義名分にして大衆に敵対するようになったことが、新たな選択肢となる「極右」政党の伸張を招いているわけです*3。家族と共同体が社会の安定の基盤となる以上、それを破壊するエリート政党への支持が低下し、安定的な戦後レジームへの回帰を目指すalternativeへの支持が高まるのは必然です*4。政治の対立軸が従来の「右―左」や「保守―革新」から、「PCを信奉するリベラル/ネオリベラル連合―反PC」に転換したと言えそうです。
新自由主義的なサクセスに対して、負け組の依拠する文化的なシンボルは、ズバリ家族共同体です。バックラッシュ派…の根っこにあるのは家族と共同体の価値、それがキーワードだと思います。伝統的に見ると、家族と共同体というのは、最後のセキュリティ・グッズでした。このセキュリティ・グッズが崩壊していくことに対する、断末魔の悲鳴がバックラッシュの正体なのではないでしょうか。
ところで日本では、ヨーロッパの極右に相当する「一億総中流社会の復活を目指す政党」が存在せず、与野党がリベラル/ネオリベラル的政策を競う状況が続いています。これが負け組の増加を招いているのですが、負け組たちの受け皿となるべきalternative政党が登場する兆しは全く見えません。「古い自民党」への拒否感が未だに根強いのでしょうか。*5
*1:この指摘は重要で、「反革命」前の戦後レジームでは、自国の一般大衆を貧しくしようと考える政治家は(まず)いませんでしたが、「反革命」後は、貧しくなっても仕方ないという観念が浸透しました。日本の政治家にもこのような観念が浸透していることは間違いありません。
*2:"Professional class"が移民受け入れに積極的な背景には、一般労働者と違って自分たちの仕事は脅かされないことや、移民を安く雇うことのメリットを享受できるなどの経済的要因があります。
*3:AfDはオープンな議論を抑圧するポリティカル・コレクトネスがドイツ政治の失敗の一因と認識しています。AfDの本質は反PCとも言えそうです。
*4:AfDは家族政策を重視しています。