【記者手帳】二条城と集玉斎

【記者手帳】二条城と集玉斎

 江戸時代、徳川幕府の将軍が京都滞在中に宿泊した二条城を訪問した。この二条城で記者は「宮は遠くから眺めるもの」という固定観念が通用しないことを経験した。履き物を脱いで中の廊下に足を踏み入れると、体重で床が曲がって板がきしむ音が聞こえ、大きな不安を感じた。ガイドは「これは『うぐいす張り』と呼ばれるものです。敵の侵入を防ぐため、音が出るように設計されたものですから安心してください」と説明してくれたが、これも強く印象に残った。

 廊下を歩くと右側に次々と部屋が出てきた。中でもその一つは重要な歴史の現場だ。江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜が全国の大名の前で、日王(天皇)に統治権を返還する大政奉還を宣言したまさにその広間で、実際の人間と同じ大きさの人形を設置しその時の様子が再現されている。前を通るとその場にしばし立ち止まらないわけにはいかなかった。その後の韓日強制合併、中日戦争、太平洋戦争など、日本の旭日昇天と波乱の東アジアの歴史が思い起こされたからだ。城の中がこのように一般の観光客に開放されていることにも驚いた。廊下を歩いている間中、「このように肌で実感できる歴史教育の現場があるだろうか」とずっと考えていた。

 韓国の歴史的な建造物も多くが木造だ。しかし二条城を見て分かるように、日本は木造の建造物を積極的に観光資源などとして活用しているが、韓国は長く文化財保護を口実に、遠くからしか眺められないようになっていた。宮廷に行って王が生活していた部屋の形や様子を見ても何の印象も実感もなく、ただその前に建てられた「立ち入り禁止」の立て札しか記憶に残っていない。小説家の崔仁浩(チェ・インホ)氏が1980年代の初めに発表した長編小説『鯨とり-コレサニャン』には、人間の立ち入りが禁止されている崇礼門に、夜になるとホームレスが入り込んで食事をし、寝ている様子が描かれている。当時は小説の中の作り話と思って笑ってすませていたが、後に崇礼門が放火で消失した際、ホームレスたちが本当にここで生活していた事実が明らかになり、大きな問題となった。

世論読者部=金泰勲(キム・テフン)部長
前のページ 1 | 2 次のページ
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • 【記者手帳】二条城と集玉斎

right

関連ニュース