以前アンパンマンを観ていて、こんなことを疑問に思ったことがある。なぜ、アンパンマンは空の彼方まで吹き飛ばせるようなパンチ力を持っていながらアンパンマンを殺さないのか。なぜ毎回毎回、人々に害を与えるバイキンマンを罰しないのか。罪を犯した者は罰せられなければならない。他人を殺さないまでも、犯罪行為を繰り返すバイキンマンの四肢を拘束し、磔にして光の入らない牢獄に幽閉しておけば皆がいつまでも平和に暮らせるはずなのに。
以前、どこかのサイトで目にしたのはアンパンマンがバイキンマンを殺さないのは「アンパンマンとバイキンマンは利害関係にある説」というものだった。アンパンマンは悪を倒すことで正義の味方としてのアイデンティティ、ここでは「生きがい」と言い換えても良いかもしれない、その生きがいを保つことができる。アンパンマン達の生きる世界の唯一の「悪」とはバイキンマンだ。アンパンマンがバイキンマンを殺してしまったり磔にして牢屋に閉じ込めてしまえば悪事を働くものが誰一人いなくなりアンパンマンの生きている意味がなくなるのだ。それはすなわちあの世界での「死」を意味するのかもしれない。主題歌である「アンパンマンのマーチ」にも「なんのために生まれて なんのために生きるのか」という歌詞があるように、「生きる意味」というのはアンパンマンにおける大きな一つのテーマとなっているということだ。それはバイキンマンも同じで、バイキンマンにとっては「悪いことをする」ということが生きがいなのだ。そして、「悪」という言葉を体現するために最も重要なことは平和の象徴、正義の権化であるアンパンマンを倒す、ということだ。ここで言う「倒す」とは「殺す」でも「息の根を止める」ということでもない。文字通り「倒す」ということだ。そう、アンパンマンがバイキンマンを殺せないようにバイキンマンもまたアンパンマンを同じ理由で殺せないのだ。
…ということが延々と書かれており俺は「納得がいかないなぁ」と思った。生きがいがなければ死ぬ?否、俺が考える「アンパンマンがバイキンマンを殺さない理由」はまったく逆の考えだ。アンパンマンの世界では「生死の概念というものがまったくない」のではないのだろうか。あの世界の住人は永遠にただただ存在し続けるだけ。「ジャムおじさんや、バタコ、ブイヤベースおじさんは人間ではなく妖精だ」という説もにわかに囁かれているが俺に言わせれば彼らは妖精というよりも「ゾンビ」に近い存在だと言えよう。生きる屍、リビングデッドと言っても間違いではないかもしれない。だからアンパンマンもバイキンマンも他の誰もが誰かを殺したり痛めつけたりすることはしない。そんなことをしても何の意味もないからだ。彼らの住むあの世界には痛みも、喜びも、怒りも、悲しみも、苦しみもない。
ならば、なぜそんな痛みも苦しみもない世界でバイキンマンは悪事を働くのかという疑問が生まれるが答えはただ一つ。それはやることがないからだろう。誰もが永遠を求めるが、終わりのない時間というものはとても退屈なことなのだろう。死ぬことも、年をとることさえもできない、無限。それは本当はとても不幸なことなのだとアンパンマンやサザエさん、ちびまる子ちゃんを観るたびに感じる。そう考えると「アンパンマンのマーチ」の「そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び 例え胸の傷が傷んでも」という一節も彼らが痛みを感じることも死ぬこともできない、決して生きる喜びを知ることのできない存在故の苦悩を逆説的に歌ったエレジーなのかもしれない。
他にも俺と同じ考えを持つ同志はいないのかと思い検索窓を開き「アンパンマン バイキンマン 殺さない」と検索した。するとYahoo!知恵袋に「どうしてアンパンマンはバイキンマンを殺さないんですか?」と質問があった。
アンパンマンはなぜバイキンマンを殺さないのですか? 生かしておくから毎回トラブルが起きる羽目になると思うのですが(^^;
殺してしまったらお話が終わってしまいます。
それくらいちょっと考えたらわかりそうなことではないでしょうか。
また、殺すとかいうようなことは現代社会的にいうと相応しくない行為です。
アンパンマンなんて5、6歳児もかなり見てますからそういった子供たちに悪影響があっては元も子もありません。
そういう風にできているのですよ。
アンパンマンはなぜバイキンマンを殺さないのですか? 生かしておくから毎回... - Yahoo!知恵袋
仰るとおりです、すいませんでした。