連載
名刺を捨てた男 #008 伊達みきお 01/04

全力で介護と向き合った18歳の伊達青年

■女の子と知り合いたい一心で進路を決めた

「高校時代は男子校でラグビー部ですから、とにかく女の子の友だちがいないわけです。なんとか知り合いたいとチャンスを求めて、高校3年生の夏に参加したのが、女子が多いと評判のボランティア研修でした」

 

伊達みきおさんがサラリーマンとして5年間を過ごしたのが介護の世界。なぜ福祉関連の仕事を選んだのか、その理由を尋ねると、当時の男同士の友情や、その当時のできごとを一緒に思い出しているのだろう、楽しそうに答え始めた。

 

「同じ学校の男ばかり45人で参加しました。誤解してほしくないのは、23日の研修自体はとてもきちんとした団体が運営している真面目なものだったということ。

 

確かに当初、僕らは女の子が目当てでしたけど、介護や手話を習い、実際に現場でお手伝いが必要な方々と接していくうちに、たった23日の体験でしたが、『人と接する仕事は面白い』と思うようになったんです」

 

その後、バイト先として選んだのは介護用品を扱う会社だったこともあり、同級生に先んじて、働いて「ありがとう」と言われる喜びを知った伊達さん。素直にその気持ちを持ち続けて、卒業後は福祉関連の専門学校へ進学する。

 

しかし3か月で中退することに。福祉関連の学校では女性が7~8割以上を占めるといっても過言ではない。伊達さんが入学した学校も例に漏れず、8割が女性だった。女性の友だちがほしいはずが、あまりに多くの女性に囲まれるのは伊達青年にとってギャップがありすぎて、かなりしんどい体験だったようだ。

 

そして言いにくそうにひと言「……ダンスの授業がね……」。なるほど、18~19歳という多感な年ごろの男子が、女性に囲まれてダンスなど、その辛さは想像に難くない。

 

「辞めちゃったんです、3か月で。なにか釈然としないというか、もう働いた方がいいんじゃないかって思ったんですね。そのままバイト先だった会社に入社しました。

 

バイト先といっても自分で選んだわけじゃなくて、オヤジが知り合いの会社を紹介してくれた――まぁ、つまりはコネ入社ってわけです」

画像:サンドイッチマン 伊達みきお

■毎日2時帰宅。「ありがとう」に支えられた

伊達さんの仕事は介護用品関連の営業だ。おむつをはじめとする消耗品を販売したり、ベッドやトイレなどの大型家具のレンタル、ときには手すりやスロープの設置を請け負うこともある。商品を扱うだけでなく、家具類が入るかサイズを測ったり、行政との折衝も不可欠だ。

 

「とにかく忙しかったですね。急激に老人ホームが増えた時期ということもあって、毎日の帰宅時間が2時。だってボクひとりで郡山全域を担当していたんですよ。

 

いつもあっちへこっちへとクルマを走らせてましたよ、ナビもない時代にね(笑)。雪道をひとりで400㎞走ったことも一度や二度じゃありませんでした」

 

それでも伊達さんは充実した日々を送っていた。介護用品は必要に迫られて購入するもの。無理やり売るものでもなければ、合わないものを押し付けることもできない。

 

つまり需要と供給が合致して初めて売買が成立する。後ろめたさがないのだ。

 

「いつも『ありがとう』って言ってもらえるでしょう。それに毎日、違う現場で頼りにされる。それがうれしかったんです」

この情報は2016年5月15日現在のものです。

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