文革50年 歴史教訓に政治改革を
中国を大混乱に陥れ、多くの犠牲者を出した文化大革命(文革)の始まりから16日で50年になる。100万の紅衛兵が毛沢東(もうたくとう)主席に「万歳」を叫ぶ光景に象徴される個人崇拝が極限にまで高まる一方、多くの指導者や学者、文化人らが迫害された。
中国は文革の悲劇を教訓に経済建設中心の改革・開放路線を進め、世界第2の経済大国に発展したが、共産党独裁の政治制度は基本的に文革時代のままだ。再び、権力の暴走や社会の混乱が起きることはないのか。政治システムの改革が必要だ。
文革前の中国は毛主席が主導した「大躍進政策」の失敗から経済の立て直しを進めていた。これを資本主義の復活の動きと見た毛主席が発動したのが文革だ。実権を失っていた毛主席の奪権闘争ともいわれる。
「造反有理(造反には道理がある)」などのスローガンが叫ばれ、地位に関わりなく批判された。国家主席だった劉少奇(りゅうしょうき)氏までが迫害で死亡した。法に基づかない処刑、武装集団同士の衝突、寺院など文化財の破壊や少数民族の迫害。中国共産党は被害の実態を公表していないが、1億人が被害を受け、数百万人が死亡したともいわれる。
毛沢東思想はカンボジアのポル・ポト政権など国外の革命勢力や1960年代後半に日本や欧米で起きた学生運動にも影響を与えた。
76年の毛主席死去後、江青(こうせい)夫人ら「四人組」が逮捕されて文革は終わった。復活したトウ小平(とうしょうへい)氏は文革を「国家と人民に建国以来最も重大な挫折、損失を与えた内乱」と総括し、改革・開放路線にかじを切った。
習近平(しゅうきんぺい)国家主席ら現指導部の多くは「紅衛兵」世代だが、「1強体制」を敷いた習主席を毛主席になぞらえる見方が出てきた。メディアに「絶対忠誠」を求めるなど強権的政治手法を取る一方、個人崇拝を思わせる動きも見られるからだ。
もちろん、経済発展が遅れ、情報統制が容易だった文革当時と、経済構造が複雑化し、インターネットが発達した現在とでは社会のあり方が全く異なる。習氏には毛氏のようなカリスマ性もない。
しかし、国民の中にも貧富の差の拡大や腐敗の横行にストップをかける権力者の登場を期待し、文革時代を懐かしむ風潮が存在する。権力の暴走に歯止めをかける政治システムは整備されていない。
温家宝(おんかほう)前首相は「文化大革命のような歴史的悲劇が再び起きる可能性がある」と警鐘を鳴らし、政治改革の必要性を強調していた。経済発展の果実で国民を満足させられる時期は過ぎた。強権ではなく、システムで安定を保つことができる政治体制の確立が必要だろう。