蹴球探訪
奇跡の初優勝見えた レスター・岡崎が激白「試合後はいつも悔しい」(4月27日)
【芸能・社会】長女・実花さん「最後まで駆け抜けた」 蜷川幸雄さん通夜2016年5月16日 紙面から
肺炎による多臓器不全のため12日に80歳で亡くなった演出家・蜷川幸雄さんの通夜が15日、東京・南青山の青山葬儀所でしめやかに営まれた。北大路欣也(73)らベテランからSMAPの木村拓哉(43)、前田敦子(24)ら若手まで蜷川作品に関わった大勢の俳優陣や各界の著名人ら約1600人が弔問。情熱を持ち続けながら、60余年にわたって芝居一筋に走り続けた故人の冥福を祈った。葬儀・告別式は16日正午から同所で行われ、葬儀委員長は上田清司・埼玉県知事が務める。 長女で写真家の蜷川実花さん(43)が、通夜の前に蜷川さん死去後初めて取材に応じ、偉大な父親への思いを語った。 昨年12月中旬に体調を崩し入院。今年2月に自らの半生を題材にした舞台「蜷の綿」を演出する予定だったが、体調が回復せぬまま、やむなく公演を延期した。 闘病は約5カ月に及んだ。実花さんによると、妻の宏子さんを探して「真山(宏子さんの芸名)は?」と言ったのが病床での最後の言葉になったという。そして、亡くなる10日ほど前からは「ありがとう」の言葉を何度も繰り返していた。実花さんは最期をみとれなかった。亡くなる2日ほど前から苦しそうにしていたが、とても穏やかな旅立ちだったという。 「入院してから何回も危ない時がありましたが、そのたびに鮮やかによみがえったんです。だから家族も覚悟していたところがありました。寂しいですが、最後まで駆けぬけられたと思っています。どこから切り取っても幸せないい人生だったと思います」と笑顔も交えて話した。 演技に対し厳しい姿勢を貫き、こわもてのイメージもあった蜷川さんだが、孫の実花さんの息子に見せる顔は「デレデレでした」と実花さん。「私は長女というより長男のように育って、ベタベタすることはなかった。一流のクリエーターが家の中にいて、一番の影響を受けたのが父だと思います。父であり、尊敬する人でした。ずっと蜷川幸雄の娘と言われ、いつ蜷川実花になれるかとの思いでやってきました」と話した。 棺(ひつぎ)の中には、上演する予定だった全ての戯曲の台本などが入れられた。シェークスピアから現代劇まで幅広い作品を手掛け、世界中の演劇ファンを魅了した蜷川さん。通夜には大勢のファンも弔問に足を運んだ。実花さんは「本当に多くの方に愛されていたんだなと感じます」と笑顔の中に涙を浮かべた。 PR情報
|