連載
名刺を捨てた男 #008 伊達みきお 04/04

仕事と真摯に向き合う四十代

■生まれ育った町への恩返し

2011年3月11日。順風満帆の日々を歩んできた2人の前に起こったのが東日本大震災だった。2人は宮城県気仙沼市でのロケ中に被災した。そして以来、2人は復興支援に奔走し、いまも続けている。

 

「被災した場所には、ボクが営業として担当していたエリアも含まれていて、たくさんの見知った顔がいるところです。

 

当時、担当していたおじいちゃん、おばあちゃんはいないかもしれないけれど、その娘さんや息子さん、お孫さんはずっと暮らしている場所。彼らへの恩返しですか? なっていればいいなって思いますね」

 

恩返しになっているかな、どうだろうなという表情で、伊達さんは目を伏せた。彼にとって、サラリーマンとしてやっていたころ、多くの人にもらった笑顔、そしてありがとうの言葉をまだ返し切れていない、そう思ったのかもしれない。

 

そして、仙台から東京へやってきて17年、年齢は40歳を超えた。

 

「いつのまにかいいオヤジの年齢になりましたね。どこか焦りもありますよね、あと20年で還暦かって。自分のいま、そしてこれからを考えるとき、オヤジが40歳のとき、何してたかなって思うんです。

 

息子にとって、父親しか自分の人生と照らし合わせて向き合える男っていないでしょう。そうするとね、四十代のオヤジは、一生懸命働いていたってわかるんです。あの当時は見えませんけど、いまならわかる。

 

すると『あぁ、ボクはいま、しっかり働く年齢なんだな』と、毎日の仕事に真摯に向き合えるようになるんです」

 

同じ働く男としての道しるべ。それが父親だと伊達さんは言う。「四十代のオヤジを考えると、四十代の俺らは、こんなに頼りなくて大丈夫かって思いますけどね(笑)」 父親への尊敬をそんな笑いで表現する。息子はそんなふうにオヤジをリスペクトするのだろう。

画像:サンドイッチマン 伊達みきお

■サラリーマン経験に悔いなし


「芸人として考えたら一日でも早くデビューした方がいい。ボクらのような芸人の上下関係はさほど厳しくないけれど、寄席などで落語家さんのしっかりした関係を見ていると、すごいなと感じます。

 

ただし、ボクにはサラリーマン経験があるおかげで、常識的なことが身に付いていて、そういう面での大きな失敗が少ないんです。

 

たとえば上座とか、宴席で体得する礼儀みたいなものなど、実生活で役立つことも多いですね。富澤はね、ま~ったくできませんから。その点はボクがぜ~んぶ、助けてますよ、えぇ」

 

サラリーマンを経験していて本当によかったかと尋ねたら、人懐っこい顔でニッコリ笑った。芸人としてのスタートが遅くなっても悔いはないとも。

 

会社員だった5年間の経験がもたらしてくれたものが大きいことを実感しているのだ。

 

「ボクらのDVDには字幕を入れているんです。ボクの奥さんの友だちの娘が聴覚に障害があって、じゃあ、字幕を入れようということになったんです。

 

そのとき『あぁ、こういうことを話してたんだ。初めてわかった』と。字幕さえあれば一緒に笑うことができる。以来、字幕を入れるようにしています」

 

お笑いのDVDに字幕を入れる。おそらく、彼らしかやっていないことだろう。彼の介護の経験は、こうした新しいチャレンジへの助けとなっているようだ。

 

「お笑いの会場にお年寄りが増えたと感じますね。これから高齢化が進みますからもっと増えていくんですよ。だから彼らがわかりやすいようにやるにはどうしたらいいか、考えなくちゃいけない。テンポをゆっくりするとか、いろいろやれることはありそうですよね」

 

 

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この情報は2016年5月15日現在のものです。

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