■生まれ育った町への恩返し
2011年3月11日。順風満帆の日々を歩んできた2人の前に起こったのが東日本大震災だった。2人は宮城県気仙沼市でのロケ中に被災した。そして以来、2人は復興支援に奔走し、いまも続けている。
「被災した場所には、ボクが営業として担当していたエリアも含まれていて、たくさんの見知った顔がいるところです。
当時、担当していたおじいちゃん、おばあちゃんはいないかもしれないけれど、その娘さんや息子さん、お孫さんはずっと暮らしている場所。彼らへの恩返しですか? なっていればいいなって思いますね」
恩返しになっているかな、どうだろうなという表情で、伊達さんは目を伏せた。彼にとって、サラリーマンとしてやっていたころ、多くの人にもらった笑顔、そしてありがとうの言葉をまだ返し切れていない、そう思ったのかもしれない。
そして、仙台から東京へやってきて17年、年齢は40歳を超えた。
「いつのまにかいいオヤジの年齢になりましたね。どこか焦りもありますよね、あと20年で還暦かって。自分のいま、そしてこれからを考えるとき、オヤジが40歳のとき、何してたかなって思うんです。
息子にとって、父親しか自分の人生と照らし合わせて向き合える男っていないでしょう。そうするとね、四十代のオヤジは、一生懸命働いていたってわかるんです。あの当時は見えませんけど、いまならわかる。
すると『あぁ、ボクはいま、しっかり働く年齢なんだな』と、毎日の仕事に真摯に向き合えるようになるんです」
同じ働く男としての道しるべ。それが父親だと伊達さんは言う。「四十代のオヤジを考えると、四十代の俺らは、こんなに頼りなくて大丈夫かって思いますけどね(笑)」 父親への尊敬をそんな笑いで表現する。息子はそんなふうにオヤジをリスペクトするのだろう。