熊本城の再建 地域住民の心の支えに
石垣が崩れ、瓦が落ちて丸はだかになった熊本城の姿は、国民に大きな衝撃を与えた。阪神大震災クラスの揺れが続いた熊本地震の恐ろしさを見せつけたのは疑いない。
戦国武将、加藤清正が1607年に築き、国の特別史跡に指定されている熊本城内では、「武者返し」で知られる石垣が50カ所余で崩れた。国重要文化財(重文)になっている13の建造物全てに被害が出た。
古代にさかのぼる阿蘇神社も重文の「楼門」などが倒壊した。
文化庁は4月下旬に建造物や史跡を担当する調査官を派遣したが、余震が続き、熊本城などの被害はまだ十分に把握されていない。安倍晋三首相は「熊本城の復元なしに復興は終わらない」と述べ、馳浩文部科学相は「10年、20年かかっても復活させていきたい」と語った。
重文の指定を維持するには、崩落した石を拾い集め、積み直すような根気強い修理が求められる。文化財保護法の災害復旧事業に認められれば、国の高率の補助が出る。
各地の城にも募金箱が設置され、支援の輪が広がる。
福島県白河市は、東日本大震災により国史跡の小峰城跡で石垣が崩れ落ち、修復を進めている。熊本城を管理する熊本市から対応を聞かれた白河市の担当者は、現場を保存して崩落状況を検証するよう助言した。
今回の地震は文化財の保存と修復に向けた問題も浮き彫りにした。
熊本城の天守閣などは戦後に復元されたものだ。復元建物の修復費用には通常、国の助成がない。
文化庁は1995年の阪神大震災をきっかけに、文化財建造物の耐震補強を自治体や所有者に呼びかけてきた。重文の建造物には国庫補助があるものの、歴史的な価値の維持と両立させるのは簡単でない。
国、自治体の指定を受けていない文化財をどう救出し、修復するかも今後の課題になる。
美術品が離散したり、破損したりするのを保護する目的で、文化庁が文化財の保存・修理の専門家による「文化財レスキュー事業」を始めたのも阪神大震災の時だった。東日本大震災では海水を浴びた文書の救出などで成果を上げた。
同庁は「地元の要請をみて対応を考えたい」と話す。
文化財を救済するには多くの資金と労力がいる。被災した自治体には余裕がない。地元は熊本城の再建に政府が乗り出すよう求めている。
熊本城は大災害に見舞われた住民の心の支えである。昨年度177万人が訪れた有数の観光地で、国民の共有財産とも言える。過去最大規模になると予想される修復作業の過程を一般公開し、広く理解と安心を得ることも検討してもらいたい。