目的、目標、手段、そして結果
例えば少年軟式野球チームの場合
今年(2016年)の2月まで、とある少年軟式野球チームでコーチをしていました。野球経験はありません。長男が小学校に上がるときに「野球がしたい」と言って入団したチームで、指導者の人数が足りないからと「請われて」コーチになりました。
翌年に次男が入部して、長男が中学で卒団するのと入れ替わりに三男が入部してきました。三男は6年生に上がるときにやめてしまったのですが、ぼくは6年生の世話係をしていた関係上、自分の子どもがいない状態でコーチを続けていました。
三男と同級の子どもたちが中学に上がるために卒団するにあたり、ぼくもチームを去ることにしました。
大阪にはかつて、約300の少年軟式野球チームがあると言われていました。今では少子化の影響で子どもが集まらなくなり、廃部になったり、統合したチームもたくさんあって、ずいぶん数は減ってしまっているかもしれません。それでもまだ多くのチームがあります。
それぞれのチームにはそれぞれの設立背景があります。野球好きのおじさんが地域の子どもたちを集めて野球を教え始めたチーム。小学校の先生が子どもたちに野球を教え始めたチーム。スポーツ少年団が母体のチーム。子ども会が母体のチーム。
それぞれのチームに特色があり、指導方針があり、設立以来、脈々と受け継がれているはずです。
ぼくがいたチームは、元々の設立母体が子ども会でした。子ども会の児童だけではチームを構成できなくなり、子ども会の上位団体である自治会の了解を得て、他地域の子どもたちも入部できるようにしてもらっていました。それでも人数が足りなくなり、市内全域から入部できるようにするために、次男が6年生、三男が1年生になるときに、クラブチームとして独立して運営することになりました。
子ども会チームからクラブチームに変わっても、チームとして変わらないものがあります。それは、「目的」として、地域の子どもたちを、野球を通じて、健全に育成すること。この目的は、おそらくチーム設立以来変わることなく貫かれてきたことと思います。地域の子どもたちかますくすくと育ち、それを見守る「手段」として、野球が選ばれたのだと思います。
「目的」として子どもたちを育み、「手段」として野球という球技を選んだ。そのチームの「目標」は、試合に勝つこと。参加した大会で優勝すること。
野球という「手段」を使い、試合に勝つという「目標」に向かって子どもたちを導くという「目的」。これが、少年軟式野球チームの存在意義なのです。
野球の試合は必ず「結果」が出ます。勝敗という結果です(時間切れ引き分けはのぞいて)。勝敗には必ず原因があります。うまくできたことは次もできるように、うまくできなかったことは反省をして、次はできるようになろう、そうやって少年軟式野球でもPDCAを回してチームとして成長していくのです。
しかし、残念なことに、ときに「目的」を見誤ったチームというのも存在します。勝つことが「目的」になったチームの子どもたちは悲惨です。
勝つために必要な子、必要でない子が選別されます。必要でない子はもう試合には出れないかもしれません。
勝つために必要な子は勝つための野球をやらされます。ルールすれすれのこすいプレーをするように指示されることもあるでしょう。
そのような状況で、子どもの健全育成ができるでしょうか?
例えば会社の場合
少年軟式野球チームは非営利団体。では、営利団体の会社ではどうでしょう?
「年間売り上げ目標」「利益目標」などの目標があり、具体的金額が示されます。しかし、その金額は「目標」であり、目的ではありません。
会社の目的は、その会社の商品、サービスにより、お客様を資すること。つまり、お客様に喜んでいただくことが会社の目的になります。この場合の「手段」は、商品、サービスということになります。
たいていの会社は毎年3月になると決算を迎えます。そのときに「目標」を達成したかどうかという「結果」がわかります。
世の中に会社がどれくらいあるっていいましたっけ?中には勘違いしている会社もあるでしょう。金儲けが目的になった会社です。金儲けが目的だから「手段」は選ばないでしょう。劣悪な商品、劣悪なサービス、ときには詐欺的な手法でお客様からお金を巻き上げる、そんな会社も目にします。
ブログにおける、目的、目標、手段、結果
少年軟式野球チームや会社をブログに置き換えることはできるでしょうか?残念ながら、ブログを書く人によってまちまちで、統一見解がありません。
一口に「目的」と言っても、
- 生活のため
- 金儲け
- 自己顕示欲を満たす
- 人を感動させたい
等々、まちまちです。当然、その目的に向かって努力する目安となる目標も、数値として表せるもの、数値では表せないもの、さまざまです。結果もどこが着地点かがバラバラなので、比べようがないです。
唯一の共通点は、ブログを書くという「手段」だけでしょうか?
そもそも、ブログを書く行為というのは、子どもたちを健全に育成するとか、お客様に喜んでもらうとか、そういった次元のものではないのではないでしょうか?
少年軟式野球は野球という競技で戦う(試合をする)から勝敗という結果が出ますが、ブログは、「ブログ」という共通項があったとしても、内実、ブログを書くそれぞれのプレーヤーが全く別の競技をしていると考えられないでしょうか?
「手段」も、SEOを駆使すること、お金を払って教えを受けること、文章に磨きをかけること、それぞれの方法があり、それぞれ比べようがないものと考えればどうでしょうか?
何が正しいということもなくなり、何が間違っているということもない。個々のプレーヤーが好き勝手に目的を作り、目標を定め、好きな手段を用い、結果を求める。
そう考えれば、他の人が何をしようが、どうなろうが、別に構わん、ということになりますよね。
昨日書いたこちらの記事、
この記事を書いた時の熱量はかなり高く、挑発的な文章になっていると思います。
でも、この記事は削除はしません。この記事があって、今回の記事がある。自分の中での考えの変化の記録として、置いておきたいと思います。