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びわ湖の干拓

[2010年3月18日]

大中の湖(だいなかのこ)・小中之湖(しょうなかのこ)の干拓(かんたく)

 戦国時代(せんごくじだい)の武将(ぶしょう)である織田信長(おだのぶなが)が安土城(あづちじょう)を築城(ちくじょう)したころ、安土山(あづちやま)は三方(さんぽう)を琵琶湖(びわこ)の内湖(ないこ)に囲まれていました。内湖は、深さ2メートル前後の入り江で昔の琵琶湖にはたくさんありました。

 今から70年ほど前から、米を作るために内湖を田んぼに作り変(か)える工事(こうじ)が始まり、40年ほど前には現在の地形(ちけい)となりました。堤防(ていぼう)で琵琶湖と切り離し、大きなポンプで水をくみ出して陸地(りくち)にしました。このような土地を干拓地(かんたくち)と言います。
 干拓された内湖は、弁天内湖(べんてんないこ)、伊庭内湖(いばないこ)、大中の湖(だいなかのこ)で1,450ヘクタール(1ヘクタールは100メートル×100メートルの10,000平方メートル)が陸地となりました。最初に干拓された弁天内湖と伊庭内湖をあわせて小中之湖地区、大中の湖を大中の湖地区と呼んでいます。

 干拓地は琵琶湖の水面より低いので、今でも降った雨などを土地改良区(とちかいりょうく)で働く人たちがポンプでくみ出しています。台風などの大雨が降ったときに家や田んぼが水につかないようポンプなどの点検(てんけん)もたいせつな仕事です。

 干拓によって大きな田んぼができたので、大きな農業機械(のうぎょうきかい)を使った近代的(きんだいてき)な農業が営(いとな)まれています。

干拓される前の内湖(70年以上前)

安土山の周りの弁天内湖、伊庭内湖が干拓される(60年前)

大中の湖が干拓された現在の地形

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産業振興部農村整備課

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