つづき
さて、初めて2人の年長者の上司という立場となりました。
でもそれは、役職上、その立場になっただけなのです。
上司としての能力は未知数、経験と実績はゼロ、そして何より、その立場にふさわしい「格」と呼ぶべきものが備わっていません。
ないものだらけの人間が、そうやすやすと認めてもらえるわけがなく、2人からは明らかな「上からの値踏み目線」を感じておりました。
2人の仕事振り
さて、彼らの仕事振りがどうだったかというと、全く何もしないというわけではありませんでした。やらなければならないことは、渋々ながらもやっていたのです。
ただ、それは常にギリギリ最低限というレベルで、あわよくばその下限を下げようとする、つまり、自分のやるべき仕事を他の人間に押し付けようとしていました。
そして、その相手は、彼らの直属の部下であり、私だったのです。
値踏みをしつつ、楽をしようという行動です。
彼らの部下たちから「何とかして欲しい」との訴えがありますし、それ以前に私自身、たまったものではありません。
また、そんな状態だったので、クライエントからも、「手抜き」とクレームを受ける始末でした。
話し合い、表向きは礼儀正しくしていたが・・・
それぞれと個別に、何度も話し合いを行いました。
その際に、私が口にした言葉は、
「どうして、やらないんですか?」
「仕事なんだから、やってもらわないと」
「あなたの部下たちは、困っていますよ」
「じゃあ、どうしたいんですか?」
といったものです。
これらは「正論」です。でも、稚拙としか言いようのない紋切り型の物言いですね。
こんな物言いをしていたのは、自分自身が未熟だったからですが、一方で、なぜ、最低限のことすら他人に押し付けようとするのかが理解できず、その態度には、本音ではむかっ腹を立てていたからでもあるのです。
結果、表向きの態度は礼儀正しくしていたつもりでも、中身は出来ていなかったということです。
それに対して、彼らの答えは、
「前の人(=私の前任者)は、文句を言わずにやってくれた」
「年を取ると、身体と頭がついて行かなくなるんだよ」
「あんたも、この立場になったら分かるから」
などなど。
イチイチ文句を言わず、そっとしておいてくれ、と言うことでした。
こんなやり取りが何度も繰り返され、その都度、「最低限、これだけはやってください」で締めくくっていたのです。
ケンカ別れ
ある日、よろしくない方(年長者でやる気がまったくない方、Aさんとします)と話し合いをしていたときのことです。
いつものように、のらりくらりと言い訳を繰り返しラチがあかない態度に、我慢できなくなりました。
そして、
「そんなに仕事がイヤなんだったら、もう、会社を辞めればいいじゃないですか」
と言ってしまったのです。
このときは、さすがに「マズイ!」と即座に謝りましたが、それでも、腹の中では怒りを抱えておりました。
言われた当のAさんは、顔を真っ赤にして、
「気力と体力が続く限り、会社は辞めない」
と言い捨て、その場はケンカ別れのようになりました。
この言葉を聞いて、「このオヤジは、一体、何をとぼけたことを言ってるんだ」と思いましたし、「エラそうに言うんだったら、ちゃんと仕事しろよ」とも思ったのです。
あんたももう少し何とかならないか
それから、冷戦状態が続きました。
幸いにも?、年長の部下たちは、私とは勤務場所がそれぞれ別(出先の事業所)でしたので、顔を合わせずに済んではいましたが、事態は悪いままだったのです。
しばらくして、まだマシな方(Bさん)から、話がしたいと連絡がありました。
開口一番、言われたのは
「Aさんも自分も、少しやりすぎたと反省している。だけど、あんたももう少し何とかならないか」
というものでした。
いわく
- 自分たちは、役職定年によって現職を退いた身である
- 現職当時に比べ、給料は格段に下げられた
- 今は、心身ともに楽な仕事をほどよくこなしながら、第二の職場の定年を迎えたい
- あんたは先があるから張り切るのは分かるが、それを自分たちに押し付けないで欲しい
と。
自分たちの立場を理解したうえで、それなりの配慮をせよ、というものです。
いかがでしょうか?
まさに、本音ですね。
一旦、会社を”卒業”している以上、「仕事はほどほどに、平穏無事な毎日を過ごしたい」という心情になって当然だと思います。
本人たちも、そんな毎日が過ごせると思って(それが大きな勘違いなのですが・・・)、グループ会社への転籍を承諾したわけですから。
でも、この心情、他人にしてみれば、理屈では分かっていても、本当に理解し同調できるかと言われると、存外に難しいものだと思います。
上記のBさんの発言を見て、多くの人は「気持ちは分からなくもないが、言ってることは甘過ぎる」と捉えるのではないでしょうか。
心情理解のギャップ
心情、本人にとっては正当なものであっても、他人が心底理解したり、受け入れらるとは限らないもの。
このギャップが、コミュニケーションエラーの大きな原因になっていると思うのです。
Aさんが言った「気力・体力」が意味するものは、現職の者が捉えるものとは、全く意味が違っているということですね。
キャリアにおいて、相手が自分よりも若い人であれば、自分自身が通ってきた道として、その心情を理解しやすいかもしれません。
でも、相手が年長者の場合は、自分自身がまだ経験していない環境下にいる可能性が高いので、本当のところは分からないことが多いように思います。
一方、若い人は、先々を考えて自分の心情を押さえ込むことが多いでしょうが、今回の年長の部下のケースは、ある種の開き直りであるため、態度としては非常に分かりやすく表れています。
つまり、
- 若い人の心情は理解しやすいけれど、表に出さないことが多いので気づかない
- 年長者の心情は理解しがたいのに、行動だけが見えるため納得できない
ということです。
そして、心情を理解できたとしても、どこまで寄り添えられるか、さらに、情に流されることなく対処できるかは、本当に難しいことです。
それでも、年齢や立場は関係なく、人と接するときは、礼をもってなすのとともに、心情理解に努めることが大切なのだろうと思います。
私自身、これらは、今にして思うと、なのですが・・・。
おまけ
さて、事の顛末です。
私が答えたのは、
- 置かれている状況は理解するけれども、だからと言って、自分がやるべき仕事をやらずに済まされるものではない
- それぞれが担っている事業は、クライエントから決して高い評価を得ておらず、いつ何時、切られるか分からない
- そうなると、若い社員たちの仕事がなくなる(つまり、職を失うのはあなた方だけではない、ということ)
- この状況を理解したうえで、やるべきことをしっかりとやってもらいたい
と言ったものです。
これを言っても、すぐに何とかなるものでもなく、以降も、何度も話し合いを行いました。
あわせて、筋の通らないことには一切譲歩しなかったのです。
すると、やがて、あきらめたのでしょう、「わがまま」は言わなくなりました。
仕事振りは相変わらずでしたけど。
ということで、結果はかろうじて「オーライ」となりました。
でも、「あの物言いは間違っていた。もっと配慮できていた」と忸怩たるものが多々あります。
それらは、後になって思えることなのですが・・・。
では、また。