ちはやふる下の句を見てきたのでその感想を。
上の句のおさらい。
物語の事実上の主人公は、広瀬すずが演じる綾瀬千早ではなく、野村周平演じる太一です。彼は金持ちでイケメンで高身長と、一見最高に”持ってるヤツ”なのですが、思いを寄せている綾瀬千早の住む「競技カルタの世界」では才能がなく、”持たざるもの”なのです。
そんな彼が過去の自分に勝つため、広瀬すずに振り向いてもらうため一念発起して努力し勝利をつかみ取る!というのが本作の魅力です。
そう「ちはやふる 上の句」は、「負け犬達のワンス・アゲイン」ものです。
そして、野村周平ほか、”持ってないヤツ”の物語は、主演の広瀬すずの太陽的存在感によって強いコントラストとして引き立てられており、広瀬すずのパワーを感じる作品であることは間違いないです。
下の句のテーマとは・・・?
下の句での事実上の主人公は真剣佑演じる新(あらた)です。彼は千早と太一の幼なじみで、千早にカルタの魅力を伝え、千早をカルタの世界にいざなった天才&イケメン男子です。千早は彼に密かな思いを寄せています。
そんな彼が突然、「カルタはもうやらん。」と言い出すのです。ショックを受ける千早。必死で新をカルタの世界に連れ戻そうとするのですが、新は引きこもります。
そう、下の句は「引きこもり新がもう一度カルタの世界に出向く話」です。
彼はカルタの天才です。なのになぜカルタを一度辞めるのでしょう?
その原因は「祖父の死」です。
「俺にとって、じいちゃんはカルタそのものやった…」
彼がカルタに一生懸命になるのは、祖父の存在があったからだそうです。
彼にとって祖父がどんな存在だったかを説明するシーンがあまりないので、たったそれだけの台詞で引きこもる原因を作るのは説得力に欠けると思うのですが!
とにかく、祖父という絶対的な存在を失い、彼は引きこもります。
そして「カルタに一生懸命になる意味」に疑問を抱き、そして綾瀬千早たち=「カルタに一生懸命になってる奴ら」からその意味を見いだすのです。
つまり、今作のテーマは「何かに一生懸命打ち込むことの意味とは果たして…?」です。
これ・・・・
『桐島、部活やめるってよ。』と同じテーマやないか!!!!!
最高の映画『桐島、部活やめるってよ。』
『桐島〜』のテーマも「何かに一生懸命打ち込むことの意味とは果たして…?」でした。
主人公のヒロキ=東出昌広は、桐島という絶対的な存在を失い、学校という世界であくせく生きることの意味を本格的に失います。可愛い彼女がいても、運動の才能があっても、その先に”幸せ”が待っていないことを悟ります。
この世界は「頑張っても報われない」のだ、と。
そんな中、前田=神木隆之介や野球部のキャプテンたち「報われるはずもないのに頑張る者たち」との交流により、「何かに一生懸命になることの意味」を見いだすのです。
それは、
頑張っても報われないかもしれないけど、
何かに一生懸命になることは
美しい!!
これが、『桐島〜』という映画の結論であり、メッセージだと思います。
『ちはやふる 下の句』に置き換えてみます。
新=ヒロキ
祖父=桐島
千早=前田
祖父(桐島)という「一生懸命になること」の絶対的な理由を失った新(ヒロキ)はカルタの世界で生きる意味を失います。「頑張る理由」を失った彼は無気力状態。再びカルタを目の前にしても、力が入らないのです。しかし、千早(前田)たちとの交流によって、「一生懸命になること」の新たな理由を見いだし、再びカルタの世界で生きることを決断するのです。
「なぜ一生懸命になるのか?」という新の疑問に、千早たちが回答する。
その疑問は『桐島〜』では”美しいから”という回答がされました。
では『ちはやふる』では、どういった回答が出されるのでしょうか?
「頑張る理由」への広瀬すずからの回答
「なぜ一生懸命が頑張るのか?」という今作のテーマに対して、
広瀬すずは
「どんなことがあっても一人になっちゃダメなんだよ!!!」
と、よくわからないことを言い続けます。要は「仲間は大切!」というワンピース的な発言です。千早もルフィ同様に、仲間の重要性を本能的に叫び続けます。一体何を言っているのでしょう。
そんな広瀬すずの対抗軸として、松岡茉優演じる”クイーン”しのぶちゃんが登場します。
「あんたらカルタやのうて、仲間で何かしたいだけちゃうん?」
広瀬すずの根拠なき仲間の必要性に疑問を呈するのです!
あれ?これって仲間の重要性を描いた映画なの?
そんな疑問を抱きましたが、ストーリーは続きます。
”仲間重要派”の広瀬すずと、”仲間いらない派”の松岡茉優が畳の上で戦います。
僕は、広瀬すずの「仲間大切!」という根拠のない雄叫びに心底ムカついていたので、二人がカルタを挟んで対面したとき、
松岡!広瀬すずを殺せーーーー!!
と思ってました。
試合が始まると、クイーン松岡茉優の素早く、静かで、美しいカルタを前に広瀬すずは、
となります。この状況で絶対的エースの広瀬すずはどう立ち向かっていくのでしょう。
ここでまた仲間の必要性が強調されます。
広瀬すずは、「自分には仲間がいるんだ!」ということを思い起こすのです。
仲間…仲間…仲間…。
そして広瀬すずは思うのです。
仲間がいると・・・
楽しい!!!!!
うおおおおおおおおおお!!!!!
仲間達の顔を思い浮かべることで、目の前のカルタに今まで以上の情熱を燃やし、困難な試合を”楽しむ”のです。
側で見守っていた新は彼女の”楽しそうな”戦いっぷりを見て涙します。
そこでカルタの先生である國村隼が彼に一言。
「かるたをする理由は、一つじゃなくてもいいだろう」
つまり、祖父だけではなく、複数人の仲間がいれば、カルタをする理由が複数つくれる。広瀬すずはそれの体現者で、仲間がいることでカルタが楽しくなり、カルタをやる理由=みんながいて楽しいから!を実践していると。
試合終了。結果はクイーン松岡茉優が勝ちました。
ですが、映画としては広瀬すずが勝ったような演出です。松岡茉優は勝ったにも関わらず、浮かない表情でその場を去り、広瀬すずは負けたにも関わらず、仲間と戯れています。
新は「俺は一人じゃなかった!」的なことを思い出し、”仲間”を得たことで、もう一度カルタの世界に舞い戻ることを決心するのです。
映画おわり。
”楽しい”は正義!!
新の疑問であり、今作のテーマである「なぜ頑張るのか?」に対して、千早は「楽しいから!」という回答を示したのです。
そして、その「楽しい」はあくまでも「仲間」がいるから成立する。だから、広瀬すずはバラバラになろうとしていた仲間の重要性を声高に叫んでいた。
これが本作の「なぜ頑張るのか?」ということに対するアンサーだと思います。
頑張っても報われない。と引きこもってるやつに対して、
「そんなこと言ってないでこっちおいでよ!仲間がいれば楽しいよ!」
と広瀬すずは言っているのです。
彼女は本能的にそれを知っているがために、ずっと仲間の重要性を説いていたんですね。
確かに楽しそうなキャスト陣・・・。
しかし・・・
僕は納得いきません!
この映画では、何かを頑張る理由を「仲間がいて楽しいから!」ということで片付けていますが、頑張った先にあるのものが、仲間と共有する”楽しい”という”内輪の満足感”であり、だったら大学サークルのノリと変わらないんじゃないかと思うのです。
「仲間がいて楽しいからカルタ頑張ろ〜!」ってやつには、
「お前それ本気でカルタやってんの?」って言いたくなりますよね!!!
そんな感じのことをずっと思ってたんですが、
松岡茉優はそれを代弁して言ってくれたんです。
「あんたら仲間でなんかしたいんだけちゃうん?」と。
その通りです。松岡様。
あなたが正しいです。
にも関わらず、
この映画は松岡茉優様を「負け」にしたんですよ!!!!!
松岡茉優は、広瀬すずの「仲間と楽しくやるカルタ最高!」という価値観を揺るがすことができた。まさにバットマンに対するジョーカー的ポジションになれたはず。
しかし!この映画ではその
ジョーカー松岡を殺し、バットマン広瀬を生かした。
そしてバットマン広瀬の価値観はより強固になる。
つまり、
カルタの世界に愚直に向き合い、覚悟を決めた者よりも、
仲間と楽しくカルタをやってる奴らのほうが、
正義だというんです!!!!
ふざけるんじゃねえぜ!!
いいですか。
我々はジョーカーがバットマンに勝つところを見たいんです!!!
ジョーカーを殺す映画を見る価値はありません!!!!!
以上!
しかし、また続編もやるみたいですね。
だったら次は『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』みたいなのじゃないとダメでしょ!
『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』は、
「青春という安心で楽しい世界は、そこから抜け出す勇気・覚悟を持ち合わせる必要があるのでは?」という映画です。
青春を抜け出す”痛み”を受けながら、次の大きな舞台へ歩み出す千早を見たいですね。
はいっ!!!!!