プレーオフ第1戦で先発し、世間を驚かせた【拡大】
ただ最近は入退院を繰り返していた。数年前まで日本ハムOB会に出席していたが、球団関係者によると、「体調が悪い」と漏らしていたという。
工藤氏より1歳上で同僚だった日本ハム・五十嵐査定担当「ピッチングがうまかった。(私生活では)酒好きで、エピソードの多い男だった」
日本ハムに同期入団した阪神・高代ヘッドコーチ「いい投手だったよ。最近、連絡はとっていなかったんだけど…。お悔やみ申し上げます」
★18日に告別式
通夜は17日午後3時、葬儀・告別式は18日午後1時から秋田市山王2の4の5、秋田典礼会館セレモで。喪主は長男、壮史(まさふみ)氏。
工藤 幹夫(くどう・みきお)
1960(昭和35)年9月30日生まれ。秋田県本荘市(現由利本荘市)出身。本荘高から79年にドラフト2位で日本ハムに入団。アンダースローからサイドスローに変えて頭角を現し、4年目の82年に20勝4敗、防御率2・10で最多勝、最高勝率、ベストナインを獲得。86年に右肩の手術を受け、88年に野手に転向したが、同年限りで引退。その後は秋田市内でクドウスポーツ店を経営した。