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【首都スポ】

信田泰宏がラグビー再挑戦 パワーリフティング世界一

2016年5月14日 紙面から

先月、トップリーグのトライアウトを受けた信田は、鍛え上げた肉体を武器に頑健な突進を繰り返した=市川市国府台陸上競技場で

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 元ラガーマンがパワーリフトで世界に挑む! 4月27日に千葉県市川市で行われたラグビー・トップリーグのトライアウトに最年長の27歳で参加したのが、成蹊大OBのWTB信田(しだ)泰宏だった。茨城・清真学園高から成蹊大までラグビーに熱中した後、東京都庁勤務をへてパワーリフティングに転向したが、昨年のラグビー・ワールドカップ(W杯)を見て再チャレンジを決意。その一方で、今月16日にはパワーリフティングの世界大会に出場するため南アフリカへ出発する。2つの夢を追う27歳に迫った。 (文・写真=大友信彦)

 トップリーグのトライアウトに最年長で参加した信田。ジャージーが破れそうなほど盛り上がった筋肉を持ち、セレクション試合でトライも挙げた27歳は、違う競技で世界チャンピオンを目指す二刀流アスリートだった。

 「パワーリフティングの世界大会に出場します。全日本選手権で優勝して出場できることになりました」

 信田が優勝したのは、3月13日に行われたジャパンクラシックベンチプレス選手権男子一般83キロ級。記録は190キロだった。

 「練習では215キロを上げています。世界記録は210キロなんで、それを更新して優勝したいですね」

 高校ラグビーの名門茨城・清真学園で主将を務め、U−17関東代表、茨城県国体代表などに選ばれた。関東対抗戦グループの成蹊大ではFBやWTBで1年生から活躍したが、大学卒業後は公務員試験に合格して東京都職員となり、ラグビーから離れていた。

 だが、その期間も鍛錬を続けていた。ウエートトレーニングを続け、都職員を1年で退職するとパーソナルトレーナーとして起業。トレーニングからボディービルに傾倒し、さらにパワーリフティングへと主戦場を移していった。

 ボディービルは美を追求するマニアックな世界だ。生理学や解剖学、栄養学など幅広い分野で理論は日進月歩。あらゆることを学び、トレーニングに打ち込むうちに、違う欲求が芽生えた。

 「より目に見える結果が欲しくなって、トレーニングの一部であるパワーリフティングの競技会を目指すようになりました」

 2013年3月、都内にトレーニングジム「NGUボディメークスタジオ」を開業。ダイエットやシェイプアップなどを指導しながらトレーニングを続け、同年10月に出場した関東ベンチプレス選手権でいきなり優勝。11月には東京都選手権で優勝し、14年2月には「全日本」と呼ばれるジャパンクラシック選手権で3位入賞。同年12月にはアジアオセアニア選手権で優勝した。そして16年3月、これまで勝てなかった全日本を初めて制し、世界選手権切符を獲得したのだ。

 しかし、パワーリフティングの第一人者が、なぜトップリーグのトライアルを受験したのだろう?

 「去年のワールドカップを見て、燃えてきたんですよ。五郎丸歩さんや山田章仁さんとは大学時代に対戦したし、田村優は同期。そんな人たちが、世界であれだけやっていることに感動して」

 振り返れば、大学時代は体重70キロ前後と体が小さく、非力なのが弱点だった。だが、5年間トレーニングを続けてきて、別人のように体が大きくなった。体重は通常85〜90キロ。この体でラグビーをやったらどうなるだろう…。そんな思いで過ごしていた日、インターネットで見つけたのがトップリーグトライアウト実施の記事だった。

 「ちょうど締め切りの日でした。前に(ジムの)お客さんであるラグビー選手に受験した話を聞いたことがあって、興味はあったんです。すぐに応募しました」

 そして受験したトライアウト。

 「ずっとラグビーをやってなかったから、やっぱり走れませんでした(笑)。でも、コンタクトでは余裕がありましたね。トライも取れたし、前とは違う感覚があった」

 スカウトの評価はまだ不明。だがもうひとつの目標は目の前だ。

 「まずは世界選手権で勝つことですね」

 ラグビー日本代表は昨年、南アを破って世界に衝撃を与えた。今度はラグビー上がりのパワーリフターが、南アを舞台に結果を出してみせる!

     ◇

 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」面がトーチュウに誕生。連日、最終面で展開中

 

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