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【芸能・社会】

蜷川さん死去 演出家・野田秀樹「心の中ではずっと師匠」

2016年5月13日 紙面から

蜷川さんの死を悼む野田秀樹=東京・池袋で

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 蜷川さんとともに、常に第一線で刺激的な芝居を作り続けてきた演出家野田秀樹さん(60)は12日、東京・池袋の東京芸術劇場で「舞台の見せ方を圧倒的に知っていて、あれだけのエネルギーを演劇界に振りまいた人はいない」と偉大すぎる演出家の死を悼んだ。

 前夜、強引に病院を訪れ“師匠”と対面。「来たよって声をかけたら、目は開けてくれなかったが、呼吸器をしたままでウーッと声を出してくれた」と明かし、ベッドのかたわらには、上演予定の台本が3本置いてあったという。

 その前、最後に会ったのは昨年10月「海辺のカフカ」上演時。蜷川さんは車いすだったが元気で「『久しぶりに面白い』と言ったら『うるせえ』って。秀逸な芝居で80になってもすごい人だと心から思いましたね」。

 昨年12月に電話したら「『オレ、ダメみたい』っていうので、『くたばってんじゃねえよ』って悪態ついたが、蜷川さんの弱音、初めて聞きました」と野田さんは肩を落とした。

 16歳の時に蜷川作品を見て以来、「ライバルというのは失礼。心の中ではずっと師匠だった」とポツリ。「蜷川さんのおかげで、演出家の仕事は灰皿を投げることが定着してしまったけど、そこには俳優への愛情が流れていたし、才能への鋭い嗅覚があった。本当に情熱の演出家でした」と語った。

◆ジャニー喜多川社長 さよならなんてずるいよ

 ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(84)も50年来の“盟友”の訃報にショックを受けた。ジャニー社長は、事務所を通じて「昭和と平成を見事につなげた人が、東京オリンピックを待たずに、さよならなんてずるいよ」と追悼のコメントを発表した。ジャニー社長がメディアにコメントを寄せるのは極めて異例。

 数多くのアイドルを育ててきたジャニー社長と、俳優を経て演出家になった蜷川さんは、ともに日本の芸能界を支えてきた。ジャニー社長は有望な俳優を蜷川さんに紹介し、1989年の岡本健一を皮切りに、多くのジャニーズの俳優が蜷川さんの舞台を踏んだ。

 2015年元旦にはNHKラジオの蜷川さんの番組にジャニー社長が出演し、芸能界の過去と未来を語り合った。

◆少年隊東山紀之 またご一緒したかった

 1989年、男闘呼組(当時)の岡本健一(46)がジャニーズで初めて「唐版 滝の白糸」に起用されたのを機に、少年隊、SMAP木村拓哉(43))、V6の坂本昌行(44)、長野博(43)、森田剛(37)、岡田准一(35)、嵐の二宮和也(32)、松本潤(32)、俳優生田斗真(31)、KAT−TUNの亀梨和也(30)、上田竜也(32)が蜷川さんの演出を受けた。

 少年隊東山紀之(49)は「蜷川さんと会う度に『またやろうな』と言って下さいました。またご一緒したかったです。まだまだ勉強したかったです」。今では舞台人として評価が高い岡本は「蜷川さんは初舞台の私に『演劇は麻薬だ! 取りつかれるぞ!』と言っていました。蜷川さんに会ってから、私は演劇に取りつかれています。蜷川さんは今も確実に別の世界から舞台を創り続け、叫び続けている事でしょう」と感謝。

 木村は「驚きと同時にものすごく悔しいです。少し前に『俺がポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!』って言ってもらったことが、今頭から離れません」。

 昨年の「青い種子は太陽のなかにある」に主演した亀梨は「車椅子姿の蜷川さんは、とても力強く、そこからたくさんの感性、感覚を学ぶことができ、自分は本当に幸せでした」と蜷川さんとの思い出を振り返った。

◆野村萬斎 スピリット継承

 ▽蜷川さん演出の「オイディプス王」「ファウストの悲劇」などで主演を務めた野村萬斎(50) 「蜷川さんとは計4回お仕事しました。一番心に残るのは2004年アテネでの『オイディプス王』公演です。世界で戦うその大きさに心打たれました。その蜷川スピリッツをわれわれは継承していかなくてはならないと思います。そのスピリットとは、日本に根ざした美的感覚を日本のアイデンティティーとして現代の世界へ表現として昇華していく。その気力と職人的技術かと思います」

◆藤木直人 手の温もり今も

 今月25日に開幕する彩の国シェイクスピアシリーズ第32弾『尺には尺を』に主演する俳優の藤木直人(43)はこの日、同作のけいこが終わったときに蜷川さんの訃報に接したという。

 自身のファンクラブ向けホームページで「(キャストが)みんな泣いていました。厳しい部分もお持ちでしたが、思い出すのは蜷川さんの優しい笑顔です。今回のけいこ場に来てくださることはかなわなかったのですが、けいこが始まってすぐ、キャストのみんなで病院に会いに行きました。そのときの『頑張って』という言葉と握った手の温かさが今でも残っています」とつづった。

 その上で「蜷川さんの想いを受け継ぎ、蜷川さんの名に恥じない作品になるよう、キャスト、スタッフ一丸となって進んでいくしかないです」と気を引き締めた。

 

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