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熊本地震1カ月の課題

いまだに車中泊を続けざるをえない人たちが多い熊本県益城町総合体育館前の駐車場=2016年4月25日午後7時半、須賀川理撮影

 死者49人という大きな被害を出した熊本地震。最初の震度7の地震発生から14日で1カ月を迎えるが、震度1以上の地震は約1400回を数え、約1万人が今も避難生活を送る。長引く車中泊、地域の分断、障害者など災害弱者への対応……。終息の見えない状況で、被災者支援の課題はどこにあるのか。

    弱者切り捨てぬ避難所に 花田昌宣・熊本学園大学水俣学研究センター長

    花田昌宣氏=須賀川理撮影

     熊本学園大学(熊本市中央区)は指定避難所ではなかったが、4月14日夜の最初の地震直後に被災者の要望を受け、バリアフリー化されていた校舎を選んで開放した。最大で700人以上、今も夜間だけの利用者も含め、約50人を受け入れている。

     被災者は元の生活圏がずたずたになり、戻っても容易に暮らしてゆけない。一方、格差社会の中、精神的にも金銭的にも生活再建への自助努力には限界がある。「共助」という言葉も困窮者同士が手を結ぶだけでは限界で「自助」「公助」の積み重ねの上で、機能しうることを見過ごすべきではない。さらに被災地は都市圏から中山間地まで広がり、被災状況も多様であり、きめ細かな支援が必要になる。

     熊本地震から半月後、水俣病公式確認から60年の節目を迎えた。水俣病への対応は「発生予防、拡大防止、補償救済」のいずれも大きく立ち遅れた。熊本地震でも活断層の危険は以前から言われており、地震の発生は防止できなくてもその後の対応次第で災害被害は縮小できるはずだ。

     40年以上、水俣病の患者支援などを続けてきた私の経験から言えば、被災者自身が自覚を持って支援の必要性を訴えていくことが大切に思う。目には見えにくい生活の損壊や心の痛みを抱えつつも被災者自らが我慢してしまわないかが心配だ。

     今回、本校では障害者のニーズに配慮した避難スペースを提供し、一般の人と一緒に避難所を利用してもらった。車椅子の学生が多く、バリアフリーを掲げる学内にあってこの流れは自然だった。熊本市内だけで障害者手帳を持つ人は4万人以上おり、学内外で普段から関係性を築いていたことも背景にある。

     福祉避難所が機能しなかったことが問題となっているが、緊急時にこそ地域で共に生きる環境を避難所で実現することが大切だ。4月16日未明の本震後、車椅子の方や高齢者らが増え始め、教員、学生が一体になってケアに当たった。学内外の協力を得て介護福祉士や看護師が常駐する体制を整え、実習室の介助用品を使って急場をしのいだ。ルールも設けなかったが、被災者同士が律し、気遣いながら生活し、混乱もなかった。

     障害者を一般避難者と同様に受け入れることは、阪神大震災(1995年)でも、その後の災害でも実現できておらず、本学の取り組みは「画期的だ」との評価を受けた。「障害者は福祉避難所へ」という考えではなく、一般避難所があらゆる要援護者を受け入れるべきだという教訓を提起する形となった。

     今後、市民社会も行政も、被災者の立場に身を置いて考えなければ、被災者の状況は悪化する恐れもある。水俣の患者さんに接するのと同様に、一人一人の被災状況にあわせて対応していくことができれば将来にも生かされる。命の尊さはみな同じで、単なる地方の災害として中央から忘れられることのないようにしなければならない。弱者が切り捨てられる被災地にしてはならない。【聞き手・高尾具成】

    人のつながり、復興に直結 稲垣文彦・中越防災安全推進機構理事

    稲垣文彦氏=藤井達也撮影

     被災者支援の観点からみた熊本地震の特徴は、前震の後にさらに大きな本震が起きたことだ。通常は地震の影響が収まるにつれて、被災者も「さあ片付けをしよう」と気持ちが上向いていくが、今回は「また大きな地震が来るのでは」という不安がいつまでもぬぐえない。また、余震で避難者の車中泊が長期化したため、周囲の人々と接する機会が減り、不安をため込んでしまった。こういうことが今後、ボディーブローのようにきいてくるだろう。

     不安解消に有効なのは、被災者自身が周囲に体験を直接話すことだ。「あの時はこんなに怖かった」と口にすることが、精神の安定につながる。そのためには、ボランティアが被災者の近くで話し相手となることが必要だ。

     新潟県中越地震(2004年)で実践した「足湯」は効果的だった。足湯でくつろぐ被災者の話を、ボランティアが被災者の手をさすりながら聞くというものだ。

     一人一人の被災者に寄り添い、体験や今の不安に耳を傾けるとともに「私たちがそばにいる」というメッセージを、直接伝えることが大切だ。「力仕事ができない」などと不安がるボランティアもいるが、おばあちゃんに「お茶を飲みませんか」と声をかけることでも、疲れたお母さんの代わりに子供をあやすことでも十分だ。被災者の心をほぐしてほしい。

     注意すべきは、被災者のことを「気の毒な弱い人々」という目で見てはいけないということだ。彼らは地震の前日まで、しっかりと生活し、地域を守ってきた。被災者が力を合わせ、避難所の炊き出しを自分たちでしている姿に、改めて「地方の底力」を感じる。彼らが再び、その力を十分に発揮できるまで、外からフォローする。ボランティアにはそういう姿勢が必要だ。被災者一人一人が尊厳を持った人間だという認識を、しっかりと持ってほしい。

     中越地震の支援で最も気を配ったのは、被災者のコミュニティーの維持だ。私が支援に入った山古志(やまこし)村(現長岡市)では、当初避難所が普段のコミュニティーとはバラバラに割り当てられたため、被災者同士が遠慮し、避難所がギスギスし始めた。そこで、1週間が過ぎたころ、避難所を集落ごとに再編した。顔見知りが同じ避難所になり、ずいぶん落ち着いた。

     広域避難を受け入れる近隣の自治体には、住居の提供だけでなく、人間的なつながりの維持まで目を配ってほしい。被災者がどこから来ているのかを把握し、コミュニティーに配慮した形で避難所や仮設住宅を配置すべきだ。

     中越地震の被災者への聞き取り調査では、避難所で地域住民同士が支え合い、これからどうするかを話し合えていた人たちは、後に「復興した」という意識をはっきりと持っている。逆に、避難所で地域がバラバラになり、話し合いも支え合いもできなかった人たちは、その後も多くが「復興がうまくいっていない」と感じている。避難所や仮設住宅での生活は、その後の地域復興に直結する。「復興は地震の直後から始まる」意識を持ってほしい。【聞き手・尾中香尚里】

    被災者の痛み最小化急ぐ 蒲島郁夫・熊本県知事

    蒲島郁夫氏=喜屋武真之介撮影

     今回の地震は歴史的に類を見ないと思う。阪神大震災級の揺れが2回続いたことに加え、余震が続き、終わりが見えない。これが一層の避難者の不安となっている。

     車中避難が非常に多く、東京から見ると「なんでだろう」と思われるかもしれないが、家の中にいることが怖かったのだ。16日未明の本震前に家から人々が離れた。「青空避難所」とも言われ、その他にも車中に多くの人が逃げたことが、「阪神」級が2度も来たのに比較的、人的被害が少なかった要因となった。住宅被害が大きかった西原村では、消防団と地域のコミュニティーが非常に機能した。昔の家が多かったが、みんなで助け合った。自衛隊、警察、消防にも活躍してもらった。

     指定避難所には食料も水も集まったが、非公式の避難所にはなかなか行き届かなかった。みんなが決められた避難所に行くとは限らず、あらゆる所が避難所になることを次の教訓として知っておかなければならない。

     行政が担う公助の部分はどうしても指定避難所までで、それ以外は、NPOや自助になる。食料は自分で持って逃げるといったことだ。大量の物資が国から送られ、それを必死に自衛隊や民間業者に配布していただいたが、スムーズにいかなかった面はもちろんあると思う。だが、それは想定内ではないか。国の食料支援は非常に成功したと思う。次は復興のための道筋が必要だ。安心して復旧・復興にまい進できる環境を作ってほしい。東日本大震災を踏まえた特別の財政措置を国には要望したい。

     県としては、今後の対応として三つの方針がある。一つは避難所を少しでも快適にするといった被災者の痛みの最小化。二つ目は創造的な復旧・復興だ。例えば農地。土砂災害で落下した土砂をかさ上げに使い、それを整地して水田にすれば土砂を捨てるよりもよっぽど安く済む。三つ目は創造的な復旧・復興によって将来の熊本の発展につなげること。経済を止めてはならず、企業活動が早く回復できるような税制の改革を政府に望みたい。

     また、熊本県民の誇りを取り戻したい。一番大きいのは熊本城で、完全な復元に政府は乗り出してほしい。安倍晋三首相は「熊本城の復元なしに復興は終わらない」と明言し、馳浩文部科学相も「10年、20年かけても震災前の姿に必ず戻す」と発言された。非常に力強い政府のメッセージだ。

     連休には多くのボランティアに来ていただいた。ふるさと納税も多くの方が寄せてくださり、心から感謝申し上げたい。地震で心が折れそうになるが、皆さんの善意が我々を頑張らせてくれる。私が先頭に立って一日も早く、熊本の復興を成し遂げたい。このような震災は「来ないだろう」と思うのが普通だ。あした来るなんて誰も思わないだろう。「災害はいつでも来る」という意識をみんなで共有しなければならないと思う。また、耐震構造の重要性も感じた。とりわけ災害対応の司令塔になる市役所や役場だ。なるべく洪水が来ないような所に移転するなど、「耐災害化」を進めなければいけない。【聞き手・中里顕】


    余震続き避難長期化

     熊本地震では、最大震度7の激震が連続して2回発生し、役場や病院など防災拠点を含む建築物に大きな被害が出た。余震が収まらないことから、多くの被災者が自宅に戻れず避難生活が長期化。車中泊などの影響で行政などの支援が行き届かず孤立化する人や、エコノミークラス症候群で亡くなる人が出た。また、災害弱者を受け入れる福祉避難所が機能せず、高齢者や障害者らが十分な支援を得られず厳しい避難生活を強いられている。


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     ■人物略歴

    はなだ・まさのり

     1952年大阪府生まれ。京都大学大学院博士課程満期退学。国立パリ第13大学経済経営学部専任講師などを経て、熊本学園大社会福祉学部教授。社会政策・水俣学専攻。


     ■人物略歴

    いながき・ふみひこ

     1967年生まれ。新潟県中越地震の被災者支援を経て2005年、地域復興のための中間支援組織「中越復興市民会議」を創設、事務局長に。地域復興支援員の人材育成などに取り組む。


     ■人物略歴

    かばしま・いくお

     1947年生まれ。農協勤務などを経て米ハーバード大大学院で博士号を取得し、東京大教授を務めた。2008年に初当選し、3期目。

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